昨年下半期は忙しさにかまけて連載を休載してしまいました。今年は本業と副業に時間と気力をバランスよく振り分け、中国のミステリー小説等を紹介したいと思います。

 復帰直後の記事で何を取り上げようと考えていたところ、昨年12月に中国の大手レビューサイト豆瓣で2025年度国内外ミステリー・サスペンス小説ランキングが発表され、夕木春央の『方舟』が1位を取るという出来事があったので、まずは1位から10位を見てみましょう。

 

 

1位  夕木春央『方舟』

2位  リチャード・オスマン『木曜殺人クラブ The Last Devil to Die』(未邦訳?)

3位  雨穴『変な家2 ~11の間取り図~』

4位  呼延雲『鬼笑石』

5位  ミック・ヘロン『Spook Street』(未邦訳?)

6位  伊坂幸太郎『777 トリプルセブン』

7位  北村薫『夜の蝉』

8位  山白朝子『小説家と夜の境界』

9位  荒木あかね『此の世の果ての殺人』

10位  葉真中顕『そして、海の泡になる』

 

 このランキングは2024年末~25年に中国で出版された作品を対象にしたもので、中国作品も当然対象内なのですが、海外作品で9枠が埋まり、そのうち7作品が日本の小説となっていることから、この分野での日本の強みが感じられる内容になっています。そんな中、中国の作品として唯一ランクインしているのが4位の呼延雲『鬼笑石』です。

 

『鬼笑石』は作者と同姓同名の名探偵・呼延雲が活躍する呼延雲シリーズの10作目となる作品で、25年の中国ミステリーを代表する一冊でもあり、ランキングに入ったことからもわかるように中国の読者に高く評価されています。

 今年最初の記事には、昨年の話題作となった本書を取り上げます。

 

50年前の因縁と怨霊

 この作品はいろいろな意味で大作です。まずは分量。呼延雲シリーズは新作のたびに分厚くなっていましたが、10作目にしてついに上下巻の2冊に分かれました。私は作者と同じ北京在住であるため、サイン会などで作者と言葉を交わす機会があり、数年前に本の厚さについて聞いたことがあります。そのときに「これ以上ページ数が増えて上下巻になったらコストも価格も上がる」と聞いていたので、作品はできる限り一冊に収めるのだと考えていました。だからこの増量は、2冊になって価格が高くなっても売れると出版社側が判断したゆえかもしれません。

 もう一つの要素は歴史です。本作は名探偵呼延雲の学生時代(1990年代)に起きた未解決事件の因縁が現代(2010年代)まで及び、さらに近代(1960~70年代)中国の国家事業も絡むという大河ドラマじみたスケールで進みます。

 あらすじを紹介しようと思いましたが、全2巻の作品を簡潔にまとめるのは困難です。ちょうど本作は時系列に合わせて第1部から第5部まで分かれているので、あらすじも五つに分けます。

 第1部は1990年代、北京郊外にある香山の鬼笑石付近で若い男女の死体が見つかります。亡くなったのは呼延雲の同級生の劉恋という少女と、付近で商売をする閆虎という少年で、年齢はどちらも17歳。現場が山火事に遭ったためろくな物証も残っていなければ目撃者もおらず、劉恋の所持品にあったナイフから持ち主の呼延雲が容疑者として上がります。呼延雲は警察のこじつけで犯人に仕立て上げられそうになりますが、自らの推理や知人の高紅軍の手助けによって冤罪を晴らし、難を逃れます。一方、劉恋と仲が良かったことから疑われていた同級生の張振宇もアリバイが証明され、状況証拠によって、劉恋を殺したのは閆虎であり、彼女の反撃に遭って彼も死んだという結論で捜査は幕引きとなります。しかし閆虎の母親である孫萍はその結論に納得せず、張振宇こそ真犯人だと信じて彼を襲撃し、それからも執拗に彼を付け狙うことになります。

 第2部は時間がぐっとさかのぼった1960年代。若い頃の高紅軍らが登場し、北大荒と呼ばれる中国東北部の痩せた大地を知識青年たちが開墾するという血と汗と涙の物語が始まります。この北大荒の開墾は史実であり、作者が大量の文献を読み込み、関係者に話を聞いたおかげで真に迫る内容になっています。

 第3部は中国初のオリンピックを控えた2000年代。医療系記事の記者となった呼延雲が違法売血村に潜入取材を試みたところ、グレーゾーンの売血会社を経営するかつての同級生・張振宇と秘書・袁塋と再会します。張振宇は呼延雲の記事が原因で売血業がピンチになるばかりか、仲間のはずの袁塋の裏切りに遭います。劉恋の親友だった袁塋が息子の冤罪を信じる孫萍に同情して彼女に協力し、ついに張振宇が当時現場にいたという決定的証拠を発見してしまうからです。しかし袁塋は山小屋で死体となって見つかります。警察は事故死と判断、その後、張振宇が組織的売血の罪を認めて刑務所に入り、呼延雲は二人の旧友を失ってしまうのでした。

 第4部は1970年代の北大荒。高紅軍らの担当エリアで大規模な山火事が起き、消火に当たった12人の若い女性が亡くなり、収穫物の大半も焼失してしまいます。以降、高紅軍は犠牲となった彼女らが烈士として認定されるよう、孤独な戦いを続けることになるのでした。

