Je me souviens…, Presses de la Cité, 1961/第4四半期(増補第2版) [原題:私は憶えている…]
・執筆:〔第1章‐第4章〕ヴィクトル・ユゴー河岸(ヴァンデ県), 1940/12/9-12 〔第5章‐第18章〕フォントネー゠ル゠コント、テール゠ヌーヴ城(ヴァンデ県), 1941/4/21-6/12 〔第19章〕レ・サーブル゠ドロンヌ、ロッシュ゠ノワール・ホテル(ヴァンデ県), 1945/1/18 エシャンダン, 1961/4/26
・抜粋初出:« Vrai » n° 4(1941/12/1)
・初刊時タイトル:Je me souviens… Pedigree de Marc Simenon avec le portrait de quelques oncles,tantes, cousins, cousines et amis de la famille, ainsi que des anecdotes, par son père 1940, Presses de la Cité, 1945/第4四半期 [原題:私は憶えている… マルクシムノンの血統書、何人かのおじ、おば、いとこたち、家族の友人たちの肖像、ならびに父による逸話つき — 1940年]
Tout Simenon t.26, 2004* Simenon Pedigree et autres romans, Bibliothèque de la Pléiade, Gallimard, 2009

 今回取り上げるのはジョルジュ・シムノンが初めて手がけた長篇の回想記(ノンフィクション作品)である。1940年12月と1941年4‐6月にほとんど結末といってよい第18章までが書かれ、そこでいったん抜粋版が発表されている。後の1945年1月に最終章の第19章が書かれ、(しかしどうやらこの第19章は収録されることなく)同年にプレス・ド・ラ・シテ社から(第18章までが)書籍出版された。ジャン・レショフスキーによる68点の挿画が含まれていたという。
 しかし何かいろいろな事情があってこの1945年版は増刷されず、シムノンはかなり経った1961年4月に全体を見直していくらか手を加え、序文を添えて、いわゆる増補第2版として本作を再刊行した。現在流布しているのはこの1961年版と思われるが、ガリマール社のプレイヤッド叢書ではあえてテキストに1945年版を用い、序文と、追加された第19章を収録している。私は今回、オムニビュス社《シムノン全集》収載版で読んだ。
 読んだといま書いたが、実は今回初めてフランス語の原文を生成AIですべて直接日本語に翻訳し、その日本語で読んだのである。Claude Opus 4.1を使用した。これまでは直接日本語へ翻訳すると読むときどうしても違和感を覚えたので英語に翻訳して読んでいたのだが、時代は進んだと判断し、また小説ではなくノンフィクション作品であれば感触も確かめやすいだろうと考えたことによる。実際、翻訳された日本語で読んでみたが、充分に合格点といってよい文章であった。これからは英訳のないときは原文を生成AIで日本語に訳して読むことにしたい(もちろんフランス語の勉強は続けているが)。世界中のどこの本でも、その原文テキストが入手できる限り、読みたいと思えば難なく読める時代がやってきたのだと深い感慨を覚える。今後は翻訳者のネームバリューや翻訳文それ自体の醸成する文学性(翻訳の実力)などがいっそう問われるようになるだろう。
 さて本作『Je me souviens…』が書かれた理由については、シムノン自身が増補第2版の序文で語っている。Claude Opus 4.1による訳文をそのまま掲げる。

