・Le bateau d’Émile, Gallimard, 1954(1954/5) [原題:エミールの船]中短篇集 ▼収録作 1. La femme du pilote « Gringoire » n° 617, 1940/10/3* [水先案内人の妻]1940執筆(ニュル゠シュル゠メール(シャラント゠マリティーム県)) 2. Le doigt de Barraquier « Gringoire » n° 620, 1940/10/24* [バラキエの指]1940執筆(同) 3. Valérie s’en va « Gringoire » n° 639, 1941/3/6 The Tell-Tale Head [ヴァレリーが行く]1940執筆 4. L’épingle en fer à cheval « Gringoire » n° 654, 1941/6/20 The Horseshoe Tie-Pin [馬蹄型のピン]1940執筆 5. Le Baron de l’écluse ou la croisière du Potam « Gringoire » n° 627, 1940/12/12* [水門の男爵または《ポタム号》の遊覧]1940執筆(同) 6. Le nègre s’est endormi « Gringoire » n° 634, 1941/1/30(初出タイトル:La passion de Van Overbeek)* [黒人は眠りに落ちた(ヴァン・オーヴァービークの熱狂)]1940執筆(同) 7. La deuil de Fonsine 未発表 「フォンシーヌの喪」 8. 1945/1執筆 『メグレとしっぽのない小豚』(1946)収載の同題作、また『ちびっこ三人のいる通り』(1963)収載の同題作と同じ →後年の版では割愛 9. L’homme à barbe « La Revue de Paris » 1945/6/3号(n° 3)(別題:Nicolas) 1944/1執筆 →改題して『ちびっこ三人のいる通り』(1963)収載。『十三人の被告』(1932)収載作「ニコラス」とは同題の別作品 →後年の版では割愛 10. Le bateau d’Émile « Lectures de Paris » n° 2, 1945/7/20 [エミールの船]1945/7執筆 ・映画『ギャンブルの王様(Le Baron de l’écluse)』ジャン・ドラノワJean Delannoy監督、ジャン・ギャバンJean Gabin、ミシュリーヌ・プレールMicheline Presle出演、1959[仏] ・Tout Simenon t.25, 2003/1(t.4収載の[5]、t.12収載の[8]を除く) Œuvres Comprètes t.26, Éditions Rencontre, 1969 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014/8 ▼英訳 L’homme à barbe et autres nouvelles, Lecture d’Alain Bertrand, Luc Pire, 2008/10 |
前回(第108回)に続いて戦時中の1940年にシムノンがニュル゠シュル゠メール(シャラント゠マリティーム県)で執筆した短篇群を読む。今回紹介のものはどれも後年の短篇集『Le bateau d’Émile エミールの船』(1954)に収められたもので、《グランゴワール》が初出だ。戦後は《リリパット》誌で英訳されている。
ルーアンで借家を営むデュトリオー夫人は、昼夜逆転して深夜2時に帰宅する下宿人の足音に気遣い、夫と囁き、また昼に子どもたちが騒いでいると注意することが多い。その下宿人はジュリアン・ポレルという独り身の水先案内人で、月末になると彼は街の水先案内所に出向いて仕事を受け、9日間の航行に出る。
彼は長靴とオイルスキンのエプロン姿で船に乗り込み、粛々と仕事を遂行する。彼が乗り込む《アダ号》は毎月オランダから木材を積んで到着し、雑貨を摘んで出港するのだ。船長の名はポピンガである。
