「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)

  ダン・J・マーロウを読んだのは、今年文春文庫から出たスティーヴン・キング『コロラド・キッド 他二篇』(2024)が切っ掛けです。表題作「コロラド・キッド」(2005)に〈最高にハードなハードボイルド、『ゲームの名は死』の作者ダン・J・マーロウに、賞賛をこめて本書を捧げる〉と献辞がついていたのです。
 『ゲームの名は死』(1972)、買ってはいた。でも読んではいない。なんでだっけ、と思いながら「コロラド・キッド」を読み終え、巻末の吉野仁さんの解説を開いた時に理由を思い出しました。ケイパーものっぽいと思って買ったのに、どうも〈千の顔をもつ男ドレーク〉というスーパーヒーローのシリーズらしかったので、ちょっと読む気が減退してしまったのでした。
 『ゲームの名は死』の巻末解説を読むと、ドレークがリチャード・スタークのシリーズキャラクターであるパーカーと比較されている。けれど〈千の顔をもつ男ドレーク〉は、スパイものの趣向がありドレークは国から依頼されて動くらしい。「パーカーならそんなことするかよ」と思ってしまったのです。
 僕の中でそうした立ち位置だったマーロウですが、キングは彼のことを敬愛しているらしいと聞き少し気分が変わりました。とりあえず『ゲームの名は死』を試してみるか。吉野さんの解説いわく元々、単発作として書かれたものが主人公名を変えてシリーズに組み込まれたものらしいし。
 読んでみて、驚きました。これ、かなり質の高いクライム・ノヴェルじゃないか。
 主人公であるアール・ドレークが相棒バニーと銀行強盗を行うプロローグ部分が素晴らしい。車をゆっくりと銀行につけていく場面から一気呵成に銃撃戦へと突き進み、怪我を追ったドレークが相棒と別れるところまで一息に読ませる。いずれ落ち合う予定だったバニーからの連絡が途絶えたことを切っ掛けに、本題であるドレークによる捜査と復讐の物語が始まる展開も見事。
 ドレークの造形も上手い。
 例の、パーカーみたいな悪党なのに、スパイものみたいにシリーズ展開していくという点について読んでみて納得しました。ドレークならそうなっても全然おかしくない。確かにパーカーと同じ職業的な犯罪者ではあるけれど、彼は根幹ではパーカーとは違う人種だから。そう感じた理由は後述します。
 というわけで一気に好印象に変わり、勢いのまま『オペレーション/ハバナ潜入』(1969)を手に取ったわけです。……すると、これが期待通りの快作だった。
 
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 『オペレーション/ハバナ潜入』は〈千の顔をもつ男ドレーク〉の第一作なのですが、そう言い切るにはちょっと複雑な経緯があります。
 アール・ドレークというキャラクターの初登場は間違いなく本書なのですが、物語は一九六二年に発表された『ゲームの名は死』とその続編One Endless Hour(1968)を引き継いでいる。けれど、本書の発表時点ではその二作の主人公名はチェット・アーノルドとなっていて、後にアール・ドレークと書き換えられたという流れなのです(上で『ゲームの名は死』の発表年を一九七二年としているのは、アール・ドレークものとして書き直されたのがその年だからです)。
 なので、第一作にもかかわらず前作までのネタばらしになる部分があるという悩ましさがあります。ただ、『ゲームの名は死』を先に読んでおかないと楽しめないという作品では全くもってないので、本書だけは入手できているという方は躊躇うことなく読み始めていただければと思います。単独でも一息に読ませるよくできたエンターテイメントです。
 アール・ドレークがくすぶっているところから物語は始まります。
 最後にした仕事はどうも上手くいかなかった。恋人ヘイゼルと安住の地で生活をしようとしたが、それも頓挫する。何かしなければ、と思っているところで、昔の仕事仲間スレーターからとある話を持ち掛けられる。
 カストロ政権誕生直前にスレーターが強奪した大金がまだハバナに隠されたままでいる。その金を取りに行かないか。金額は四百万ドルはくだらないはずだ。
 怪しい話だった。スレーターが組んでいるエリクソンという男も素人なのかプロなのか分からないような奴で気にかかる。だが、こんなデカい話を見過ごすわけにはいかない。ドレークは乗ることにした、というのが粗筋。
 男たちが襲撃に向けて準備していく。一つ一つの行動は計画に使う船から不要な見張り台を外すなど地味なものが多いが、中には軍艦への潜入といった大胆で破天荒なステップも含まれている。その中で悪党同士の気持ちのすれ違いなどによるドキリとさせられる場面も仕込む。
 ケイパーものとして抑えるべきところをきっちり抑えて物語は進行していきます。
 と、書くと「スパイものになるんじゃないの?」と疑問に思われる方がいるかもしれません。僕自身、そういう気持ちで読んでいました。
 御安心を……という言い方も変かもしれませんが、本書の最大の読みどころは実はそこにあります。「あっ、これでスパイ小説とケイパー小説の要素を合わせもつスーパーヒーローものシリーズが始まるのか」と終盤で物語が羽ばたく。
 そして、そこに「ドレークなら、そうなっても変じゃないな」という説得力がちゃんとあるのです。
 
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 悪党でしかない者と悪党になってしまった者。それがパーカーとドレークの違いです。
 パーカーは初登場作である『悪党パーカー/人狩り』(1962)からずっと、職業的な犯罪者以外の顔を読者に見せません。金を盗むことに、それ以上の理由は作られない。感情移入できる余地を作らずプロフェッショナルの悪党と、そうじゃない者の違いをひたすらに書く。それが特徴であり、今なお輝きを失わない部分です。
 対し、ドレークは『ゲームの名は死』で、どうして悪党になってしまったのか語られる。子供の頃から、曲げたくない自分自身というものを持っていた。愛犬を殺した同級生と仲直りしろ。冤罪かもしれないが、結局そいつは悪党なんだからブタ箱へ入れておけ。そうしたことができないし、それを是とする社会が許せない。その考え方に合わせるくらいなら、自分から社会が敷いているレールから外れてやる。それがドレークです。
 だから、ドレーク自身が納得できる理由さえあれば、一時的に社会が敷いている線路の上を走っても、おかしくない。
 彼はそういう風に造形されていて『オペレーション/ハバナ潜入』は、その理由となるものの一例が提示される作品なのです。続く作品でも、マーロウはその点にちゃんと気を遣っている。
 成る程、と合点した次第です。
 
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 パーカーも、ドレークも、一九六〇年代から七〇年代にかけて流行したタフガイヒーローの流れにあるとされています。
 主にペイパーバックオリジナルで刊行されたその手のシリーズはかなりの数に及んだようで、アリス・K・ターナーは『ミステリ―雑学読本』(1977)に収録されたコラム「ペイパーバック・ヒーロー」の中で主だった三十六個のシリーズをAからFまでの評定で採点しています。
 〈悪党パーカー〉と〈千の顔をもつ男ドレーク〉はA評価。方向性は違えど、共に上級の娯楽作であるという意味で評価に同意します。

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小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人八年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby