中国の出版業界の中でも、ミステリー小説の短編集を多く出している牧神文化が最近、3冊のアンソロジーを立て続けに出しました。しかも中国では珍しいポケットサイズで、テーマもどれも革新的なものばかり。そこで今回は、牧神文化の新刊3冊を紹介します。

ジャンプコミックス『レベルE』とサイズを比較

『奇物誌』(2025年)
著者:眠眠、皇帝陛下的玉米、広思、青稞
お題として提示された10個の単語の中から5~6個を選び、それを作中に出さなきゃいけないというルールの下、4人の作家が短編ミステリー小説を執筆。お題は以下の通りです。
「口紅のついたコップ、うなじにある奇妙なタトゥー、欠けた金属プレート、表紙が破れた古書、剥がれ落ちた赤い爪、折り扇、鏡、ナイフ、鍵、腕時計」
口紅のついたコップやナイフはいかにもミステリーの定番小道具ですが、折り扇や表紙が破れた古書などは物語にミステリアスな雰囲気を与えられますし、剥がれ落ちた赤い爪は一気にサスペンスホラーの色合いが濃くなります。以下に4作品をざっと紹介します。

各作品の冒頭には、使用した単語が列挙されている。
眠眠「消失的視線」(消えた視線)
廃墟ビルの近くで男の落下死体が見つかる。廃墟探索中に足を踏み外して建物の外に転落した事故かと思われたが、男が探索中に残した録音データを聞いてみると、そこには男が何者かと会話をしながら、「ナイフを拾った」だの「折り扇は……9階に?」などとしゃべる音声が入っていた。男はそれらを集めたあと落下死したはずだが、死体の近くには特に何も落ちていなかった。男は一体誰と会話し、ナイフなどはどこへ消えたのか?
ナイフや折り扇などがあまりにも直接的に出てきたせいで、「1話目からこんな雑なお題の消化の仕方するの?」と残念に思いましたが、なぜ会話の相手がナイフなどを拾うようにわざわざ指示を出し、男はその指示に従っていたのかが分かると、確かにこれはそのまましゃべらせるのがベストな方法だと気付き、失望していたぶん、感動もひとしおでした。
皇帝陛下的玉米「一只水晶靴」(片方のガラスの靴)
ガラスの靴を残して城から消えた美しい女性を探すため、王子やその家臣が残った物証から彼女の行方と正体を追うという『シンデレラ』を題材にした物語。
女性がグラスに口紅をつけたままにしていたことから、彼女は身なりを豪華に着飾っていても貴族のマナーに疎かったのでは?と推理したり、王子の腕時計で刻々と進む時間を表したりと、お題の選び方がうまいと思いました。シンデレラを見つけて終わりではなく、最後にもう一つオチを持ってくる作者のいやらしいセンスにもニヤリとさせられます。
青稞「穿越時空的凶器」(時空を超えた凶器)
男が自宅で殺された。凶器は割れた鏡の破片だが、検視と聞き込みによって妙なことが浮かび上がる。鏡の割れる音がした時刻と死亡時刻に開きがあった。つまり、男は鏡が割れる前に割れた鏡の破片が刺さって死んでいたのだ。まさか破片が時空を超えて男に刺さったとでもいうのか?
館系の長編ミステリーを何作も書いている青稞による短編です。凶器そのものが時間差トリックを使ったかのように登場する展開でしたが、蓋を開けてみるとがっかり感が強め。しかしそれは謎の見せ方がうまいということでもあるでしょう。青稞は昔から鏡の破片を使ったトリックを考えてついていて、今回の企画を受けて使ったのかなあという印象を受けた完成度の高い作品でした。
広思「朱公案之魔盅凶呪」(朱公事件―盃の呪い)
唯一の歴史ミステリー。迷信深い村で呪いのさかずき、首が飛ぶ飛頭蛮の一族、太歳など中国的呪物や怪物が続々と出てくるも、それらを主人公の朱公が快刀乱麻を断つように論理的に解決します。「コップ」を「さかずき」に代用するなど、お題を全て古風にした自由な発想力には驚嘆しますが、いろんな要素が出すぎてゴチャゴチャした印象でした。
・総評
掲載作品自体には文句はありませんし、むしろ佳作揃いと言えました。不満があるとすればこの本の企画者の方です。10個のお題をどう選んだのか、その理由や基準が語られていません。また、もともとミステリー要素が強い物品を多数用意しているせいで、鏡は4人全員、ナイフも3人が選ぶ結果となっています。それで作品同士が似通うということはなかったですが、このお題はあまり作家の制約にならなかったのではないでしょうか。ただ、次に紹介する本の出来栄えを見ると、攻め過ぎるのも考えものかなと思いましたが。

