書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
この連載が本になりました! 『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011-2020』(書肆侃侃房)は絶賛発売中です。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
川出正樹
『17の鍵』マルク・ラーベ/酒寄進一訳
創元推理文庫
ここ数年ギヨーム・ミュッソやミシェル・ビュッシ、ジェローム・ルブリなど読者を手玉に取る曲者が相次いで紹介され人気を博してきたフレンチ・ミステリと比べて、ややおとなしかった感のあるドイツだけれど、久々にエンターテインメントのツボを心得た、生きが良くってワクワクさせてくれる作家が御目見得だ。
《刑事トム・バビロン》シリーズでベストセラー作家となったマルク・ラーベのシリーズ第一作『17の鍵』は、日曜の早朝にベルリン大聖堂のドームから吊り下げられた惨殺死体を、疚しい秘密を抱えた大聖堂付のオルガン奏者が発見するシーンで幕を開ける。まるで黒い天使のように牧師の祭服姿で両手を広げて地上十メートルの高さに浮かぶ女性説教師。通報を受けて駆けつけたトム・バビロン上級警部は、死体の首に架けられた鍵を見て慄然とする。それは二十年近く前の十四歳の時に、仲間と共に見つけた死体の近くにあった鍵とそっくりだったのだ。しかも発見の翌日、トムの妹ヴィーはカバーに“17”と刻まれたその鍵を持ち出したま失踪してしまった。それがなぜ今になって現れたのか。事件を解決することが妹の発見に繋がると確信するトムは捜査にのめり込み、やがてベルリンの壁崩壊以前へと遡る歴史の暗部へと足を踏み入れることになる。
独断専行型のトムのお目付役を担わされる臨床心理士ジータだが、彼女もまた深い闇を抱えている点がミソ。共に秘密があることを公言し合い、相手を鬱陶しく思いながらもバディを組まざるを得ないトムとジータ。二人の関係が醸し出す緊張感は、東西冷戦時代の亡霊が見え隠れする連続猟奇殺人事件の謎を、東ベルリン生まれのコンビが追うというプロットと相まって終始サスペンスを持続させ、ページを繰る手が止まらない。酒寄進一氏の訳者あとがきによるとシリーズ四作を通じて判明する真相もあるということで、二月刊行の『19号室』はもとより、残り二作の翻訳が今から待ち遠しい。
酒井貞道
『エージェント17』ジョン・ブロウンロウ/武藤陽生訳
ハヤカワ文庫NV
スパイというよりはエージェント、もっと言えば殺し屋を題材としたアクション小説である。アメリカの諜報機関の最高の殺し屋には、代々ナンバリングが付され、主人公ジョーンズはその17番目に当たる。よって彼は17と呼称されている。このトップ・ヒットマンは原則として死んだら代替わりするが、17の先代16は行方不明(たぶん逃げた)となって消えた。17とは面識がない。今回17に下された命令は、16を探して抹殺せよというものだ。
17ことジョーンズの一人称による、ユーモアとペーソスに満ちた饒舌な地の文がまず楽しい。殺し屋に身をやつすぐらいだから彼の過去も訳ありで、これが彼独特の語り口で徐々に明かされていくのも胸に沁みる。これに、波乱万丈な追跡劇と雑多なエピソード(「熊だ。」の一行には笑った)が乗る。ターゲットである16ことコンドラツキーが味のある魅力的中高年なのもワクワクさせられるし、この手の話でなぜかキャットという女性が主要登場人物に食い込んでくる経緯も面白い。諜報機関の走狗である以上、隠された陰謀、国家レベルに行くか行かないかの思惑交錯などはあるし、17の仕事は一応国のための仕事ではある。しかしこれらはマクガフィンに過ぎず、深く捉える必要はない。難しいことを考えず、17と16の対決、アクション、行動計画、個人的過去語りを思う存分堪能して欲しい。これはそういう本です。楽しいですよ。
