Le rapport du gendarme, Gallimard, 1944/2 [原題:憲兵の報告]
執筆:フォントネー゠ル゠コント、テール゠ヌーヴ城(ヴァンデ県), 1941/9
・初出:« Actu »(Marseille)1942/7/15-11/22号
・初刊時タイトル:Le Mystère du Gros-Noyer[グロ゠ノワの謎]
The Gendarme’s Report, The Window Over the Way所収, translated by Geoffrey Sainsbury, Routledge & Kegan Paul, 1951(The Window over the Way/The Gendarme’s Report)[英]
Tout Simenon t.24, 2003 Les romans durs 1941-1944 t.5, 2012, 2023

 丸窓が道に面している屋根裏部屋は果物置き場に改造されており、ふたりの女はそこで作業していた。母親のジョゼフィーヌ・ロワは背の低い椅子に座り、籠から林檎を取り出して赤い格子模様の布巾で拭き、虫の食ったものは脇へ除け、よいものをリュシルに渡していた。
 リュシルは受け取った林檎を順番に、互いに触れ合わないように、壁に取りつけられた網棚に並べていった。高い段には踏み台に上って置いた。
 ふたりは食器を洗い終えてすぐに作業を始めたのだが、早くも夕方の4時を過ぎていた。ふたりの動作はあまりにも規則正しく、時間の流れを測るのに使えそうなほどだった。そのうえ辺りはとても静かなので、ちょうど台所に入ると時を刻む時計の音が聞こえるように、彼女たちの一定した心拍音が聞こえるようにさえ感じられた。雨もまた同様に静寂に満ち、優しく、穏やかで、夕暮れの陽射しと同時に揺れながら中庭へ落ちてゆく、一枚のガーゼのようだった。
 こうしたすべてのことが数時間後には憲兵隊伍長の報告書のなかで、乾いた文章に変換されることになるのだ。(瀬名の試訳)

 私も最初のうちはまったく想像していなかったのだが、本作Le rapport du gendarme 憲兵の報告』(1944)は、まさに「何だかよくわからんが、気がついたらすごいことになっていた」と驚嘆される類いの長編小説だ。はっきりいってこの題名から物語の行方を推察できる読者はいないだろう。
 このあたりの中期シムノン作品に顕著だと思われるのだが、まず登場人物の誰が真の主役なのか、かなり読み進めないと見えてこないという重大な特徴がある。現代のエンターテインメント小説の作法に鑑みれば言語道断、作家の未熟性の表れということになるのだが、シムノンに限ってはその批判が当て嵌まらない。なぜならこれまで何度か同様の読書体験を通じてわかったのだが、ずっと読み進めていて真の主役が誰であるかがわかったその瞬間こそ、中期シムノンにおいては一気に物語のギアが押し込まれ、物事が加速度的に面白くなってゆくときだからである。その加速の快感こそが中期シムノン最大の魅力とさえいえるかもしれない。
 というわけで、読み終わって私はいまも驚いている。本作の主役は誰か? これこそが本作いちばんの謎だと断言できるが、ミステリー業界の作法に従えば感想文のなかで謎の正体を明かすことはできない! 
 もちろん主役は題名に登場する「憲兵」ではない。謎を解き明かす手がかりさえ、本作においては「憲兵の報告書」ではない。何という凄まじきミスリード、レッド・ヘリングであろうか。だが、それでは『北京の秋』のように「憲兵」も「報告」も物語の本筋とまったく無関係なのかといえば、意外とそうでもないのがさらに驚くべきところだ。この時期のシムノン作品は極めて難解であるといえるだろう。あくまで一般読者向けに書かれた小説なのに、読む側の人間性が問われるのである。
 日本語で「人間性」というと、英語における「humanity」と「human nature」のふたつの意味が包含されるように思われる。ヒューマニティとは人間が人間であることの道徳的意味といったニュアンスを持ち、文脈によっては「人文科学」とも訳される。一方のヒューマン・ネイチャーは人間が生物進化の過程で獲得した「本性」という意味合いを持つ。シムノンを読むとき、私たちはこのふたつの「人間性」すなわち「人間らしさ」を否応なしにフル回転させることになる。この状態に自分が入り込んでいることは、シムノンを読んでいる最中に自覚できる人も多いと思われるが(少なくとも私はそうだ)、もし万が一、その感覚が自覚できないという方は、決して急ぐことなく、自分の奥底を改めて覗くようにしてシムノンを読んでみるのがよいと思う。そもそも読書の醍醐味とはそういうものではなかったか。中期シムノンはエンターテインメントに振れながら、それでいてとても難しい。その難しさこそが面白さと一体化している。この快感がわかってくると、読書の愉しみをもうひと回り大きく理解できるようになった、と実感できるのではないだろうか。
 初めにひとつ手がかりを述べておく。本作を読む間、私は東宣出版から近々発売される『ラクロワ姉妹』第87回)の巻末解説を書くため同書を何度か読み直していたのだが、今回紹介する『憲兵の報告』『ラクロワ姉妹』と構造がとてもよく似た一作だ。本作『憲兵の報告』『ラクロワ姉妹』の変奏曲ないしは発展型と位置づけてよい。むしろミステリー愛好家の皆さまには作中の謎がそれなりに回収されるという点で、本作の方により強い納得感を覚えられるかもしれない。だが逆に物語の孕む不穏さという点では『ラクロワ姉妹』の方が圧倒的に強いのである。私たちはジャンルに過剰に縛られることなく中期シムノンを読むのがよいのだと改めて実感した次第である。

