Nouvelles introuvables 1936-1941 [稀覯短篇1936-1941]
 1. L’oranger des îles Marquises « Marianne » n° 192, 1936/2/5号 [マルケサス諸島のオレンジ]1935執筆(第57回
 2. Monsieur Mimosa « Paris-Soir-Dimanche » n° 57, 1937/1/24号 [ミモザ氏]1936執筆(第57回
 3. Les trois messieurs du Consortium « Le Point » 1938/6/15号(n° 15) [協同組合の三紳士]1938執筆(第96回
 4. L’homme qui mitraillait les rats « Match » 1938/10/13号(n° 15) [鼠を撃ちまくっていた男]1938執筆(第96回
 5. La tête de Joseph « Gringoire » 1939/10/26号(n° 572) [ジョゼフの首]執筆時期不明(1939?)(第103回
 6. Little Samuel à Tahiti « Gringoire » 1939/11/23号(n° 576) [タヒチのリトル・サミュエル]執筆時期不明(1939?)(第103回
 7. Le vieux couple de Cherbourg « Gringoire » n° 601, 1940/5/16号 [シェルブールの老夫婦]1940執筆(第108回
 8. La révolte du Canari « Gringoire » n° 607, 1940/7/25号 [カナリアの反乱]1940執筆(第108回
 9. Le châle de Marie Dudon « Gringoire » n° 618, 1940/10/10号 [マリー・デュドンの肩掛け]1940執筆(第108回
 10. Le destin de Monsieur Saft « Gringoire » n° 624, 1940/11/21号 [サフト氏の運命]1940執筆(第108回
 11. Les cent mille francs de P’tite Madame « Notre Cœur » 1940/12/27-1941/1/3号 [小さな夫人の10万フラン]1940秋執筆(第110回
 12. L’aventurier au parapluie « Tout et Tout » 1941/2/22号 [傘を持つ冒険家]1941執筆(テール゠ヌーヴ城、フォントネー゠ル゠コント(ヴァンデ県))
 13. La cabane à Flipke « Tout et Tout » 1941/4/19号 [フリプ爺さんの小屋]1941執筆

Tout Simenon t.22, 2003/5 Œuvres Comprètes t. XXV, Éditions Rencontre, 1969 Œuvres Comprètes t.26, Éditions Rencontre, 1969 Nouvelles secrètes et policières t.1 1929-1938, 2014/8 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014/8

La rue aux trois poussins, Presses de la Cité, 1963(1963/10/20) [原題:三羽のひよこのいる通り]中短篇集
▼収録作
 1. La rue aux trois poussins « Gringoire » 1941/7/11号(n° 657)[三羽のひよこのいる通り]1940執筆(第111回
 2. Le comique du Saint-Antoine « Gringoire » 1940/1/18号(n° 584) [《サン゠タントワーヌ号》の喜劇]1939執筆(第105回
 3. Le mari de Mélie [メリーの夫]1941執筆*
 4. Le capitaine du Vasco « Gringoire » 1940/2/15号(n° 588) [《ヴァスコ号》の船長]1939執筆(第105回
 5. La deuil de Fonsine 未発表 「フォンシーヌの喪」1945/1執筆 『メグレとしっぽのない小豚』(1946)収載の同題作、またLe bateau d’Émile(1954)収載の同題作と同じ。後年の再刊では割愛。
 6. Le crime du Malgracieux « Gringoire » 1940/4/25号(n° 598) [無愛想な男の犯罪]1939執筆(第105回
 7. Le docteur de Kirkenes « Gringoire » 1939/12/21号(n° 580) [キルケネスの医者]1939執筆(第105回
 8. La piste du Hollandais « Gringoire » 1941/6/27号(n° 655) [オランダ人の足取り]1941執筆
 9. Les demoiselles de Queue de vache 未発表 [雌牛の尻尾の老嬢たち]1941執筆
 10. Le matin des trois absoutes « Gringoire » 1940/3/21号(n° 593)[三度の赦禱しゃとうの朝]1940執筆(同) 『メグレと無愛想マルグラシウな刑事』(1947)収載「児童聖歌隊員の証言」の原型版
 11. Le naufrage de l’armoire à glace « Gringoire » 1941/4/3号(n° 643) [鏡つき衣装箪笥の難破]1941執筆
 12. Les mains pleines « La Patrie » 1945/7/7号(n° 39) 1945/3執筆
 13. Nicolas « La Revue de Paris » 1945/6/3号(n° 3)(L’homme à barbe) 1944/1執筆 『十三人の被告』(1932)収載作「ニコラス」とは同題の別作品
 14. Annette et la dame blonde « Pour Elle » 1941/1/1-1941/2/5号(n° 21-26)(全6回) [アネットとブロンド貴婦人]1940秋執筆(第110回

Tout Simenon t.12, 2003/1(t.4収載の[5]を除く) Œuvres Comprètes t. XXV, Éditions Rencontre, 1969[11, 14] Œuvres Comprètes t.26, Éditions Rencontre, 1969 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014/8

La rue aux trois poussins / Le mari de Mélie, Rédacteur : Hanne Blaaberg, Illustration : Per Illum, Easy Readers, 1985  フランス語学習者向けにAランク600語(A2)でリライトされたもの。[丁(デンマーク)]
収録作
 1. La rue aux trois poussins[1]
 2. Le mari de Mélie[3]

