今回から名称が変わって「どくミス!」となった翻訳ミステリー読者賞は、例年よりも少し遅めの開催で、四月中に投票、五月に開票イベントというスケジュールになります。対象はこれまでと変わらず、二〇二四年一月から一二月の間に刊行された作品となりますので、投票の始まる四月までの間、対象期間内の作品がまだまだ読める! というわけで三月までは、この一年間に刊行された作品を振り返って、「これ!」という作品を紹介していきたいと思っています。
まずは昨年一月刊行、ハビエル・セルカス『テラ・アルタの憎悪』(白川貴子訳 ハヤカワ・ミステリ)を取り上げます。二〇二三年、CWA賞の翻訳部門で最優秀賞を受賞した、スペイン発の警察小説です。
カタルーニャ地方の田舎町テラ・アルタでいちばんの老富豪夫妻が、自宅で何者かによって惨殺されているのを発見されるところから物語は始まります。テラ・アルタ署に赴任して四年になるメルチョール・マリンは赴任初日、赴任からずっとコンビを組んでいるサロームから言われた「テラ・アルタでは事件など起こらない」という言葉を思い出していました。
遺体はまるで拷問にでもかけられたかのように激しく損壊していたのですが、田舎町の経済を支え続けてきた名士が、なぜそのような目に遭わねばならなかったのか。捜査は混迷を極め、上層部はやがて打ち切りを決定します。しかし、独特な正義観を持つメルチョールはこの決定に承服できず、上司や同僚の目をかいくぐって独自捜査を続行するのです。
母親は娼婦、父親が誰なのか定かではないという境遇で生まれ、麻薬カルテルの一員として十代を過ごしたメルチョールには、実刑を受けて服役するという過去がありました。その刑務所のなかでメルチョールは、ある服役囚から読書の楽しみを教わります。とりわけ夢中になって読んだのが『レ・ミゼラブル』で、刑務所を出てからも繰り返し読み続けるほどこの作品に傾倒していました。そのなかでも、ジャン・バルジャンをしつこく追いかけるジャベール刑事の行動を読むにつけ彼のなかには「悪は必ず罰せられなければならないし、そのための行動が傍目には悪に見えたとしても、それは誰かが必ず引き受けなければならないことなのだ」という思いが植え付けられていきます。彼の独特な正義観は、『レ・ミゼラブル』のジャベールによって育まれたものなのです。そこから彼は、獄中にいながらにして刑事の道を目指します。服役囚が刑事になる。日本であればそんなことはまず不可能でしょう。しかしスペインではなんとかなるようで、母親が依頼した弁護士、ドミンゴ・ビバレスの協力もあり、メルチョールは早期釈放になったばかりか刑事になることもできたのでした。
彼の正義を貫く態度は、やがてバルセロナで起こったテロ事件の犯人グループ四人を射殺するという形で表れます。そして過激派の報復を恐れた警察は、彼をバルセロナから田舎町のテラ・アルタに異動させるのでした。それから四年経ち、彼はいま、資産家老夫婦の惨殺事件に遭遇することになったのです。
殺人事件とメルチョールの出自という二本柱で描かれた、ちょっと文学的な香りも漂ってくる、他とは違う趣のあるミステリーです。これが三部作の一作目ということで、このあとメルチョールの正義がどのように変化していくのか、二作目以降も期待しておきたいところです。
続いてはP・ジェリ・クラーク『精霊を統べる者』(鍛治靖子訳 東京創元社)をご紹介します。ネビュラ賞、ローカス賞など四冠を獲得した歴史改編SFです。
舞台は二十世紀初頭のエジプト。十九世紀後半、伝説の魔術師アル=ジャーヒズが異世界に通じる穴を開いたことから、ジンと呼ばれる精霊たちがこちらの世界に現れるようになり、世界は一変しました。そんな中、エジプトはいち早くジンと協定を結ぶことにより、ジンの魔法と科学を融合させることに成功、エジプトは欧米諸国と相並ぶ強国となっていくのでした。しかしジンとの共存は、エジプトに繁栄をもたらすばかりではありません。さまざまな神信仰や神秘主義もまた生まれていたのでした。