     著者序文

 この本を書くに至った事情については何度か語ったことがある。簡潔に繰り返そう。1940年12月、フランス侵攻から数か月後、私はヴァンデ県のメルヴァンの森に避難していた時、ある医師が急いだ診察の後、誤って狭心症と診断し、私にあと2、3年の命だと告げた。
 私の長男マルクは生後18か月だった。他に子供ができる希望もなかった。そこで彼のために、ノートに、文学的配慮など一切なしに、私の人生の始まりを書き記したのである。
 この小説化され拡張されたテキストが後に『血統書』となるはずだった。
 元のノートについては、偶然に、かなり複雑な理由により、1945年に『私は憶えている…』[1]というタイトルで出版を許可した。
 それ以来、私はこの本の再版を常に禁じてきた。
 今日、私に届いた数多くの手紙に屈服するのは正しいことだろうか? 私は原初のテキストを読み返したばかりで、かなり当惑している。実際これは文学作品ではなく、一種の記録なのである。文体は、小説家の書き言葉というよりも、むしろ息子に語りかける父親の話し言葉、親しみやすい文体なのである。
 語の反復、言葉遣いの安易さ、不正確さを削除すべきだろうか? すべてを書き直さなければならず、そのような処理がこれらのページから自発性を奪ってしまうのではないかと恐れる。
 それどころか1945年版に、かつてなぜか削除していた多くの箇所を加え、さらに最初のノートの冒頭に描いて楽しんだ表題ページと家系図も加えた。
 これらの思い出はもはやマルクだけに宛てられたものではなく、同時に私の他の3人の子供たち、ジョニー、マリー゠ジョルジュ、ピエールにも宛てられたものであり、彼らに捧げる。
                   エシャンダン、1961年4月26日
 
[1] しかし原題(1961年版でのみ副題として現れた)は次のようなものだった:『マルクシムノンの血統書、何人かの叔父、叔母、いとこたち、家族の友人たちの肖像と逸話を添えて、その父による — 1940年』

 どうだろうか、本当にほとんど違和感のない日本語になっていることがおわかりいただけることと思う。AIは私のフランス語学習の進捗度合いを簡単に追い抜いていったことになる。
 途中にPedigree血統書』という書物のタイトルが出てくる。シムノンは自分の出生や幼少期の思い出を、最初のうちまさに息子のマルクに語りかけるような感じで書き始めたわけだが、書いている一部を作家アンドレ・ジッドに見せたところ、三人称の小説形式で書き直すのがよいとアドバイスを受けた。それが後に発表されたシムノン最大の長篇小説『血統書』(1948)となる。一方、ノンフィクション形式で書かれた本作は、いったん1941年に執筆をやめて、おそらくは筐底にしまっておくつもりだったのだと思う。だが明記されていない何らかの理由で世に出ることになり、『血統書』もすでに出たことによって、ノンフィクション版の本作にも改訂版を出すことで一定の決着をつけようとシムノンは考えたのかもしれない。1941年でいったん執筆が終わったことから、本作は〝ほぼ1941年の作品〟と考えられるため、本連載ではこの時点で取り上げることにした。
 私はシムノンを執筆順に読んでいるので、まだ『血統書』は手に取らずにいる。だがその習作というべき本作『私は憶えている…』は楽しんで読むことができた。シムノンという作家に興味のない人は本作を読む必要はないが、シムノン愛読者ならぜひ読んでおきたい一冊といえるだろう。私も実際に読むまで知らなかったのだが、本作にはこれまでシムノンが書いてきた数々の小説作品の〝元ネタ〟が次々と登場する。「ああ、シムノンのこの体験が、あの作品の設定に繋がっていたのか!」という発見が数え切れないほどあるのだ。やはりシムノンはおのれが実際に体験した事象しか書かない作家だったのだ、と改めて気づかされる。しかしそれがいっそうこれまで読んできたシムノン作品の理解を促し、いっそう作品の豊かさを回想させるのだから、愛読者にはこれ以上ないといってよいほどの贈り物である。そしてシムノン自身は「語の反復、言葉遣いの安易さ、不正確さ」を反省しているが、むしろ他作品と同じ単語や表現が使われることによって、それらの作品がシムノン自身の記憶とどのように連結していたのか読者にわかるのはありがたい。しかも本作はとても読みやすい。
 もちろんシムノン特有の時空間の跳躍は本作でもしばしば見られ、それが大いなる読みどころのひとつになっているのだが、興味深いことに決して難解ではない。まさにそれらは「人間の意識の流れ」を的確に描き出している。
 それではまず、冒頭ほどなくして描かれる男児ジョルジュ・シムノン誕生のシーンを、生成AIの翻訳で味わってみよう。

「男の子よ…」と彼女は言う。
 すると、人目も憚らず、ヴァレリーにも産婆にも構わず、彼は泣きながら言う:
「僕は決して忘れない、決して忘れない、君が今僕に、女性が男性に与えることのできる最大の喜びを与えてくれたことを…

