■ロス・トーマス『悪党たちのシチュー』(松本剛史訳・新潮文庫)■
新潮文庫〈海外名作発掘レーベル〉から名手ロス・トーマスの『愚者の街』(1970)、『狂った宴』(1967) に続く三冊目の未訳作『悪党たち のシチュー』(1983) が出た。MWA受賞作『女刑事の死』(1984) の前年に発表された作品で、作家としての熟成期の一冊。ロス・トーマスお得意のバディ物だが、政界工作のプロと元ジャーナリストのバディ物という点では、『狂った宴』を思わせる。
ドレイパー・ヘールは政治家の資金調達係。旧知の建設業者社長とドライブ中に、現政界を吹き飛ばすようなスキャンダルが語られようとした瞬間、別の車に当て逃げされ、社長は死亡、ヘールは九死に一生を得る。ヘールは、将来の大統領選出馬を目論む次期カリフォルニア州知事ヴィッチと組み、スキャンダルを探りはじめ、今は落ちぶれたジャーナリスト、シトロンを雇い入れる。秘密を知る男がヘールに接触するが、何者かに殺害されるなど、探索は阻まれ続ける。シトロンとヘールは、スキャンダルの舞台になった中米の軍事国家に乗り込むことになる。
冒頭の皇帝大統領が支配するアフリカの小国の場面が強烈。スパイ容疑で一年以上刑務所に送り込まれたシトロンが苛酷すぎる体験をし、人間らしさを失うまでになってしまう。米国で再登場する彼は、住む家も失い、カリフォルニアで車で暮らす「キャデラック・ピープル」の一員となっている。だから、この物語は、かつては敏腕ジャーナリストだったシトロンの再生物語にもなっている。
一方、ヘールは、共産党員の父をもち、かつては政治に夢を抱いていた政治屋で、今はヴィッチを大統領に押し上げようとしているが、ヴィッチの妻とは密通している。ただっぴろい部屋に、政治家由来の家具を並べるのが趣味という変わり者だ。
スキャンダルを追って以来、この二人の周囲に不穏な事態が押し寄せ、FBIを名乗る男、雑誌編集者であるシトロンの母、シトロンの隣人の娘ヴェルヴィータ (後にシトロンの恋人となるが、チーズの名称と同じ名前の彼女がいい味を出している)、その父のマイアミの大富豪などなど多彩で個性的な人物が登場する。人物同士の意外なつながりが次から次へと明らかにされ、何がどうつながっているのか錯綜して、容易に全容をつかませない。進むに連れ、事態の様相を一変させていく語りのリズムが秀逸だ。ヘールとシトロン、プラス、ヴェルヴィータが中米国家に向かうのは、小説の七割方を過ぎてからだが、この軍事国家に行ってからも人物同士の意外な結びつきが明らかになる。
会話の巧さはこの作家ならでは。善悪を問わず、出てくる人物がシトロンにアフリカ体験に関する同じ質問をするというブラックユーモアが、いいアクセントになっている。
明らかになるスキャンダルは、途方もないようでいてアクチュアルなものであり、なるほどこれであれば、政権が飛んでもおかしくない。中米国家は、元大統領が処刑され、将軍たちが牛耳っているが、民衆たちの反革命の動きも巻き起こっている。こうした動乱の中で、命がけでミッションを達成しようとする二人が再会する場面は、胸に響く。
小悪党から巨悪まで個性的な悪党どもという具材は豊富、洒脱な会話と簡潔な描写をブイヨンに、政治風刺を隠し味に、食人や近親相姦といったエグみも加えてぐつぐつと煮込まれた本書は、様々な味が溶け合い、舌鼓を打ちたくなる特別仕立てのシチューだ。
■ジョルジュ・シムノン『ラクロワ姉妹』(伊藤直子訳・東宣出版)■
シムノンの〈冒頭に掲げられているエピグラフは、「どこの家のクローゼットにも死体があり…」。英国の諺で、「skeleton in the closet」(他人に知られたくない家庭内の秘密の意)。「棚の中の骸骨」は、ミステリファンには、わりとなじみのあるフレームだろう。
そう、本書は、家庭内の秘密を題材とした小説である。
ノルマンディー地方の「ラクロワ邸」には、姉レオポルディーヌと妹マチルドという二人の姉妹とその家族が暮らしていた。姉妹はいずれも結婚し、夫もいるのだが、近隣の人々は、いずれも旧姓の「ラクロワ姉妹」と呼んでいた。一見平和なブルジョア家庭だが、姉妹の確執は積み重ねられて、家の中は重苦しい雰囲気に淀んでいた。
冒頭部は、マチルドの17歳の娘ジュヌヴィエーヴが教会で祈るシーン。彼女は、家族の中で自分を一番先に死なせてほしいと聖母マリアに祈っている。さらに、伯母が自らの母と父を憎まなくなるように、伯母と母が憎み合わなくなるように、父と兄が理解しあえるように祈る。
その憎しみで満ちた家で、ジュヌヴィエーヴは食事中に突然倒れ、二度と歩けなくなる。レオポルディーヌは、スープの味に違和感を覚え、密かに分析を依頼すると、スープにはヒ素が混入していたことが判明する。レオポルディーヌは何者かが少量ずつヒ素を混入しているという疑心を抱く。やがて、ヴェールに覆われた家族の秘密が明らかになっていき、互いに監視し合い、憎しみに満ちた家は、様々なできごとを通じて解体されていく。そして、後に残ったのは…。
ヒ素を入れた人物は誰かという探偵小説的興味は、この小説の本筋ではない (とはいえ、「犯人」の内面を思って慄然とするし、「伏線」も巧妙に張られているのには感心する)。
ほぼ舞台が家に限定されている、しんねりむっつりした小説であるかのようにみえて、グロテスクなまでの家族間の憎悪を描いて読者を引きずり込み、家族が解体していく過程には、喜劇的とさえいえる展開もあり、一筋縄ではいかない小説の魅力を湛えている。
専横的な姉レオポルディーヌと弱々しい妹マチルドは、この小説の中心的人物だ。瀬名秀明氏の解説によると、シムノンの母とその姉がモデルになっているという。