千街晶之
『罰と罪』チャン・ガンミョン/オ・ファスン訳・カン・バンファ監訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
一月は台湾やドイツといった非英語圏のミステリが立て続けに刊行されたが、中でも印象的だったのは、『韓国が嫌いで』『極めて私的な超能力』などが邦訳されている韓国の作家チャン・ガンミョンの大作『罰と罪』。この小説には主人公が二人いる。一人は、二十二年前にソリムという女子大生を殺害した犯人「わたし」。計画犯罪ではなかったにもかかわらず警察の捜査から逃げ切って今も自由の身の「わたし」は、一人称で独自の哲学を披露する。もう一人は、ソウル警察庁の強行班捜査一係に配属して間もない新米刑事ヨン・ジヘ。彼女は、何とも捉えどころのない班長や、個性豊かな班の仲間たちとともに、二十二年前の事件の再捜査に取りかかる。遺体に残されていた体液、被害者のマンションの防犯カメラに映っていた男の姿などの手掛かりがあるにもかかわらず、「わたし」はどうやって逮捕を免れてきたのか? 再捜査の進行とともに、被害者ソリムと、彼女を取り巻く男女の歪な関係が浮上する。邦題から窺えるようにドストエフスキーの『罪と罰』を意識した小説で、特に犯人の独白にはドストエフスキーの引用が頻出する。新保博久と法月綸太郎の往復書簡『死体置場で待ち合わせ』を読んで、ミステリに対するドストエフスキーの影響について考えていたところだったので、その点がことのほか興味深かった。一方で、一昔前の韓国映画では必ずと言っていいほど間抜けまたは悪徳集団として描かれていた警察とは違う、現在の韓国警察のリアルな捜査が詳細に描かれているのも読みどころで、日本の警察小説に似た味わいも感じる。
上條ひろみ
『エージェント17』ジョン・ブロウンロウ/武藤陽生訳
ハヤカワ文庫NV
一月は『エージェント17』と『17の鍵』の〝17対決〟でした。どちらもリーダビリティ抜群の徹夜本で甲乙つけがたいのですが、語りのおもしろさでジョン・ブロウンロウ『エージェント17』(武藤陽生訳/ハヤカワ文庫NV)かな。CWA賞スティール・ダガー賞を受賞作です。
殺しのエージェントの名は17(セブンティーン)。なぜ17かといえば、彼よりまえに16がいたから。1から15までは全員故人で、自然死した者はいないが、16だけはある日突然姿を消して引退したことになっている。ベルリンで仕事を終えた17に、ハンドラーが告げた次のミッションは、その16を消すこと。若い17と初老の16、新旧トップスパイ同士の戦いは、いつしかふたりを巻き込んだ陰謀との戦いになっていく。
16がこれまでのミッションをネタに小説を書いていたこと、彼がド田舎に居を構えた理由、17の悲しい生い立ち、映画のようなめまぐるしい場面転換(著者はもともと脚本家)、ハードなアクションとリーサルな知恵比べ、度胸のある魅力的な女たち、そして17による一人称の語り口のテンポ感と適度な軽さと減らず口具合が最高。殺人兵器のような16や17が、実はすごく情に厚くて、その温度差にやられます。続編には「18」が登場するみたいですよ!
マルク・ラーベ『17の鍵』(酒寄進一訳/創元推理文庫)はドイツ・ミステリの新シリーズ。
ベルリン大聖堂で丸天井に吊り下げられた女性牧師の死体が発見され、その首には、カバーに「17」と刻まれた鍵がかけられていた。現場でそれに気づいたトム・バビロン刑事は激しく動揺する。十九年まえに失踪した十歳のヴィオーラが同じものを持っていたからだ。
妹を見つけることに執念を燃やすトムは、女性臨床心理士ジータ・ヨハンスと行動を共にすることになる。突っ走りがちなトムとアルコール依存症歴のあるジータ。意外な組み合わせのふたりが信頼関係を築いていく過程が読ませる。ふたりともベルリンの壁崩壊まえの東ドイツで生まれていて、訳者あとがきによると、ジータの抱える闇は二作目で明かされるとか。早く読みたい!