 舞台は当時シムノンが住んでいたヴァンデ県のフォントネー゠ル゠コント近郊に位置するグロ゠ノワ(グロ゠ノワイエ)の農家。Le Gros-Noyerとは「大きな胡桃の木」を意味し、本作ではかつてこの地にグロ゠ノワと呼ばれる巨木が立っていたが、冒頭シーンの前夜に倒れたという設定になっている。その巨木のごく近くに家を構えていたのがロワ家であった。
 あるとき、ロワ家の前を横切る路上で、車に撥ねられたと思しき男が意識不明のまま横たわっているのが見つかる。身元のわかる所持品はなく、いろいろな目撃情報を突き合わせると男は6万フランもの大金とスーツケースを持参して近隣の町から自転車でグロ゠ノワにやってきたようなのだが、大金やスーツケースは見当たらず、誰のところに向かおうとしていたのかもわからない。また、確かにそのころ一台のバンが道を通っていたのだが、運転手のいい分では撥ねた憶えはないという。重体の男はとりあえずロワ家の2階の寝室に運び込まれることになった。だが訪問医も手の施しようがなく、名もわからないその男は昏睡状態のままロワ家に留まることとなる。
 しかし一家の妻ジョゼフィーヌ・ロワ40歳は、男の手に奇妙な紙片が握られていたらしいことに気づいた。そこにはまさにグロ゠ノワの住所が書かれており、男はどうやらこのロワ家を目指してきたようなのだ。しかし見知らぬ男がなぜこの家を訪ねてきたのか? ジョゼフィーヌは不審が先に立ち、人知れず紙片を処分する。
 ロワ家には70歳代の老家長エヴァリスト、息子のエティエンヌ41歳、その妻ジョゼフィーヌ40歳、彼らの娘リュシル21歳がいる。意識不明の異邦人の世話はおおむね娘のリュシルがおこない、ジョゼフィーヌも手伝うことになる。ここで地元憲兵隊長のリベルジュという男が、ずかずかとロワ家に足を踏み入れて調査を進め始めた。彼は手帳にあれこれと書き込み、報告書を作成している。憲兵の無遠慮な調査によって、家族でさえよく知らなかった家庭内の秘密が暴き出されることとなった。その忌まわしい秘密とは、エヴァリストがエティエンヌの実の父親ではないという事実だった。またジョゼフィーヌにも人にいえない秘密があった。エティエンヌと結婚する前、彼女は旅芸人の一族と暮らしており、つねに危険と背中合わせの生活を送っていたのである。身の安定のために、彼女は農場を所有するエティエンヌと愛のない結婚をして、これまでこの地で生きてきた。だが異邦人の男が突然転がり込んだことがきっかけで、誰にも知られたくなかった過去が、憲兵によって掘り返されようとしている。しかも夫のエティエンヌには決して知られたくないことだが、結婚したとき彼女は身籠もっていたのである。
 そんななか、ついに異邦人の男が意識を取り戻した。彼はいったい何者なのか。