セーヌ川を下り、いくつかの灯火を見送り、オランダへと向かう。乗船中、ポレルはいつもカルヴァドスに溺れることを、デュトリオー夫人は知って心配している。彼の妻マドレーヌは3年前にポピンガ船長のもとへと走り、いまはベルギーのアントワープに住んでいるからだ。
なぜポピンガ船長が前夫のポレルをいまだに雇っているのか、真意は誰にもわからない。だがポレルもまた粛々と仕事を受けて、目的地に着いたら列車に乗ってルーアンに戻ってくる。それがいつも深夜過ぎになるということだ。
そしてまた彼はデュトリオー夫妻の借家に深夜を過ぎて帰ってくる。今回初めてデュトリオー夫妻はポレルの意図を汲んで手紙を代筆し、ベルギーの前妻マドレーヌに送った。ルーアンに戻りたければ非難はしない、家具つきの家に住んでいるからいつでも来い、旅費がなければ送ることもできる、と。
やがてマドレーヌから泣いて詫びる返信が来た。アントワープで彼女は困窮しており、別れたことを悔いているという。ポレルは貯金を送り、マドレーヌはそれを旅費に使ってルーアンに戻ってきた。
マドレーヌははじめ戸惑っていたが、ポレルは前妻を迎え、デュトリオー夫妻の借家には新しい家具も運び込まれた。デュトリオー夫妻もこれで幸せが訪れたと喜んだのだが……。
タイトルのPiloteはフランス語で「ピロート」と発音し、ここでは航空機のパイロット(操縦士、機長)ではなく、船における水先案内人のことを指す(航空士はaviateurと呼ばれる方が多いと思われる)。ジェームズ・クラベル原作のドラマ『SHOGUN』で江戸時代日本に漂着したイングランド人のジョン・ブラックソーンは歴史上の実在者ウィリアム・アダムズをモデルとした人物だが、アダムズの後の名は三浦按針で、按針とはすなわち船で羅針盤役を務める水先案内人、piloteを意味した。
何度も過去をフラッシュバックさせながら話は進んでゆき、最後には悲しい結末が訪れる。後で述べるがこの時期のシムノンは「誰もが自分の居場所を見つけようとする世界」を描いていた、という作家アラン・ベルトランの指摘は鋭い。ここでジュリアン・ポレルという水先案内人のやもめ男は、前妻のマドレーヌを取り戻して、かつての生活に還りたかった。それこそが自分の居場所であると信じていた。しかし実際に「自分の居場所」を見つけたとき、彼はそれがどうしようもなく居心地が悪いと感じてしまった。
本当の「自分の居場所」とは何なのか、と本作は問いかける。ディズニー映画のプリンセスたちに象徴されるように、現代は「〝本当の自分〟〝自分らしさ〟を見つけてそれを実現することこそが、自分と周りのみんなの最大幸福である」という価値観が広く是認されている(これがいわゆる男性読者向けの〝英雄の旅〟とは異なる女性向けストーリーの王道パターンであると看破したのがキム・ハドソン、シカ・マッケンジー『新しい主人公の作り方』である)。
だが実際に〝本当の自分〟を見つけたとき、それは真に幸福なものなのだろうか、という問いは重いものだ。本作は言葉足らずであるがゆえにそのことが強く読者に突き刺さる。片道の船旅のどこまでも昏い描写が印象深い。
舞台はフランス中央部のヌヴェール。シャルロットは酒場《
シャルロットは怯えつつも、相手の指示に抗えない。家主にも助けを求めることのできないままアパルトマンへ招き入れ、一夜を過ごした。
明朝、シャルロットは男がまだ寝ている隙を衝いて、ついに外へと飛び出し、警察署へと必死に駆けた。いまなら犯人を警察に逮捕してもらえるかもしれない。だが、いざ署の前まで来たとき、彼女は立ち尽くしてしまったのだ……。
シャルロットは警察に駆け込めばいのちも助かり、人殺しも逮捕されて、すべては幸福に戻るように思える。だがその幸福が成就する直前、彼女の心にふっと風が通り、彼女は別の選択肢を採るのである。幸福になるはずなのにそのこと事態を怖れて手放してしまう、という心理を描いていることにおいて、本作は「水先案内人の妻」の変奏だといえる。
つましい一般市民はいつも幸福になることを求めているものの、いざその幸福の人参が目の前にぶら下がったとき、それを摑むことを躊躇ってしまう。ときにはかえって不幸へと墜落してしまう。これがこの時期シムノンが短篇群で描いていた人々の〝本質〟だった。そのためこれら短篇群の読み味はとても苦い。幸福と苦みが表裏一体となっており、もっといえば本作のような短篇ではその両者は表裏さえないひとつでもある。