L’homme à barbe et autres nouvelles, Lecture d’Alain Bertrand, Luc Pire, 2008/10 [白(ベルギー)]
収録作
 1. Poussins[1], 2. Nouvelles introuvables 1936-1941[9], 3.-5. Émile[5, 6, 3], 6. Poussins[11], 7. Émile[4], 8. Poussins[8], 9. Émile[8], 10. Poussins[12], 11. Émile[7], 12. メグレとしっぽのない小豚[3]

 今回読むのは、1941年に書かれた短篇、すなわち《シムノン全集》第22巻収載「稀覯短篇1936-1941」から[12,13]の2篇、そして戦後に編まれた中短篇集La rue aux trois poussins 三羽のひよこのいる通り』(1963)から収録作[3,8,9,11]の4篇である。いずれも1941年初旬には雑誌掲載されており、シムノンはこれらの作品を同年の早いうちに書いていたと思われる。
 なお1942年と1943年にシムノンは短篇を書いていない。戦況が厳しくなって雑誌や新聞に小説を発表する機会がなくなったこともあるだろうが、大長篇Pedigree血統書』の執筆に時間を費やしていたのだろう。

Nouvelles introuvables 1936-1941[12]傘を持つ冒険家(1941)■

 シムノンは短篇の場合、ときおりよくわからない凡作を書く。短篇作品を集成したNouvelles secrètes et policières第2巻の解説には、本作は1933年に旅客船に乗って「155日間世界一周旅行」をしたとき見聞きした実話のひとつで、しかし短篇集『悪い星』第49回)には収録されなかった逸話だと書かれているが、確かに当時の旅行で立ち寄ったニュージーランドが登場するものの、たぶんこれは創作だと思われる。
 作品の冒頭にも実話であることが注意書きとして記されており、これまで世界各地を回ってたくさんの冒険物語を聞き集め紹介してきたが、多くの読者は「実話」と書いてあるにも関わらず「味気ない! 平凡すぎる!」と溜息交じりに不平を述べる。そのため書き手はパリへ戻ってからいくらか実話を「味つけ」すなわち「熟成」させる必要があった。その作業はときに編集部の秘書がやってくれた。しかしかねがねそうした現実にはうんざりしていたので、ここで本当の実話を、本物の持つシンプルさのままに書いてみたのがこの作品である、といって本作は始まるのだ。
 主役の人物は大柄で暇を持て余している青年ボブ・フランボワーズ23歳。実際はロベール・T某という名前で、ちょっと名の知られた地方蒸留酒製造業者の息子なのだが、そこで出しているフランボワーズ(木苺)をベースにした婦人用リキュールにちなんで、フランボワーズと渾名がついたのである。彼はふだんからパリのアメリカンバー《フーケ》に入り浸って他の客にちょっかいを出し、酔うと冒険家気取りで大言壮語になるのがつねで、これまでも客にそそのかされていくつもの危険な仕事を転々としてきた。しかし最後までやり遂げたためしがない。
 あるとき客のふとした会話が発端で、彼は飛行機の免許を取る羽目になった。店では客たちが彼の顔を見るたび「どうなった?」と冷やかすのだが、本当は誰も彼がパイロットになれるとは思っていないのだ。それなのに人々は冗談半分で彼に観光用の機体をひとつ買わせてしまい、ついにそのコクピットへ押し込んで、彼が飛び立つのを見送ったのである。
 酔ったフランボワーズは自分がどこを飛んでいるかもわからない。明け方にシチリアの小さな飛行場に降り立ったところ、世界一周旅行に挑戦しているオランダ人だと勘違いされ、さらに遠くへ行かざるを得ない状況に陥った。英領スーダンの砂漠からケニア、ベルギー領コンゴ、ケープタウン……彼はいつしかオーストラリアを目指すことになっていたが、結局ニュージーランドのウェリントン飛行場に墜落し、オーストラリアには辿り着けなかった。機体はばらばらだ。彼は醸造会社の父に金の無心の電報を打ったが、おまえはもう家族ではないと、つれない返信が一通届いたのみだった。
 その2か月後、書き手である「私」は世界一周旅行でウェリントンに到着した。ボブ・フランボワーズの話を聞いていた私は雨の日、対蹠地にある港に上陸し、住民に彼の居場所を尋ねて彼と会った。
 そして5、6年が過ぎた。もうパリのシャンゼリゼでボブを憶えているのは古参の常連のみだ。「私」は偶然にも放浪の旅で再びウェリントンに寄港することになり、ボブを思い出して再会を試みたところ、意外にも彼はまだその土地にいたのだ。どうやって暮らしていたのか尋ねてみると……。
 シムノンは飛行機のことは詳しくなかったと思われる。観光用の機体といっても、まさか小型のプロペラ機で世界一周旅行を試みたはずはないだろうが、そうとしか読めない。広大な南太平洋をどうやって渡ったのだろうか。そこはスルーするとして、そもそも本作はタイトルが作品内で回収されていない。冒険家とはボブ・フランボワーズのことだろうが、この短い小説のなかで、彼が傘を持っているシーンは一度たりとも登場しない! 最初に「私」がボブと会ったのは雨の日だったということだから、そのときボブは傘を差していたのだろう。ウェリントンはとくに雨の多い地域ではなさそうだが、それでもボブはいつも傘を持ち歩いていたといった裏設定がシムノンの構想にはあったのかもしれない。しかし本文からそれらのことが読み取れないのはさすがにいかがなものか。こういういいかげんな短篇をたまにシムノンは書くのだという一例である。
 結局、ボブは意外な経緯で商売が成功しており、再び冒険家になろうとするところで本作は終わる。これが実話ではなく創作だと私が想像するのはなぜかというと、シムノンはニュージーランドを二度も訪れていないはずだからだ。少なくとも二度目の旅で偶然にボブと会ったというくだりはあり得ない。
 一度目には本当にボブという青年と会ったのかもしれない。本当のボブは商売で成功などしなかったのかもしれない。人生を「熟成」させるとはいかなることかと考えると、いささかの悲哀も生まれる。「味つけ」が不発に終わったのならなおさらである。
 なお《フーケFouquet’s》とはパリのシャンゼリゼ大通りに実在する1899年創業の有名なアメリカンカフェレストランで、『ロニョン刑事とネズミ(ねずみ氏)』第79回)にも登場した。以前、フランス語の先生に、店名はどう発音するのかと質問したところ、アメリカンレストランなので英語風に《フーケッツ》と発音するのだと教えられたが、現地に行ってみたらフランス風に《フーケ》と呼ばれていたと主張する旅行者も多く、実際のところどちらが正しいのか私にはわからない。『ロニョン刑事とネズミ』では《フーケ》で統一されている。

Nouvelles introuvables 1936-1941[13]フリプ爺さんの小屋(1941)■

 これも奇妙な作品だ。舞台は『フールネの市長』第97回)と同じく、ベルギー西北部のフールネ(フランス読みではフュルヌ)。市庁舎の大時計とその前の広場、それに面したカフェバーの光景から物語は始まる。ペーテルス夫妻が営むこの店では、毎晩主人のアルチュール・ペーテルスがデ・グレーフ、ファン・エーテリング、ブローデレルス、スクラムという常連客とカードゲームに興じている。薬剤師のデ・グレーフは皆から嫌われており、彼もふだんから不愉快な言葉しか口にしない。だからなぜ彼が毎日来るのかふしぎだった。
 雨の降り続くある夜、店に意外な来客があった。タクシーから降りてきたのは15か16歳の若い娘で、大きなスーツケースを所持している。フラマン語がわからないらしく、駅でポーターを捕まえてなんとかここへ辿り着いたようだ。娘はアルチュール・ペーテルズの兄ウィルヘルムの娘、ヌウチ・ペーテルズだと名乗った。つまりアルチュールの姪である。ハンガリーのブダペストから出てきたという。父親とはブリュッセルで別れ、この店に行くよう告げられたらしい。だがアルチュールは兄に娘がいたかどうか思い出せなかったし、兄がハンガリーに住んでいたことも知らなかった。他の常連客は気を利かせて帰ろうとするが、デ・グレーフだけは不快な笑みを湛えたまま居残り続ける。
 若娘ヌウチはスーツケースから美しい海泡石のパイプを取り出し、父からの贈り物だといってアルチュールに渡す。さらにペーテルス夫人には鮮やかな刺繍のテーブルクロスを、同居する従姉妹のミナには手の込んだブラウスを。アルチュールはようやく、兄が贈り物に熱意を込めていたことを思い出した。この店では鳥籠で鸚鵡を飼っている。兄がコンゴへ赴いた際に送ってきたのだ。彼はめったに便りを寄越さないが、どこかの国を通るたびに記念品を贈ってきたのだ。
 ヌウチはさらに金のペンダントやアラブ風の指輪など高価な品々を取り出してゆく。さすがに皆は驚き始める。兄のウィルヘルムはアルチュールより5歳上で、いまは57歳のはずだ。そしてフランドルに戻らなくなって26年、最後の手紙を受け取ってから17年が過ぎている。アルチュールは手紙のことを思い出して抽斗から取って戻ってきた。17年前のはがきにはチョウザメの漁場経営をしているとある。兄はキャビアだけでなくそれまでさまざまな国で商売を試みていたのだ。そのなりゆきを見ていたデ・グレーフは、酔って「ウィルヘルムは財を成したんだ!」と店の家族を嘲笑した。
 ペーテルスはいったんヌウチを自宅に泊め、2日後に彼女と連れ立って列車でブリュッセルへと出発した。ハンガリー領事館でヌウチのパスポートを確認してもらうためである。職員に翻訳してもらいながらヌウチの素性や両親の所在についても尋ねたが、すでに母は亡くなり、親戚の家に預けられ、父は週に一度しか姿を見せず何をしているのかわからないという。話の途中で、前夜国境の向こうで税関職員が殺されたという話が出た。帰宅して店に出たその夜、アルチュールはデ・グレーフから意味ありげに「フリプ爺さんの小屋」の話を振られた。ポルダー地帯の向こうにある、国境と運河にほど近いトタンの小屋で、ある日どこからともなく老人がやってきて住み着いた。人々はその老人を「フリプケ(フリプ爺さん)」と呼んでいたが、それが本名なのかどうかはわからない。老人は数か月前にテーブルに凭れたまま死んでいるのが見つかった。いまはフリプケの後継者が小屋に住んでいる……。なぜデ・グレーフはそんな話をするのか? 彼はペーテルスが煙草の密輸に関わっていると信じていて、老人は国境の見張り役を請け負っていた、だから……と悪意ある告発でもしたいのだろうか? 
 2か月後、デ・グレーフは、小屋に住み着いた新しい老人も死んだことをアルチュールに伝えに来た。老人がカトリック教徒なのかわからないので教会でミサがおこなわれるかどうかわからない、と。デ・グレーフはまだ疑っているのだ。アルチュールは亡くなった老人のミサ費用を自分で出すことに決めた。店で他の常連客と静かにカードゲームができればそれでよいのだ。しかし現実は……。

 翻訳が終わった後、Claude Opus 4.1は、こちらが頼んでもいないのに本作の要約を手際よく出力してくれた。

 以上が「フリプケの小屋」(LA CABANE À FLIPKE)の日本語訳です。この短編は、フランドル地方の小さな町フュルヌを舞台に、突然現れたハンガリーから来た姪ヌーシ〔ヌウチ〕と、彼女の父である長年音信不通だった弟〔兄〕ウィルヘムの謎、そして町の人々の疑念と噂話を描いた、シムノンらしい心理的な緊張感のある作品となっています。

 さらにFlipkeという名はどう発音するのか尋ねると、次のようにわかりやすく説明してくれた。なるほどと感じ入り、これを踏まえた上で本稿では「フリプ爺さん」と「フリプケ」を使い分けてみた次第である。

「FLIPKE」はフラマン語(オランダ語)の名前で、「フリプケ」と発音します。
 より詳しく説明すると:

・FLIP は「フリプ」
・KE は縮小辞で「ケ」

 フラマン語では「-ke」という語尾は愛称や縮小形を作る接尾辞で、親しみを込めた呼び方になります。例えば「manneke」(小さな男)のような使い方です。
 この物語の文脈では、Flipkeは国境近くの小屋に住んでいた老人のあだ名または愛称として使われており、おそらく本名の「Filip」(フィリップ)に縮小辞「-ke」をつけた形だと考えられます。日本語に訳すなら「フィリップじいさん」「フィリップ爺」のようなニュアンスになるでしょう。

 生成AIは「そして町の人々の疑念と噂話を描いた、シムノンらしい心理的な緊張感のある作品」と述べているが、本作の読後感がすっきりしないのは、まずデ・グレーフという男の立ち位置や思惑がよくわからないこと、そしてまた一方で、やってきた若娘ヌウチが必ずしも品行方正な金持ちの娘には見えないことにある。デ・グレーフは町の情報屋を気取って、次の市議会選挙にも絡もうとしているらしいのだが、どうやらそうした情報のほとんどは彼の思い込みに過ぎないらしい。誰にとっても迷惑千万な男であるが、蛇のようにしつこくつきまとってくるのだ。アルチュールに平穏が訪れることはないだろう。
 そして自宅に泊めることにしたヌウチは、場所を構わず煙草を吹かし、完全にこれから先も居候を決め込むつもりであるらしい。引取手がないためアルチュールら弟一家が面倒を見るほかないのだ。なるほど確かに兄のフィリップは金持ちになったのだろう。だがなぜ娘のヌウチを弟夫婦に押しつけようとするのか理由がわからない。何かの犯罪に関わっているためだろうか、と邪推したくなるが、何も手がかりはない。そしてポルダー地帯とは海面より標高の低い広大な干拓地のことで、実際に国境近くならば密輸業者が暗躍していることであろう。アルチュールを取り巻くこうした周囲の環境すべてが不穏なまま、本作は終わるのである。
 シムノン特有の投げ出すような曖昧描写が「シムノンらしい心理的な緊張感のある作品」として効果を上げている(かもしれない?)一例である。

Poussins[8]オランダ人の足取り(1941)■

 そのパリ司法警察局の刑事は《グランド・ホテル》に宿泊するコルネリウス・モプスという男に張りついて、その動向を調べていた。このモプスという男は3週間前に何の荷物も持たず不意にホテルに現れ、以前に泊まった部屋が懐かしいので125号室に泊まりたいと申し出たのだ。あいにく125号室は南米から来た派手なカリアーノ夫人の宿泊で塞がっており、ホテルの受付係は真上の225号室も同じつくりなのでそちらを勧め、モプス氏はそこに泊まり続けている。だが宿帳を見ればモプスなる人物が以前に125号室に泊まったことがないのは明らかで、彼は部屋が空くのをずっと待っているのだが、痺れを切らしているようなのだ。ドアマンのエミールが彼を怪しいと感じ、刑事に耳打ちをしたため、司法警察はこのモプス氏の足取りを探り続けているのだった。これまで犯罪歴はない様子だが、《グランド・ホテル》に来る直前、冴えない姿で北駅近くの安ホテルに3日ほど泊まっていたとの目撃証言もある。そしてスーツを新調して《グランド・ホテル》に来たようなのだ。
 ホテルはカプシーヌ大通り:オペラ・ガルニエの手前にあるオペラ広場を左右に横断し、西でロワイヤル通りと連結してコンコルド広場へと通じる道]に面し、いくらでも遊ぶ場所はあるのに、彼はほとんど行動範囲を広げようとしない。ようやく数日経ってバーや社交ダンスのできるカフェ(le thé-dansant)に赴き、《カフェ・ド・ラ・ペ》[平和な(平穏な)カフェの意味。1862年創業の有名店で、多くの芸術家や作家に愛された。カプシーヌ大通りを折れてすぐの場所にあり、オペラ広場に面する]のテラス席に長居し、あてもなくグラン・ブールヴァールを歩いてゆくといった具合だった。誰かの来訪や郵便の到着を待っている様子さえなく、彼はどんどん痩せてゆく。「自殺しようと思っているのではないか」とエミールは心配していた。
 だが先ごろ、ついに彼は125号室のカリアーノ夫人と面識を得たのだ。ふたりが社交ダンスカフェに行き、会話を交わす様子を刑事は確認する。酔ったふたりはホテルに戻り、いっしょに125号室へと消えていった。ルームサービスの電話がロビーにかかってくる。刑事は部屋の隣にある用具室に忍び込んで待ち続けた。何らかの犯罪がおこなわれるとしたら今夜しかない! 刑事はついに時計の針が深夜1時を回ったとき、125号室に異変を感じて乗り込んだ。夫人は深酒で嘔吐しており、モプスは確かに室内で何かを探そうとした形跡がある。だがモプスをオルフェーブル河岸の司法警察局へ連行し事情聴取すると、なんとも奇妙な経緯が明らかになった……。

 ここから先の4篇はいずれも《グランゴワール》誌への寄稿作品。しかし本作もまた気の抜けた、相当にくだらないお話だ。
 素性のよくわからない男が突然ホテルにやってきて、特定の部屋に泊まりたいなどといい出したら、その部屋には何かの秘密が隠されていて、男はそれを回収に来たのだと、ふつうの読者ならすぐに察することだろう。実際、モプスという冴えないイタリア人は、その部屋にダイヤモンドの宝石が隠されていると聞いて、それを探しに来たのである。だが先客がなかなか部屋を明け渡さないので、最後の手段として夫人と仲良くなり、部屋に招待してもらう道を選んだのだ。ここまで何の意外性もない展開である。
 ただしモプス氏は泥棒集団の一味ではなかった。彼はオランダのレーワルデンという都市で20年も乳製品会社に勤めてきた男だった。しかしアムステルダムで開かれたチーズ組合に出席したとき、スネーク『人殺し』第55回)にも登場する町]から来たペイペカンプという男にある話を持ちかけられ……そして人生が変わってしまったのである。
 オチで明かされるあまりにくだらない手口に、こんな詐欺が本当に通用するのかと呆気に取られるほどだが、作者シムノンも半ばやけくそになったのか、ホテルのドアマン・エミールからかかってきた電話に怒鳴り散らす刑事の描写で本作は終わる。なんというか、本作を読んだ読者自身でさえ自分が哀れに思えるような、実にもの悲しい三文喜劇である。

Poussins[3]メリーの夫(1941)■

 パリのサン゠ジャン通りの外れで魚屋を営む女主人メリーは、その日、ある男が夕方からずっと店の様子をうかがっていることに気づいていた。ついに男はおどおどした感じでメリーの前にやってくる。それは26年前に失踪したかつての夫、ニコラであった。とうの昔に彼は死んだものとして役所にも手続きを終えている。なぜいまになって帰ってきたのか。
 ニコラはかつて、地方紙にたまに小さな記事を書いていたからという理由だけでジャーナリストを気取り、まともな職に就くことがなかった。ふたりでレピュブリック広場の前のアパルトマンに住んでいたとき彼の所持金はいつもほんのわずかだった。あるとき彼は「重要な仕事のため出てゆく。必ず金持ちになって戻ってくる」と手紙を残してメリーのもとから消えたのである。船でアルジェリアに向かったとの噂があり、またときおり金を無心する手紙が届いた。どうやら海外を転々としていたらしい。だが戻ってきたいまも決して裕福な身なりをしているとはいえない。彼の鞄の中身は薄汚れた日常品だけで、所持金はわずか40スー硬貨一枚。しかし55歳となったはずの彼は、まだ「もうすぐ大きな仕事が成功する」といってメリーに金をせびろうとする。10歳年下のメリーはずっと自分で魚屋を切り盛りしてきたのだ。かつての夫が何をいおうと、とうてい信じられるはずがない。実際、彼は以前に金を送ったと主張するのだが、そんな金は届いたことがない。
 かつての夫に見切りをつけたメリーは冷静に立ち振る舞った。前年に荷車で魚の行商をしてくれていたロワゾー爺さんが72歳で亡くなっている。あなたは明日からロワゾー爺さんの代わりとして荷車を曳きなさいと諭したのである。今夜は物置で寝てもらうが、明日の朝6時には起きて仕事を手伝うよう伝える。仕事着はロワゾー爺さんの服を使えばよい。本名のニコラでは世間体が悪いからジュールと名乗るようにとも告げる。その晩メリーは厳重に鍵をかけて、かつての夫が金品を持ち逃げすることのないよう充分に注意した。
 翌朝、店にやってきた手伝いの若娘が、店の上階で物音がしているのに気づく。まさかメリー夫人が男を引き入れたのか──と、この娘は思って驚いているに違いないとメリーは推察するが、他人のたくましい想像はあえて放置することにした。しかしずっとニコラを自宅へ住まわせることはできない。メリーは知人が経営する宿屋を紹介し、そこに〝自分はメリーのいとこで、宿代はメリーが払う〟といえばよい、と突き放した。
 向かいで傘屋を営む老夫婦が起き出して窓を開ける。そのときニコラがメリーの隙を見てレジの100フランをくすねようとしているのがわかった。もちろん宿の前金として彼に渡すつもりのものだったのだが、ニコラは咄嗟にいい訳をする。「お返しはするよ、アメリー……」
 彼女は夫から本名で呼ばれることに虫唾が走った。他の人たちと同じようにメリーと呼んでほしいと彼に告げた。
 夫は出てゆく。メリーは仕事に戻った。自分には他にやることがたくさんあるのだ。メリーは店の仕事に没頭してゆく。だがその心は──彼女のみぞ知る。

 だめな中年男、人生に敗北した哀れな夫、というキャラクターを、この時期のシムノンは繰り返し描いている。本作もその一篇であり、やはり他作と同様にペーソス溢れるもの悲しい小品となっている。彼らは決して人生の逆転勝利をつかむことがない。だめな中年男は最後までだめ男のまま潰れてゆくか、世間から見放されてしまうことが非常に多い。先に見た「傘を持つ冒険家」のように〝実は人生に成功していた〟という結末を無事に迎える作品の方が珍しいのだ。シムノンは自分が父となって、また30歳代終盤に差しかかり中年の域に足を踏み入れ始めたことで、あえてだめな父親像や哀れな中年男性像に、ふしぎと自分を重ね合わせるようになっていったらしい。何となくその心理はわかる気もする。とくに今回紹介の短篇群を書いたのは、病気であと2年の命だと誤診され、その真偽のほどがまだよくわからなかった時期であろうから、自分の限界に思いを馳せていたときでもあったのではないか。
 本作はフランス語やフランス文化の勉強の観点から個人的に興味深い記述があったので、ここに書き留めておく。
 まず向かいの傘屋を営んでいる老夫婦の描写で、彼らは夕方から店を閉め、あとはずっとシャッターの前で並んで椅子に座りぼんやりしている、とあり、とくに夫の方は周りから「l’invalide à tête de bois」と呼ばれている、と書かれていてあっと思った。これは後にシムノンが書く車椅子探偵ものの第2弾、《ハヤカワ・ミステリ・マガジン》に近年訳出された短篇「車椅子の頑固者L’invalide à la tête de bois」(1952)の原題と(ほぼ)同じなのである。私はかつてこの原題の意味がよくわからなかった。「木製の頭には無効」と訳すのだろうか、と考え込んだりもした。現在の生成AIは「木の頭の障害者」と訳出する。
 フランスでは19世紀にウジェーヌ・ムートンという作家が書いた「L’invalide à la tête de bois木製の頭を持つ傷痍軍人」というブラックユーモア短篇が知られているようで、使い物にならないぼんくら男を暗に指す言葉として使われていたのだろうと今回初めて知った次第だ。
 もうひとつ、夫のニコラがレピュブリック広場の前のアパルトマンから出てゆくとき、彼が残した金はわずか「2スー硬貨一枚」だった、というくだりがあり、こちらもあっと思った。ユーロで統一される前のフランスではフランとサンチームという貨幣単位が使われていた。しかしさらにその前はリーヴル(livre)とスー(単数形はシュsou、複数形でスーsous)という単位が使われていた。『レ・ミゼラブル』の時代では1スーか2スーが1日のパン代だったという。
 私は以前からスーという貨幣のことがよくわからず混乱していた。シムノンが小説を書き始めたころにはすでにサンチーム硬貨が出回っていたはずである。しかしシムノン作品にはしばしばスーという単位が(サンチームと並列的に)登場する。これがなぜなのか私にはわからなかった。
 代表例としてメグレものの『三文酒場』第11回)を挙げることができる。この原題は「2スー・ギャンゲットLa guinguette à deux sous」で、ギャンゲットとは当時流行った大衆的なダンスホールのことであり、あえて正確に訳すなら「三文酒場」ではなく「二銭ギャンゲット」になる。作品内では店内の自動ピアノに2スーを入れるとダンス音楽を奏で始めるとあり、それが店の通称の由来となっているのだが、なぜサンチーム硬貨ではなくスーの貨幣を入れるのかわからなかったのだ。店にある自動ピアノが古いものなので古い硬貨しか受けつけないためだろうか、などと考えたりもした。またベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』(Die Dreigroschenoper)の「三文」(3ペンス)とシムノンの『二銭ギャンゲット』の「2スー」はたぶん同じような意味なのだろうが、厳密にはどうなのだろうと頭も捻った。
 かつて1リーヴル=20スーであった。フランス革命後にリーブルはフランに代わり、1フラン≒1リーヴルだったのですなわち1フラン=20スーとなった。一方で1フラン=100サンチームとなったので、1スー=5サンチームと換算できる。ただ、実際に本作が書かれた第二次世界大戦中も硬貨として流通していたのかどうか、そこがどうもよくわからない。1795年にスー硬貨は姿を消したはずである。そして1940年代にいったん5サンチーム硬貨も廃止されるのだが、この5サンチーム硬貨をフランスの人々は1スーと呼んでいた可能性がある。こうしたことがよくわからないのは、フランス文化を体系的に学んでいない私のような人間の弱みである。
 今回、10年前より格段に賢くなったGoogleで改めて検索してみたのだが、日本における「二銭銅貨」のような「2スー硬貨」というものが存在したのかどうか、私にはわからなかった。作品中には「2スーの硬貨一枚une pièce de deux sous」と書いてあるのだが、これは比喩表現で、単にニコラは小銭しか残さなかったという意味かもしれない。ただしGoogleは「Je n’ai que deux sous.」(私はほんの少し[の金]しか持っていない)や「Il ne vaut pas deux sous.」(彼は大した価値がない)といった使い方の例を示し、「「deux sous」は文字通り「2 sous」ですが、歴史的な通貨の単位が転じて、現在では「ほんのわずかなお金」や「少しの価値」を意味する言葉として使われることが多いです。」とまとめてくれていた。
 2スーに相当する「10サンチーム硬貨」はあったが、たぶん「2スー硬貨」は存在しなかったと思う。ごく少額でほどほどに切りのよいサンチームの金額を、当時のフランスの人々はスーの単位で話していたということのだろう。だが、それでは「40スーの硬貨をテーブルに置くpose sur la table une pièce de quarante sous」とはどう考えればよいのだろう? 
「三文酒場」に行って自動ピアノに投入する金額は、三文=3ペンスではなく2スーであるが、しかしそれが10サンチーム硬貨1枚だったと考えてよいのかどうか、いまだに私は確証が持てずにいるのであった。
 

Poussins[11]鏡つき衣装箪笥の難破(1941)■

 もしあなたが地上の楽園ポルクロール島に上陸したなら、広場で石突き遊び[現在はペタンクと呼ばれる]をしている人々から《鏡つき衣装箪笥》の難破について話を聞かされるかもしれない。ただし語る人によって少しずつ内容は違うだろう。誰も嘘をついているわけではないが、いまからここに記す真実を皆は知らないだけなのだ。
 太ったブッスという男がポルクロール島にやってきて、毎朝《鏡つき衣装箪笥》の愛称で知られる《海王カンムリベラ号》[Girelle Royale:Girelleとは地中海に棲息するカンムリベラのこと。非常に美しい魚で王Royaleと呼ばれる。ブイヤベースに用いられる]という船に乗り込み、島の最先端のメド岬に定位置を見つけて、ヤドカリを餌に釣りをしていた。毎日ベラやハタ、カサゴなどがたくさん釣れる。岬の切り立った岩は島の住民からこの絶好のスポットを隠してくれる。ふだんはブッスの船が浮かぶだけで誰ひとり見当たらず、他船のエンジン音も聞こえない。空はトルコ石のような青、海はオパールのような色で、至福の時間が流れてゆくばかりだ。しかしその日は突然「ミミール!」と彼を呼ぶ声が聞こえてきた。
 ミミールとはブッスの本名エミールの愛称であるが、ポルクロール島でその名を知る者はないはずだ。それにもう25年も彼をエミールと呼んだ者はいない。しかし呼ばれた瞬間、彼はこのときが来ることをわかっていた。岩の後ろから平底船が音もなく現れ、そこにひとりの男が座っていた。相手の船は《鏡つき衣装箪笥》のすぐそばまで寄ってきた。
「何を怖れているんだ?」と相手の男は訊く。だがブッスはこの男が自分を捜しに戻ってくるとわかっていた。数か月前、新聞にブッスの名が載ったためだ。ブッスは25年間、ギアナで徒刑の身にあった。目の前の男と最後に会ったのは25年前、ブッスが22歳のときだった。ブッスは数か月前に他の囚人たちと脱獄を試み、仲間の半分は途中でサメに食われて死んだが、ブッスは生き延びた。だがそのことが新聞に載った。島に来てからブッスは他人を見るたびに「あれはモーヴォワザンか?」と身構えていたのである。
 相手の男、ジュール・モーヴォワザンは、かつてブッスがサン゠カンタンで暮らしていたときの隣人だった。困窮したブッスは行きがかりの出納係をレンチで撲殺し、彼の所持していた大金を奪おうとしたのである。その現場をモーヴォワザンに見られてしまったブッスは、モーヴォワザンに分け前を与える代わりに死体隠滅の手伝いをしてほしいともちかけた。結果的にモーヴォワザンは共犯者となったのだが、その後匿名の告発文でブッスのみが徒刑となった。モーヴォワザンの妻はブッスに浮気しており、そのことがモーヴォワザンの復讐の動機となったのだろうか。
 意外なことに、ジュールはあくまで平穏な表情と言葉遣いでブッスに話しかけ、ブッスの船を褒めた。太ったブッスは船上で快適に暮らすためさまざまな改良を施し、テントや船室を据えつけ、地元民からは《鏡つき衣装箪笥》と皮肉をいわれるほどだった。船上部が重くなったのでいつ転覆してもおかしくない。
 会話が続くうちにブッスは当時の犯行状況を鮮明に思い出してゆく。だがふしぎなことに、相手のジュールはどこまでも平穏で、まるでいまこの瞬間は天国にいるかのようなのだ……。復讐でないとしたらジュールはなぜここまで追ってきたのだろう。

 南仏ポルクロール島の情景が鮮明に読者の心に浮かんでくる。決して文章を費やしているわけではないのに、昼下がりの岬沖で、永遠の時間に包まれるかのような静けさと安らぎが、まるでその場にいるように伝わってくるのである。ブッスはおのれの忌まわしい犯罪歴について語り合っているのに、周囲の環境との大きなギャップが、彼を夢幻の世界へと引き込んでゆく。
 ラストに待つのはおそらく読者の多くが頭の片隅で予想していた結末であるが、それは不意に起ち上がるためこちらに余計なことを考えさせるいとまを与えない。永遠の楽園世界にふさわしい幕切れだ。優れた余韻を残す一篇である。

Poussins[9]雌牛の尻尾の老嬢たち(1941)■

 ラ・ロシェルの近傍、マルシリーから1キロほど離れたところに、ブードリュ姉妹の農場はあった。他の農場から孤立した場所で、世界の果てのようにも思われるので、人々はそこを《雌牛の尻尾》と呼んでいた。大潮になると海水が農場のすぐ前まで浸水してくる。ムール貝が取れるため、姉のオルタンスはムール貝の仕事を主におこない、牛の世話は妹のエミリーが担当していた。
 この農場で26年間、孤児として育てられてきたのがジャンである。ジャンはマリー・キュジャックという、やはり農家の娘との結婚式を2日後に控えていたが、心にひとつのわだかまりがあった。自分の両親が本当は誰なのか、いままで知らずに生きてきたからである。
 ブードリュおばたちは、あなたは私たちの兄弟だったレオンの子で、レオンは植民地で死んだのだというのがつねだったが、レオンという男はジャンが生まれる前後にはフランスにいなかったことがわかっている。村の人々はブードリュ姉妹のどちらかが村の外で愛人をつくって産んだのではないかと噂していた。婚約相手のマリーはジャンの出生のことをさほど気にしてはいなかったが、ジャン自身はやはり結婚するまでに、きちんとおばたちから真相を聞いておくべきだと考えていた。そしてジャンはその決意を実行したのである。ムール貝を駅へ運んでゆく際、彼は思い切ってオルタンスおばに尋ねたのだ。
 一方、マリーは結婚式の服を試着するためエミリーに手伝ってもらいながら、彼女にジャンが自分の出生について悩んでおり、ふたりのどちらかに相談したと聞いていると伝えた。エミリーは相談を受けていないから、ジャンは姉のオルタンスと話したことになる。エミリーはそのことから、ジャンはあえて自分を避けたのだ、なぜならこの自分こそが本当の母親ではないかと疑っているからだろう、と思い、逆にマリーに対して「あなたはどちらだと思う?」と問いかけるのだった。ふたりの姉妹は体格も性格も対照的である。姉のオルタンスは体つきもよいが、妹のエミリーは貧弱で神経質である。
 しかし彼女ら姉妹にはつねにふたりだけの会話があった。たとえば毎週一度、村の外れの小屋に独り住むジョゼフ爺さんが、金をせびりにやってくる。その金額について話し合うのも、なぜ彼に金を渡すのかも、理解し合っているのは彼女たちふたりだけだ。
 そして結婚式がやってきて、その日からマリーも夫ジャンの住まいである《雌牛の尻尾》で暮らし始めた。そしてマリーはついに真相を知った……。

 舞台設定はロマン・デュール長篇『波濤』第89回)、人物配置は『コンカルノーの女たち』第53回)に近い小篇。終始どんよりとして、表面的には何も事件は起こっていないのだが、シムノン特有の曖昧文体が内面のサスペンスを盛り上げる。終盤になると誰がどの台詞をしゃべっているのか明示がなされなくなり、読んでいると主要登場人物4人の心が溶け合い混じり合ってゆくかのような感覚に囚われるのが特徴だ。
 実は四半世紀にわたって、姉妹は誰にもわからない壮絶な戦いを繰り広げていたのである。どちらがジャンに真実を打ち明け、優位に立つかという戦いである。その危うい均衡、膠着状態が、ジャンの結婚式当日、外部からやってきたマリーという別の女性によって崩され、秘密は女性たち3人によって共有されることになる。ジャンが結婚の許しを得ようと初めてマリーの名をおばのふたりに告げたとき、姉妹は無意識のうちに拒絶していた。マリーの父は斜視だとか、意味のない理由を並べて気乗りしない様子を見せた。ふたりは女がもうひとりこの家に入ることで、自分たちの戦いが変わってしまうことに気づいていたのだ。本作の最後の一文は極めて曖昧で、何を指しているのか瞬間的にはわからないほどだが、じわじわとその恐ろしさが効いてくる。

 これからは、牛の尻尾に三人いることになった。(Claude Opus 4.1翻訳)

 この先に待ち受けている、未来永劫にわたって続くであろう地獄の光景が、読者の目にも見えてくるのである。

 今回は6つの短篇を読んだが、後半の3篇は読み応えがある。見知った土地を舞台に選びつつ、新しい心象風景を描き出して読者に届けてゆくその技量はさすがだ。これらは余命2年という診断結果が誤診であったとわかる前後の作品であり、どこか生と死の無常観や男性の限界性といった諦観も見え隠れする。だめな中年男性像を描いたとき筆致にはペーソスが宿り、「哀れな男」という表現がいっそう現実感を伴うようになったが、一方では生と死がもたらす刹那と永遠が込められ、「斜視」という身体的特徴がときおり文章中に浮上して、まだシムノンは自分が肉体を持って生きていることを文に刻みつけようとする。そしてなぜ26年や25年という時の流れが何度も言及されるのだろう。26年前といえば1915年、シムノン12歳のときであるが、特別な意味があるのだろうか。
 中期の短篇群は、やはり日本でも一冊は精選集のかたちで世に出しておくのが望ましいと思うが、期が熟すまでどのくらい時間がかかるのかはわからない。

 今回でオムニビュス社《シムノン全集》第22巻の攻略を完了した。これで全集27巻のうち、第16巻から第23巻までの計8冊を読み終えた。

瀬名 秀明(せな ひであき)
 1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
《月刊星ナビ》で2025年3月号より「オリオンと猫 野尻抱影と大佛次郎物語」を連載中。
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