・Nouvelles introuvables 1936-1941 [稀覯短篇1936-1941] 1. L’oranger des îles Marquises « Marianne » n° 192, 1936/2/5号 [マルケサス諸島のオレンジ]1935執筆(第57回) 2. Monsieur Mimosa « Paris-Soir-Dimanche » n° 57, 1937/1/24号 [ミモザ氏]1936執筆(第57回) 3. Les trois messieurs du Consortium « Le Point » 1938/6/15号(n° 15) [協同組合の三紳士]1938執筆(第96回) 4. L’homme qui mitraillait les rats « Match » 1938/10/13号(n° 15) [鼠を撃ちまくっていた男]1938執筆(第96回) 5. La tête de Joseph « Gringoire » 1939/10/26号(n° 572) [ジョゼフの首] ※執筆時期不明(1939?)(第103回) 6. Little Samuel à Tahiti « Gringoire » 1939/11/23号(n° 576) [タヒチのリトル・サミュエル]執筆時期不明(1939?)(第103回) 7. Le vieux couple de Cherbourg « Gringoire » n° 601, 1940/5/16号 [シェルブールの老夫婦]1940執筆(第108回) 8. La révolte du Canari « Gringoire » n° 607, 1940/7/25号 [カナリアの反乱]1940執筆(第108回) 9. Le châle de Marie Dudon « Gringoire » n° 618, 1940/10/10号 [マリー・デュドンの肩掛け]1940執筆(第108回) 10. Le destin de Monsieur Saft « Gringoire » n° 624, 1940/11/21号 [サフト氏の運命]1940執筆(第108回) 11. Les cent mille francs de P’tite Madame « Notre Cœur » 1940/12/27-1941/1/3号* [小さな夫人の10万フラン]1940秋執筆(フェルム゠ムーラン・デュ・ポン゠ヌフFerme-Moulin du Pont-Neuf, ヴヴァンVouvant(ヴァンデ県Vendée)) 12. L’aventurier au parapluie « Tout et Tout » 1941/2/22号 1941執筆 13. La cabane à Flipke « Tout et Tout » 1941/4/19号 1941執筆 ・Tout Simenon t.22, 2003/5 Œuvres Comprètes t. XXV, Éditions Rencontre, 1969 Œuvres Comprètes t.26, Éditions Rencontre, 1969 Nouvelles secrètes et policières t.1 1929-1938, 2014/8 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014/8 ・Tout Simenon t.12, 2003/1(t.4収載の[5]を除く) Œuvres Comprètes t. XXV, Éditions Rencontre, 1969[11, 14] Œuvres Comprètes t.26, Éditions Rencontre, 1969 Nouvelles secrètes et policières t.2 1938-1953, 2014/8 |
今回は1940年にシムノンがニュル゠シュル゠メール(シャラント゠マリティーム県)から一時的に引っ越した先、ヴァンデ県ヴヴァンの農場滞在中に書かれたとされる短篇ひとつ、中篇ひとつを読んでゆく。同じ場所で書かれた長篇が『ベベ・ドンジュの真相』(第107回)である。
珍しく初出は《グランゴワール》ではなく、どちらも女性向け雑誌で、そのためシムノンは女性を主人公に据えたかわいらしい物語を寄稿している。シムノンの描く女性はとてもチャーミングであることが多いが、今回紹介の2作はまさにその特徴が発揮された楽しい読みものだ。本連載既読の長篇でいえば映画化を前提に書かれた『七人の若娘たちの家』(第84回)の雰囲気に近い。
