八月四日におこなわれた、全国読書会YouTubeライブ「第3回夏の出版社イチオシ祭り」はごらんいただきましたでしょうか。翻訳ミステリー関連出版九社の編集者が一堂に会して、これから出版される各社のイチオシ作品を紹介していくという、他に類を見ないイベントでした。編集者のみなさんはさすがにプレゼン上手で、すぐに書店に走りたくなるようなプレゼンばかりでした。配信時には出ていなかった作品もぼちぼち書店に並び始めています。まだごらんになっていない方はぜひ! アーカイブ配信中です!

 今回はまずこのイベントのなかで紹介された作品から、ベンジャミン・スティーヴンソン『ぼくの家族はみんな誰かを殺してる』(富永和子訳 ハーパーBOOKS)をご紹介します。

 ミステリー小説の世界において「信頼できない語り手」というのはよく聞きますが、本作の主人公であり語り手であるアーネストは最初にこう言います。

商売柄、ぼくは犯罪小説を何冊も読むが、最近ではその多くに”信頼できない語り手”と呼ばれる人物が登場する。語り手が嘘をつくのだ。そこで、ぼくの身に起きた様々な出来事を書くにあたり、そうしたミステリーとは反対のことをしようと思う。どうかぼくを”信頼できる語り手”と呼んでもらいたい。ぼくが語ることはすべて真実、少なくとも、語っている時点では真実だと思っていたことだ。それをここで約束しておく。(本書一〇ページより)

 自分は真実しか語らないという人物をあなたは信頼できるでしょうか。語り手はこう言ってるけど本当に信頼していいのかしら? と思う人のほうが多いかもしれません。私もその一人です。が、アーネストはノックスの探偵小説十戒に触れ、これに従って彼はすべての手がかりと、自身の思考までも読者に開示し、そのうえで、雪山で自分を含めたカニンガム家が巻き込まれることになった連続殺人の謎を解くというのです。あろうことかアーネストは、この序文において、本作の何ページで人が死ぬ、などと前もって明かしてしまうという暴挙に出ます。どうもこの語り手は、謎解きの妙味を読者に味わわせるよりも、いかに読者の信頼を得るか、ということに腐心しているようにも見えます。ノックスの十戒についてご存知ない方も気にすることはありません。本作の最初のページにしっかり全文載っていて、そのページには谷折り線までついています。読者は彼が十戒に背いていないかどうかを、いつでも確認できるということです。ここまでやられると、あれ?ひょっとしたらこの語り手を信頼してもいいのかなという気分になってきます。

 冒頭からこんなふうですから、物語は語り手からややネタばれ気味な事柄も明かされつつ、かつスタンダップコメディアンだという著者らしいユーモアを交えながら進んでいきます。ところどころで「それ言うの?」というようなネタばれをくらいつつ、それでいて不思議なことに謎解きの楽しみは一切削がれることはありません。巧いです。詳しいストーリーについてはあえて触れません。読者のみなさんには、アーネストがどのように、しかもすべてを読者に開示しながら、事件を解決に導いていくのかをぜひ堪能していただきたいと思います。ひとつだけ言っておくなら、アーネストがすべてを解き明かすラストが大変すばらしい。本格ミステリーファンならずともグッと来ること請け合いです。

《鬼才ルメートル、最後のミステリー》という帯にまず驚いたピエール・ルメートル『邪悪なる大蛇』(橘明美・荷見明子訳 文藝春秋)は、これが最後だとはとても思えない、ルメートルらしさ全開の作品でした。

 主人公は六十三歳にして現役の殺し屋マティルド。戦時中、冷酷かつ優秀なレジスタンスだった彼女は、当時の上官アンリからの誘いを受け、戦後は暗殺組織の実行役、つまり殺し屋として身を立てることになります。アンリが殺しの依頼を受け、マティルドに差配するという立場上、組織の規則によって二人は会うことが許されない関係であり、以前から互いに惹かれ合いながら、しかしその気持ちを表に出すことができないまま今に至っています。

 本作の冒頭、アンリの依頼を受け、ターゲットを冷静に、かつ強烈な仕方で殺害したマティルドですが、実はすでに認知症を患いつつありました。仕事に使った武器の処分を忘れたり依頼の受け方を思い出せなくなったりと、その行動のおかしさはやがて読者の目にも明らかになってきます。しかし周囲の人間がそれに気づかないまま時間は経過し、症状の進んでいくマティルドの行動は、次第にエスカレートしていきます。アンリは彼女の異変に気づき、救済を試みようともするのですが、常軌を逸したマティルドの行動を無視できなくなった組織は、彼女を排除するようアンリに命じるのでした。

 マティルドの引き起こした事件を担当する刑事ヴァシリエフは、上司に厭われながらも地道に調査を進めていき、やがてマティルドの存在へと行き着きます。彼女を止めるのはヴァシリエフかそれともアンリか。あるいはまた別の誰かなのか。彼女の前に立ちはだかる人という人を巻き込みながら、マティルドの暴走は続いていきます。

 彼女がどんな残虐な殺し方をしようが、飼い犬をどんな目に合わせようが、それは彼女の症状がなせることだと、私たちは承知のうえで読んでいます。自身の行動にやや戸惑いを感じながらも、しかし結局は思いのままに突き進んでいく彼女の様子は時に滑稽に、時に物悲しく映ることでしょう。しかしこの小説は、人が認知症にかかったらどうなるかをシミュレーションした小説ではありませんし、認知症を患った人間の悲哀を綴った小説でもありません。確かにマティルドの行動には身につまされるものがあります。しかし、ルメートルはそういうことを書こうとしているのではない。人生に訪れるいくつもの理不尽を、犯罪小説という枠組みを用いながらどこまで手加減せずに書けるのか。そのことに極限までチャレンジしたかったのではないかと、私には思えてなりません。この作品には、マティルドがなんらかの診断を受ける場面はありません。それどころか「認知症」という言葉すら出てこない。そのことに、この小説におけるルメートルの目論見が透けて見えるような気がします。

 本作の序文でルメートルは《この作品は私が初めて書いた小説》だと言います。そして、それをなるべくそのままの状態で読者に届けたと言う。つまりこれは彼にとって《最後に出す犯罪小説が最初に書いた作品》だというのです。しかしながら、これほどチャレンジ精神に富んだ作品を”そのまま”出そうと決めた彼が発するこの言葉を、そのまま信用していいものかどうか私は判断しかねています。最後のミステリーだと言いながら、このあとにもっと壮絶な物語を私たちに差し出してくれるのではないかという期待を、どうしても捨てることができないのです。

 さて、読者賞についてひとつお知らせです。翻訳ミステリー読者賞は次回から「どくミス」と名称が変わります。その経緯については冒頭でご紹介した配信アーカイブ、もしくは読書会のサイトにあるこちらの記事(https://hm-dokushokai.amebaownd.com/posts/55047870)をごらんください。「どくミス」は、二〇二五年春の開催に向けてこれから準備をしてまいります。名称は変わりますが、引き続きご支援とご協力をよろしくお願いいたします。

※ 賞の名称は変わりますが、本コーナーはこれからも「読者賞だより」という形で続けていきたいと思っています。こちらも引き続きよろしくお願いいたします。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡読書会世話人兼翻訳ミステリー読者賞改め「どくミス」の実行委員。年末までには次回開催要項がお知らせできればと思っています。

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