 この言葉を私は暗記している。母がよく私に繰り返したからだ。父にも繰り返していた。二人が喧嘩をするときには、皮肉を込めて。
 私は生まれたばかりだった。1903年2月13日金曜日、午前0時10分に。
 そして、朦朧とした状態の底から質問したのは母だった:
「何時?」
 時刻を告げられた。
「あら! 13日の金曜日に生まれたのね…誰にも言ってはいけません…

 彼女は産婆に約束させる。
「13日の金曜日に生まれたことにしてはいけません…

 だからこそ翌朝、父が兄のアルチュールを伴って市役所に私の出生届を出しに行ったとき、何食わぬ顔をして記入させたのだ:
「2月12日木曜日生まれ」

 このように本作は、まだ幼く文字も読めないマルク・シムノンの父、作家ジョルジュ・シムノンが、きみの父親である私はどのようにしてこの世に生まれてきたのか、それを語り起こすことから始まる。「第1章」という数字の次に、「フォントネー゠ル゠コント(ヴァンデ県)、1940年9月9日」と場所・日付が記され、そして「私の愛する息子よ、」という一行から本文は紡がれてゆく。とても自然な流れであって、私たち読者は長篇ノンフィクションを読み始めたと気づかないほど無意識のうちに本作を読み出すのだ。
 1日分の執筆量、すなわち第1章でシムノンが書いたのは、彼にとっての両親、デジレとアンリエットがどのようにして知り合い、そして自分はどこでどのようにして生まれてきたかという、どこにでもあるごくありふれた物語であった。本作で作者シムノンは、おそらくあえてすべてのことを、決してドラマチックに飾り立てることがない。素朴に、真摯に、かつ柔らかく、世界のすべてを書き綴ってゆく。だからこそ本作は他のシムノン作品よりもいっそう普遍性を増して、私たちひとりひとりの読者と記憶が重なってゆくかのような効果をもたらす。作家の回想録ならば他の人生とは異なる出来事があったと逐一強調されてよいように思えるが、シムノンはそれをすることがない。だから日本人である私たちでさえ、リエージュのレオポルド通りを以前から見知っていたかの如き錯覚さえ覚える。
 もちろん語りかける相手のマルクはまだ幼く、リエージュという街さえ見たことがないので、作者シムノンはおのれの両親がどんな場所に住んでいたかをきちんと始めのうちに説明している。デジレとアンリエットは帽子屋の二階を借りて住んでいたのだが、その店が面するレオポルド通りは中心街にあって路面電車も走っているものの、アルシュ橋へと通じていて、その橋が郊外と隔てている。もともとデジレは保険会社の会計士で、毎晩のように教会の青年会で過ごし、演劇部に所属して、プロンプターを請け負っていた。アンリエットは一族の13番目の子ども(末娘)であり、イノヴァシオン百貨店で売り子をしており、ときおり身長1メートル85センチの大柄なデジレが舗道からショーウィンドウ越しに自分を見ていることを知っていた。そしてふたりは結婚し、デジレ25歳、アンリエット20歳のときに、彼らは最初の子どもを授かるのである。アンリエットはその日まで百貨店に出ており、子どもが生まれる際デジレは医師にいわれて外で待っていなければならなかった。生まれてようやく部屋に引き入れられ、赤ん坊と対面を果たし、先に掲げた場面へと繋がるのである。