三島由紀夫も松本清張も島田荘司も女性誌に書くときは工夫を凝らしたものだが、こうした作品のなかに作家のきらりと光る長所が現れることもある。これもまた決して無視できないシムノンの一側面といえるだろう。
これは〝私〟が小柄で細身の夫人から聴き取った物語である。その女性はまだ16歳だったとき、家族とヌイイ橋の近くに住んでおり、いつか雪山へ行くことを夢みてスポーツ用品店のショーウィンドウでニッカーボッカーやニットの揃いを眺めるような娘だった。10月13日、彼女はスーシェ大通りの友人宅に夕食に招かれ、楽しい時間を過ごしたのだが、帰りがすっかり遅くなってしまった。夜道は危険と承知しているものの彼女は自転車を漕いでブーローニュの森を抜けようとする。だがそんなときに限ってタイヤがパンクしてしまったのだ。
自転車を引いていると、停車中の一台の車から男たちの揉み合う声が聞こえてきた。そのうちのひとり、金髪で青白い男の顔だけはちらりと見えたが、もうひとりはわからない。そしていきなり彼女の目の前に包みが落ちてきた。車中の男のひとりが投げたものらしい。そして直後に銃声が響き、彼女は怖ろしくなり包みを取ってようやく森を抜け出し、帰宅した。
自室でひとり包みを開けてみると、なんとそこには千フランが百枚、すなわち現金10万フランがあったのだ。彼女はどうしたらよいかわからず、普段は手の届かない姿見の上に押し隠した。このとき彼女は知らなかったのだが、実はオルフェーヴル河岸(パリ司法警察局)は車中で賭博場経営者の男が銃殺されたこと、犯人は所持金を巡って被害者と揉めていたことを突き止め、男をすでに逮捕していた。3年の刑である。しかし肝心の金は見つからない。犯人の供述によれば自転車を引いた女性が通っていったというが、その女性の身元もわからない。
さて10万フランを拾った彼女の両親はかつて裕福だったが、当時はすでに生活費の捻出にも苦労していた。今月の家賃があと100フラン足りないとこぼす母を見て、彼女は拾った札束から1枚抜き取って母に渡せばよいことだと思ったものの、無断で他人の金に手をつけてしまうことになる。それでも若かった彼女は札束のなかから抜いて、自分のためにこっそり雪山用のコーディネートをひと揃い買ってしまった。しめて475フラン! 全体から見ればほんの少額ではあるが、彼女はそれを着る勇気がない。その後も家族は品々を質屋に売って生活費を工面し続けたのだが、その度に彼女は姿見の上の10万フランを思い出してしまう。
そして質屋の店先で、彼女はヴァイオリン弾きの若い男性ジャンと出会ったのである。ふたりはともに貧しかったが結婚し、テルヌ通りに家具つきアパルトマンを借りて暮らすようになった。夫のジャンはなかなかオーケストラの職が見つからない。ふたりで映画に行くことさえ贅沢な趣味で、しかしジャンは彼女を愛し、アルバイトで小銭を稼いでは彼女に尽くしてくれる。しかし彼女はいまや靴のなかに移し替えた10万フランのことを思い出しては板ばさみの気持ちになるのだった。本当は裕福な暮らしができるのに、映画代程度のことで自分たちは苦労している! それが情けなく、惨めで、かえって彼女は夫をなじるようになってしまった。もっと金を稼いだらどう? 酒場でジャズでも演奏すればいいじゃない! 彼女も自覚していたが、いつしか彼女は意地悪な女になってしまっていたのだった。そして結婚して3年が経ったある日、夫がいい職を見つけたと喜んで帰ってきたのだが……。
愛らしい小品である。私は大好きだ。本作は作家である〝私〟がプティット・マダム、すなわち小さな夫人の家に赴いて聴き取りをおこなうという設定で紡がれている。隣室に作家の秘書が控えており、その秘書が速記した小さな夫人の語りを、脚色することなく順を追ってここに示すのだ、と最初に斜体字で断り書きが入っている。その後もときおり斜体字の〝私〟は文中に顔を出し、このときオルフェーヴル河岸ではここまで捜査が進んでいたのだが……と裏事情を明かす。ウィリアム・ゴールドマン『プリンセス・ブライド』で作者自身が茶々を入れるようなものだが、本作も読者の微笑を誘う楽しいしかけだ。小さな夫人は知らなかったものの、実は司法警察局の捜査は消えた紙幣の番号追跡まで及んでおり、その1枚がスポーツ用品店で使われていたことを刑事たちは突き止めていた。しかしなぜそんなところで紙幣が見つかったのか? 冬のスポーツウェアがパリで使われるはずがない。そのため刑事らはシャモニーなど山岳地帯にまで捜査網を張り巡らせる羽目に陥っていた……という脇道の逸話が最高だ。
そして小さな夫人はふとしたきっかけで再び危機に陥り、そして結果的には愛を取り戻して、夫婦は揃って仲よく暮らしました、とハッピーエンドで物語は幕を閉じる。しばらくハッピーエンドのシムノン作品を読んでいなかった気がするので、これはとても読後感がよい。