韓国の骨太な警察ミステリ、チャン・ガンミョンの『罰と罪(上下)』(オ・ファスン訳、カン・バンファ監訳/ハヤカワ文庫HM)もオススメ。コロナ禍後の2022年、ソウル警視庁強行犯捜査一係は、22年前の女子大生殺人事件を再捜査することになる。チーム班長のチョン・チョルヒの指揮のもと、新米刑事ヨン・ジヘたちは関係者からもう一度話を聞き、丹念に捜査と推理を重ねていく。ヨン・ジヘのキャラは普通すぎてちょっと物足りない気もするけど、先輩刑事たちをリスペクトし、先輩たちのほうもジヘを同志として扱っていて、若い女性刑事に対するいじめやからかいは皆無なのでストレスなく読めます。むさくるしいおじさんなのになぜかみんなから一目置かれているチョン班長(コロンボ警部タイプ)の存在感も大きい。
霜月蒼
『戦車兵の栄光』コリン・フォーブス/村上和久訳
新潮文庫
1940年、フランス内陸に1輛だけ取り残されてしまったイギリス軍の戦車。そこはドイツ軍の支配下のただ中で、同戦車に乗り組む4人の戦車兵たちは、随所で出くわすドイツ兵や車輛、空を駆ける敵機からの爆撃、敵のスパイや戦場の略奪者などを時にやりすごし、時に対決しながら、友軍との合流をめざして敵中突破の「単騎行」を敢行する――
A地点からB地点への命がけの移動という冒険小説のド正統、太い骨がシンプルに冒頭から結末までを貫き、余計なプロローグもエピローグもない潔さ。それもそのはず、1969年という戦争冒険小説の黄金時代の作品。その正統の良さを存分に堪能できる。圧倒的不利の中で、敵の監視をかいくぐって逆襲する知略という知的アイデアも惜しみなく投入されているのもいい。
けれど最大の魅力は、冒険小説の中核のひとつというべき「旅」の物語としての滋味かもしれない。なだらかに波打つフランスの地方の野原を一台きりの戦車が往く。途中の村は打ち捨てられて人影はなく、敵機が空を横切り、遠くに戦火の煙が幾筋があがり、夜には川のそばで眠る。フォーブスの風景描写は実に見事で、これがあるからこそ、難民の列を機銃掃射が切り裂く場面や、破壊された町の描写が痛切に迫ってくるのである。現代的なスピード感には欠けるが、正統派のビストロ料理を安心して戴くような満足感がある。
最後まで迷ったのはオフビートな謀略アクション『エージェント17』。これはまさに対極。スピーディでコンテンポラリーで少しファンタスティック。
吉野仁
『17の鍵』マルク・ラーベ/酒寄進一訳
創元推理文庫
最初『17の鍵』の概要を知ったとき、映像化を念頭にして書かれたかのような派手な劇場型犯罪から幕をあけ、その猟奇的事件をふたりの刑事が追う物語ということから、フランスでジャン=クリストフ・グランジェ『クリムゾン・リバー』が登場したときと似ているな、と思ったものだが、主人公の刑事トム・バビロンは旧東ドイツ出身者であり、過去の悲劇から負った妄執をかかえるという人物像など含め、とうぜんのことながらグランジェとはまた違ったスリラーとしてぐいぐいと読ませていく(もっとも事件が自身の過去と通じているという面では、グランジェの別の作品を連想したものだが)。ともあれベルリンが舞台であるということが重要なのだ。第一作を終えてもまだ解決されていない謎が残り、〈刑事トム。バビロン〉シリーズ四部作すべて刊行されるのが待ちどおしい。そして偶然ながら、もうひとつ題名に「17」とつく『エージェント17』があり、こちらもまずベルリンのシーンから始まる。殺しのプロフェッショナルが登場するスパイもの風な話であるばかりか、なにかそうしたジャンルを茶化すかのように「君」に向けてひょうひょうと話す語り口が特徴的なスリラーだ。しかしながらCWA賞スティール・ダガー賞を受賞しただけあって、さまざまな企みや面白味がそこここに潜んでおり、一筋縄ではいかない大風呂敷話が出来上がっている。そして、あっと声が出るほど驚いたのが、ロバート・ベイリーの新シリーズ第1弾『リッチ・ブラッド』だ。看板弁護士と呼ばれる主人公チッリをはじめ、いかがわしさにあふれた連中が次から次へと問題を抱えながら登場する、いかにもアメリカ南部らしいリーガルものかとおもいきや、アルコール依存症から立ちなおりかけた男が夫殺しの疑いをかけられた姉を救うことで再起を果たそうとする熱いヒーロー物語でもあり、しかしそれだけに終わらず……という小説で、こちらも続くシリーズがたのしみだ。これも今月のベストにしたかった。コリン・フォーブス『戦車兵の栄光 マチルダ単騎行』は、イギリス軍のバーンズ軍曹らが戦車マチルダとともに孤立無援のなか、敵軍はもちろん、数々の障害や困難、仲間の死をのりこえ闘っていくというまさに冒険小説の王道を行く本格的な戦争もの。