最終的に人殺しのジャン・バラキエは警察に捕まるのだが、そのときシャルロットは聴取に答えながらも、本当に自分は彼に脅されていたのかどうか、はっきりとはわからない。脅されて仕方なく自分は彼と寝たのだろうか? 実際、彼は何も武器を所持していなかったことが判明し、つまり彼女は気づいた瞬間すぐさま大声で助けを求めたとしても、バラキエに殺されることはなかったのだ。バラキエは捕まった直後、「あの売女はどこだ?」と軽蔑した口調でいった。彼に「売女」と呼ばれたことの方が、シャルロットにとっては深い心の傷となった。
やはり本作も短い裁判のシーンで話は終わる。ほんのちょっとした小咄という印象だ。しかしそのラストシーンで、果たしてシャルロットは幸福だったのか、と作者は私たち読者に考えさせる。
ある雨の日、ビサンクールBissancourt〔註:詳細不明〕の水門、すなわちマルヌ・ア・ラ・ソーヌ運河canal de la Marne à la Saône〔現在のシャンパーニュ・エ・ブルゴーニュ運河canal entre Champagne et Bourgogne〕の第68閘門に、一艘の白い船《ポタム号》がやってくる。それを見つけた閘門管理人ポールは、閘門近くに小さな店を構える未亡人マリアのもとへと走った。船から出てきたのは立派な帽子をかぶった片眼鏡のドッサンという男で、彼は自らを〝男爵〟と名乗った。同船者はローラという若い女性だけだ。男爵は近くにビサンクール郵便局はないかと尋ね、局留めで為替が送られてきているはずだと述べる。ところが彼の期待する為替はまだ届いていなかった。村の人々にとって、男爵は裕福な男に見える。実際、彼は遊覧でニースへ向かう途中なのだといった。これからカーニヴァルの時期なのである。
男爵はそれから閘門に停泊し、為替が届くのを明らかに焦れったそうに待ち続けた。実は彼には手持ちの金がほとんどなかったのである。彼はパリでいわば口利き仲介業のようなことをして、これまで手数料と称する金を得て暮らしてきた。しかしそれは長年続けるにはあまりに綱渡りのような危うい商売だ。彼は先日、ある不動産物件を紹介し、その手数料20万フランをジョンという男から送ってもらう手はずになっていた。彼はその金を見込んで愛人と船旅に出たのだが、ビサンクールに着くときには愛人の所持金と合わせてわずか9フラン50サンチームしか残っていない有様だったのである。しかし彼は所持金がないことを店のマリアや客の男たちに悟られないよう、裕福なふりをしながら苦心して居座ることになったのである。
一方、愛人のローラは近くの《金獅子ホテル》で無銭飲食していたが、運よく裕福な男に見初められ、食事もぜんぶ奢ってもらった上、彼に車で送り迎えまでしてもらえるようになっていた。どうやら彼女は船を降りてその男について行くつもりらしい……。男爵は頼みの為替がいまだ届かず、マリアの店でカードゲームに興じる閘門管理人たちの輪のなかに入る。そのとき、彼はそれまでの虚飾の人生がその身から消え去り、本当に正直になっていることに気がついた。彼は店の女主人マリアに告白を試みる……。
ペーソス溢れる佳品である。男爵は今日こそ為替が届いているかと、毎日昼と夜の2回、2キロ離れた郵便局へ歩いてゆく。日曜日は局が閉まるため、週末をなんとかして乗り切らなければならない。やっと電報が届いたかと思えば、送金が数日遅れるとのつれない短信のみ。男爵は店のマリアを騙しつつ、その日の賭けゲームでなんとか手に入った金額をやりくりし、さも自分は裕福であるかのように見せかけようとするのである。ブロットというカードゲームはシムノン作品でよく登場するが、今回のブロットほど身につまされるものはない。村の男たちはふだん3人でブロットをやっているのだが、本来ブロットは複数人数でおこなうチームゲームで、だからこそ空いた4人目の席に男爵は座ることができたのだ。金のないいまの彼にとっては店のマリアが差し出してくれるイワシの缶詰が美味しくてたまらない。ソテーしたじゃがいもや、子どもが食べるようなエヴァンタイユというビスケットまでがありがたい。
