最近このコラムで、中国の若手ミステリー作家の事情を多く取り上げ、彼らの作品(特に短編)の発表の場が少ないと嘆いていましたが、今回は久々に中堅作家の新刊を紹介します。しかし10年以上続いたシリーズの最新作がまさかの最終巻になってしまい、一つの時代を見届けたような悲しみを覚えたのも事実です。

『虫神山事件』(2025年、著:時晨)
著者の時晨のことは過去作とともにこれまで何度か紹介したことがあります。最近は中華民国時代の中国・上海を舞台にした探偵小説を執筆しており、その中で当時の中国探偵小説における有名な探偵や実在の作家を登場させています。
「民国時代の名探偵が集結!『偵探往時』」(https://honyakumystery.jp/18495)
「『侠盗的遺産』社会派でSFな民国探偵小説風ミステリー」(https://honyakumystery.jp/22968)
ただし時晨の本来の代表作は、数学者・陳爝と小説家・韓晋という御手洗潔と石岡くんのようなコンビが現代を舞台に難事件を解決するわりと古典的な探偵シリーズです。2022年1月号のミステリマガジン「華文ミステリ招待席」に掲載された短編「臨死体験をした女」も、そのコンビのストーリーでした。今作『虫神山事件』はその10年以上続いたシリーズに終止符を打つ作品となりました。
小説家の韓晋のもとに、大学時代の友人・耿書明からメールが届く。大学教授の伯父・耿道成が中国雲南省にある刀崗村で「虫神」を信仰していた「虫国」という古代文明の痕跡を探している最中、不可解な死を遂げたというのだ。耿道成は村内の「神木廟」という簡素な小屋で凶弾の犠牲になったが、小屋は密室で、外から銃を撃った形跡も見当たらない。しかも彼の前に「虫国」を調べていたほかの大学教授も不審死を遂げている。耿書明は伯父たちの死が他殺であり、刀崗村にはきっと「虫国」の実在を裏付ける何かがあると考え、探検チームを結成。韓晋と数学探偵の陳爝は彼らに同行し、上海から雲南省まで遠征する。しかし耿書明もまた密室の「神木廟」で銃で撃たれて殺されてしまう。さらに、別行動していた洞窟探検チームが遭難し、唯一の生還者の口から洞窟内で起きた陰惨な連続殺人事件が語られる。その上、現地の警察から今すぐここを立ち去るように脅され……果たして「虫神」のたたりは存在するのだろうか?
・民俗ミステリー?墓荒らし小説?
本書が刊行されてからほどなくして、4月上旬に北京で時晨のトークショー&サイン会が行われましたが、その際に時晨は本書を「民俗ミステリー」と位置付けていました。また、中国の民俗ミステリーの発展において、三津田信三や京極夏彦ら日本人作家の影響は間違いなくあると語ったほか、作中に登場する架空の「虫神」はラブクラフトのクトゥルフ神話から影響を受けたことも明らかにしています。確かに、未知の古代文明を研究していた伯父が殺され、その甥が独自に調査するという展開は、ラブクラフトの「クトゥルフの呼び声」を彷彿とさせます。しかしこのトークショーを聞いていた私はこう思いました。本書は民俗ミステリーなんだろうか?と。

