そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
デイヴィッド・グーディス『狼は天使の匂い』(1954)を読み返してみたのですが、初読時以上に感動しました。緩い部分が何一つないダイヤモンドのような小説だという思いを新たにした次第です。
殺人の罪で故郷から追われフィラデルフィアへ流れ着いた青年ハートは、偶発的な出来事が重なりあった結果、強盗団の隠れ家に潜り込むことになってしまった。強盗団は大きな計画のために身を潜めている最中で、ハートを外に出そうとしない。といっても、ハートの方も外に出られるような立場ではない。いつ殺し合いが発生してもおかしくない緊張感の漂う生活が始まるが……。
恐らくギャングものの筋としては珍しくもない状況設定です。
恐らく、と留保しているのは僕に知識がなく「この作品が、このシチュエーションの初出です」というのが分からないからです。グーディスがよく本を出していたレーベル〈ゴールド・メダルブック〉で同じく常連作家であるブルーノ・フィッシャーのFools Walk In(1952)がほぼ同一の筋である辺り、少なくとも当時のノワール作家の中で〈ベタ〉な状況設定だったのではないかと推測しています(余談ですが、マックス・アラン・コリンズのTrue Crime(1984)は、明らかに「この時代なら、こうした状況が犯罪小説でよくあるパターンだろう」という認識のもと書かれた作品だと思います。コリンズのシリーズ探偵、ネイト・ヘラーがギャング団の中に潜入する話なのです)。
本作をマスターピースと呼ぶべき作品に仕上げているミソといえる部分は、実は設定やストーリー以外の部分……主人公であるハートの描写にある。
この小説においてハートは徹底的に、どこにも居場所のない男として描かれる。下手に外に出ると殺人容疑で捕まってしまうから、という単純な理由ではなく、むしろ本人の心情に起因しています。頼るべき人がいないし、今、手に掴めているものが何もない。それ故に、どこにもいられない。この行き場のなさ、心の奥底に抱えている虚無感を語る文章がとにかく素晴らしいのです。
再読だというのに、空っぽの男が潜入してきたせいで崩壊していく強盗団の様子を辿っていく物語にすっかり魅了されてしまいました。
『狼は天使の匂い』は、グーディスという作家による小説だからこそ凄い。そう再認識しました。
それが問題です。
じゃあ……セバスチアン・ジャプリゾ『ウサギは野を駆ける』(1972)は、果たして、どうなんだ?
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ジャプリゾ『ウサギは野を駆ける』は、ルネ・クレマン監督の映画『狼は天使の匂い』(1972)の脚本です。クレマンがグーディスの小説を映画化するにあたって、ジャプリゾが脚本を担当したのですが、それがポケミスで刊行されているのです。
脚本といっても台詞とト書きのみではありません。地の文はしっかり小説の文章になっており、饒舌なくらい。カギカッコの前にキャラクターの名前が書かれているだけの普通の小説という印象です。
それ故に読む前、心配していたのです。名手ジャプリゾといえど、あの小説をリライトなんて可能なのだろうか。少しでもいじろうものなら崩壊してしまうのではないか。
いざ読んでみたところ、杞憂でした。
別物にはなっている。故に、一つの作品として読ませるものに仕上がっている。
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トニーことアントワーヌ・カルドは、追われる身だった。
命からがら逃げのびたのはモントリオール。ひとまず、この街で身を潜めようとしたところ、銃声らしきものが聞こえた。見つかったか? いや、違う。エスカレーターの上から男が崩れ落ちてきた。トニーとは別に、ここにも追われる男がいて、そいつが撃たれたのだ。
助けようとしていたところで、トニーは二人の男に捕らえられてしまう。最初は警察かと思ったが、どうも違う。ギャングだと気づいた時には既にアジトへと連行されていた。
そこでトニーは、ギャング達のリーダーであるチャーリー、その情婦シュガー、ボクサー崩れのマットーネといった面々と会う。いずれも、プロの犯罪者らしい。彼らがトニーをすぐに殺さないのは、倒れた男から死ぬ間際に手渡された金を彼が隠し持っているからだ。どうも、あれがこのグループの軍資金らしい。
不思議と、トニーの頭には逃げなければという考えはなかった。外に出たら追っ手に見つかるかもしれない。どちらかというと、ここに匿ってもらう方が良いんじゃないか……。
最初は処分の対象でしかなかったトニーだが、持ちまえの要領の良さや鋭さが段々と認められて、チャーリーたちが実行しようとしている計画の頭数に数えられるまでになっていく。
舞台となる街がフィラデルフィアからモントリオールになっていたり、トニーはじめキャラクターの名称や設定が変わってはいますが、基本的なストーリーは概ねグーディス版と同じです。
ただ一点、主人公の描き方については大きく違う。
トニーは、ここではない何処かに居場所があるかもしれないと思える人間なのです。チャーリーたちのアジトから逃げないのは、単に、すぐそこに追っ手がいるからに過ぎない。
象徴的なシーンがあります。
チャーリーが一度、トニーを逃がしてやろうとアジトの外へ放り出す場面です。
このままギャングのもとから逃げて、どこかへ行けるかもしれないと考えたところで、トニーは追っ手の影を見つけて慌てて戻る。
ここがグーディス版と明らかに違う。カルドは、追っ手の影なんて見ない。単に、どこにも行けないから、チャーリーらのもとに戻っていく。こうしたシーンの積み重ねがあり『ウサギは野を駆ける』には、『狼は天使の匂い』にあった虚無的な雰囲気は薄い。
だからこそ、良いのです。
ジャプリゾは下手にグーディスの真似をしなかった。ギャングたちの中での人間関係に焦点を当てて、この物語を再構成したのです。
世界に居場所を見つけられる人間であるということは、トニーの身の周りに交流が生まれるということです。自分に居場所なんてない、と考えるカルドみたいな人間は周囲との繋がりを断ち切ってしまいますから。
グーディス版では淡泊だった主人公と女性陣との恋愛模様には熱が込められ、ギャングのリーダーであるチャーリーとの間にある種の友情さえ芽生える。
登場人物間の感情がストーリーを牽引し、クライマックスの襲撃、その先の銃撃戦で爆発するのです。
トニーは外のどこかに居場所がちゃんとある。それでも、衝動としか言えないものに突き動かされ、決戦の地に戻ってきてしまう。
最後に待っているのはそうした展開で、心が揺さぶられてしまう、グーディス版にはない感傷に満ちているのです。
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というわけで『ウサギは野を駆ける』はグーディスの小説とは読み味が全くもって異なる作品です。恐らく、ジャプリゾの脚本をもとにした映画版もそうなのでしょう。
作品を別物にしてしまうポイントを的確に掴んでいたことに、僕はジャプリゾの物語を捉える目の確かさを感じます。エピソードやシチュエーションは同じでも別の世界を作ることはできる。
物語ることの不思議さと、素晴らしさを実感できる二冊だと思います。
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小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |