第114回:プチ炎上中の新星国際推理文学賞
先日、中国の新星出版社が主催した第1回新星国際推理文学賞の授賞式に招かれました。

22年に創設された同賞の趣旨は、ミステリー作品と新人作家を世界的規模で発掘し、交流を深めて互いに学び合い、世界のミステリー小説の共同発展を促すことにあります。開催後、短編長編合わせて500本ほどの作品が集まり、23年9月に受賞作品が発表され、今年10月に短編受賞作3本を掲載した短編集と長編がそれぞれ1冊ずつ出版されました。以下が受賞作品です。
第1回新星国際推理文学賞受賞作品
短編部門一等賞
『白雪公主和三個謎案』李虹辰
同部門優秀賞
『一把雨傘的夢』范諷
『帰属感』茄子提子
長編部門一等賞
該当作品なし
同部門優秀賞
『南大命案追凶』陳勇
中国にはミステリー関連の賞や作品発表の場所が少ないと本コラムで何度か言及したことがあるので、こういった賞ができたと知った当時は素直にうれしかったです。ところが実際に2冊を読んでみた結果、この新しい賞の創設を手放しに喜べなくなり、今後に不安を覚えてしまいました。そこで今回は、授賞式及びその後に行われたトークショーの内容を交えながら、この2冊の本を紹介します。

『白雪公主和三個謎案』李虹辰
これまでミステリー小説などほとんど読んだことすらない僕は、ある事件がきっかけで童話「白雪姫」を題材にした短編ミステリー『白雪姫と三つの謎』を書く。そしてまだ解答編を書いていないそれをミステリー好きの友人に読ませ、作中に出てくる三つの謎――お后が密室で首を切り落とされて殺される謎、狩人に命を狙われた白雪姫が機転を利かせて助かった謎、毒リンゴを食べて仮死状態だった白雪姫が結局殺される謎――が解けるか勝負を挑む。
自分が書いた解答編のないミステリー小説を友人に読ませて推理させるという構図は、陸秋槎の『文学少女対数学少女』を彷彿とさせます。そして自分では全く考え付きもしなかったトリックを披露され、自作の欠点に気付くところも似ています。いわゆる後期クイーン問題というやつですね。
童話を論理的・科学的に組み立てて、特殊設定ミステリーにしようとせず、読者にできるだけ唯一解を導き出させようとする作者と主人公の姿勢には好感が持てました。
しかしノイズが多いという印象も受けました。例えば、主人公が小説を書くきっかけとなった「ある事件」が具体的に何なのか本作では語られません。トークショーでの李虹辰の話によると、本作はシリーズ物の2話目か3話目に当たるそうで、「ある事件」は本作より前の短編できちんと書かれているようです。ただ、前後編を匂わせられても混乱するだけなので、こういう賞に投稿する短編は読み切りのようにそれだけで完結してほしいです。
『一把雨傘的夢』范諷
友達の傘が大学内の食堂で盗まれた。僕は友達の朝暮の傘探しに付き合う。しかし僕には彼女が傘を探しているのではなく、傘を盗んだ犯人を探しているように見えてならない。どうして彼女はたかが傘一本を見つけ出すことにこだわるのだろうか。
傘泥棒探しという誰もが一度はやったことがありそうな日常の謎がテーマの作品です。傘を探していたら別の謎にぶち当たる……なんて展開はなく、本当に平凡な世界が描かれます。多くの学生がいる広い構内で傘泥棒を見つけ出すのは至難の業ですが、なぜそれでも見つけられたのか、というのも本作に隠された謎の一つです。そして朝暮が傘探しに固執した動機が明らかになると、本作は青春ミステリーへと変化します。
傘探しなんて日常茶飯事な謎だけで作品が終わったらどうしようという不安もありましたが、青春ミステリーへの方向転換も小手先の技に見えてしまい、なんかうまくはぐらかされたなという印象。また、他にも気になる点があり、途中で朝暮が大衆の面前で傘泥棒を吊るし上げるという夢オチが挟まるんですが、その意図がよく分からない。傘探しじゃあまりにもドラマに欠けるから、夢の中でちょっとアクション起こしたれと作者が考えたように見えました。
作者の范諷は今大会最年少応募者の一人で、現在は20歳の大学生。トークショーでのマイペースな態度を見た限り、なかなかの大物のよう。本作は自身の実体験によるものですが、実際には傘は見つからなかったそうです。今後も実体験に基づく日常の謎を書くつもりとのことですが、すぐに持ちネタがなくなりそう。
『帰属感』茄子提子
反腐敗局から公訴課に配属された検察官の喬小北のもとに暴力事件が矢継ぎ早に持ち込まれ、さらには担当地域で水死体が打ち上がる。水死体の身元が明らかになり、その男の生前の行動や交友関係を調べていくうちに、これが単なる殺人事件ではないと気付く。しかも事件の鍵を握るのは、以前取り扱った暴力事件の被害者と加害者で……
3作の中で最長で、短編というより中編作品。作者の茄子提子は実際の検察官。彼女の職場は自分を含めてミステリー好きばかりですが、ミステリー小説には間違いばかり書かれていると常々思っていたそうです。そのためか本作は現実的な法律知識がふんだんに盛り込まれ、注釈も大量に書き加えられていますが、リアリティにこだわる余り、エンタメ性を蔑ろにし、作品を無味乾燥にしてしまった気があります。努力しているのは間違いありません。しかし、巷にあふれるミステリーとは一線を画したリアリティ重視の作品を書く前に、嘘ばっかりの作品がどうして世間でもてはやされるのか考えるべきだったのではないでしょうか。
途中までは第三者視点で書いた検察官の日記という感じで目が滑る内容ですが、証拠集めの末に犯人を推理するパートがあり、受賞作の面目躍如といったところでした。しかし他2作とあまりに毛色が違うため、これが選ばれた理由が知りたくなりました。