いやこれだって今月のベスト級の手応えだ。『西遊記事変』は、あの『両京十五日』の作者、馬伯庸が裏側から「西遊記」を書いてみせた異色作で、岩波文庫『西遊記』全十巻読んだ直後にこれを手に取れば十倍面白いだろうと思ったものだが、同じくチャン・ガンミョン『罰と罪』もドストエフスキーの主要作を読んだ直後に手をとればより中身が分かり、もっと興味深く読めたと思う(哀しいかな、『罪と罰』や『白痴』などかなりむかしに読んだきりのものは細部まで覚えてないから)。本筋は22年前の殺人事件を刑事が捜査する警察小説で、そこに道徳哲学の問題を海外文学作品を通してさまざまに語りつくしている(村上春樹や茨木のり子らへの言及まである)わけで、多少でもドストエフスキーを中心とした世界文学に関心があれば薦めたい。前回読めなかったマーク・グリーニー『暗殺者の矜持』だが、こんどの敵は最新AI兵器だったり、陰謀のスケールがやたら大きかったりと、活劇小説に「肉体の復権」を求めた北上次郎さんなら多分切り捨てるような内容なので驚いた。けっしてつまらなくなかったけれど本作だけにしてほしい。カリン・スローター『報いのウィル』も新婚旅行で訪れた先が隔絶された山奥のロッジで、クローズドサークルめいた状況で殺人が起こるという本格ミステリ風な展開を見せていくという、ちょっと趣向を変えた作品。シリーズも長くつづくとどうしても変化が求められるのか。周浩暉による邪悪催眠師シリーズ第2作『7人殺される』は、今回も荒唐無稽さ全開ながら、かつて人気だったローレンス サンダースの某シリーズを思いだした。スティーヴン・ハンター『フロント・サイト1 シティ・オブ・ミート』および『フロント・サイト2 ジョニー・チューズデイ』、物語は各巻で独立しているが、スワガー家三代の男たちが例によって派手な銃さばきで活躍していくものだ。そのほか、いまだ昨年12月刊の読み残しがあるが、余裕があれば次回に。
杉江松恋
『エージェント17』ジョン・ブロウンロウ/武藤陽生訳
ハヤカワ文庫NV
読み始めたときには文体のちょっと嫌味な感じもある軽さが鼻につき、あ、これは合わないかも、と思ったのだがそんなことはなくてすぐずぶずぶにはまっていった。好きなやつだった。
主人公は17というコードネームを持つエージェントである。荒事だけを手がける存在で、数字を冠したコードネームは代々一人だけに受け継がれている。北斗神拳みたいなものである。北斗神拳と違うのは、先代を殺したやつが新しい番号を引き継ぐというところだ。14は15に殺され、15は16に殺された。代々の中で16だけが殺されることなく行方不明になり、ヤドカリが空いた貝殻を見つけて収まるように、17は17になったのである。当然だが17も後釜になりたいワナビーから狙われる身の上だ。ほうほう、と読んでいると、17に新しい依頼が舞い込んでくる。今は作家として隠遁生活を送っている男を殺せという。写真を見て驚いた。16なのである。そうか、途絶えていた対決が復活するという物語なのか、と納得する。
ここまでで活劇の図式としては完璧なのだが、物語はまだ序盤。どんどん続いていく。17は16のいる土地に乗り込んでいって暗殺計画を練る。これだけで残り400ページ以上を埋められるわけがないので、何か波乱があるはずだ、と思っているとそれが起きる。具体的には書かないが、あることが反転する。それだけで残り300ページ以上を埋められるわけがないので、何か波乱があるはずだと思っているとそれが起きる。具体的には書かないが、取るに足らない存在だと思っていたものがそうではなかったことがわかる。それだけで残り200ページ以上を埋められるわけがないので何か波乱があるはずだと思っているとそれが起きる。17も読者もそうだと思っていたことが実は違っていたということが判明する。げっぷ。これだけのくり返しでもう小説としては十分おなかいっぱいなのに、まだまだページがある。素晴らしい。読んでも読んでもあとから意外な展開が出てくる、打出の小槌のような小説だ。
作者はこれがデビュー作で、英国推理作家協会のスティール・ダガーを受賞したとのこと。有望な新人が出てきてくれて嬉しい。元は脚本家だそうだ。アンソニー・ホロヴィッツのように活躍してもらいたい。待ってるぞ。
終わってみれば、17対17の図式になっていた1月でした。やや作品数は少なかったのですが、その分2月が大変なことになっています。来月はひさしぶりに全員ばらばらの結果になるのではないでしょうか。結果はいかに。(杉)
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