 ここまでですでにいくつものシムノン作品が頭に浮かんでくる。中心街と郊外を隔てるアルシュ橋とは、まさにシムノンが初めて出版したユーモア小説『アルシュ橋にて』第20回)に登場し、また父親のデジレが保険会社の会計士だったという経歴は、前回読んだ『カルディノーの息子』第113回)を始め多くのシムノン小説で使われてきたものだ。また演劇部でプロンプターの役目を担っていたのならば、『反動分子』第85回)の主人公にもその影は投映されていただろう。彼らの住まいの近くには、最初期のメグレもので描かれたあのサン゠フォリアン教会(第3回)もある。
 シムノンの両親、デジレとアンリエットの人となりも描かれるが、とくに細密な書き込みがなされるのは母親アンリエットの方だ。父デジレは宗教熱心で頭がよく、かつ素朴な男であるのに対し、アンリエットの方はより深くその血筋に分け入り、彼女が抱えていた屈折した感情を、やや露悪的に描き出している。シムノン自身が母親に対して屈折した感情を抱いていたことがわかる。
 アンリエット・ブリュルの家系はワロン人であり、オランダ、ドイツ、ベルギーの三国が隣接する国境付近で生まれ育ち、一族は祖父の代から炭坑労働者であったという。研究家が実際に家系を辿った報告とは一致しないそうだが、少なくともシムノン自身はそう信じ込んでいたのだろう。アンリエットはフランス語がうまく話せず、親族とはもっぱらワロン語で話し、独り言もワロン語で呟いていたらしい。ただしアンリエットの兄弟のなかには商人として成功した者も何人かいたので、彼女は自分の一族が金持ちだという思いを捨てられなかったという。これはあくまで作者シムノンの見立てであるが、本作にはそれこそ何十回と同じフレーズ「かわいそうなアンリエット!」が登場し、彼女は終始哀れで愚かな女性として描かれている。シムノンにも自覚があったのか、本作は初版刊行時、ブリュル一族の姓が架空のものに変更されていた。
 デジレの家系であるシムノン家は祖父が帽子屋で、きょうだいのなかではデジレがもっとも優秀だったので、17歳で学校を辞めたとき、保険会社の事務所へ就職できたのだという。しかし可笑しいことに、会社に新人が入ってきたとき、上司から生命保険担当と火災保険担当のどちらがいいか選べといわれて、年上だったデジレは優先権を与えられ、当然のように火災保険部門担当を選んだのだが、後の生命保険部門の躍進を予測できなかったため、ずいぶん給料面では割を食ったと書かれている。デジレはワロン語が話せたので家庭では言葉をアンリエットに合わせることがあった。生活上の変化を嫌う傾向があり、日曜日のミサに行く教会は、わざわざ橋の向こう側で、別の教区となるサン・ニコラ教会であった。独身時代はそちらの教区に住んでいたからだ。デジレは市民警備隊の制服を着て仲間と訓練に励むようになった。
 このようにシムノン家とブリュル家の家系を振り返りながら、早くも第2章でシムノンの筆は無意識のうちに時空を超えてゆく。「昨日、イギリスの飛行機が10分おきにフォントネーの上空を次々と通過した」(Claude Opus 4.1による翻訳。以下同様)と、市民警備隊の話から連想が及んで、シムノンはこの作品を書いている〝いま現在(1940年12月)の戦況〟を、息子マルクに向けて伝え始める。「おそらく明日、我々はどこか他の場所、ベルギー、ポーランド、アフリカに送られるかもしれない」と、一種の妄想が始まってゆき、そしてその妄想は母親譲りであることが仄めかされる。

