昨年度の中国の短編ミステリーを収録した『中国懸疑推理小説精選』の2024年版が出たので、例年通り内容を紹介していきます。日本語タイトルは全て仮訳です。また、今回は中国の大学の推理協会(いわゆるミステリー研究会)が発行している機関誌からの選出が多かったため、出典元も記しておきます。

漫患之網(曖昧な網)/ 易孟(雑誌『伝奇故事・推理』から)
美容院の店長・湯美麗が友人に電話で助けを求めたのち、行方不明となった。金遣いの荒い夫の司晨に何かされたのではと警官の詩妍は考えたが、捜査の結果、彼女ら夫婦のものと思われる二人の死体が湖のほとりで見つかる。司晨の死体のポケットから出てきた借用書から、彼に金を貸した胡雯雯が事情を知っていると見るが、その人物の手掛かりはつかめない。また湯美麗の美容院に大量の血痕と足跡が残されていたが、それらは湯美麗と司晨の血液と一致しなかった。登場人物が次々に出てきて、後ろめたい関係性が明らかになっていく。二時間サスペンス劇場のような展開の短編でした。
憶“浮雲華尚案件”始末(「浮雲華尚事件」の顛末) / 暁貝(『鏡子里的名偵探』から)
孫沁文『厳冬之棺』の漫画家探偵・安縝が登場する二次創作。どうしてこんな作品があるのか調べてみたところ、孫沁文の探偵・安縝と、このあと紹介する作家・時晨が生み出した探偵の陳爝を主人公として、複数の作家が書いた作品を載せた同人誌?作品集が出たらしく、これはその収録作品の一つです。
本作では、違法ギャンブルで1000万元も荒稼ぎしたサラリーマンが自社ビルから謎の飛び降り死をするものの、ビルの屋上の防犯カメラにはその男とは全くの別人が飛び降りる様子が収められていたという二重自殺が描かれます。大金を持っていた男はなぜ死んだのか、屋上から飛び降りた別の男はどこに消えたのかという謎がとても魅力的に映りました。ただ、オチはけっこうバカミス寄り。そして探偵の安縝を登場させる必要性も見られず、同人誌だからこそ許されるトリックとストーリーかなと思いました。
献給M的推理(Mに捧げる推理) / 会厭(機関誌『偽証之書3』から)
1986年、アメリカ人のマニーとミレーは世界一周中にM島という孤島に漂着し、そこに暮らす民族に保護される。その島には1932年にマシューという飛行機乗りが不時着して一時生活していたため、一部の人間は英語が話せた。二人は飛行機の残骸に残った痕跡などから、マシューは何者かに殺されたと考え、殺人事件の調査をする代わりにこの島から脱出する方法を長老に尋ねる。マシューの日記や当時の関係者から手掛かりを探す一方、長老がポツリとつぶやいた「氷壁の外側には何がある?」という言葉がミレーには気がかりだった。
本書の中で一番面白かったです。特にスピード感が良い。世界一周旅行に出たから船内での殺人事件が待っているのかと思えば、次のページではすでに漂流していて、54年前の孤島で起きた殺人事件を調査する展開になるとは。遭難者でありながら探偵を気取るミレーも面の皮が厚いですが、54年前の漂流者のマシューもまた一癖ある人物として描かれているのがポイントです。マシューから「氷壁の外側」という概念を教えてもらったおかげで何十年もそれを気にしている長老から、西側の知識や思想が全て先進的で科学的とは限らないというメッセージが伝わってきます。
しかし謎の明かし方がもったいなかった。伏線が見え見え、というより冒頭の2ページ目に気になる記述があるので、「ああ、これに絡めた謎を書くんだな」と予想するのは当然ですし、クライマックスで「実はこうだったんだよ!」と明かされても、「まぁ、そうじゃないかと思ってましたけど……」としか言えない。「読者への挑戦状」を用意しているからできるだけフェアにならなきゃいけないという気持ちが先走ったという印象を受けました。
三一七七三 / 流平(機関誌『猫眼』から)
中学時代の友人が監督を務める劇団の出し物を妻と共に見に来た孟鶴雨は、春秋戦国時代の衛国を舞台にしたミステリー演劇を観賞しながら当時好きだった童天という少女のことを思い出していた。なぜ彼女は当時、プレゼントしたネクタイピンを見て、「三一七七三ってどういう意味?」とよくわからない質問をしたのだろうか?
作中作のミステリー演劇は面白かったです。村の付近で女官が何者かに殺され、役人たちが犯人探しをしているから、犯人に仕立て上げられてはたまらないと考えた兄弟は口裏合わせをするのですが、兄はアリバイ捏造を提案した弟に疑惑の目を向け……という内容で、どうせならこれだけで一本書けばいいのにと思いました。タイトルにもなっている「三一七七三」の謎については、昔、少年マガジンに連載されていた『RAVE』って漫画に答えが書いてあります。漢数字を使った意地悪クイズですね。
東晚司楽 / 時晨(ロックバンドの微信公式アカウントから)
民国時代の上海で音楽家を狙った連続殺人事件が起きる。犯人は死体の頭部に「東晩」という血文字を書き、蓄音機で不気味な旋律を奏でて立ち去るという異常な行為を繰り返していた。捜査の協力を依頼された陳応現教授は「東晩」という言葉が民間信仰と関連があると考え、その分野に詳しい教授に話を聞きに行くと、「東晩」とは失われた経典『虫経』に書かれた音楽を司る邪神だと教わる。犯人の目的は邪神「東晩」に生贄を捧げるためだろうか?
