中国ミステリー界隈で近年頭角を現しているジャンルの一つに「女性懸疑」――女性サスペンスがあります。ちゃんとしたデータは取っていませんが、ここ数年、物語の中心に「彼女」を据え、「彼女」と周囲にスポットを当てた作品が小説・ドラマ問わず増えてきたという実感があります。
女性サスペンスブームが「主流」になっていると私がはっきり認識したのは、紫金陳の新刊『長夜難明・双星』(2024年)を読んでからです。この物語は紫金陳の作品には珍しく、とある理由で裕福な家庭に潜り込む家政婦と孤立無援の家庭であがく社長夫人という二人の女性が主人公として登場します。北京で行われた同書のサイン会&トークショーで、本書の映像化が決まっているという話が出ていたので、「女は脇役じゃなかったら被害者」という印象の強い紫金陳といえども女性を無視できなくなったのだと感じました。
「女性懸疑」(女性サスペンス)とはどのような作品を指すのか、言葉からなんとなく想像できるでしょうが、次の二つの賞の募集要項を引用して説明しましょう。
多様なテーマと中国的特色あるサスペンス小説を発掘する「謎想賞」は、オススメテーマの一つに「女性懸疑」を上げ、次のような主人公を求めていると書いています。「知識と能力を駆使し、自覚的に行動し、他人の力を借りるけどそれに頼らず、傷を負っても消極的にならない。……(中略)女性としての意識に目覚めた彼女はもう誰にも止められない……」
中国の大手レビューサイト豆瓣は「女性視点のサスペンス小説」というテーマで作品を募集し、次のように求めています。「作中の事件の主な関係者、あるいはストーリーを突き動かす女性をメインキャラにする。彼女は警察官でも監察医でも弁護士でも……(中略)犯人でも傍観者でもなんでもいい」
ジェンダー問題や女性が直面する社会問題を作中に盛り込めとはどちらにも書いていません。魅力的な女性キャラを出せばストーリーは勝手についてくるし、女性が主人公のサスペンス小説なら社会問題など含まれて当然という考えか、それとも明言を避けているのか。とはいえ、これらの定義は書き手側に解釈権を委ねすぎているきらいがあるので、私なりの定義を述べると、女性サスペンスとは「女性をメインキャラにして、女性にまつわる社会問題に触れている」作品だと思います。
前置きが長くなりましたが、今回は中国の新作女性サスペンス小説を紹介しつつ、このジャンルに対する私見を語っていこうと思います。
・5人の不遇な女

『盤絲』(2025年、劉小河)
アパートの一室で女が自殺未遂し、その子どもが行方不明になった。通報を受けて駆け付けた刑事は捜査を進めるうちに奇妙な事実に次々と直面する。通報した男・徐偉は自殺未遂した女・安紅とその子どもと家族関係になく、行方不明になった聾唖の子ども・小蓮も安紅の実の息子ではないらしい。またタクシー運転手の徐偉は聾唖の少年をはねて刑務所に収容されていた過去を持ち、年齢が二回りほど違う安紅と連れ子の小蓮を部屋に軟禁していたという後ろめたいことを行っていた。小蓮は消えたのではなくアパートのどこかにいると推理した刑事らは、入院中の安紅に疑いの目を向け、自殺は狂言だと考え始める。
本作の軸となる謎は、女性が自殺し、子どもが失踪した理由ですが、この二人に限らず、事件現場となったアパートに暮らす住人はみな謎を抱えていて、果たしてその謎が本筋と関係があるのかという疑惑が警察の捜査を難解にしています。さらに物語は現代編と過去編に分かれ、前者で事件の進展を描く一方、後者では二丫頭、小翠児、沈君華、大鳳児、暁丹という5人の女性の平凡な人生をつづっています。このお互いさえ接点のなさそうな5人の女性と今回の事件との関係が徐々に明らかになるのも、本作の面白いところです。そして彼女らの中には、いっときの悪意によって人生を狂わされてしまった人も少なくないです。
例えば二丫頭(本名ではなく愛称)という女性は、母親譲りの美貌の持ち主で、だから母親のように若いうちに父親不明の子どもを産んで消えるんだろうと周囲から思われて、実際そうなってしまいます。仲の良かった聾唖の少年に当時では珍しい「ケンタッキーフライドチキン」を食べようと誘われた彼女は、いつの間にかベッドで寝ていました。シーツがきれいになっていることが気になったけど深く考えずそのまま暮らしていたら、だんだんお腹が張っていき、自分が妊娠していることに気付きます。そして彼女は聾唖の赤ん坊を産んで母親と同じくみんなの前から姿を消しますが、自分を捨てた母親とは違って、その子どもを育てようと決意するのです。
