ローレンス・ブロックの短編集『エイレングラフ弁護士の事件簿』(田村義進訳 文春文庫)は、これまでいくつかの短編集で断片的にしか読めなかったエイレングラフ弁護士を主人公とする全短編がまとまったものですが、収録されている十二編すべてが訳しおろしということで、既知の作品もまた違った気持ちで読むことができるのではないでしょうか。とりわけ、バラバラにしか触れることのできなかったエイレングラフものをまとめて読めるというのは、読者にとって大変ありがたい。ありがとう文春文庫!と、ここは声を大にして言いたいところです。
どこから見ても有罪にしか見えない案件であっても必ず無実にしてしまう。
と聞けば誰もが「こいつはよほどの凄腕弁護士だ」と思うでしょう。確かに凄腕ではあるのですが、エイレングラフの場合はいわゆる「ふつうの」凄腕とはわけが違います。
冒頭の「エイレングラフの弁護」では、息子の無実を信じる母親が、それまでの担当弁護士を解任してエイレングラフの事務所を訪れるところから始まります。彼はその依頼を引き受けるのですが、七万五千ドルという報酬に対して着手金としてもらったのはたったの一ドルでした。残りは息子の無実が確実なものになったときだけ支払ってもらうというのです。瀟洒なスーツを身にまとい、詩をこよなく愛するいかにもスマートな印象の小柄な弁護士は、依頼人が望んだ結果にならなければ費用を一切取らない、成功報酬制で依頼を受ける変わった弁護士でもありました。法外な報酬と引き換えに依頼人の罪を文字通りなかったことにする、それがエイレングラフのやり方なのです。ではどうやって無実を証明するのか、というのは実際に読んでいただきたいと思います。ふつうの凄腕とはわけが違うというのはどういう意味なのか。はじめて読む人はけっこうな衝撃を受けると思いますよ、これ。
短編とはこうあるべきだよ! と叫びたくなるような十二編が収められた珠玉の短編集。これ読んだら、ブロックの他の短編集(早川書房から出ている短編集とか殺し屋ケラーものとか)を再読したくなってきます。
これ、電子書籍どうなってるの?
ガレス・ルービン『ターングラス 鏡映しの殺人』(越前敏弥訳 早川書房)は開口一番そんなギモンが浮かんでくる作品です。実際手に取った人はわかると思いますが、まだお手元にない方のためにひとことで説明すると、「表からも裏からも読める本」ということになります。表1(通常で言う表紙)からも読めるし、上下をひっくり返して表4(通常で言う裏表紙)からも読めるという実に奇妙な一冊。そんな本(テート・ベーシュと呼ばれているそうです)見たことありますか? カバーや帯、花布などの作りも凝っているので、ぜひ手に取って確認していただきたいと思います。
この作品はエセックス篇とカリフォルニア篇に分かれていて、エセックス篇は赤を基調としたほうから、カリフォルニア篇は青を基調としたほうからスタートし、本の真ん中あたりで終わります。とくに読み方の指示もないので、どちらから読めばいいの? と迷う人も多いんじゃないでしょうか。ちなみに私はエセックス篇から読みました。理由は単純。カバーの背表紙部分から見れば、エセックス篇のほうが表1になるからです。
エセックス篇は一八八一年、イングランド東部エセックス沿岸のレイ島に建つ「ターングラス館」が舞台となります。ロンドンで医師として働くシメオン・リーは、病に伏しているオリヴァー・ホーズ司祭の診療に当たるべく、ターングラス館に赴きます。ターングラス館はレイ島に建つ唯一の建築物であり、司祭はシメオンの父のいとこに当たるのでした。シメオンの父はこの館を「邪悪で不吉なところがある」と言い、医師としての仕事以外には何も関わるなと彼に命じます。シメオン自身も、この館でかつて司祭の弟がその妻に殺されるという事件があったことは知っていましたが、レイ島を訪れたシメオンはもっと驚くべき事実を知らされるのでした。
一方のカリフォルニア篇は一九三九年、俳優志望の青年ケンが、全面ガラスでできたターングラス館という屋敷で作家のオリヴァー・トゥック・ジュニアと出会うところから始まります。文学の話で意気投合した二人はそれ以降親交を深めていくのですが、ある日屋敷の敷地内にある仕事部屋で、オリヴァーが死体となって発見されます。警察は自殺と断定しましたが、ケンはその死に疑問を抱き、独自で調査を始めるのでした。
エセックス篇では『黃金の地』、カリフォルニア篇では本作のタイトルと同じ『ターングラス』という作中作が登場し、これらが謎を解く鍵になります。後者はオリヴァージュニアの遺作であり、しかもテート・ベーシュ形式で書かれているのです。一方だけ読み終わった時点ではなんのこっちゃ状態ですが、もう一方を読み始めると、ああそういうことだったのか!という驚きが次々に訪れます。また、登場人物表が別紙として挟み込まれていますが、登場人物が多くしかもかなりややこしいのでこれは大変助かります。最近この形式が増えていますが、個人的には巻頭部分やそでの部分に印刷されているよりもいいと思っています。
というわけで冒頭のギモンに戻るわけです。こんな込み入った作りの本を電書でどう処理しているのだろう……電書版をまだ見ていないのでかなり気になります。が、よほどのことがない限りこの作品は紙の本で読んでほしい。本書に限っては、凝りに凝った装幀を楽しみながら読む、というのが正解のような気がします。あと、赤と青どちらから読むかによっても物語全体の見え方というか印象が変わってきますので、読書会で話し合うにはとてもよい作品だと思います。
ということで、全国翻訳ミステリー読書会では、この『ターングラス 鏡映しの殺人』を課題にした完全ネタばれのオンライン読書会を予定しています。
なんだ、この変な本は?『ターングラス』完全ネタバレ トークライブ(全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ第22弾)開催!!
完全ネタばれですので、ここでは書けないような話もバンバン出てくると思います。翻訳者の越前敏弥さん、担当編集者の早川書房井戸本幹也さんも参加予定です。ぜひ本作をお読みになってからご覧ください!
最後に、これから開催を予定している翻訳ミステリー読書会の日程をお知らせいたします。読書会の告知は現在「全国翻訳ミステリー読書会」にておこなっておりますので、そちらもご覧いただけると幸いです。※すでに満席となっている読書会もありますのでご注意ください。
《対面式》
2024/10/31 西東京『エイリアス・エマ』※出版社イチオシ
2024/11/2 名古屋『終着点』※出版社イチオシ
2024/11/3 福島『ターングラス 鏡映しの殺人』※出版社イチオシ
2024/11/16 大阪『偽りの空白』
2024/11/16 東東京『エイレングラフ弁護士の事件簿』※出版社イチオシ
2024/11/26 西東京『ヴァイパーズ・ドリーム』※出版社イチオシ
《オンライン》
2024/11/9 オンラインスリラー『キングの身代金〔新訳版〕』
2024/11/16 札幌『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』
《ハイブリッド》
2024/10/26 せんだい探偵小説お茶会『木曜殺人クラブ』
対面式の読書会が増えてきました。コロナ前は旅行がてらあちこちの読書会に参加される方も多くいらっしゃいました。またそのような交流が徐々に出てくることを期待しています。
”※出版社イチオシ”とあるのは、「第3回夏の出版社イチオシ祭り」にて紹介された作品が課題となっているものです。
各読書会の詳細・申し込み方法につきましては、前掲のサイトにてご確認ください。読書会は全国各地でおこなわれていますので、お近くの方はぜひご参加を! よろしくお願いいたします!
大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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