今回は、The Spy Who Vanished(2024) と題された、アルマ・カツの短編三部作(The Vanishing ManOn Enemy GroundShaken, Not Stirred)を取り上げます。出版はアマゾン・オリジナル・ストーリーズです。
 著者は米国のCIA(中央情報局)とNSA(国家安全保障局)に勤務後、2011年にホラー作家としてデビュー、2021年には自身の経歴を活かしてCIA局員のリンジー・ダンカンを主人公とするシリーズを執筆しています。


 The Vanishing Man では、CIAのトルコ支局副局長に接触して米国への亡命を願い出たSVR(ロシア対外情報庁)の辣腕諜報員、ユーリ・コズロフがイスタンブールで保護される。ロシア部門を統括するジェニファー・グレイソンとの面会を済ませたコズロフは、直ちに米国へ移送される。
 On Enemy Ground(二作目)では、工作担当官であるジャック・ワインガートとレナータ・ジェイコブスが見守る中、ヴァージニア州にある秘密施設で心理学者や防諜担当官による事情聴取が始まる。同時に、イギリスのMI6(秘密情報部)やドイツのBND(連邦情報局)からコズロフとの面会を求める圧力が強まる。
 そして最終作の Shaken, Not Stirred においては、グレイソンが事情聴取の結果を明らかにするが……

 亡命者が主人公となる作品では、その真意が謎のまま展開されるものがほとんどであろうが、本作ではコズロフの目的は一作目の中盤辺りで早々に明らかになる。
 ロシアがウクライナに侵攻した後、情報機関関係者の亡命が相次いだことに業を煮やしたプーチン大統領は、逆に亡命者を装った二重スパイを送り出してある情報を得ようと企み、「ロシアのジェームズ・ボンド」と呼ばれるコズロフに白羽の矢が立ったのだ。
 彼に課せられた任務は二つあり、一つは米国に情報を提供しているSVRの高官を特定すること、もう一つは1991年に亡命した当時のKGB高官、マキシム・ソコロフの所在を突き止めることだった。
 ところが、主人公は優秀な諜報員でありながら、相手を欺く非情な仕事に倦み始めてもいた。
 十代後半で軍に入り、ある出来事でKGBの目に留まって今日の地位を築いたものの、周囲のエリートたちと違い、大学教育を受けていないことに秘かなコンプレックスを抱き、年齢を重ねるに連れて危険な任務には慎重な態度で臨むようになり、第一線から退きたいとさえ思っていたのだ。
 更には、今回の任務で実は捨て駒として扱われるのでは、という不安を拭うこともできなかった。
 それでも尋問を受け持つCIA職員や、担当工作官からも情報提供者の正体につながる情報や、ソコロフの行方をさりげなく引き出そうと試みるコズロフだが、これまでに経験したことがない感情に悩まされるようになる。
 この作品では亡命者の真意が最初から明らかにされてはいるものの、本人の葛藤が丁寧に描かれる捻りの効いた作品に仕上がっている。三作合わせても100ページ強という長さで、巧みな語り口もあって実に読みやすい。
 余談だが、著者はミステリーを紹介するサイト、CrimeReadsWhat Do Real Spies Think of James Bond?(本物のスパイはジェームズ・ボンドをどう思っているのか)という記事も寄稿している。

◇アルマ・カツ 著作リスト◇
 The Taker (2011)/Taker三部作
 The Reckoning (2012)/Taker三部作
 The Descent (2014)/Taker三部作
 The Hunger (2018)
 The Deep (2020)
 Red Widow (2021)/リンジー・ダンカン(CIA局員)を主人公とするシリーズ第一作
 The Fervor (2022)
 Red London (2023)/リンジー・ダンカン・シリーズ第二作
 The Spy Who Vanished (2024)/本作

寳村信二(たからむら しんじ)

 今年は、『ラストマイル』(塚原あゆ子監督)と『シビル・ウォー』(アレックス・ガーランド監督)を鑑賞した際に、プログラムが品切れという珍しい事態に遭遇した。

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