 シムノンの著書を網羅的に紹介した案内書L’Univers de Simenon シムノンの宇宙』(1983)において本作の「小説の特徴」欄には、「視点と意味の軸が徐々に移動してゆく物語:解明されることのない推理小説的な筋書きから、内側から見たロワ一家の心理ドラマへと移行してゆく」と簡潔に記されている。「視点と意味の軸が徐々に移動してゆく」とはまさにその通りで、初めのうち物語は意識不明の男を中心に、彼を看病するロワ家の女性たちや、グロ゠ノワに住む他の農家の人々とロワ家の男たちのつながりを示し、また得体の知れない執拗さで事件の究明に当たるリベルジュ憲兵隊長の動向をつねに一定の不安感を湛えて述べてゆくので、この小説は意識不明の男と憲兵隊長リベルジュの関係性がやがて主軸になってゆくのだろうと想像したくなる。私たちは6万フランの大金やスーツケースの行方が物語を牽引する手がかりとなるのだろうと当然のように予測する。だがそのような方向に話は進まないのだ! 
 話の半ばで男は意識を取り戻すのだが、記憶は回復しない。つまり彼は起き上がって食事ができるようになっても、自分が誰なのかわからないし、何のためにグロ゠ノワへ来たのかも憶えていない。少なくともそのように主張するのだ。そのため意識回復後も男は傷を癒すために、ロワ家の寝室に留まり続けることになる。男の覚醒は物事の解決に寄与しないのである。
 読みながら私がとくに不穏な空気を感じたのは、ロワ家の老家長の名がエヴァリストで、また憲兵隊長の名がリベルジュであるという点だった。エヴァリストとはシムノンの実祖父の名であるし、リベルジュはシムノンが長年雇っていた料理人兼愛人のブール(球)という愛称の女性の本名、アンリエット・リベルジュを容易に連想させる。憲兵隊長リベルジュが老家長エヴァリストに尋問するくだりなどは、シムノンが何かずっと抱えていた家庭内の懊悩を爆発させるのではないかとひやひやした。
 本作ではロワ家の男たち、すなわちエヴァリストやエティエンヌに対して、そっと憲兵隊長リベルジュが近寄り、近くのバーなどで長時間にわたって目的のよくわからない会話を続けるという場面が何度も出てくる。特別なことは何も起こらないのだが、読んでいるこちらは緊張を強いられるという厄介な小説だ。それでいて物語の後半に彼らロワ家の男たちが主軸になってゆくのかというとそうではない。老家長エヴァリストは寝ぼけているようなときが多いし、一家を支えるエティエンヌはしばしば近郊の市場に出向き、家を留守にする。そして帰りには馴染みのバーに寄り、いつも同じ隅の席で深酒をする。よって誰が最終的に物語の主軸となるのかは、終盤まで読み進めてようやくわかってくる次第だ。
 本作は全10章から成るが、この主軸の人物がついに見えてくるのは、第8章の後半からだ。正直なところ、そこに辿り着くまでに私は話の本筋があまりに見えないため挫折しかけていた。だが第8章の後半から、本作は急激な展開を見せ始める。登場人物の回想から始まっていたはずの一連の記述は一気にその人物の心を動かし、恐ろしい決断へと導き、第9章でその決断は息つく間もないほど電撃的に実行される。あまりにもすばやく物事が流れてゆくので、すべてはまるで夢のなかの出来事のようだ。本当にこれは現実の世界を記述している部分なのか? そう訝るうちにも決断がもたらすその後の状況は回復不可能なほど壊滅的なものへと一直線に進んでゆく。これほど凄惨な事件が最後に起こる小説は、シムノン作品のなかでも珍しいのではないだろうか。描写が直裁的であるがために本作は『ラクロワ姉妹』の心理的恐ろしさとはまた異なる恐怖を私たちに突きつける。そして最後の短い第10章で、私たちは事件が終わった後の文字通り凄惨な現場へと否応なしに連れてゆかれ、犠牲者たちのなれの果てを見ることになるのだ。
 あまりに凄まじいラストであるため、却って本作はエンターテインメントとして〝もてなしのよい〟作品になっている。これは真に恐ろしいことだと私は感じた。私たちがふだんから読んで楽しんでいる「エンターテインメント」なるものの無慈悲さ、自分とは関係ないからどんな結末を迎えようとミステリーとして楽しめるという無責任さ、そうした私たちの持つ宿命的な情動活動の限界性に、自分は突き当たってしまったと思われるからである。私たちの「人間性」とは、何と残酷で恐ろしいものなのだろうか。またそれに気づけてしまうおそらく一部の読者は、作者シムノンと同様に、どこか一歩狂気へ足を踏み入れながら、毎日を生きているのではないだろうか。
 私もそのひとりなのであろう。

 中期シムノンを読み進めて、改めて強く思うのだが、シムノンが面白く読めるかどうかはミステリーの素養があるかとか、フランス文化を知っているか、フランス語が読めるかといったこととはほぼ無関係だ。では何が鍵なのか。「人間性」というものに対して、人生のなかで一度でもよい、真剣に考えたことがあるかどうか、これがシムノンを面白く読める人のただひとつの条件だと私は思う。
 シムノンのロマン・デュール作品が売れないのは、シムノンの作品を「人間性」というものに結びつけて読み、考えてきた人が、これまで日本でほとんどおらず(いや、いたはずだが積極的に挙手しなかったのかもしれない)、そうした読み方に人々が気づかないまま歴史が過ぎてきてしまったからではないか。
 以前にも少し書いたが、新聞や雑誌でシムノンを論評すべきなのはミステリー評論家ではなく、いわゆるガイブン担当の評論家なのだろう。直木賞候補となりそうな小説をよく読む評論家はどうか。たとえば私は鴻巣友季子氏、吉田伸子氏、瀧井朝世氏といった方々がシムノンをどのように読むのか、ぜひ感想をうかがってみたい気がする。あるいは理系の本も多く読んでいる人たち、認知心理学の分野に興味を持つ方々。たとえば山本貴光氏などだ(若島正氏はシムノンの読者であるらしい)。彼らの評価をミステリー評論家の評価と比較してみるのもよいだろう。どちらがよい、悪い、ということではない。シムノンの読み方でまだまだ掘られていない部分はどこかを見つけ出すための試みだ。そういう知のあり方を「総合知」と私は呼んでいる。
 思えば、私もデビュー作からずっと「人間性」の物語を書いてきたのであった。理系作家だとかSF作家か否かといったような議論はそのことに比べると些細な問題だ。私がディーン・クーンツとともにジョルジュ・シムノンを読んでいるのは、何も矛盾ではない。私はいま野尻抱影と大佛次郎の物語を小説で連載しているが、これも方向転換や新機軸などではまったくない。
 私が興味を持って読む作家はみんな、「人間性」について書いているのである。