本作は『田園交響楽』(1946)で第1回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルム・ドール)を受賞したジャン・ドラノワ監督により、ジャン・ギャバン主演で1959年に映画化されている。原題は『Le Baron de l’écluse水門の男爵』とシムノンの原作のタイトルを単純に縮めたものだが、日本では『ギャンブルの王様』と変更された。全体のストーリーはシムノンの原作とほぼ同じで、前半にジャン・ギャバン演じる男爵の浮ついた生活が丁寧に描かれ、船出するまでのいきさつを膨らませているのだが、実はその部分に絡めて男爵の性格づけがなされており、これがシムノンの原作で示された事情とはいささか異なる。
ジャン・ギャバン演ずる男爵はもとからギャンブル好きで、あぶく銭が入ったとしてもすぐに賭博や愛人に使ってしまうタイプの男なのだ。彼は第一次世界大戦で空軍の英雄だったが、その後はいつもホテル代をつけに回し、カジノで金が手に入ったら支払うという綱渡りの人生を送っている。だからこそ友人が賭けで負けて得た大金で衝動的に船を買い、かつての愛人を口説いて運河の旅に出たのである。しかし友人と約束した残りの為替が届かない。彼は以前からの賭博好きを抑えきれず、所持金もないのに村人たちのカードゲームに入れ込んでゆく──このようにブロットに興じるまでの動機が原作と映画では違っているのだ。映画の男爵の方がより享楽的で、あるいはより自由人であるといえる。ジャン・ギャバンの男爵には、それはそれでまた魅力もあるのだ。
そのため、映画版では女主人のマリアの方が、次第に男爵へ惹かれてゆく展開となる。だがシムノンの原作はそうではなく、所持金が底をついた男爵の方が、人生で初めて金銭勘定とは無縁の温かで優しいもてなしを受けて心動かされ、女主人マリアとこの地で結婚して暮らしてもよいかもしれないとさえ思う瞬間を描き出す。
原作ではずっと雨が降っている。男爵は彼女に告白する。
「マリア、もしお受けいただけるなら、私は……」
1日3食摂ること、自分は他の皆が同じくそうであるように、たったそのためだけに生まれ、生きてきたのではなかったか。そんなごく質素な生活にこそ本当の幸福があるのだと、そのとき男爵──ドッサンは気づいたのである。ふつうの作家ならここまで書いて小咄を終わらせるであろう。だがもちろんシムノンはそうではない。
つましい生き方にこそ本当の幸せがある──そんな一瞬の回心などただの幻想に過ぎないことは誰もがわかっているのだ。案の定、次の行では郵便局から走ってきた少年が店のドアを開けてドッサンに告げる、為替がようやく届いたと。前払い分ではあるものの、2万フランがいま彼の手元に入ったのだ。
原作のドッサンはたちまちもとの男爵に戻る。マリアの店のつけを払い、《金獅子ホテル》でローラが未払いのまま残していた食事代も悠々と返して、しかも彼はマルセイユまでの水夫を募集し、閘門管理人が 名乗りを上げる。
そうして男爵は再び浮ついた男として去ってゆくのである。シムノンの原文にはこうある。「仕方ない! こういうものなのだ! 彼にはできたはずだった……。あの馬鹿なジョンが2万フランを送るなどという考えを持たなければ……」
一方でジャン・ドラノワ監督は、一般大衆が満足するオチで映画を締め括った。ジャン・ギャバンは未亡人の女店主と淡い恋に酔うものの、頼みの為替が入ったことにより、陽気でいかにもブルジョワな自分をたちまち取り戻す。彼は村人たちにシャンパンをふるまい、そのひとりに水夫として雇用するという希望の未来まで与えて、揚々と船を操り閘門を出てゆく。女主人は桟橋の外れで優しく彼に手を上げて見送り、一夜の恋と割り切ったのか、今後揉めごとを引きずろうとする気配もない。男爵はそれを見届け、陽気に歌い出し、そして晴れやかなフィナーレの音楽が鳴り響いて、画面には「FIN」の文字が浮かび上がる。船先は明るい未来を向いている。
舞台はベルギー領コンゴの奥地、物語の始まりは太陽が雲に隠れてすでに8日経ったが、まだ雨季には至らない暑い時期である。いちばん近い隣町まで100キロメートルというその森林地帯に、ベルギー出身の2家族が暮らしていた。男たちが植民地政策の事務所に常駐するためで、すでに彼らは今年で3年任期の3期目、すなわち7年もこの奥地に住み続けているのだった。管理官はヴィクトル・ヴァン・オーヴァービークで、妻の名はマリア、幼子がひとりおり、ふだんは自宅のバンガローで黒人少女のセリーヌが子守をしている。副管理官はベルギー時代から部下であったジェフ・ペニングで、彼は別のバンガローで金髪の妻ジャンヌと暮らしている。管理事務所の守衛はヨナスと呼ばれる黒人だ。他にも数名の黒人が世話役として身近にいるが、ひとまず主要人物はこれだけである。