『南大命案追凶』陳勇
親子二代にわたって刑事の沈念青は、10年前の未解決事件・南大バラバラ殺人事件の再捜査を命じられる。当時事件を担当した父親の遺志を継ぎ、実習生の孫夢瑶とともに関係者から再び事情を聞き、新たに証拠を集める中で、犯人二人組説を補強していき、姜衛国と姜鵬飛親子が真犯人だと確信する。しかし直接的な証拠はなく、姜鵬飛は大きな弁護士事務所の幹部であるため迂闊に手が出せない。そこで警察は潜入捜査などで証拠を固めようとするが、捜査の手が伸びていることに気付いた姜親子は関係者の口封じに打って出て、沈念青らの命まで狙う。
本書のタイトルにもある「南大命案」は、中国で実際にあった未解決事件です。1996年1月、中国江蘇省南京市の路上に捨ててある細切れの肉片がたっぷり入ったバッグを通りすがりの女性が拾い、豚肉だと思って家で洗っていたところ、肉片の中から人間の指を発見して警察に通報、事件が発覚しました。殺されたのは行方不明だった南京大学の女子大生で、まだ犯人の目星もついていません。残忍な事件であるため、ネットには今も事件に関する考察が投稿され、周浩暉の『死亡通知書・宿命』でもこれをモデルにした事件が描かれています。
実はこの『南大命案追凶』が原因で現在、第1回新星国際推理文学賞が炎上中です。というのもこの本、全体的にレベルが低いばかりか、新星国際推理文学賞の優秀賞としてふさわしい内容とは思えないからです。
まず「南大命案」という実在の事件の名前から内容までほぼそのまま流用しているのだから、現実の証拠に基づいて真犯人を導き出すノンフィクション・ドキュメンタリー小説を期待したのですが、本書に出てくる姜親子は完全にフィクションです。そして作品が4割程度進んだところで真犯人の正体が明らかになるので、あとは姜親子を捕まえたら終わりなのに、ここから特権階級特有の悪あがきが続き、内容も犯罪摘発から汚職摘発が主体になってきて、10年前のバラバラ殺人事件も被害者も脇に追いやられます。
中盤以降は何を読まされているのだろうかとうんざりさせられますが、何より驚いたのが、後半、主人公の沈念青が何のカタルシスもないまま殺されることです。あまりにもあっさりしていたので、死んだと見せ掛けて犯人側を油断させる作戦かなと思いましたが本当に殺されていました。そして沈念青がいなくなってからは彼の上司や同僚が捜査を引き継ぎ、引き続き姜親子を追い詰めるという代わり映えのない展開。作者の言いたいことはおそらく、警察組織にはヒーローも主人公も存在せず、一人いなくなった程度で捜査の手が緩むことはないということなのでしょう。応援すべき主人公すら消えた話の何に盛り上がればいいのか分からなくなり、砂を噛むような思いで最後まで読み通しました。
・新星国際推理文学賞の不満と期待
同賞は第2回の受賞作品がとっくに発表され、第3回の募集期間もまもなく終わろうとしています。しかし今回の『南大命案追凶』の受賞で、私のように同賞に不信感を抱いた読者は少なからずいるはずです。そこで、今後改善してほしい点を以下に書きます。
・選考委員の公表……同賞の選考委員が発表されていないため、誰が何人体制で作品を評価しているのか読者には伝わっていません。こういった不透明の状況をなくし、誰が選考委員をしているのかきちんと公表してほしいです。
・書籍に選評を掲載……この場であまり日本を持ち出したくないですが、日本の◯◯賞ってたいてい、受賞作の書籍や自社ホームページに選評を掲載していると思います。実は私もこの2冊を買ったときに一番楽しみにしていたのが選評を読むことでしたし、今回の炎上の一番の原因も、選評がなかったことにあると思います。せめて誰かが該当作品を評価した理由を実名で発表していれば、作品をつまらないと思う気持ちは変わらなくとも結果は受け止められたと思います。何しろ、「推理」と名のつく賞を受賞した長編に推理が全く見当たらないのはどういうことだと読者は怒っているわけですから、納得する答えを求めて当然です。また、今回投稿された500本近い作品が本当に『帰属感』や『南大命案追凶』に劣っていたのかも知りたいです。
中国にはミステリー関連の賞が少なく、新人を発掘し、執筆を奨励する環境が整っていないのは確かです。だから、中国の有名な出版社である新星出版社が新星国際推理文学賞を開催したことは渡りに船だと思ったのですが、やらない方が良かったのではと今では後悔しています。
『白雪公主和三個謎案』と『一把雨傘的夢』の作者を発掘したのは紛れもない成果ですので、今後は彼ら二人の才能を伸ばすことに尽力してもらいたいです。しかし、短編ミステリーを発表する場が不足しているため、まだまだ課題は残ります。賞が設立されたら面白い作品がバンバン投稿されて業界が盛り上がる……といったうまい話はなく、第2回、第3回と長い目で見守っていくしかなさそうです。
・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
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