トークショーの様子。真ん中が時晨
本書では中国南方に数千年前栄えていたとされる「虫国」、そしてそこで信仰されていた「虫神」の存在がほのめかされます。そして刀崗村に着いた主人公たちは村人たちに調査を妨害されたり、命を狙われたりするわけで、その辺りは雰囲気が出ているのですが、そもそも「虫国」という数千年前に滅んだ国の有無を確認しに行くのは、「民俗」のカテゴリに収まり切らない気がします。あくまでも私見ですが、民俗ミステリーや民俗ホラーなどの民俗要素は風習や文化にとどまるもので、文明というレベルになるともはや冒険小説のジャンルに分けられると思います。
作中では中盤、遠征隊が洞窟を探検し、「虫国」の存在を証明する遺跡を次々と見つけながらも、メンバーが続々と死んでいき、最終的には巨大なサンショウウオに襲われるという展開となります。これらの描写はまさに昨年邦訳が出版された南派三叔の『盗墓筆記』シリーズを思わせる内容で、だからこそ私は本作を民俗ミステリーというより盗墓(墓荒らし)小説に定義したいのです。
前述のトークショーで時晨はこのように言っています。「日本と中国は距離が近いし、文化も似通っているけど、例えば京極堂のような憑き物落としは中国では書きようがない。だから、民俗ミステリーという道を中国人も進むことはできるが、その道を中国でどう進むかは中国の作家が自分で模索しないといけない」
――時晨が中国独自の民俗ミステリーとして示したのが、欧米のクトゥルフ神話と中国の墓荒らし小説を融合させた本作だったのかもしれません。
・簡潔で驚愕のトリック
本書で出色なのは、耿道成と耿書明が殺された密室トリックです。現場となったのは、刀崗村の聖地である「神木廟」。しかし聖地という名前とは裏腹に、その建物の構造は簡素な木造づくりで、地面に刺された何十本もの木材が隙間のない壁としての役割を果たしています。2人はこの中で銃で撃たれて殺されていました。ですが扉と天窓には内側から鍵がかけられ、天窓には蜘蛛の巣まで張ってあったことから、ここから銃弾を射出した可能性は消えます。内鍵の構造上、犯人が室内で射殺したあとに出ていき、外から鍵をかけるということも不可能です。シンプルな木造小屋を強固な密室へと変えたトリックの真相は、これまたすごいシンプルで、建物の構造を利用した目からウロコの犯行でした。

神木廟の現場画像
ただし、このトリック一つで300ページを超える本書を支えるのは少々難しく、もう一つの洞窟内連続殺人事件のトリックと動機は期待外れでした。洞窟内で起きた殺人事件は唯一の生還者が語った話を韓晋が小説に仕立て上げて読者に読ませているという体裁のため、その話自体の信頼性も疑わしかったのですが、そもそも洞窟内が真っ暗だったから◯◯だった……というオチはちょっと無理があるかなと。それに「虫国」の遺跡がある洞窟内が舞台なのに、都会から連綿と続いていた探検隊員同士の人間関係のせいで自滅してしまった印象を受け、「虫国」との関係性が弱く感じました。シリーズ最終巻という点を踏まえると、私はそこまで本書を評価できません。
エピローグで、刀崗村事件を解決した陳爝が韓晋にも何も告げぬまま行方をくらませて、物語は終わりを迎えます。完結というより第一部完的な終わり方ですが、なぜ陳爝が探偵であることをやめたのか、もっと踏み込んで言うと、時晨がどうしてこのシリーズを終わらせたかったのかは、この終わり方からは読み取れません。本書の舞台が雲南省の小村で、現場に監視カメラが全く設置されていなかったという環境から考えると、監視カメラだらけの上海や北京で犯罪トリックを描くのはもはや不可能と考えたのかもしれません。もしくは、探偵という職業の非現実性に嫌気が差したか。上海の事件ならほぼ顔パスで捜査に同行できる陳爝が、雲南省の刀崗村では警察にほとんど協力してもらえなかったことは、現実とのすり合わせにも見えます。
10年ほど続いたシリーズがこのような形で幕が下りるのはさびしくなりますが、作者が筆を折ったというわけではないので、今後は時晨による中華民国時代の探偵小説に期待しましょう。「第117回:2024年版『中国懸疑推理小説精選』―大学ミス研勢の強さ」(https://honyakumystery.jp/26136)で取り上げた時晨の短編「東晚司楽」では、陳爝と同じ姓の探偵陳応現が登場しているので、次シリーズの構想がもうあるのかもしれません。
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