毎日、ヴィクトルとジェフは管理事務所で顔を合わせ、退屈な仕事に埋没する。夫たちが仕事をしている間、妻のマリアとジャンヌも生活上の細々としたことで交流する機会はあるが、どちらかといえばジャンヌは心配性で、マリアはジャンヌを嫌っている。その日もジャンヌは自宅のミシンが壊れたので頼みごとを抱えておずおずとマリアの自宅に赴いたが、そこで子守の黒人少女がマリアの幼子の口に飴棒を突っ込んでいるのを窓越しに見つけてびっくりし、騒ぎになってしまった。マリアとしては自分の子育てや些細事にジャンヌからいちいち口出しされたくないのである。そのような両家族間のちょっとした擦れ違いは男たちにとってストレスであり、気候も暑くて苛立ちは募り、仕事はちっとも楽しくないのであった。しかし査察官がもうじきやって来る季節なので、書類の整理を済ませなければならない。
その日、終業時刻の6時になって、副管理官のジェフ・ペニングは妻ジャンヌをなだめるためすぐに帰宅した。上官のヴィクトル・ヴァン・オーヴァービークはブリッジゲームで気を紛らわしたかったのだが仕方がない、彼も早く帰宅し、妻マリアの愚痴を聞きながら、9時にはもう眠りに就いた。翌日もふたりは事務所で退屈な仕事にいそしみ、まだ雨は降らず、自然と両者の口数も少なくなる。そして帰宅すれば再びヴィクトルは妻マリアに「あのジャンヌに悪気はないんだ」と諭すことになり、一方でジェフは妻ジャンヌから「上司に異動を申請してもらうことはできないの?」と詰め寄られる羽目になる。
そしてその夜、ヴィクトルは夜中に「仕事が残っているから事務所に行く」と妻マリアにいい置いて家を出た。「もちろんジェフもいっしょに仕事だ」と伝えたが、嫉妬心の強いマリアはそこに疑惑を感じ取った。
実際のところ彼らベルギー人ふたりは守衛の黒人ヨナスと計3名でブリッジに明け暮れるようになったのだが、本来ブリッジは複数人数でおこなうものだ。4人目の席は空いている。心配性のジャンヌが事務所まで夫の様子をうかがいに来たので、上官のヴィクトル・ヴァン・オーヴァービークは夫のジェフに断った上でジャンヌを誘い入れ、その夜は4人でブリッジをした。もちろんヴィクトルの妻マリアがそれを快く思うわけがない。彼女は察した。
そして8日目、終業後いったん帰宅し妻と夕食をともにしてから、ヴィクトルはまた事務所に戻った。ヴィクトルは黒人ヨナスに見張りを頼み、ジェフとふたりで倉庫に入り込み、ジャンヌを含めて3人ブリッジを始める。だが、まずいことに、その夜黒人ヨナスはつい眠ってしまったのだ。
マリアが3人ブリッジの現場を目撃した。こんなにも嫉妬に怒ったマリアの顔を、夫のヴィクトルは見たことがないほどだった。やっとヨナスは目を醒ましたがすでに遅い。マリアは狂乱したように自宅へと駆け戻ってゆく。ヴィクトルは懸命にその後を追った。雨が降り始める。ようやく雨季が来たのだ。自宅でヴィクトルは妻をなだめようとする。だがマリアは家を出て行くといって聞かない。幼子を連れて100キロも森林を歩いてゆくというのか? 仕方なく彼は拳銃を取り出した。だがその弾丸の行く先は……。
《グランゴワール》初出短篇のなかでも異郷を舞台とする作品のひとつ。冒頭で人物関係を明示したのは、実際の小説では全体の見取り図がとてもわかりにくいためだ。作品が始まってからしばらくは誰と誰が夫婦なのか読者にはうまく呑み込めない。これまでも何度か指摘したシムノン特有の曖昧描写であり、やはり本作については現状の生成AI(Claude 3.5)でもうまく日本語に翻訳できず、台詞部分も男言葉と女言葉の選択が適切でない出力が散見された。フランス語から英語への翻訳であればそうした違和感は目立たなくなっている。
コンゴの奥地でバンガローに暮らしながら、孤立感を深めてゆく白人2家族の対比が読みどころだ。男たちはベルギー時代でも上司と部下の関係であり、当時住んでいた家も一方は石造りの立派なものだが他方は煉瓦造りであったというさりげない説明がなるほどと思わせる。空が曇っているが暑さは残り、雨期に入りそうで入らない時期という絶妙の設定も素晴らしい。そして後半、事件が起こると、その雨はもはや取り返しがつかないと思われるほどの豪雨となって登場人物たちに降りかかる。劇的な場面構成である。
