「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

 私立探偵小説が好きなのは、そこにユーモアがあるからです。
 ワイズクラック――即ち、主人公が悪役へ放つ減らず口のことばかり指しているわけではありません。「どんなピンチでも矜持を保って戦う意志を見せる。その勇気づけの笑いがカッコいいのだ」みたいな話ではなく、もっと卑近。斜に構えて世界を見ている故に、くだらないことばかり考えてしまうといった具合の、しょうもないユーモアが好みなのです。
 だから、ウォーレン・マーフィーのトレースものは当然、大好き。愛していると言ってしまっていいくらい。
 『二日酔いのバラード』(1983)から始まるこのシリーズの主人公、トレースことデヴリン・トレーシーは正確には私立探偵ではなく保険会社の雇われ調査員です。ひねくれたユーモアの化身みたいな男で、口を開けばくだらないギャグを飛ばし、口を閉じればくだらないギャグを考える。呑んだくれでバツイチ。ダメ男……と言われたら「そんなことはない。おれはLAに住む他の誰よりも才気あふれる天才で」と適当に返事をする。
 これじゃ、いいところがないみたいだな。でも、実際、余りないんですよね。ただ、彼視点の文章はとにかく読んでいて心地がいい。たとえばカンザス・シティの仕事で嫌なことがあった時にはこういう文章が出てくる。
 〈どうしてカンザス・シティは、カンザス州でなく、ミズーリ州にあるのか。せめてミズーリ州にいるときくらいは、いたくなくても、カンザス・シティじゃなく、ミズーリ・シティと呼んでやろう〉
 大の大人が考えるようなことではない。でも、こういう、しょうもないことを考えたい時ってのがあるよな、と僕はにやけてしまうのです。
 そんなトレースをピシリと叱ってくれるのが、同棲相手のチコことミチコ・マンジーニ。カジノのディーラー兼パートタイムのコールガールとして働くチコは頭脳明晰のリアリスト(けど、時にロマンチストで暴れん坊)で、トレースの手綱を握る相棒です。
 この二人の絶妙な掛け合いでとにかく笑わせてくる。原文のノリを日本の読者にどうにか伝えんとする田村義進氏の名訳も相まって、一度読み始めたら読むのをやめられない楽しさの名シリーズなのです。
 MWA賞のペーパーバック部門を受賞した『豚は太るか死ぬしかない』(1985)をはじめ秀作揃いなのですが、今回は、特に僕のお気に入りである第六作『チコの探偵物語』(1986)を紹介します。

   *

 例の如く気の乗らない仕事だった。早くチコに会いたいと思いながらどうにかこなして帰ってきたトレース。しかし、チコがしてくれたのは暖かな抱擁ではなく別れ話だった。いつまでもフラフラしているトレースにうんざりしたのだという。
「すぐにおちゃらかす。なんでもジョークにしてしまう。あなたはもう五十なのよ、トレース」
 その言葉に咄嗟に出てきたのも「おれはまだ四十だ」という、おちゃらけた返答。チコを引き留めることはできそうになかった。
 意気消沈のトレースのもとにかかってきたのはニューヨークで私立探偵業を営んでいる父親パトリックからの電話。ここでも説教だ。チコはお前の人生の唯一の成果だぞとのことだが、そんなことはトレースが一番分かっている。
 グチグチ話していたところパトリックがトレースとチコ、二人とも私立探偵をやってみるのはどうかと提案をしてきた。トレースにとっては定職にありつけることになる。チコはチコで、かねてから荒っぽいことに憧れてなかったか? 私立探偵になれば拳銃を撃てる。トレンチコートも着られる。
「うまくいくかなあ」
 うまくいった。チコは目を輝かせ、別れ話は棚上げ。二人でニューヨークへ行き、これから船旅に出るパトリックの探偵事務所の留守番をすることに。
 一方その頃、ニューヨークでは珍事件が起きていた。〈愛〉を語る新興宗教の教祖が、集会中に、薔薇の花を食べて死んだのだ。どうも毒殺らしいと、ニューヨーク市警の強面コンビ、エドとタフの二人が動き出したが……
 前作までとかなり趣向を変えた新機軸の作品です。次作『愚か者のララバイ』(1987)が本書を引き継いでの最終作になりますので、異色作というよりもシリーズの完結へ向けての転換点と呼ぶべきでしょうか。
 トレースがチコと共に私立探偵になろうとするという部分がまず目を惹きます。それまでトレースはあくまで、保険会社に属し上から指示された調査をするだけの人間でしたから。
 構成も大きく変えてきている。前作まではトレースの視点からのみ物語が進行していたのですが、あらすじにも書いた通り、エドとタフという二人の刑事が出てきて、彼ら視点の捜査パートがある。パトリック視点のパートまである。
 しかし、ご安心を。本書が初のトレースものでも何の問題もありません。シリーズの醍醐味は本書でもこれでもか、と味わえる。
 トレースとチコの掛け合いは絶好調ですし、慣れない土地でのトラブルの連続も楽しい。トレースは父親から引き継いだマフィアの妻の素行調査に励むのですが、その業務がとにかくままならない。
 そして、新登場のキャラクターである刑事コンビのパートもちゃんと面白い。ニューヨークの街を舞台に、破天荒に捜査をしていく。けれど、実はしっかり人情派。聞き込みを重ねていく様子もいちいち楽しい。続けて再読したこともあり、僕は本連載で前回紹介したチェスター・ハイムズの墓掘りジョーンズと棺桶エドの雰囲気を二人の大暴れへ重ねてしまいました。
 パトリック視点のパートもこれまた雰囲気が良いのです。いかにもハードボイルドちっくな乾いた文章が楽しめる。舞台がニューヨークで、元刑事の私立探偵だし、マット・スカダーもの風とまで言ったら褒めすぎかな。
 少しずつ雰囲気の違うクライム・ノヴェルの視点があり、どれも堂に入っている。つまらないわけがない。
 トレーシー親子が手掛ける素行調査、エドとタフによる殺人事件の捜査、二つの筋は終盤、とうとう交わります。
 この交わる瞬間、トレースとチコ、エドとタフの両コンビが顔を合わせる瞬間を楽しみにしていてほしい。……とても笑えるのです。並のコントじゃ相手にならないような滅茶苦茶なシチュエーション!
 と、笑っていたら、その先で、鮮やかな解決が待っている。犯人と思わしき人物は明らかじゃないか、というところから、見事な名推理で意外な犯人が引っ張り出される。トレースシリーズは実は謎解きミステリとしても毎回凝っているのです
 ああ、楽しいミステリを読んだ。そう思えること請け合いです。

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 本書のあとがきでは、訳者自身の文章ではなく、トレースとチコに喋らせるというお遊びがされています。自作ならともかく翻訳者がやっているのは余り見ない。
 原文の雰囲気からギャグまで全てローカライズし、ただの翻訳にとどまらず自分の文章といえるものにした、という田村氏の自負ゆえの芸当だとは思いますが、トレースとチコ自体の魅力も、こんな遊びができた所以でしょう。二人は原作者の手を離れても暴れ回ってしまうくらいキャラが立っている。
 僕の頭にもトレースとチコの二人は棲みついています。何かにつけて、ついつい、くだらないことを考えてしまうのも、きっとそのせい……ということにさせてください。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby