今年ももう4分の1が終わろうとしています。最近読んだ中国ミステリー小説が今年これからいろいろな本を読んだとしても変わらず今年一番面白いだろうという内容だったので、今回はその本を紹介します。

 

 

『虚構凶手』(フィクションの犯人。著者:慢三、2024年12月)

 

 昨年末の出版物ですが、読んだのは最近なので2025年の本として数えさせてください。

 20年前、芸術大学の男子寮の一室で、女子大生・甄喜の死体が見つかる。その部屋の主・趙元成はトイレで泥酔しており、警察の取り調べに対し何も覚えていないと言うが、血の付いたナイフを持っていたことが決定打となり、懲役約20年の判決を受ける。それから20年後、趙元成の大学時代の友人・毛飛は自身が経営する塾の講師として尺八というペンネームのミステリー小説家を招く。尺八は小説家の講座に通う少数の物好きな生徒のために探偵小説講座を開き、生徒たちにミステリー小説を書かせる。勉強や親や学校からストレスを受ける生徒たちはそれらと無縁な尺八の講座を楽しく受けるが、彼が執筆中のミステリー小説『ダンス』の展開とリアリティーに徐々に不安になり、尺八の正体に疑念を抱く。その小説は、殺人事件の冤罪で20年収監されていた男が事件の真相を明らかにするために当時の関係者を探すという内容で、毛飛ら実在する人物が何人も登場していた。そして小説の内容をなぞるかのように殺人事件が起き……

 

・通底する不安と不穏

 小説家が主人公という点でピンとくるかもしれませんが、この作品は随所に尺八の小説『ダンス』が導入される入れ子構造になっています。ただ、本作の特徴は、本編――すなわち『虚構凶手』と作中作『ダンス』がほぼ途切れず続いているところです。例えば、20年前に趙元成を逮捕した蒋健という刑事が、出所した趙元成の行動を不気味に思って彼を尾行するシーンがあります。そして次の段落には、『ダンス』を読んだ生徒が尺八に「先生は刑事に尾行されていたんですか?」と尋ね、もう一人の生徒に「フィクションに決まってるじゃん」と反論される一連のシーンが描かれています。警察に尾行されたのはフィクションの中でのことだったのか。しかし蒋健という刑事は『虚構凶手』の世界に実在します。そうなると、尺八は尾行されていたのを知っていて、それを『ダンス』に書き加えたのか……と、次々に疑問が湧いてきて、三人称視点の小説なのに尺八が信頼できない語り手と化し、生徒が尺八の正体に不安を抱くように、読者もまたいま読んでいるのが単なるフィクションなのか、フィクションの中のフィクションなのか足元が揺らいでいくのを感じます。

 

 尺八が子どもたちにする探偵小説講座にも不穏な要素が盛り込まれています。彼は授業の一環として、4人の中学生に実際にミステリー小説を書かせるわけですが、あらすじで述べたように、子どもたちはいずれも何某かの悩みを抱えています。そして先生から自己を投影した探偵を創造するように言われた4人はそれぞれ独自の小説を書き上げるのですが……子どもたちが何を書いたのかというと、

 虐待のような指導をする塾の数学講師を恨んでいる少年は、数学が苦手な探偵が数学教師殺人事件を推理する話を書き、外見のせいでいじめられている少女は、変身して美少女になれる魔法少女探偵を創造し、「いい子」にしていないと親に怒られる少女は、古代の封建社会で活躍する女性捕吏を描き、母親のいない少年は、ロボット探偵を生み出して彼の母親とも言える博士が殺された事件を捜査するも、実は探偵が犯人だったという物語をしたため……と、揃いも揃って闇を感じさせる内容です。

 尺八が子どもたちにミステリー小説を書かせる動機も不明なため、もしかして子どもたちのコンプレックスや殺意を煽って小説に書いたことを実行するようそそのかしているのでは?とすら考えてしまいました。

 

 ちょっと話が逸れますが、尺八の探偵小説講座で現実の中国ミステリーの変化を感じさせるシーンがあったので紹介したいと思います。講座でミステリー小説のトリックや状況の種類を説明する際、尺八は実際の作品を使い、クローズドサークルならアガサの『そして誰もいなくなった』、物理トリックなら島田荘司の『斜め屋敷の犯罪』など、日本や欧米の作品を挙げているのですが、叙述トリックの代表作に『こんにちは、私のお母さん』という大ヒットした中国映画を挙げていたのです。この映画はミステリーではなくコメディーですが、同時期に上映していた『唐人街探偵 東京MISSON』よりミステリーっぽいと評価された作品で、私もオチにうなった記憶があります。

 この映画がなかったら、叙述トリックの代表作に挙げられていたのはきっと日本の作品だったでしょう。それか、マイナーすぎて子どもに教える意味あるのか?という中国の小説か。「叙述トリックってなに?」という質問に対し、身近な作品を出せるようになったのは中国のミステリー小説にとって良い変化だと思います。

 

・社会問題は格好の材料

 目的が分からない尺八が不気味さを醸し出し、子どもたちの悩みが影を落とすとともに、現代中国を反映する景気の悪さが物語に閉塞感を与えています。物語の舞台となっている塾は、新型コロナや小中学生の宿題や塾の負担を減らす「双減」政策の煽りを受けて経営難という設定です。しかし社長の毛飛は大学時代の友人でいまは有名な舞台監督の秘密を握っているから、彼からいくらでも金を引き出せるという強みがあります。尺八はその秘密が20年前の事件と関係していると考えますが、なんと自分の小説をなぞるかのように毛飛が何者かに殺されてしまいます。不景気がきっかけになって20年前の事件が進展したと言えるでしょう。

 子どもたちを取り巻く問題も、現代的なものから古典的なものまでさまざまです。外見でいじめられたり親の過剰な期待に振り回されたりするのは日本と同じですが、ショート動画制作で食べているインフルエンサーの親の動画撮影にイヤイヤ付き合わなきゃいけないという子どもの悩みは日本より進んでいるかもしれません。子どもの動画で稼いでいるYouTuberは日本にもいるので、今後日本でもこういう悩みを抱える子どもは増えそうです。本作ではそういった悩みに対して明確な解答を出していませんが、問題なんて掃いて捨てるほどあるわけですから、尺八の講座のようにリラックスできる空間を子どもに与えるのが大事なのかもしれません。

 本作はとにかくワクワク感を覚えさせてくれる作品でした。尺八の正体と目的はなんだろう、趙元成は本当に冤罪なのか、子どもたちはこのまま成長して大丈夫なんだろうかなど、不安に推し進められながらページをめくる手が止まらない作品でした。だからこそ、オチでイヤミスに仕立てたのにはとても驚きました。作中の人物ばかりか読者すら徒労感や救いの無さを覚えるラストは一読の価値ありです。「中国のイヤミスってなに?」という質問に対し、本作の名前を挙げても聞き返されない日が来ることを願っています。

 

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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