 人口全体があちこちに輸送される。人種ごとに分類される。ある者たちはポーランド人という理由でこちら側に、別の者たちは共産主義者やユダヤ人だからという理由であちら側に送られる。
 金髪は金髪同士、茶色い目は茶色い目同士、または背の高い者は背の高い者同士、小さい者は小さい者同士にまとめられないという保証はない。
 それは信じられないことのように思える。私のかわいそうな母は、20年間、起こりうる戦争を考えて苦しんだ。
 彼女は二つの戦争を経験した。まだ終わりではない。
 それでも、何も変わっていない!

 人類がいつか優生思想的な分別を施されて、欧州各国で民族は大移動を余儀なくされるだろう、という妄想は、シムノンが長年にわたり強固に抱いていたものだった、と分析する研究家もいる。『群衆心理』(1895)で有名なフランスの医師ギュスターヴ・ル・ボンは別の著書『民族発展の心理』(1894)であからさまな民族差別論を展開し、たとえば欧州人は第一級であり、日本人はたとえいっとき日露戦争で勝ったとしても欧州人より級が劣るなどと後の日本版序文(!)ではっきり書いていたのだが、1903年生まれのシムノンはおそらくそうした前世紀の思想にも影響を受けており、人間はその優劣によって分断されてゆくという怖れを抱き続けていたと思われる。それはおのれのルーツとなる血筋のかけ合わせが特殊であり、とりわけ母方の血筋には問題があったと考えていたためではないだろうか。シムノン作品に登場する若娘たちはおおむねチャーミングなのだが、ときおりシムノンは狂気に取り憑かれた異様な女性を描くことがある。本作を読んで確信したのだが、それら狂気の女性のモデルは明らかに母親アンリエットなのである。
 時空間の跳躍に伴って、まだ幼き息子マルクの執筆当時の逸話がそのまま挿入されているのも興味深い。マルクがいくつかの単語を間違って発音し、それが息子の特徴として描かれるのだが、過去と現在、そして未来という流れを私たち読者にいっそう意識させ、〝懐かしい現在〟や〝過去に存在した未来〟を想起させる。執筆途上の日曜日の朝、教会の鐘の音が聞こえてきて、息子マルクがそれを独特の言葉で表現し、シムノンにとってはその語感が「まるで鐘の音が空間に輪を描くのを感じている」かのようだと述べるくだりは、まだ私が読んでいない後年の長篇『ビセートルの環』(1963)のタイトルをすぐさま思い起こさせた。オランダでブルーナ出版社の社長の息子として生まれたイラストレーター、ディック・ブルーナは、自社で『ビセートルの環』のオランダ語訳版を出すとき、まるでトライアングルから発せられた音波が輪を描いて広がるかのように、複数の円を重ねたデザインで書籍の表紙を飾ったのであった。
 上記のように本作でシムノンは一種の妄想を書きつけながら、もう一方では(とりわけ1940年12月に書かれた部分で)ふだん書かないような希望を記す。そう、シムノンはこのとき、あと数年で自分は死ぬと思い込んでいたのだ。その切実さがときおり不意に文章から噴き出す。このようなコントラストが本作を回顧録ながら平板なものではない一作であると私たちに印象づけるのだ。そして息子マルクがまだ記憶を固定していない幼子であることを繰り返し記して、おまえの最初の記憶はどんなものになるのか、と〝未来の記憶〟を呼び覚まそうとする。次の例をご覧いただきたい。シムノンならではの筆致である。

 確かに私は知らない、大いなる奇跡がいつ起こるかを、いつ、明らかな理由もなく、正確な瞬間に、映像が君の目の前を流れ去ることをやめ、つかの間の一貫性のない現在でしかなくなることをやめるかを、何分、何秒にこの現在の小さな断片が君の記憶に固定されて永遠となるかを。
 いつになるのだろう、小さなマルクよ、君の最初の記憶は? それは昨日だったのか? さっき、冬で動きが鈍くなった蝿を「小さな棒」の上に大切に置いたときだったのか? 明日なのか?

 執筆に約4か月の間が開いて1941年4月へと移る第5章からは、幼きジョルジュ・シムノンの日常が、リエージュの街に恵みをもたらすムーズ川の流れのように書かれてゆく。ここから何度も描かれることのひとつが、シムノン家のすべての人が以前からおこなってきたという親が息子の額に指を当てて十字を切った後に「おやすみ、息子よ」と告げる、就寝前の小さな儀礼だ。この台詞をシムノンは章の終わりに、実の息子マルクへ向けて記すこともある。家族愛を感じさせる暖かい反復だが、一方で相変わらずジョルジュ・シムノンの母親アンリエットは、息子が2歳になっても心配性で不幸なのだ。そして現実の1941年の世界では「毎晩何百機もの飛行機がロンドンを爆撃している」。「パン、牛乳、バター、衣服、すべては配給制」になっている。だが息子のマルクは「成長している! 広がっている! 生きている!」。よってシムノンは書き続ける前に第5章の締めでこう書く。「そして、それだけが重要なのだ」と。
 第6章以降で詳しく書かれるのは、デジレのきょうだい、あるいはアンリエットのきょうだいや友人がシムノン家に与えたさまざまな影響だ。よいこと、まずいこと、すてきなこと、困ったこと、枝分かれしていった血筋はやはりどこかで重なり合い交流して個々の人生に変化をもたらす。デジレにはギヨームという兄が、またフランソワーズという妹がおり、近くに住んでいてシムノン家をよく訪ねてきたので、幼いシムノンも会うことがあった。ギヨームはアンリエットの務めるイノヴァシオン百貨店でシムノンにしばしばプレゼントを買ってくれたのである。アンリエットには勤め先の同僚にヴァレリーやマリアという女性の友人がおり、またレオポルドという長兄やアンナという姉、店員をしているフェリシーという13人きょうだいで12人目の姉がいた。フェリシーという名前にも私たちは聞き憶えがある(第69回)。シムノンの記述に拠れば、フェリシーはアルコール依存症で、つねに酔って周囲に嘘をついていた。

