書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
千街晶之
『アルパートンの天使たち』ジャニス・ハレット/山田蘭訳
集英社文庫
べルナール・ミニエの待望の新作『黒い谷』(セルヴァス警部補の行方不明になった元恋人マリアンヌの件にいよいよ新たな動きが!)にしようかとも思ったが、迷った結果、『ポピーのためにできること』で『2023本格ミステリ・ベスト10』海外部門一位を獲得したジャニス・ハレットの邦訳第二作を選んだ。カルト教団の集団自殺事件から十八年後、ノンフィクション作家のアマンダが、その事件についての著書を執筆するため当時の関係者に接触し、行方不明になっている教団の生存者たちを探し出そうとする……という内容だ。地の文が一行もなく、メールやチャットのやりとり、音声ファイルの文字起こし、小説や脚本の引用から成っている……と紹介すると、『ポピーのためにできること』とやっていることは同じではないかと思われそうだが、アガサ・クリスティー風味の本格ミステリだった前作とは印象が全く異なる。田舎町が舞台だった前作に対し今回はロンドンが主な舞台という違いもあるが、それ以上に、今回は読み終わるまでどのジャンルに属する作品なのかが全くわからないのだ。前作同様に合理的に割り切れる本格ミステリなのか、デヴィッド・セルツァーの『オーメン』風のオカルト・ホラーなのか、それとも陰謀論的スリラーなのか。登場人物たちは、無関係な点同士を勝手に線で結んで生まれた荒唐無稽な図を真相だと言い張っているだけなのか、それとも、いかに信じ難くともそれが真相なのか。個人的には、中盤以降の読み心地は朝松健の『黒衣伝説』やアラン・ムーアの『フロム・ヘル』を連想してとても怖かった。登場人物同士の関係を呑み込むまでは少々読みづらいと思うが、そのあとは七百数十ページある大作にもかかわらず一晩で一気に読めた――あまりに怖すぎて、結末を知って安心するまで中断することができなかった、というのが正直なところだけれど。
川出正樹
『黒い谷』ベルナール・ミニエ/青木智美訳
ハーパーBOOKS
2024年の日本推理作家協会賞翻訳部門(試行)を受賞したジョセフ・ノックス『トゥルー・クライム・ストーリー』を始め、イライザ・クラーク『ブレグジットの日に少女は死んだ』、ダニエル・スウェレン=ベッカー『キル・ショー』等、最近、モキュメンタリー・スタイルの犯罪小説が脚光を浴びているが、また一つ一筋縄ではいかない企みに満ちた作品が訳された。ジャニス・ハレット『アルパートンの天使たち』(山田蘭訳/集英社文庫)だ。
デビュー作『ポピーのためにできること』が、クリスティーお得意の現在進行形で醸成される殺意の果ての殺人事件を解き明かす精緻な謎解きミステリだったのに対して、二作目となる本作は、過去に解決済みとされた惨殺事件の「隠蔽された真実」を白日の下にさらそうとする疑似ノンフィクション形式のクライム・サスペンスだ。
前作同様地の文が一切無いため、胸に一物ある関係者の限定された視点を通じてのみ明かされる「事実」を組み合わせて、カルト教団絡みの凄惨な四重殺人事件と消えた乳児の謎を探っていく過程が実にスリリング。二人のノンフィクション作家が幾重にも封印された来た「真相」を暴き出すことに憑かれて闇の奥へと遡航していく様に夢中になってページを繰ってしまう。そして訪れる前作に勝るとも劣らない衝撃。早くも今年度ベスト級が登場した。
とここまで絶賛しておいてなんなんだけれども、今月の一押しはベルナール・ミニエ『黒い谷』(青木智美訳/ハーパーBOOKS)だ。ぞくぞくする猟奇性と謎解きミステリ好きの心をくすぐる真相とを兼ね備えたデビュー作『氷結』以来のファンとして、前作『姉妹殺し』から2年7ヶ月ぶりの訳出を言祝がずしてなんとしよう。しかも第二作『死者の雨』以来お預けになっていた主人公セルヴァズ刑事の運命を大きく変えたエピソードをプロットの根幹に据えた作品となれば、何をおいても押すしかない。