銃口は意外な方向に向けられ、その場はいったん収まるが、しかし小咄の結末はやはり苦い。作者シムノンの記述に拠れば、彼らは任期をまっとうする2年後まで、結局はその場に留まり続けたからである。ようやく副管理官のジェフとその妻は異動が認められて去ってゆくが、ヴィクトル・ヴァン・オーヴァービークの末路は哀れである。
なお本作の単行本収録時タイトルは有名曲「ライオンは寝ているThe Lions Sleeps Tonight(ムブーベMbube)」を連想させるが、関係性は不明。
今回の原稿を準備している間に、ベルギーの出版社Luc Pireからシムノンの第二次大戦中の短篇を新しく編纂した『L’homme à barbe et autres nouvelles』という本が出ていることを知り、そのスペイン出版ヴァージョンを購入した。この本は12の短篇が収録されており、アラン・ベルトラン(アラン・バートランド、Alain Bertrand)という作家が巻末に詳細な解説文を寄せている。この文章は戦時中のシムノンの作家性を明快に解きほぐしており非常に興味深い。
ベルトランはまず、シムノンという作家が、雑誌文化の隆盛とともに人々に読まれていった書き手だった、と看破している。確かにシムノンは1922年にパリへ上京し、さまざまな雑誌や新聞にコントを書くことで修業を重ね、そうして1931年にメグレものの連続刊行でブレイクしたわけだが、それまでのいわゆる戦間期はちょうど《ル・マタン》のような新聞や、《白鶫Le Merle blanc》《冒険L’Aventure》《リックとラックRic et Rac》といった大衆雑誌、また《気兼ねなしSans-Gêne》《フルフルFrou-Frou》《パリの浮気Paris-Flirt》といったやや猥雑な大衆紙が読まれた時期だったのである。シムノンはこうした新聞や雑誌に寄稿していた。またシムノンの出版元も、広い読者層を対象とするプリマPrima、ファイヤールFayard、タランディエTallandier、フェレンツィFerencziといった出版社だった。私の世代でいえば青樹社や廣済堂出版といった感じだろうか。
(前略)ピエール・マック・オーラン(ピエール・マッコルラン)やジョゼフ・ケッセルと同様に、ジョルジュ・シムノンは、両大戦間期における新聞・雑誌の発展と密接に結びついた文学的運命を持つ作家のひとりである。この発展は、主に義務教育を終えたばかりの新しい読者層という、開拓すべき市場の規模に合わせた驚異的なものだった。新聞社の所有者、出版社、ジャーナリスト、作家たちは、情報と娯楽を求めるこの読者層の支持を得るために、文学の商業的側面を犠牲にすることを躊躇しなかった。もっとも手腕のある者たちは、このようにして真のメディア帝国を築き上げた。1919年の《ガゼット・ド・リエージュ》入社から戦後まで、つまり約30年にわたって、驚異的な多作家であったシムノンは、事件記事、ルポルタージュ、艶話、連載小説、短篇など、さまざまな分野で、《グランゴワールGringoire》から《探偵Détective》、《パリの夜Paris-Soir》に至るまで、当時を代表する数多くの出版物に寄稿した。(アラン・ベルトラン「シムノン、運命の短篇作家Simenon, nouvelliste de la destinée」より。Claude 3.5のAI翻訳を改変、以下同様)