 かわいそうなフェリシー、確かに最も不幸で、最も美しく、最も感動的な私の叔母。カフェのカウンターに肘をついて、ロマンチックな郷愁に満ちたポーズで立っている彼女を思い出す。
 年齢的に、母に最も近い。彼女は母より数歳年上で、家族の年長者たちがかなり硬い顔立ちで、静かな威厳を持つ頑健な女性であるのに対し、フェリシーは母と共に、大家族の神経質さ、不安、悲しみを分かち合っている。
 この二人の末っ子が、肉体と精神で他の人々の罪を償っているかのようだ。(中略)
 私の子供時代ずっと嘘をつかれ、今でも嘘をつかれている。アンリエットと姉妹たちは、どの家族も戸棚に死体を持っていることを信じたくなく、指を指されることを恐れて嫉妬深く彼らのものを隠している。

 この記述にはさすがに驚いた。『ラクロワ姉妹』第87回)の姉妹のモデルが彼女たちだとわかったからである。作者シムノンの異様な執着を感じるが、そのあたりの経緯は後年のLettre à ma mère母への手紙』(1974)などで書かれるのかもしれない。いまは謎のまま取っておこう。本作でもっとも衝撃的な記述は、このフェリシーおばが30歳で「狂ってしま」い、しかし彼女が精神病院に連れて行かれてもブリュル家の皆は知らぬ顔で、3日後「振戦せん妄の発作で亡くなった」と書かれていることだ。彼女は店の客である「カッコウ」なる男性からストーカー被害を受けていたらしく、フェリシーは彼の「特殊な性癖」によって精神を病んだ可能性があったという。また百貨店での母の友人ヴァレリーは修道女となる。ときにシムノンがホラー小説とさえ思えるほど狂気に満ちた長篇を書いたのは、こうしたさまざまな背景があったためだろうか。

 シムノンは2歳になったマルクの無垢な人間性に、かつて赤道アフリカで出会った現地の子どもたちの姿を見る。シムノンが理想とした「裸の人間」は、幼い子どものなかに宿っているのだと彼は知っただろう。幼きマルクが見るものすべては「美しくシンプル」であり、彼はそのことに何度も思いを巡らせただろう。
 フェリシーの死を描いてから成長を続ける息子マルクについて述べ、そこから数行も置かずにシムノンの連想は、母アンリエットがふたりめの子どもを待っていた日々へと戻る。後に生まれてくる弟クリスティアンである。シムノンの「意識の流れ」は実に自然で、それでいて読者の興味を見事につなぎ止めながら刻々と前へ進んでおり、このあたりの書きぶりには感嘆せざるを得ない。