 今回でオムニビュス社《シムノン全集》第24巻の攻略を完了した。これで全集27巻のうち、第16巻から第24巻までの計9冊を読み終えた。

▼映像化作品(瀬名は未見)
・TVドラマ 同名 《L’Heure Simenonシムノン・アワー》シリーズ、クロード・ゴレッタClaude Goretta監督、マリー・コランMarie Collins、ジャン゠ピエール・バゴJean-Pierre Bagot出演、1987[仏]
 

【ジョルジュ・シムノン情報】
・東京創元社の創元推理文庫2025年復刊フェアにて、シムノンの『13の秘密/第1号水門』(大久保輝臣訳)が復刊された。新カバーだが本文は以前と同じで、「メグレ警視」ではなく創元推理文庫特有の表記「メグレ警部」がそのまま使われている。
https://www.tsogen.co.jp/news/2025/07/7055/

・フランスのDargaud社から、シムノンのロマン・デュールを原作とするバンド・デシネ作品『La maison du canal 運河の家』が2025年9月に発売された。『北氷洋逃避行』『雪は汚れていた』『アヴルノスの顧客たち』に続いて4冊目となる。また2026年2月には5冊目のBarrio Negroが刊行とのこと。原作は『黒人街』のようだ。

・2025年のノーベル文学賞は、ハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローに贈られた。ラースローはハンガリー出身の映画監督タル・ベーラに原作や脚本を提供することが多く、シムノン原作の映画『倫敦から来た男』(2007)の脚本も彼が担当した。

・1933年の「ガラパゴス事件」をモチーフにしたロン・ハワード監督の新作映画『エデン 〜楽園の果て〜』が、2025年10月24日よりAmazonのプライムビデオで独占配信開始された。シムノンは当時非常に世間を騒がせたこの事件をもとに、ドキュメンタリー・ノンフィクション「ガラパゴス諸島の謎のドラマ」や長篇『渇いている者たち』を書いた(第51回)。

・幻戯書房のルリユール叢書から、初期メグレもの2作の新訳合本『故ギャレ氏 リバティ・バー』(中村佳子訳)が、2025年11月に刊行された。
https://genkishobo.exblog.jp/30774918/

・英ドラマ『Maigret』のシーズン1(2025)全6回が、邦題『MAIGRET/主任警部メグレ』としてWOWOWで配信され始めた。この新作の使用言語は英語、斬新なことに舞台は現代で、メグレは自身の役職を「チーフ・インスペクターchief inspector」と名乗っている。シムノンの原作で用いられるフランス語の「コミッセールcommisaire」は、英国ではそれにぴったり該当する職名がないので、妥協策としてしばしば「chief inspector」と訳されてきた。しかし英国の「chief inspector」といえば日本の翻訳ミステリー業界では「主任警部」なる特殊な訳語が充てられるので、今回のドラマもその慣習に倣ったものと思われる。若く無精髭を生やした現代風メグレの容姿は、アルセーヌ・ルパンとルパン三世、あるいは金田一耕助とその孫の金田一一くらいかけ離れているので驚きを覚えるが、この挑戦を世界の視聴者がどう受け止めるか注目される。瀬名は未見で、ストーリーの類似性などは不明。
https://www.wowow.co.jp/detail/205060
https://www.pbs.org/wgbh/masterpiece/shows/maigret/

・2026年1月から2月にかけて開催される『クロード・シャブロル特集2026 女性形のサスペンス』で、シムノン原作の映画『ベティ』(1992)が上映されるようだ。場所は東京日仏学院エスパス・イマージュ。映画『ベティ』は本邦未公開作品だが、以前にも解説つき上映会が小規模ながら開催されたことがある。
https://culture.institutfrancais.jp/event/cinema202601160201

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
《月刊星ナビ》で2025年3月号より「オリオンと猫 野尻抱影と大佛次郎物語」を連載中。
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