シムノンは大衆誌に書きまくり、大衆出版社から本を出しまくることでかなりの金を稼ぎ、若くしてヴォージュ広場の向かいに居を構えるほどだった。シムノンがブレイクするきっかけとなったメグレシリーズも大衆小説専門のファイヤール社から刊行されたのであり、その後シムノンは作家的野心からガリマール社(日本でたとえるなら文藝春秋)に移籍するのだが、それでも当初は大衆誌出身の作家ということでシリアスな文芸評論家や出版人からは軽蔑の対象となっていたのである。ガリマールに移籍してからのシムノンの原稿料は高額だったらしいが、実際はファイヤール社時代より本の売上は落ちていたという。読者はシムノンに大衆小説を求めており、お高くとまった装幀のガリマール本では読む気が起きなかったということだろう。そうした解離がしばらく続き、1930年代のシムノンは金銭的困窮に陥っていたとベルトランは書いている。それでも第2次大戦が本格化するまでは年に6冊も出せていたのだからどうして困窮していたのかと私などは疑問に思うが、世界一周旅行に出たりリゾート地に城を借りて住んだりしていたのだから生活費だけでも相当な額だったのかもしれない。ともあれシムノンは金がほしくて戦時中は雑誌に短篇を書かざるを得なかったということなのである。
シムノンが1939年から1941年にかけて積極的に寄稿したのが、これまで示してきた通り《グランゴワール》という雑誌であった。 ベルトランの解説に拠ればこれは政治文芸週刊誌で、政治面での指揮をジョルジュ・スアレズGeorges Suarezが、文芸批評をアンリ・ベローHenri Béraudとマルセル・プレヴォMarcel Prévostが、編集主幹をジャック・ド・ラクルテルJaquea de Lacretelleが務めていた。当初は左派的な編集方針だったが、やがて反ユダヤ主義、反英主義、反議会主義の極右的立場を採るようになり、戦時中は《ジュ・スュイ・パルトゥJe suis partout》《レヴォリュシオン・ナシオナルRévolution nationale》と同様、対独協力派の最前線に位置していたとベルトランは解説する。
シムノン自身はおそらく無関心ゆえに他の一部の作家のような政治活動はしなかったのだが、それでも戦後は対独協力派の疑いをかけられてフランスを離れざるを得ない状況に陥っている。ベルトランの解説に拠ると、戦後に秘書がこれら当時の短篇群を見つけ出したところ、シムノンは非常に驚いたそうで、彼は自分で書いたことをすっかり忘れていたのである。メグレものの中篇「死の脅迫状」(第68回)もそのひとつだったわけだ。これは極右派の雑誌に書いたのを悔やんで忘れようと努めたというより、本当にまるっきり忘れていたというのが事実らしい。シムノンの特異な記憶力ではいかにもありそうなことではある。
シムノンにとって戦時中の短篇執筆は、単純に金のために過ぎなかった。だからファイヤール社時代に終わらせたはずのメグレを短篇で復活させることもした(第61回、第62回【前編】・【後編】、第63回)。しかしメグレものの短篇はともかく、《グランゴワール》に寄稿した短篇の一部はシムノン特有の文体が表出して、とても大衆向けに書かれたとは思えないほど難解なものもあるのは事実だ。そのことはベルトランの解説でも重視されており、たとえ金のために書かれたとはいえ、そこが戦時中のシムノンという作家を見る上で決して逃すことのできない重要な部分なのだとベルトランは述べている。
『L’homme à barbe』収録作のうちとくにベルトランが力を込めて解説しているのが「マリー・デュドンの肩掛け」(第108回)、今回取り上げた「水門の男爵または《ポタム号》の遊覧」、そして『メグレとしっぽのない小豚』収載の「しがない仕立屋と帽子商」(1946執筆)の3作だ。まず金銭の二重性、すなわち満足感と堕落がこれらの短篇には共通して描かれているとベルトランはいう。利益は決して労働の成果ではなく、登場人物たちはいささか不当なかたちで短期的に金銭を手にする。しかしそれはすぐさま失望へと変わり、運命に欺かれた彼らはいっときの幻想を取りこぼす。
この失敗、排除、本当の意味で生きることの無力さというテーマは、文字通りシムノンの全作品を支配している。それは心理的な理由からだけでなく、1930年代の政治的、経済的、道徳的危機から生まれた現代社会が魂を食い尽くす存在だからでもある。たとえば「マリー・デュドンの肩掛け」は、失業と道徳的・心理的な格下げに直面する中産階級のプロレタリア化した一側面を描いている。(同)
日本では「シムノンは共感の作家」といわれることが多いのだが、実はそんなことはない、シムノンは大衆の醜悪な側面もかなり描いてきたのだ、と理解できる指摘である。シムノン作品のなかでは家族というものは「心地よい温もり」に満ちているものの、実は何の快適さも提供していない。人は別の人生を夢みるものだが、社会階級を分かつ障壁は、実際のところ彼らのそうした夢を叶えることなどなく、その規則を破るものにはその大胆さの代償として、軽蔑や侮蔑、そしてとくにシムノンが描く庶民の心中に偏在する屈辱という重い代償を払うことになるのだ──とベルトランは的確に述べている。残酷だが真実を衝いた指摘である。