何よりもこの作品の掲載先に驚きました。中国では微信(ウィーチャット)、要するにLINEのようなトークアプリ上で、企業や個人が公式アカウントを作って記事や情報を配信するのがすっかり当たり前となりました。本作は小説家の時晨が知り合いのロックバンドの新作アルバム「東晚司楽」の発売を記念して特別に書いた短編のようで、登場人物の名前もバンドメンバーと関わりがあるかもしれません。名前と言えば、主人公の陳応現はおそらく、時晨の小説ではおなじみの数学探偵・陳爝のご先祖様でしょう。時晨はこの数年、民国時代が舞台の長編ミステリーを書いていますから、現代が舞台の小説はもう書かないという表れかもしれません。
弈乱之島 / 南城大気(機関誌『偽証之書3』から)
医者の葵鏡は妻を探すため、海賊が支配する赤釜島に単身乗り込む。そこには凶暴な林守元とその子どもたちが数百人のならず者を従えて暮らしており、見つかった葵鏡はあっけなく捕らえられる。幸い知り合いがいたため処刑されることはなかったが、彼が島に来てから林一族が何者かに次々と殺されたためやはり怪しまれてしまう。混乱する島内で妻を探しながら、一連の事件の真相を探る。
武侠ミステリーですが、むしろ武侠小説として傑作。また、物語最後に作者が登場するメタ的展開になり、本作がヴァン・ダインの二十則全てに反しているとネタバラシをする点には若さと勢いを感じました。調べてみると、この作者は昨年、ノックスの十戒に敢えて背いた武侠ミステリーを書いているので、武侠をテーマにしたアンチミステリーを確立させたいのかもしれません。
英雄最後出場(ヒーローは最後に現れる) / 雪止(機関誌『求是集録・時之巻』から)
教師に呼ばれて週末の学校に来た小学生の田芊。教師の手伝いをしていると、雑技大会に出る4人のクラスメートがトロフィーを盗んだという疑惑をかけられた。しかしその4人とも、トロフィー保管室がある旧校舎には行っていないと言う。旧校舎の防犯カメラを調べたところ、映っていたのはそのうちの1人だけ。田芊は4人がトロフィーを盗んだ方法と動機を推理する。
日常ミステリーですが、ここに出てくるトリックは現代の小学生とは思えないほどアナログで考え抜かれたもの。まるで戦国時代の伝令のように情報をやり取りする小学生に素直に感心してしまいました。
中国のレビューで、白井智之の『東京結合人間』のオマージュだと指摘されていましたが、その作品を読んだことがないためどこが似ているのかは不明。ちなみに、体が繋がった人間は出てきません。
・総評
7篇の収録作のうち、大学ミス研の機関誌からが4作です。2023年度の『中国懸疑推理小説精選』も8作品中4作が機関誌からでしたからこの結果もある程度予想できましたが、ほか3作も同人誌1作、微信1作、そして雑誌1作という内訳で、正規の紙媒体に載った収録作がたった1作という事実に驚かされます。もちろん2024年に発表された中国の短編ミステリーはこの7作に限りませんし、機関誌掲載作の比率が多いのも、編集者の華斯比が若者にチャンスを与えようとミス研作品を多めに選んでいるからでしょう。
実は2月25日に出る早川書房のミステリマガジン4月号の「華文ミステリ招待席」に掲載されている「射影収束」もまた、中国のミス研に所属する巨頭という作家の短編です。麻耶雄嵩のメルカトル鮎シリーズのオマージュで、中国の若手作家の麻耶雄嵩愛を感じられます。つまり、中国の短編ミステリー界隈にとって、同人誌であるはずのミス研機関誌はすでになくてはならない存在となっています。
市場での短編ミステリー需要が少なく、プロ作家が短編を発表できる環境が整っていないのなら、ミス研の機関誌に頼る状況は今後も続くでしょう。それで若手作家を鼓舞できるのならいいのですが、無料で執筆している大学生の作品任せの状態は不健全で不安定です。中国にミステリー専門雑誌が数誌あった10年ほど前なら、彼らはおそらく雑誌に投稿し、デビューしていたでしょう。雑誌と機関誌の違いは原稿料のありなしであり、だからこそ今の学生作家は機会が奪われていると感じます。一方、機関誌を製作し購読している大学生たちがミス研作品を評価したりランキングをつくったりしているという横のつながりと盛り上がりは、雑誌に掲載されていたら見られなかったでしょう。いっそ、『ミス研機関誌傑作選』のようなものが出れば注目される学生作家も増えるでしょうが……今年度の『中国懸疑推理小説精選』がどうなるか不安でもあり、中国のミス研がどのような進化を遂げるのか楽しみでもあります。
・ブログ http://yominuku.blog.shinobi.jp/ |
●現代華文推理系列 第三集●
(藍霄「自殺する死体」、陳嘉振「血染めの傀儡」、江成「飄血祝融」の合本版)
●現代華文推理系列 第二集●
(冷言「風に吹かれた死体」、鶏丁「憎悪の鎚」、江離「愚者たちの盛宴」、陳浩基「見えないX」の合本版)
●現代華文推理系列 第一集●
(御手洗熊猫「人体博物館殺人事件」、水天一色「おれみたいな奴が」、林斯諺「バドミントンコートの亡霊」、寵物先生「犯罪の赤い糸」の合本版)