 第5部は2010年代の現代。何人ものクラスメートを失った呼延雲は鬼笑石の事件を諦められず調査を続け、解決の糸口が北大荒にあると考えて現地に向かいます。そこで当時の関係者から事情を聞き、孫萍が実は北大荒で開墾作業に当たった知識青年だったことを知ります。彼女はなぜ仲間である高紅軍と再会しても正体を隠したのか、そこには時代に翻弄された一人の女性のあがきがありました。そして呼延雲は20年、いや50年続く因縁にケリをつけるために鬼笑石へ戻ってとある人物と対峙します。

 

 4分の1は蛇足か必須か

 事件が起きるのは鬼笑石ですが、遠因が北大荒にあるせいで作中の時空と場所が二つに分かれています。90年代から始まった物語が次の章で突然60年代に飛び、メインキャラの呼延雲らが出てこない北大荒パートが始まったとき、脳裏に島田荘司の『最後の一球』が浮かびました。その作品は悪徳金融会社で起きた事件からいきなり一人の野球選手の半生に話が移って、しかし二つの物語が最終的に交差する内容でしたが、私の友人は当時、それを「島田先生は一つのトリックを出したいがために長い物語をこしらえた」と評していました。本作を読んだ感想もまさにそれで、トリックの説得力を高めるためだけに北大荒のエピソードを全体の4分の1も入れたのかと感心しました。

 北大荒パートは中国でも賛否両論あります。むしろ作品の賛否が集中しているのが第2部と第4部だと言うべきでしょう。北大荒の寒々しい大地を果敢に切り開く中で自らの貴重な時間、ひいては生命すら犠牲にした青年をよく書けていると褒める人がいる一方、推理パートとの関連が薄いのでは?と疑問を呈する人もいるという具合です。

 北大荒パートは推理パートにとっても無駄ではありません。真犯人にとって、そこでの経験が何十年後に鬼笑石でのトリックに活かされているわけですし、厳しい大自然と国家の板挟みに遭って人として当たり前の生活ができなかった真犯人が、人間らしさに拘泥した挙げ句、自分のためなら他人を傷つけられるモンスターとなってしまったという皮肉を描けています。しかし、北大荒パートの主人公であり、物語の重要人物である高紅軍が事件とあまり絡めていないまま退場してしまったのは、作劇上もったいないです。

 本作は40万文字の分量を誇る大作ですから、上述した長いあらすじには収められない人物やエピソード――高紅軍の他の仲間とか紅楼夢の解釈とか――がまだまだたくさんあります。しかし、それらは果たして鬼笑石の事件発生から解決に至る長い過程の中でうまく処理できていたのかと考えると、少し疑問です。

 本作には長いゆえにアラも目立つというデメリットが存在します。ただし、十分な長さがなければ、国家事業である北大荒を犯罪の間接的要因として描けなかったでしょう。つまり、減点方式なら失格、一芸入試なら余裕で合格という評価になるのです。

 

・中国近現代史を再体験

 これを書いている間、辻真先『アリスの国の殺人』や久永実木彦『天国には行けないかもしれない』などを翻訳した中国の翻訳家兼小説家の木海氏が独自に製作した2025年度中国ミステリー小説ランキングが発表されました。作家、評論家、編集者、大学ミス研会長など46人のミステリー業界関係者からアンケートを集め、中国ミステリー、翻訳もの、未翻訳の3部門に分けられたランキングにおいて、『鬼笑石』は中国ミステリー部門で圧倒的な1位を獲得。業界関係者の同作に対する信頼が伝わってきます。

 

(参考:https://www.douban.com/note/878900843/?start=0#76524643&_i=9171008YokW67L)

 実は私も声をかけられて参加したのですが、『鬼笑石』には投票していません。その理由は、自分の採点が減点方式だったということが大きいのですが、推理にはともかく物語には重要な北大荒パートにハマれなかった自分に評価は不可能だと考えたからです。

 本作は呼延雲という一人の中国人が中国近代史を学び直す過程を丁寧に描いた作品でもあります。

 1990年代、十代の呼延雲は過去にどれほどの若者が北大荒で過酷な労働に当たっていたかを知りませんでした。

 2000年代、社会に出た二十代の呼延雲は北大荒の過去を引きずる高紅軍に対し、あの労働は無意味だったんだから忘れろと諭します。

 2010年代、大人になって歴史を学んだ呼延雲は、北大荒で貴重な青春をすり減らした知識青年たちを「時代の犠牲者だった」と訳知り顔で理解することを避けます。

 北大荒パートを取り上げて、本作を「傷痕文学」だと評価する読者も少なくなかったです。「傷痕文学」とは主に文化大革命時代の悲惨さを訴える小説で、同じく苦難に満ちた北大荒もまた同ジャンルの題材になり得るのでしょう。しかしこれならなおさら推理小説としての評価が難しくなります。

 本作が中国で人気を博した以上、似たような小説、要するに「傷痕文学+推理」という形式の小説は今後も出るはずです。そうなれば中国の出版社も海外へ売り込むことを考えるでしょう。日本では、中国の社会派ミステリーとして陳浩基の『13・67』が、歴史ミステリーとして馬伯庸『両京十五日』などが受け入れられてきました。ですが、本作のように近現代を舞台にした作品を受け入れる下地はあるでしょうか?

 本作が中国ミステリーの翻訳においてエポックメイキングとなったら……と、いち翻訳者として考えさせられました。

 

 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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