本作では聾唖の少年が女性たちの人生を変える重要人物として設定されています。沈君華もまた人生を狂わされた女性の一人で、彼女は聾唖の息子を徐偉が運転するタクシーにはね飛ばされ、失います。そして徐偉に重罰を与えるために彼のイメージを下げようと捏造工作をしますが、逆に教師という身分でありながら男子大学生と不倫していたことがバレて炎上。しかし徐偉への恨みは消えず、出所した彼が聾唖の少年(小蓮)を育てていると知り、その子をさらって復讐を果たそうと考えます。
二丫頭のような落ち度はないのに圧倒的に不幸な人間もいれば、沈君華や徐偉(過失運転致死傷は残念だけど安紅らを軟禁しているのは明確な悪事)のように不幸だけどあんまり同情できないという奴もいて、明確な悪人を登場させていないのがこの本の読書体験を複雑にさせています。
後半は小蓮争奪戦の様相を呈し、誰がこの子を育てるのか(産んだのは二丫頭だが、二丫頭(愛称)の正体は後半まで分からない)という親子関係を巡ってラストスパートに入り、自殺も失踪も警察の捜査も全部蚊帳の外。
ミステリー要素については、小蓮が消えた夜に雪が降っていたのにアパート周囲には外に出ていった靴跡がなかった、これはつまり……つまり……とシンプルな雪密室を散々引っ張るし、小蓮が秘密の部屋に隠れていたのが終盤に分かったりして、警察の捜査がかなり後手に回っています。また、話をまとめてくれる名探偵も出てこないため、読み終わっても、あの伏線ちゃんと回収されたっけ?アイツとアイツってどういう関係だったっけ?とすっきりしない点が多かったので、読後の余韻を壊さないようなまとめが欲しかったです。
次に紹介するのは、母親の歪んだ息子愛に焦点を当てた『溺愛之罪』(2025年、李大発)です。

・軽んじられる女性の命
自然公園で林瓏という記者の死体が見つかった。母親を強姦犯に殺されている彼女は生前、強姦犯の母親たちに取材をして、「母親たちは一人として自分の息子が強姦犯だと認めなかった」と題する記事を執筆し、犯罪加害者家族を糾弾しようとしていた。その記事の掲載は上司に見送られていたが、林瓏が殺されたのはそれが原因ではないかと、刑事の戴瑶は考える。そこで林瓏の取材を受けた母親たちに話を聞きに行くが、彼女らはみな、林瓏を罵る、警察を信用しない、息子をかばうという反応で全く話にならない。だが今度はそんな母親たちの命が狙われる。戴瑶は林瓏殺しとは別の犯人が暗躍していると考え、林瓏も所属していた犯罪被害者遺族会に疑いの目を向ける。
犯罪加害者家族の責任を問う……とまでは掘り下げられず、犯罪者の家族(特に母親)はみんな頭がオカシイという設定に終始していて、登場人物の造形が画一的だったのが残念でした。母親たちに向けて「なぜあなたは女性の敵である強姦犯をかばうのか?」という問い掛けすらしないのは、「息子だから」という当たり前の答えが返ってくるのをみんな予想しているからでしょう。しかし女性刑事の戴瑶の目を通してこの物語を見ると、どの家庭も准犯罪加害者家族なのではという不安に駆られます。
戴瑶にはろくでもない弟がいて、子どもの頃から母親が弟ばかり甘やかすものだから、彼女は実家に寄り付かず、母親からの電話も普段は無視しています。しかし今回の事件を受けて母親のことが気になり、物語終盤、久々に実家に戻ると、母親から遺産を受け取るよう言われます。どういう風の吹き回しかと思えば、自分が死んだら息子はきっと遺産をすぐに使い果たして路頭に迷うだろうから、アンタが遺産を管理してとのこと。母親から弟の母親役をやってと頼まれた戴瑶はもう開いた口が塞がらなくなるのですが、この戴瑶一家と作中に出てきた強姦犯の息子がいる家庭にどれほどの差があるでしょうか。息子を溺愛する母親の病理は、自分の娘の人権すら目に入らなくなるほど根深いのです。
この作品を締めくくるのは、本筋とは無関係の少女の死です。状況的にマンションの自室から飛び降りたのだろうし、遺書があるから自殺だと結論付ける男性刑事に対し、戴瑶は遺書の筆跡鑑定を提案します。もしも少女が家族に突き落とされていたら?と考える戴瑶を男性刑事は鼻で笑いますが、女の命の軽さを実感している戴瑶には笑い事ではありません。物語は、戴瑶の理解者は決して多くないがゼロではないという一縷の望みを記し、読者をとてもモヤつかせたまま終わります。
・女性サスペンスは母親サスペンス?