ピレネー山脈で発見された惨殺死体のかたわらに残された謎の記号は何を意味するのか。元恋人からの助けを求める電話でスペインとの国境にほど近い幽谷の修道院に駆けつけたセルヴァズを待ち受けていたかのように次々と発生する残虐な殺人。山崩れで外界と隔絶された僻村で、一体何が起きているのか。
コロナ禍の2020年に書かれた本書は、サスペンスに満ち満ちた謎解きミステリであると同時に、閉塞的な村を舞台に二元論が支配して白か黒かしか許さない現代社会の深刻な問題――社会的格差、地理的分断、世代間の分裂、イデオロギーの対立――をまざさまざと描き出した、正に今読んで欲しい小説でもある。
今月はもう一作、『妻という名の見知らぬ女』(羽田詩津子訳/角川文庫)以来二十一年ぶりの翻訳となるアンドリュー・クラヴァン『聖夜の嘘』(羽田詩津子訳/ハヤカワ・ミステリ)もお勧め。アメリカの美しい過去が凍結されたような陸軍関係者が住民の大半を占める首都近郊の町を舞台に、特殊な思考法で事件を解決してきた大学教授が、犯人が自供済みの殺人事件を調査する。捻りの利いたミステリであり良質のクリスマスストーリーでもあるノヴェラを、この季節に堪能あれ。
上條ひろみ
『黒い谷』ベルナール・ミニエ/青木智美訳
ハーパーBOOKS
十一月期はお久しぶりの作家の作品を何冊も読めてうれしかったし、どれもすばらしくおもしろかった。ローレンス・ブロックの『マット・スカダー わが探偵人生』(田口俊樹訳/二見書房)はなんとあの探偵マット・スカダーの自伝(スカダーは今年八十六歳!)だし、アンドリュー・クラヴァンの『聖夜の嘘』(羽田詩津子訳/ハヤカワ・ミステリ)は一風変わった方法で推理するユニークな探偵もののシリーズ第一作だし、南北戦争時代のルイジアナを舞台としたジェイムズ・リー・バークの『破れざる旗の下に』(山中朝晶訳/早川書房)はエドガー賞最優秀長編賞受賞作(三度め)だし。とくに本年度ベスト級ではという気がする『破れざる……』の戦争そのものとの戦いの虚しさ、どんな状況でも矜持を持ち続ける人間の気高さと愛の力、そして読んだあとのご褒美のようなエピローグが印象的でした。あと、復刊になりますが、忘れちゃいけないD・M・ディヴァインの『ロイストン事件』は、思わずうなってしまうような端正な作りの傑作本格で、クセ強キャラクターに翻弄されるのがたまりません。
そんな傑作揃い踏みのなかでわたしが推したい一冊は、ベルナール・ミニエの警部セルヴァズ・シリーズ第六弾『黒い谷』(青木智美訳/ハーパーBOOKS)。懐かしいキャラに再会できたり、謎のままだった問題に新たな展開があったりして、シリーズ読者には目が離せない、読み応えたっぷりの七百ページ越え大作です。もちろん独立した作品として読んでも楽しめますが、既刊をいくつか読んでおくとさらにのめりこめると思います。
八年前に行方不明となったかつての恋人マリアンヌからの突然の電話に導かれ、ピレネーの谷間にある村に向かったセルヴァズ。同じころその付近で陰惨きわまりない殺人事件が発生し、マリアンヌと関係があるのではと考えたセルヴァズも捜査に加わることになります。指揮をとるのはかつて協力して事件捜査をしたこともある憲兵隊大尉のイレーヌ・ジーグラー。このジーグラーがめちゃくちゃかっこいいんですよ。セルヴァズは高所恐怖症で閉所恐怖症で女性の色香に弱く、禁煙にも失敗しちゃうしあんまりかっこよくないのですが、ジーグラーとセルヴァズのブランクを感じさせないチーム感がすごくいいのです。どんな危険が待ち受けているかわからないこの世界で、自分はただ幸せになりたいだけなのだ、と願うセルヴァズ。不器用だけど憎めない人なんですよね。そんな彼が思いを吐露するクライマックスシーンに思わずうるっときます。
