そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
エリック・アンブラーの『真昼の翳』(1962)は最上級のクライムコメディです。
と、いきなり書いてみたのは、僕が本書を読んで、ひっくり返るくらい驚いたからです。こんなに軽やかで、痛快な話だったなんて!
アンブラー作品としては異色で、たとえば『ディミトリオスの棺』(1939)とは違う読み味というのは知っていました。各務三郎による本書のハヤカワ・ミステリ文庫版解説「アイ・スパイ!」(1976)を事前に読んでいたからです。
小森収編のミステリ評論集『ミステリ=22 推理小説ベスト・エッセイ』(2024)にも収録されたこの文章の中で、各務は〈『真昼の翳』は冒険小説のファルスであり、さらにスパイ小説のファルスになっているのである〉と評し〈はじめからクスクス笑い通しだった〉と語っています。
しかし、僕の中ではニヤリとできる趣向のある冒険小説といったところなのだろうという受け取り方でした。各務も同文で、初読時はファルス(喜劇)ではなく〈ひねりを効かせた冒険小説〉程度の認識だったことを示していますし、何より本書はMWAの最優秀長篇賞やCWAのシルヴァー・ダガー賞を獲っているアンブラ―の代表作です。
つまるところ、先入観が強かった。
読んでみたら、同じMWA最優秀長篇賞でも『寒い国から帰ってきたスパイ』(1963)ではなく『我輩はカモである』(1967)と同じ箱に入れるべき作品だった。
もし、この小説が訳されたのがもっと後で、クライムコメディやユーモアミステリといったジャンル分けがメジャーになっていたのなら、間違いなく、そうした枠組みで紹介されていたであろう。『真昼の翳』はそんな作品で、大変に僕好みの逸品だったのです。
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アーサー・アブデル・シンプソンはアテネ在住の小悪党です。
自称はジャーナリストですが、特にそれらしいことはしていない。普段は観光客向けのタクシー運転手をしていますが、悪質と呼んで良いたぐい。裏でマージンをもらう為に特定の店ばかり紹介するのは勿論、客が留守のうちにホテルの部屋に侵入してトラベラーズチェックをくすねたりする。
その日、アテネにやって来たハーパーという男についても、シンプソンは当然カモにするつもりでした。空港に降り立ったところを捕まえ、市内を案内し、夜の店に放り込む。よし、チャンスだとシンプソンは彼の部屋に忍び込む。
そこで、ハーパーが帰ってきた。
一巻の終わりかと思ったシンプソンでしたが、どうもハーパーの様子がおかしい。警察に突き出そうとする様子がない。どういうことか、と思っていると、妙な話を言いつけられました。
これから、アテネからイスタンブールまで、一台の車を運んでほしいというのです。それを達成できれば、この盗みについて黙っていてやるし、なんなら報酬も与える。
どう考えても怪しいですが、シンプソンには乗る以外の選択肢がありません。翌日、リンカーンを走らせてみたところ、案の定、トルコの税関で捕まる。この車の中には、手榴弾や機関銃が隠されていたのです!
シンプソンは、今度は税関のトゥーファン少佐から命令を下されます。ハーパーという男、恐らくは、どこかの国の工作員か政治過激派だ。君は何事もなかったように車を受け渡したあと、奴らの組織に潜入してくれ。国を守るために協力してほしい。
これにも従う他はない。かくして、シンプソンの受難の数日間が幕を開けた……。
既に、本書のコミカルさは分かっていただけたのではないでしょうか。
素人が国際的な謀略に巻き込まれてしまうのはアンブラーお得意のパターンではありますが、読み心地は明確に違う。その違いが何から生まれているかといえば、シンプソンのキャラクターでしょう。
作家的な好奇心から国際的犯罪者の実像に迫る冒険へ出る『ディミトリオスの棺』のラティマーや、避暑地を訪れただけなのにスパイ容疑をかけられる『あるスパイへの墓碑銘』(1938)のヴァタシーとは違い、シンプソンはとにかく自業自得で窮地に陥っていく。
その上で、彼はへこたれない。跳ねっ返りの気質を持つシンプソンはハーパーに対してもトゥーファンに対しても「やり返してやるからな」という気持ちを持ち続ける。
このシンプソンの目線が本書に笑いを生んでいるのです。
宇野利泰の訳のおかげもあり、至るところでニヤリとさせられる可笑しみがある。ストーリー自体もコミカルではあるのですが、実は本書がクライムコメディとしての風格を持っているのは、文章のリズムのおかげである部分が強いのです。
冒頭からして名書き出しです。ハーパーのせいでとんでもないことに遭った、ということを語ったあと、段落の最後で〈おれの身辺をおそったこの出来事は、すべてあいつが責任を負うべきなのだ〉とまとめる。
思わず「いや、お前がこの出来事に巻き込まれたのはハーパーの部屋に盗みに入ったせいだろ!」とツッコミを入れてしまう。これがシンプソンという男なのです。ろくでもないながらも愛嬌がある。故に「もっと酷い目に遭え」「いや、頑張れ」と、ぐんぐんページをめくらされる。
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本書にシリアスな要素が含まれていないというわけではありません。
というより、優れたコメディには根底にシリアスな部分があるからこそ笑うことができることが多い。上質なユーモアは、そうしたものを見据えないと生まれ得ないものですから。
『真昼の翳』の場合、核にあるのはシンプソンという男のアイデンティティです。
シンプソンは無国籍者です。
父親はイギリス軍の将校で、母親はエジプト人。しかしながら今現在はイギリスからもエジプトからも正式には国籍を認められていない(その事情に、本人の自業自得な行為が絡んでいるのがこの男なのですが……)。だが、この二国のパスポートは持っていて、取り上げられないように立ち回っている。
この国籍の事情に象徴されるようにシンプソンはありとあらゆるところから所属を拒否され続けている。本書の原題The Light of Dayというのはシンプソンの歩けない場所の意味合いで使われます。
シンプソンはいつか自分も陽の光の当たる場所へ出たい……とは思っていない。出てやるものか、と考えている。だが、大人しく引っ込んでいる状態は気に食わない。
ここが肝です。シンプソンのこのひねくれた性格が『真昼の翳』という小説を牽引するのです。
敵対関係にある二つの勢力それぞれから気に食わない命令を受けたシンプソンは、さりげないところで反抗を重ね、その末に物語は登場人物全員が予想していない着地点へ向かっていく。
ああ、良いものを読んだとニヤニヤしながら読み終えられること間違いなしの作品です。
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『真昼の翳』には、『ダーティ・ストーリー』(1967)という続篇があり、そちらでも当然シンプソンが主人公として登板しています。
彼はこの作品でも相変わらず、陽の光の当たらない中途半端な場所にいて、あれこれ足掻いている。読み始めた瞬間にシンプソンに再会できた、と嬉しい気持ちになりました。
アンブラーは元々、人物描写の巧みな作家ですが、シンプソンは個人的にひときわ魅力的に感じるキャラクターです。
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小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |