『ラクロワ姉妹』監修者からのひとこと(瀬名秀明)
 本連載〈シムノンを読む〉をきっかけとして刊行が始まった、東宣出版の〈シムノン ロマン・デュール選集〉。今後も多くの方からのご支援を賜りたく、第4回配本『ラクロワ姉妹』の刊行とあわせて、トークイベント開催ならびに翻訳者の方々からの紹介文を、読者の皆様へお届けできることになりました。
〈シムノン ロマン・デュール選集〉は私・瀬名の解説文を巻末に掲載する体裁で統一しているので、「訳者あとがき」がございません。ですが私は以前から「シムノンについてもっと多くの人と語りたい!」と願っており、このたび訳者の皆様にご登場いただけることは本当に嬉しく、私自身にとっても大いなる発見があって、楽しく拝読させていただきました。今回ご執筆いただいたのは伊藤直子さん。きっと皆様にも喜んでいただけることと思います。そしてぜひあなたも今日からシムノン愛読者のひとりに加わってください。
 東宣出版・津田啓行さんからの「ひとこと」とあわせて、どうぞお楽しみくださいますよう、よろしくお願いいたします!
 

【監修者・瀬名秀明からのお願い】
・実は東宣出版刊の〈シムノン ロマン・デュール選集〉は実売数700部や600部程度であり、まったく売れていないといった状態で、続刊も危ぶまれるほどです。最初は10冊刊行の予定だったのですが多くても現状予告されている6冊止まり、あるいは今回の4冊ないし次の5冊目で中止の可能性さえあるかもしれません。
紀伊國屋書店トークイベントの予約者数は3月2日現在わずか4名で、こちらも開催できるかどうかの瀬戸際です。
・どうか今後のシムノン邦訳刊行へつなげるためにも、ひとりでも多くの皆様のイベントご来場、選集ご購入、地元図書館や所属大学への購入の働きかけをお願いいたします!

月射病 (シムノン ロマン・デュール選集) 袋小路 (シムノン ロマン・デュール選集) 反動分子 (シムノン ロマン・デュール選集) ラクロワ姉妹 (シムノン ロマン・デュール選集)

ジョルジュ・シムノンはおもしろい
――『ラクロワ姉妹』を訳して――

伊藤直子

 
 ジョルジュ・シムノンはおもしろい。自分にとって初の原文シムノンは《メグレ警視》シリーズの短編「蠟のしずく」だった。あるとき、旅の途中で立ち寄ったパリの大型書店のミステリコーナーで、一冊だけ残っていた分厚いアンソロジーに目がとまった。ビニールカバーで覆われていたので近くのカウンターで品出ししていた店員に中を見せてくれと頼むと、店員はカッターでカバーを破り、「フランス人作家しかいない短編集なんだ。おもしろいよ」と自信満々で勧めてくれた。その言いまわしがあまりに教科書的な強調構文だったため、今でもはっきり覚えている。わたされた本をめくり、確かにおもしろそうだと思って買って帰ってきたこの全68作品のアンソロジーに、シムノンがいた。ベルギー人なのだが。それくらい、彼はいつの時代もフランス・ミステリを代表する作家としてフランス人に愛されている。

 時を経て、令和の時代に再会したシムノンもびっくりするほどおもしろかった。昨年始まった瀬名秀明氏監修の東宣出版〈シムノン ロマン・デュール選集〉に訳者として携わったことをきっかけに、今ではどっぷりシムノンの魅力にはまってしまっている。この選集は、シムノン自身が《硬い小説ロマン・デュール》と呼んでいた彼の純文学的作品の中から未訳傑作長編を紹介するもので、現時点で、瀬名氏が本ウェブページで連載中の「シムノンを読む」から選ばれた4作品が刊行され、さらに続刊が予定されている。既刊の4作品はそれぞれが《メグレ警視》シリーズとは趣の異なる独自のきらめきを放ち、舞台ひとつとっても、第一作の『月射病』はアフリカのガボン、続く『袋小路』は南仏とロシア、次の『反動分子』がブリュッセルとパリ、最新作『ラクロワ姉妹』はノルマンディーの地方都市バイユーとひじょうに多彩で、もちろんそれぞれの物語もシムノンの卓越した筆致で見事に展開されていく。各巻末には監修の瀬名氏により、作品の読みどころや背景、書かれた年代、その前後に発表された《メグレ警視》シリーズとの関係性などが解説されていて、これがとにかくすばらしい。「シムノンを読む」をご愛読のみなさんはすでにご納得だろうが、『ラクロワ姉妹』の訳者である自分もあらためてシムノンに対する瀬名氏の造詣の深さに圧倒され、氏の知識に助けられた。
 では、その『ラクロワ姉妹』をざっとご紹介しよう。詳しくは「シムノンを読む」の『ラクロワ姉妹』の回を再読していただくとして(ただしネタバレとなります)、前述のとおり、本作はフランスの北西部にある地方都市バイユーを舞台にしたある名家出身の姉妹を中心とする物語だ。姉妹にはそれぞれ家族がいて、スイスで療養中の姉の夫をのぞく全員が広い一軒の邸宅で暮らしている。やがて、互いの内に秘められた隠しごとに目をつぶることでかろうじて平静を保っていた日々の暮らしが、ある家族の死をきっかけに崩壊へと向かっていくのだが……。ひと言でまとめるなら陰鬱。姉妹の確執と心理戦、各人の利己心、そのあまりの毒々しさ、邸宅に蔓延する閉塞感、寂寥感――それらがバルザックやモーパッサンといった19世紀の文豪を思わせると言ったら全体像が伝わるだろうか。名作《メグレ警視》シリーズのみならず、ロマン・デュールの名のもとにさらに飛翔するシムノンの底力たるや。ところで、冒頭で触れたミステリ・アンソロジーには、バルザックのえげつない短編も収められている。はたして、純文学とミステリの境はどこにあるのか。そのはざまを浮遊しつつ、バイユーの町を覆う灰色の屋根に思いを馳せながら、『ラクロワ姉妹』を楽しんでいただけたら幸いである。

伊藤直子(いとう なおこ)
 フランス語翻訳家。訳書にモーリス・ルブラン『奇岩城』(小学館世界J文学館)、ベルナール・ミニエ『夜』(ハーパーBOOKS)、グザヴィエ・ミュレール『エレクトス・ウイルス』(竹書房)、ギヨーム・プレヴォー『時の書』(くもん出版)、ジャン゠ガブリエル・ガナシア『そろそろ、人工知能の真実を話そう』(監訳/早川書房)、モーリス・ルブラン『怪盗紳士アルセーヌ・ルパン』(共訳/KADOKAWA)、アドニス『暴力とイスラーム』(共訳/エディション・エフ)など。

フレンチミステリ・アンソロジーLa Crème du crime(『クライム・クリーム』仮)

アンソロジーにあるシムノンの短編
「蠟のしずく」(※第61回「シムノンを読む」に言及あり)

アンソロジーにあるバルザックの短編
 『グランド・ブルテーシュ奇譚』表題作 

 

■担当編集者よりひとこと■

 この小説の読みどころはなにかと聞かれれば、エピグラフに表れていると答えるだろう。どこの家のクローゼットにも死体があり……。これはイギリスのことわざ「skeleton in the closet」で、「他人に知られたくない家庭内の秘密」という意味になる。そう、どんな家でも、家の外からでは決してわからない、知られることのない隠された秘密があるものだ。ラクロワ家の秘密はネタバレになるので伏せておくが、姉妹の軋轢を深める一因となったことは確かだ。しかし、それはひとつの出来事に過ぎず、不和は、彼女たちが子供だった頃からはじまっていて、長年にわたる日々のちょっとしたことの積み重ねが顕在化しただけだ。シムノンは詳細を書いていないので、読者が自由に想像しながら読んでいくのも面白いかもしれません。
 それにしても、姉妹の確執の恐ろしさは尋常ではない。人間はそこまでなるのかと嘆息するばかりである。静かにそして執拗にくりかえされるふたりの心理戦はかぎりなくホラーに近い。二人姉妹というのは、こんなものなのかと思いつつ、自分のまわりで二人姉妹を探してみると、、、あっ! 姪っ子たちがそうだったと気づく。なるほど……。

 最後に告知をひとつ。本書の刊行記念として、監修者の瀬名秀明さんとフランス文学者の小倉孝誠さんによるトークイベントを、3月15日(日)に紀伊國屋書店新宿本店3階アカデミック・ラウンジで開催します。『ラクロワ姉妹』をはじめとするロマン・デュールの読みどころを中心に、さまざまな角度からシムノンの魅力をお話しいただきます。ぜひご参加ください!
https://store.kinokuniya.co.jp/event/1771410472/

●当サイト掲載のトークイベント案内記事はこちら
 https://honyakumystery.jp/27365

(東宣出版 津田啓行) 


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