霜月蒼
『破れざる旗の下に』ジェイムズ・リー・バーク/山中朝晶訳
早川書房
どうしたことか。かつて11月はミステリランキングの集計直後ということで、翻訳ミステリ農閑期であったはずではないか。とんでもない豊作の11月、選んだのはアメリカ南部ミステリの重鎮ジェイムズ・リー・バークの久しぶりの邦訳作品にしてMWA最優秀長編賞受賞作である。
舞台は南北戦争の時代――というと腰が引ける読者がいるかもしれない。だが必要な知識は、まだ奴隷制が残るアメリカで北部と南部が熾烈な内戦を戦っており、歴やがて南部が敗北して奴隷が解放されることだけわかっていればいい。
南軍が敗色濃厚となった頃、暴虐な白人を惨殺したとして追われるアフリカ系の女性ハンナの逃亡劇を軸として、粗野だが高潔な巡査、奴隷解放の大義のために戦う北部の婦人、農場主の甥で貴族的な倫理観を持つ青年、残忍な賊軍の指揮官、狡猾な北軍の将校などが、集合離散をくりかえしつつ、暴力と非道の渦巻く南部で「正義」を貫こうとする物語である。誰もかれもが複雑に造型されており、純粋に「善」と言える者はいない。北部が善人というわけではないし、白人が悪とも言えない。そんな人物たちが順繰りに語り手を務めながら壮絶な旅をする。彼らの行きつくところはひとつだ。
名手バークは、鮮烈な場面をつなぐことで、そんな壮絶な物語を邦訳にして350ページ足らずの尺で見事に描き切る。2024年は南部小説の香りを湛える犯罪小説の傑作がいくつもあったが、本書はその真打ちかもしれない。汚れた世界の中で正義を貫こうとする人物たちに、原初のハードボイルドの姿を見ることも可能だろう。ちょっとコーマック・マッカーシーの風合いもあり、エピローグでのギアチェンジも相まって、神話的な普遍性をも漂わせる。ぜひお読みいただきたい。
ほか、筋肉質のジャズ・ノワール『ヴァイパーズ・ドリーム』と、前作の趣向を引き継ぎつつ薄気味悪さ増量の『アルパートンの天使たち』は、通常なら月間ベストにふさわしく、ファン必読の『マット・スカダー わが探偵人生』やグリシャム『告発者』などのベテランも素晴らしかった。ということで、全部読むといいですよ、というのが、私が今月言いたいことだ。
吉野仁
『破れざる旗の下に』ジェイムズ・リー・バーク/山中朝晶訳
早川書房
現在八十八歳になるジェイムズ・リー・バークの最新邦訳は、単独作『破れざる旗の下に』だ。南北戦争時代のルイジアナを舞台に、伯父の経営する農園で過ごす兵士、魅力的な黒人の女性奴隷、巡査の三人を中心に、章ごと視点人物を変えながら展開していく。ある農園主が何者かによって殺されたという事件が起こるものの、犯人探しの探偵小説ではなく、それぞれの人生模様がリー・バークならではの濃密な筆致により語られていく。南部という風土とそこで生き闘い自由を求める人々の姿、戦時下ならではの群像劇と読みどころに不足はなく、章が変わり語り手が交代することで、それまでの出来事の見方が変わったり深まったりするプロットの妙も加わり、三度目のエドガー賞最優秀長篇賞を受賞したのも納得する重量級の読みごたえだった。ベテランつながりでいえば、ことし八十六歳になるローレンス・ブロックの『マット・スカダー わが探偵人生』は、作者より二歳年下のスカダーが自身の人生を振り返り語っていくスタイルの一冊だ。題名こそ「わが探偵人生」とあるが、子供から警官時代を中心に、思いだすまま過去を語っているかのような感じで、しみじみと読まされた。 アンドリュー・クラヴァン『聖夜の嘘』、作者の本が邦訳されるのは21年ぶりだというのに驚いた。聖夜とあるとおりクリスマスストーリーには違いないものの、中身はクラヴァンらしく凝った展開で、最初の何章か読んだだけでとんでもないクセ球の異常心理をたどるだとわかり、ワクワクさせられた。これからポケミスで同じ主人公のシリーズが読めるのだとするとうれしい。ジョン・グリシャム『告発者』はとうぜんリーガルサスペンスながら、主人公が調べる相手は判事というのがミソで、女性調査官レイシーの活躍を描いたもの。前半、地道な捜査を重ねていくのかと思えば、とんでもない衝撃的な場面で目が覚め、あとは一気読みとなった。衝撃的といえば、〈セルヴァズ警部〉シリーズの最新邦訳であるベルナール・ミニエ『黒い谷』は、ピレネーの谷にある村で起こった陰惨な殺人からはじまる、あいかわらずこの作者らしい外連味にあふれた事件と展開によるもので、愉しんだ。ジャニス・ハレット『アルパートの天使たち』は、主人公は犯罪ノンフィクション作家で、カルト教団信者の遺体が見つかった事件の取材をはじめたところ……という物語で、前作『ポピーのためにできること』と同様、メール、チャット、ニュース記事などの文章で構成された、近年流行の一種の疑似ドキュメンタリー作品だ。ジェイク・ラマー『ヴァイパーズ・ドリーム』は、ミュージシャンになることを夢みながらも果たせずニューヨーク・ハーレムの裏社会でうごめくようになった青年のジャズと恋と血に彩られた人生をたどる物語。実在のミュージシャンが登場し、1960年代ハーレムのナイトライフにおける狂騒がのちに見せる闇の深さを際立たせている小説である。ダヴィド・ラーゲルクランツ『記憶の虜囚』は、〈レッケ&バルガス〉シリーズの第二作で、今回は失踪したのち遺体で見つかった女性が、ある写真に写り込んでいたため、じつは生きているのではないかとの疑いがもちあがり、警官ミカエラがレッケとともに捜査するというストーリー。ラストで派手な展開が待ちかまえている。C・J・レイ『ロンドンの姉妹、思い出のパリへ行く』は、第二次世界大戦に従軍した、九十九歳と九十七歳の姉妹にパリで勲章が授与されることになるという話で、戦時中の体験がまじえて語られるのだが、人を喰った意表をつくユーモラスな展開をいろいろと含んでいるので油断ならない。とても愉しく読んでいった。南派三叔『盗墓筆記 Ⅱ』は、シリーズ邦訳第二作で、こんどは樹海に眠る青銅の巨木の謎をめぐる冒険が展開されていく。主人公らに次から次へと危機が襲いかかり、一難去ってまた一難という感じで、前回よりもふざけた部分が抑えられているようで、その分、冒険の迫力が増して、より面白く、続きが待ち遠しい。最後に、個人的にはこれをベストにしてもいいほど気にいったのは短編集のイヌ・ソヌ『光っていません』。自分そっくりな幽霊があらわれて一緒に暮らす話だったり、人間をクラゲにしてしまう新種のクラゲが発生した世界の話だったり、ワンルームマンションの元の住居者である恋人に会いたくてその場に根をおろし木になってしまった男と同居する羽目になった女性の話だったりと、いずれも奇妙な話ばかりなのだが、出てくる人物みな生と死の境やその人の輪郭があいまいで、ずっと場違いな仮の場所にいる感じがして、それがなにかとても切なくて、読み進めるごとに感じ入ってしまった。
酒井貞道
『聖夜の嘘』アンドリュー・クラヴァン/羽田詩津子訳
ハヤカワ・ミステリ