(前略)両大戦間期のフランスの深層を、シムノンほど鋭く感じ取った作家はいない。商人階級の台頭がもたらした激動を、彼ほど巧みに描写した作家もいない。(同)
「水門の男爵」を解説するくだりで、ベルトランはまた次のように書いている。「一方でシムノンは「誰もが自分の居場所を見つける」世界、庶民の親密さ、そして子どものような無邪気さを大切にし、また他方で彼は進歩や人工物、そして新興ブルジョワジーを激しく非難する」(同)──そしてメグレの世界ではこの哲学が顕著に表現されており、メグレは小説のなかで偏った裁判官としての役割を果たしているのだ、というのである。この考察はとても重要で、多くの読者がメグレものは安心して読むがシムノンのロマン・デュール作品を敬遠する大きな理由のひとつでもある。神話的な視点、という小見出しのなかでベルトランはこの論を展開しているが、私がここに補足するなら、シムノンは現代のパリを描きながらもつねに自分がかつて見た記憶のパリを描いていたわけで、そのことによるフィルターが読者の当事者性をうまく軽減し、まるで隔離保護された避難所の寓話として、メグレの事件を安心して読むことができたということでもある。だからこそ1970年代になってシムノンのメグレものはもはや時代遅れだと批判され、それでもってシムノンは筆を折ることになるのだが、シムノンが〝時代遅れ〟だったのはずっと前からのことであり、しかもそれは評論家の縄田一男が《銭形平次捕物控》に対して指摘した(本連載番外編3参照)のと同じく、実際はあり得ないユートピアを提供し続けていたからに他ならない。
こうした指摘が提供される戦時中の、すなわちシムノン中期の作品、とりわけ短篇として発表された作品群は、これまで日本でほとんどまったくといってよいほど紹介の機会がなかった。よって私たちはこれらの短篇から得られるはずの読後感をすっかり欠いたまま、これまでシムノンを読んで論じてきたことになる。この事態は是正されてよい。
ベルトランによる「水門の男爵」の読解も見事だが、ここではあえて詳しくは言及せず、いつか作品そのものが邦訳紹介されるときを俟ちたい。
シムノン中期は侮りがたい。
【ジョルジュ・シムノン情報】 |
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本年(2025年)1月末、東宣出版(http://tousen.co.jp)から《シムノン ロマン・デュール選集》が発刊の運びとなった。これまで未邦訳だったジョルジュ・シムノンの(メグレものではない)傑作長篇を紹介してゆくシリーズとなる。不肖ながら私・瀬名が全巻の監修役を務めさせていただくことになった。翻訳陣には気鋭の若手実力者らにご登壇いただくことが叶い、とても嬉しく思っている。最高の翻訳、最高の品質でシムノン作品をお届けできると考えている。 第1弾は『月射病』(本連載第36回『赤道』)、またカバー見返し部分には現在正式決定している分の続刊タイトルがさらに5冊示される予定なので、ご期待いただきたい。 このように《シムノン ロマン・デュール選集》は、かつて邦訳紹介された作品をあえて取り上げない方針で進めてゆく。しかしながら皆様もご承知の通り、既紹介の傑作でも現在ほとんどのシムノン作品は書店で容易に入手できない状況にある。この動きを受けて他社様がシムノン新規企画を起ち上げていただくことは、私としても大歓迎だ。ひとりの作家を複数視点から多面的に捉え、多彩なプロデュースのもとに読者に贈り届けられる状況を構築しておくのは、出版事業においてとても大切なことだと思うからである。 今後もぜひ皆様といっしょにシムノン作品を愉しんでゆきたい。どうぞよろしくお願いいたします。 |
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。
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