『職場女孩的受難』(2025年)
著者:E伯爵、王稼駿、陸秋槎、時晨、陸燁華
中国ミステリー界隈では珍しいリレー小説集。ただし、リレー小説自体は15年ぐらい前に中国のミステリー専門雑誌でもやっていましたし、台湾・香港の作家と三津田信三も参加したリレーホラーミステリー小説『おはしさま 連鎖する怪談』(2021年)もあります。ただし、大陸勢だけで構成された本はこれが初めてかもしれません。
参加した5人の作家を簡単に紹介すると、E伯爵はSF7割・ミステリー3割の割合で両ジャンルを股にかける作家で、日本の昭和時代を舞台にした和風妖怪ファンタジー『四季物語』(2024年)などがあります。王稼駿は感情の機微を書くのに長けた作家で、姉を探すためにマルチ商法団体に潜入する『女神』(2023年)などがあります。陸秋槎は日本ではもはや説明不要とも言うべき作家で、邦訳された『喪服の似合う少女』(2024年、早川書房、訳:大久保洋子)が第78回日本推理作家協会賞・翻訳部門に選ばれています。民国時代の探偵小説に出てきた探偵が実際に活躍する『侠盗的遺産』(2023年)などの作者の時晨は、上海でミステリー書店を経営しています。陸燁華はユーモアミステリーの旗手でしたが、最近はもっぱらアガサ・クリスティー作品の翻訳やミステリー関連のコラムの執筆などをしています。
リレー小説は、E伯爵→王稼駿→陸秋槎→時晨→陸燁華の順番で進み、「職場女孩」、いわゆるOLの謎の死から話が始まります。会社を解雇された任欣蕾が職場近くで交通事故に遭い死亡。しかしその半月後、会社の幹部たちのもとに彼女からメールが届く。任欣蕾の後輩だった商問は、過剰にうろたえる上司たちを見て、彼女の死になにか陰謀が隠されているのではと考え、独自の調査を進めることに。
先輩社員の不審な死、死者からのメール、挙動が怪しい経営陣という謎を第二走者である王稼駿がどのように受け継いで発展させるかと期待していたのですが、次の走者にとんでもないキラーパスをしてくれたおかげで、展開にいきなり暗雲が立ち込めます。具体的に言うと、様子がおかしい上司の黄嬌嬌の様子を探るために彼女の自宅へ行った商問が黄嬌嬌の死体を発見したものの、とある理由で警察へ通報せずにそのまま帰宅。翌日、ほかの上司を連れて黄娇娇の自宅へ行くも彼女の死体は見当たらず、彼女は死んでいたと頑なに主張する商問は、上司から「じゃあなんで通報しなかったんだよ」ともっともなことを言われる始末。
第三走者の陸秋槎も商問のこの行動がおかしいと思ったのか、黄嬌嬌の妹を名乗る女の子に「アンタ(商問)の行動がちっとも理解できない」と言わせています。物語はここから加速し、作品世界自体が崩壊し再構築される勢いになるのですが、内容に触れるのはこのぐらいにしておきましょう。
・総評
リレー小説だから、即興性や作家同士の「化学反応」が大事だということは理解できますが、書き直しをさせる選択肢はなかったのでしょうか。そして、ラスト走者である陸燁華に最終的にこじんまりとまとめられてしまった感があります。「角を矯めて牛を殺す」無難な出来となったのは、果たして編集者と作家にとって狙い通りだったのでしょうか。
実はあとがきで編集者が、リレー小説の続きを書きたい人はどこからでも(例えば第3章から)書いていいし、完成したら編集部に投稿してくれという旨のことを書いてあるのですが、読者参加型企画にしたかったのなら、紙媒体ではなくネットでやった方が良かったのでは?このリレー小説の目的、この5人の作家を選んだわけ、この企画が成功だったのか否かという問いの答えが欲しかったです。
本書の作家陣を見て、一つ気になったことがあります。それは、『厳冬之棺』の作者である孫沁文の名前がないことです。王稼駿、陸秋槎、時晨、陸燁華と孫沁文はこれまで何度も共同でトークショーやサイン会を行ってきました。また、時晨と陸燁華と孫沁文はビリビリ動画でミステリー関連のチャンネルを開設するほど仲が良いです。E伯爵が悪いというわけじゃないですが、このメンツに孫沁文が入っていないことは異常に思えます。もしかして、別の仕事があったからこの企画を引き受けられなかったのではないか、そしてその仕事とは『厳冬之棺』の続き……?といろいろ想像を膨らませてしまいました。

『100年、接了個龍』(2025年)
編・華斯比
清末~民国時代の探偵小説を蒐集・研究する華斯比が編纂した本です。実は中国では100年前に「集錦小説」という一種のリレー小説が流行っていたそうです。掲載している新聞や雑誌で、作品の文章のラストに次の作家の名前を書き加えてバトンタッチするというやり方でした。

「小」と「青」とあり、続きを程小青という作家に任せている。
・総評
100年前のリレー小説を取り上げるという試み自体は素晴らしいです。とはいえ、ポケットサイズの本にするような内容か?と思いました。気軽に読める文体でもありませんし、読みやすさよりも保存性を優先してもっと大きなサイズにまとめるべきではなかったのでしょうか。
3冊のポケミスはどれもアイディアは良かったですが、編集者のコンセプト――何を伝えるためにこの本を出したのか――がいまいち分からず、いずれも評価に困りました。第114回:プチ炎上中の新星国際推理文学賞(https://honyakumystery.jp/25674)でも感じたことですが、今の中国の本格ミステリー界隈って、作家や編集者が面白いと思った作品を素直に出すポジティブさは十分ですが、いまこの本を出す意味をしっかり説明できる「説明力」が不足している気がします。
お題小説もリレー小説も一回でやめるのはもったいないので、牧神文化には今後もいろいろなアイディアを駆使して、面白い本を出し続けてもらいたいです。
・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
●現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)
●現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)
●現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)