 弟のクリスティアンが生まれ、本作は後半に入って、いくらかのユーモアを湛え始める。ある程度の分量を書いたことでシムノンに余裕が生まれたのだろうか。後半の話題の中心は母親が引っ越しを提案し、その引っ越し先である4室の借り部屋をやりくりして、大学生向けの下宿を始めることだ。3人の下宿人が登場し、その3人すべてが個性豊かで面白い。ロシア人やポーランド人の生活習慣は、広い世界を知らないアンリエットにとってはつねに文化摩擦の原因となるが、一気にシムノン家の物語は国際性豊かになって世界とつながる。シムノン自身にも新しい世界が拓けた。新しい家のすぐ前に修道士学校があり、成長したシムノンはその学校へ通い、休み時間だけ校門の外に出て通りを渡ることが許されて、家の玄関へ走って昼食を摂ったのである。
 毎週日曜日にシムノンが訪れていた老父も亡くなり、そしてやがて父親デジレも狭心症であっけなく死ぬことになる。母のアンリエットは日々の安心を求めるためだけに下宿を営み、しかしつねに不安からは逃れられない。そうした幼き日々のすべてを、そしてまた息子のマルクが側にいるいま現在の日々のすべてを、シムノンはまるでエピナール版画のようだと形容する。注意して読んでゆくとシムノンの小説にときおり現れる表現である。エピナール版画とはフランス版浮世絵画のことであり、ノスタルジー溢れるシムノンの筆致と鮮やかな色で染められたエピナール版画の雰囲気は、私たち日本人読者のなかでは合致しにくいかもしれない。しかしリエージュで育ったシムノンにとって、ひょっとしたらそれらは古書店や教会のパンフレットで見るような、褪せて寓話的な代物だったのかもしれず、そして近くの菓子屋のように昼下がりの物憂い光が射し込む、過剰に色彩豊かで甘く閉じた場所を連想させるものだったのかもしれない。だがシムノンはそうした菓子店で求める食べものを、大人にねだって飼ってもらうのが大好きだったのだ。
 1941年に書かれた最後の章である第18章は、クリスマスから年末、そして新年を迎えるまでの様子が描かれる。デジレはアンリエットに小さな宝石箱をプレゼントし、アンリエットはデジレにパイプを渡す。シムノンがもらったのは金属製の組み立て玩具「メカノ」や絵の具箱だ。窓の外に広がる世界は、いつしかひとつに溶けてゆく。

 世界が消えた。とても近い修道士学校が、窓にくっつき、冷たく感じられる霧を通して、遠くに見える、というより感じられる。人々が通る、オーバーの襟を立て、手をポケットに入れて。かろうじて見えたかと思うと、再び青白い虚無に沈んでいく。

 賛美歌の歌詞が何度も挿入され、大人たちはポートワインで互いに名を呼び合って乾杯する。
「良いお年を、シムノンさん……」
 実に素晴らしい幕引きではないだろうか。

 この後、1945年に書かれた第19章は、母親と共産主義に対する偏りを含んだ作者の呟きであり、蛇足といえるかもしれない。マルクは5歳半で、シムノンは42歳になっていた。
 いいわけじみた後書きのような第19章が加えられたのは、本作が最初に発表された後、作中に登場する何人かの人物から侮辱的に書かれたと訴えられて、シムノンが負けたためもあるのだろうか。実際、後の増補版では何人かの名前が架空のものに変更された。このようにシムノンはときおり関係者から訴訟を起こされた。ある意味、彼の書きぶりが正直すぎていたためかもしれない。
 だが私は本作が好きだ。私はシムノンの伝記作品を一作は日本語の翻訳版で出版プロデュースしたいと願っている。現在刊行中の《シムノン ロマン・デュール選集》は、当初10冊の刊行を目指して起ち上げられた。現在6冊までのタイトルが予告されているが、10冊のなかに伝記作品を入れることは私の悲願であった。その願いが叶うかどうか、いまはわからない。
 まずは中期シムノンが遺した作品を読み進めることだ。そしてシムノン最大の長篇『血統書』を読む順番は、もうほどなくしてやってくる。
 そのとき私は「良いお年を!」と周りの人々にいえる時代を生きているだろうか。そうであることを切に願う。

 ところで書き忘れていたが、『ベベ・ドンジュの真相』第107回)と前回の『カルディノーの息子』第113回)の読了を以て、オムニビュス社の《シムノン全集》第23巻の攻略を完了した。これで全集27巻のうち、約11年かけて第16巻から第21巻、そして第23巻と、計7冊を攻略したことになる。次回は第22巻や第7巻の収録作で読み残していた、1941年中に書かれた短篇を取り上げよう。
 

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
《月刊星ナビ》で2025年3月号より「オリオンと猫 野尻抱影と大佛次郎物語」を連載中。
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