アル=ジャーヒズ秘儀友愛団は、精霊たちをこの世に呼び入れた伝説の魔術師アル=ジャーヒズに心酔する者たちの集団でしたが、あるとき、結社のメンバーが集まったところに黄金の仮面をつけた謎の人物が現れます。自分こそがアル=ジャーヒズであると名乗るその人物は、そこにいた結社メンバーをすべて殺害し姿を消したのでした。
この事件を担当することになったエジプト魔術省エージェントのファトマは、魔術省のアカデミーを若干二十歳で卒業し、その後たった二年で特別調査官になったエリートです。エージェントのユニフォームを着用せず、スーツに山高帽とステッキという出で立ちで現場に入り単独行動を好むという上司泣かせのエージェントですが、その実力は折り紙付き。アカデミーの教科書に載るような難事件を解決した経験の持ち主です。
単独行動を好むファトマに、上司が相棒として指名したのが、新人エージェントのハディアです。頭脳明晰で体術に長けており、新人らしい初々しさでファトマをサポートします。
そしてもう一人、ファトマの恋人であるシティも、この事件に大きく絡んできます。シティもまた身体能力に優れており、過去にはファトマと組んで事件を解決したことがあるようです。
アル=ジャーヒズが開けた穴によって一変した世界は、人類とジン以外にも天使や屍食鬼(グール)などが存在していて、まさに混沌という言葉がふさわしいような状況ですが、そんななかで世界に秩序をもたらすべく作られたのが魔術省でありエージェントであると言えるでしょう。人ならざる者が跋扈し、超常現象が日常茶飯事となった世の中でファトマたちがやっているのは、さまざまな人に話を聞き物証を探し容疑者を推理し……という警察小説のようなオーソドックスな捜査であり、まるでバディものの警察小説のような趣もあります。このあたりが、ミステリー読者にもオススメしたい所以です。
細部までしっかり作り込まれた世界観や、敵味方関係なく生き生きとした筆致で描かれるアクションと超常現象の数々が読む人を圧倒し、鮮烈な読書体験をみなさんに与えてくれるでしょう。二〇二四年を代表するエンターテインメント作品だと言っても過言ではありません。まだの人は是非お手に取っていただきたいと思います。
さて、冒頭で触れました、翻訳ミステリー読者賞改め「どくミス!2025」ですが、改めて概要を説明しておきます。
「どくミス」とは、読者が選ぶ翻訳ミステリー大賞の略で、翻訳ミステリーを好きな人であればどなたでも投票できるアワードです。この一年間に刊行された作品のなかで、あなたがいちばんおもしろかった! と思う作品に票を投じてください。今年はそんなに読めなかったからと投票を躊躇することはありません。あなたの手に取ったたった一冊の翻訳ミステリーがおもしろかったのなら、ぜひその作品に投票してください。順位もさることながら、この投票によってまだ知らない作品と出会えることを、わたしたちは楽しみにしているのです。
「どくミス!2025」開催要項
◇対象となる作品
2024年1月1日〜12月31日に刊行された翻訳ミステリー小説
【注意事項】
・国内もの、ノンフィクションなどの小説外作品は【対象外】
・既刊の文庫化および復刊は【対象外】
・対象期間かどうかの判断は奥付にて
・新訳、改訳は【対象】
・紙版と電子版の刊行日に差がある場合は、紙版刊行の日付に従う
・複数巻で刊行が年をまたぐ場合は最終巻刊行年の対象とする
◇投票方法
Googleフォームによる投票とする
・フォームURLはのちほど公開
・投票者は有効なメールアドレスが必要(投票のコピーを自動返信するため)
・携帯電話メールアドレスからの投票可(google.comからのメールが受信できるようにしておくこと)
・いただいたコメントは、結果発表イベントやサイトなどでご紹介させていただく場合がございます。あらかじめご了承ください。
◇投票受付期間
2025年4月(時期が決まったら改めてお知らせします)
◇結果発表
2025年5月 YouTubeの配信にて
詳細は後日お知らせいたします。
あなたの一票をよろしくお願いいたします。
大木雄一郎(おおき ゆういちろう) |
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