最近この2冊を読んで、中国の女性サスペンス小説に感じていた疑問が明確になりました。それは、このジャンルでは子どものために生きる母親を絶対に書かなきゃいけないのか?ということです。
冒頭で紹介した紫金陳の『長夜難明・双星』は、我が子のためなら自分の手を汚すことすら厭わない二人の母親の勇気と覚悟を描いていました。「第106回 女性が主役の中国サスペンス小説」(https://honyakumystery.jp/24129)で取り上げた陳研一の『陌生人』(2023年)は、血の繋がっていない少女を守る女性に協力するために、複数の女性が犯罪に手を染めるという母性愛と姉妹愛に溢れた作品です。また同じ記事で取り上げた『尋找金福真』(2023年)は、家族に無料の家政婦扱いされていた中年女性がふとした事件でホームレスになり、久方ぶりの自由を謳歌するものの、他人の子どもだろうが子育てをすると心が落ち着くという身に染みついた奉仕精神を発揮し、最終的に娘と仲直りするという話でした。
母親が子どものために犯罪に手を染めるという小説は昔からあるでしょうし、女性サスペンスというジャンルの中に母親がメインキャラの作品があっても何もおかしくはありません。しかし今回取り上げた小説に出てくる女性たちの中には、母親としての役割から下りられなかったせいで不幸になった人もいます。反対に男は簡単に父親であることを放棄します。
『溺愛之罪』で、強姦犯の息子の処遇について夫婦が話し合う場面があります。犯罪者が身内にいたら自分が経営する会社が潰れるから息子と絶縁すると言い放つ夫に対し、妻は息子がこうなったのは夫のせいでもあるから責任を持って最後まで育てろと迫るシーンです。型にはまった人物ばかりのこの本で、この二人は理性的な夫と感情的な妻として描かれていますが、子どもに対して薄情な父親と情け深い母親という対立構図は、今日の中国女性サスペンス小説における女性の立場を象徴しているようにも見えます。この構図を逆さまにして、子どもに非情な母親を描くと、読者はすごい抵抗感を受けるんだろうなと思います。ただ、我が子を見限る父親がさほど批判的に描かれないのなら、母親だって同様に許されるべきだろう、というのが私の意見です。もちろん理想は父親も責任持って子どもの面倒を見る、ですが、もしそうだったら『盤絲』も『長夜難明・双星』も『陌生人』もおそらく事件は起きなかった。
私がこれまで読んだ中国の女性サスペンス小説は全体の一部にすぎないですし、ドラマや映画を加えると、より多彩な女性の姿をきっと見ることができるのでしょう。だからどこかの作品には、娘・妻・母といった役割を捨てて自由になった一人の女性が知らない土地でやりたいことをやっているというオチが描かれているのかもしれません。だけど一方では、このジャンルはさらに保守的になりそうだなという懸念もあります。今後どちらの方向に進むのか観察していきたいと思います。
・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
●現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)
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