マチルダについては、次のように描写される。
「彼女は常に思い込みを、執着するものを必要としていた。愛を新たな愛に置きかえる者がいるように、彼女は憎しみを新たな憎しみに置きかえた」
憎むことで、自らの生を保っている人の生のありようを描いた小説であり、そこには、もちろんモラル的な断罪の意思などは含まれていない。互いに憎むことで共依存的に生きている姉妹という存在の不思議さ、やるせなさや、精神のからくりをひたすら凝視している点では、実にシムノンらしい小説だ。人間にとっては、「檻」にも「枷」にもなる家族という制度の一断面を深く掘り下げた小説である。
家族間の近親憎悪を一層際立たせるのは、ジュヌヴィエーヴの存在だ。彼女は、冒頭の祈りのとおり、一種の天使的存在であり、体が弱っていくにつれて、その聖性は高まっていく。病が進行した際に、訪れた司祭は、「あなたの娘は聖人だ」と断ずる。こうした彼女の聖性に応じるように、将来を幻視するような能力を授かっており、自室で寝たきりになっているにもかかわらず、家の中のできごとをすべて把握し、家族の心を皆読んでいるようだ。ジュヌヴィエーヴの言動には、邪悪さは一切ないにもかかわらず、母親マチルドは、そこに母への憎しみと復讐の意思を読みとる。受け手によっては、天使の無垢も邪悪さの発現ととられる。その意味で、本書は「天使の復讐」を描いた小説でもある。
小説の結びには、見事な結語が待っている。特に、その一文に使われたある形容詞は小説の核心を浮き彫りにしていて素晴らしい。
■ジェイムズ・M・ケイン『ハ長調のキャリア』(田村義進訳・文遊社)■
ジム・トンプスン未訳シリーズの文遊社からジェイムズ・M・ケインの未訳小説『ハ長調のキャリア』(1938) が出た。「一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉は、かのカール・マルクスが言った言葉らしいが、本書を読んで、そんな言葉を思い出した。
ジェイムズ・M・ケインといえば、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934) などでノワールの巨匠ということになっているが、こんな小説も書いていたんだ、と驚くことしきり。でも、ファム・ファタールに振り回されて殺人犯になってしまった男を描いた『郵便配達~』の作者がファム・ファタールに振り回されてオペラ歌手になってしまった男を描いても不思議はないのかもしれない。
本書は、大人のおとぎ話といっていいような、陽性のコメディだ。
主人公レナード・ボーランドは、33歳の土建屋の経営者。折からの大不況でまったく仕事がない。妻のドリスは、かつて目指していたオペラ歌手になるレッスンを再開し、歌手として活動して生計の足しにしたいという。奔放で自分本位のドリスの望みを受け入れたレナードだったが、偶然に美貌の人気オペラ歌手セシル・カーヴァーと知り合い、思いも寄らなかった歌手の才能があると見い出される。おまけに、彼女と深い関係になる。彼女のトレーニングで、めきめきと上達したレナードは、彼女のリサイタルで競演、やがてはグランド・オペラの歌手として、公演旅行をするまでとなる。
まさにリア充爆発しろ (古い) といいたいような男の夢が詰まった小説で、歌が好きでもなかった素人男がトントン拍子に歌手になり、聴衆を魅了してゆく姿には、サクセス・ストーリー特有の爽快感がある。同じ作者の『ミルドレッド・ピアース』(1941) は、女性のレストラン経営者が成功していく姿を描いていたが、職業小説という面でも両者は共通する面がある。
こういう話は、細部が重要だと思うが、もともとケインの母親はオペラ歌手で自身もオペラ歌手を目指した過去がある (『ミルドレッド・ピアース』にも、娘がオペラ歌手となる展開があった)。オペラ上演にまつわる舞台裏や舞台人の生態などの描写には、真に迫ったリアリティがあり、歌手として人前で歌う不安や高揚もよく伝わってくる。筆者は、オペラには全く不案内だが、愛好家はレナードの体験をより深く楽しめるだろう。
公演旅行も終わりにさしかかり (妻には仕事上の出張とごまかしている)、妻とセシルのどちらかを選ぶかということになるが、ドリスは上流の名家出身、「やることなすこと嘘臭く、聖人面しながら心は蛇で、人を犬のように扱う」悪妻であっても、レナードは彼女にぞっこんで諦めきれない。一件落着とみせて、レナード夫婦に大事件が襲いかかる。
この小説は楽しいだけかというと、人前で表現することの深淵も描いている。一つ間違えば、さきほどまで拍手喝采をしていた聴衆は悪意の塊になる。大きな失敗をして絶望にうちひしがれるレナードの姿は痛々しい。天国と奈落の間には、数ミリの違いしかないのだ。
ノワール作品で有名になったケインとしては、こういう長調の小説も書けるという自負もあっただろうし、実際にそれを証明してみせた。
本書は、ファンタスティックな展開ととんでもない破局、そして楽しい歌による結末が待っている作品で、職業小説、音楽小説としての魅力にも富んだ小説だ。
| ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた) |
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ミステリ読者。北海道在住。ツイッターアカウントは @stranglenarita 。 ■note: https://note.com/s_narita35/ |
ミステリ読者。北海道在住。