湖畔の街で彼氏が彼女を殺害する事件が発生した。逮捕された容疑者に付いた弁護士は、事件に違和感を覚え、主人公に調査を依頼する。これだけ見ると何やら陰鬱な物語に見えるが、読んでみるとクリスマス・ストーリーに変容していくのだ。ポイントは、まず主人公キャメロンの人物造形である。彼は文学の大学教授である。つまり素人探偵なのだ。しかも、報道を見て様々な事件に勝手に首をつっこむのだという。つまり、通常時は傍迷惑な素人探偵なのである。では浮付いた人物なのかというと違う。本人は常に物悲しさを感じていると主張していて、実際、彼の視点では地の文も落ち着いていて、会う人、彼らとの会話、見た情景にしんみりと感慨に耽るのが常である。そんな彼が、田舎町で丹念に事件を調べる様が、クイクイと小気味よいテンポで描かれていく。その過程で立ち現われる事件の実情は、結構意外なものだ。しかも後味が良い。むろん失われたものは取り戻せないし、100%のハッピーエンドを迎えるわけでもない。事件内容からしてそれは当たり前です。しかし紛れもなく、美しいクリスマス・ストーリーとしか言いようがないのである。この情感美の前には、アンドリュー・クラヴァン(キース・ピータースン)の20年振りの翻訳刊行といった対ベテラン読者向けの売り要素すら、正直どうでも良いです。ちょうど時季も合っているので、クリスマスの読書に是非。家族や恋人と過ごすのに忙しい? 結構薄くてサクッと読めるので、空き時間で行けるはずです。
杉江松恋
『マット・スカダー わが探偵人生』ローレンス・ブロック/田口俊樹訳
二見書房
初めて読んだマット・スカダーは『暗闇にひと突き』だったと記憶している。小鷹信光によってネオ・ハードボイルドと紹介された括りの一人として勉強のために読んだ。そこから『八百万の死にざま』に行ったところで二見文庫の刊行が始まり、という流れだったはずだ。そこから三十年以上ずっとこの探偵と、ローレンス・ブロックの物語に付き合い続けてきた。もしかするとそれが訳者・田口俊樹との出会いだったかもしれない。いや、きっとそうだろう。
本作をもってマット・スカダーの物語には幕が下ろされると思う。最初は違っていたが、シリーズを書いていく中でブロックは主人公の年齢を自分と同世代に引き上げる選択をした。だからスカダーは1938年生まれの作家とほぼ横並びである。さすがにもう老優を舞台に引き出そうとはしないだろう。ブロック自身も、もう長篇を書くことはないかもしれない。その別れの場面に今立ち会っている。
本作は小説内の登場人物であるマット・スカダーによる自叙伝という形式の作品だ。珍しい小説で、あまり先例は思いつかない。ブロックに執筆を勧められたスカダーはぶつぶつとこぼしながら自らの生い立ちを綴っていく。時折ブロックからつっこみが入るのが可笑しい。「おい、スカダー。そんなこと一度も話してくれてなかったじゃないか」と。物語の遊びが充溢した楽しい作品であると思う。スカダー・シリーズが未読でも、この一冊から手に取ってみてもいいのではないか。誰かの語りに耳を傾けるのが好きな人には絶対にお薦めできる。
断っておくと、本作はミステリーではない。謎は存在しないからだ。ただし、犯罪小説ではある。スカダーが警察官になり、職を辞すまでの物語だ。彼がその中で何を考えたかが綴られていき、犯罪とは何か、犯罪者とは何者か、では警察官とは何なのか、という思惟がくだけた言葉で語られる。その語りは犯罪小説の本質を見事にとらえており、目を見開かされる箇所がいくつもあった。スカダーとブロックが、長い長い旅路の果てに越し方を振り返り、自らの成し遂げたきたことを総括する。単なる感傷だけでそれを受け止めるにはあまりに重く、もったいなく、私立探偵小説がこの世に存在することの意味を考えながら玩味しつつ読んだ。そういう小説である。
11月としては珍しく豊作になりました。ブロックをはじめとして、クラヴァンやバークなど懐かしい名前が並んだのが印象的です。これは早めのクリスマス・プレゼントでしょうか。また次月、2025年にお会いしましょう。どうぞよいお年を。(杉)
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