そしてまた最後につけ加えられた〝私〟の締め括り言葉が心憎いではないか。タイトルに据えられた「プティット・マダム(小さな夫人)」という呼び名がいかにもふさわしい、これはひとりの小柄な女性の幸福話である。
港町ラ・ロシェルに暮らす17歳の若娘アネット・バルナヴォンは、同世代の女友だち3人と《カフェ・フランセ》に集い、話に花を咲かせていた。アネットが語り始めたのはその日の武勇伝である。いま彼女は1年以上前この町へやってきたブロンドの若い弁護士モーリス・カルナージュに夢中なのだが、そのモーリスが最近、町のホテル《トリアノン》に滞在する同じくブロンドの未亡人と頻繁に会っていることが気になって仕方がない。
アネットの両親は自宅を音楽学校にして歌や楽器を教えており、日曜日でさえ騒々しいわが家が嫌いで、アネットはふだん不動産業者エトリヤール氏の事務所でタイピストの仕事をしている。その向かいのビルにモーリスが弁護士事務所を構えて、たちまち彼の魅力は町の娘たちの間で噂となっていたのだが、アネットは自分こそが彼にふさわしいと信じており、友人たちも応援してくれているのだ。しかしホテルに滞在するその35歳のブロンド貴婦人は、いまは離婚しているそうだがかつては植民地総督の妻だったらしく、毎日弁護士のモーリスの事務所に早朝から出向き、ふたりきりで面談している。彼女はうずらのようにふくよかで、香水の匂いを漂わせており、着飾った姿はまるで高級菓子店のキャンディーが包みにくるまれたかのようだ。そんな貴婦人だが裕福であろうことは間違いないだろう。なるほどモーリスは確かに彼女の弁護士だが、彼はまだ一度も法廷に立ったことのない若者だ。なぜ経験のない弁護士と毎日べったりと会う必要があるのか。年上の彼女はひょっとして、モーリスを誘惑しているのではなかろうか?
アネットはその日ホテルの前を歩いていたとき、ちょうどモーリスが車で乗りつけ、ブロンド貴婦人をどこかへ連れてゆく現場に遭遇したのだ。ついにアネットは嫉妬心に掻き立てられ、鍵をかけずに出ていった貴婦人の客室に忍び込み、そこで目についた薄い部屋着を引き裂き、ハサミで毛皮のコートを傷つけ、さらにはテーブルに置かれていたモーリスの顔写真を失敬してきたのである。カフェの席でアネットが証拠品のコートの毛先まで取り出して見せると、さすがに友人らもアネットの大胆さに驚いた。しかも聞けば帰り際に、髭を剃っていた隣室の男に目撃されたというではないか。アネットは切り裂いた貴婦人のコートは兎の毛だから安物だと主張する。だが本当は自分でも怖れていた。もし兎ではなくこれがミンクのコートで、警察に捕まり賠償金を請求されたら? とても自分ひとりで払える額ではない。
その日はさらに面倒が続いた。帰宅すると浮世離れした両親が待ち構えていたかのように、若いひとりの青年をアネットに紹介し始めたのである。彼はモンペリエに住む父の古い友人の息子で、名をベルナールといい、いまラ・ロシェルに滞在しているのだそうな。それで彼に街を案内して差し上げろと宣う。つまり両親はひとり娘をそのベルナールとくっつけようという算段なのだ。
自分の相手は自分で決めるわ! と反発したいアネットだったが、仕方なくその青年と映画館へ向かうことにした。こんなふうに真面目そうな青年といっしょに歩いているのをモーリスが見たら、まるで若い婚約者同士のようできっと驚くことだろう! だがほどなくしてアネットはこの青年が、その日ホテルで逃げ帰るところを目撃した隣室の若者だと気づく。何とか取り繕おうとしてアネットはごにょごにょと言葉をごまかした。つまり、その、ある男性がいて、私は軽率なことをしてしまって、それでいまやその男性が……云々。
すると正義感に溢れる好青年ベルナールはどうやら勝手に何かを了解したらしい。「もう何もいわなくて結構です……。その男があなたを危うい立場に追い込んだのですね? 私にどうかお任せください……」彼はすっかり奮い立ち、聖騎士の如くにアネットを護りながら映画館へと進み行く。アネットは内心ひやひやしていた。アネット、あなたはモーリスを手に入れると誓ったのよ。それなのに厄介なことになりそう……。でもいまあなたの隣には、こんな優しい青年が……。
翌日もアネットはベルナールの案内役をいいつけられたが、出がけに友人のジジが駆け込んできて、あのブロンド貴婦人の滞在しているホテル前が大変なことになっていると伝えてきた。急いでアネットもホテルへ向かうと、警官たちが物々しく警備して野次馬の出入りを制止している。昨日の部屋荒らしが通報されたらしい。報せを受けたモーリスがホテル内に入ってゆくのが見える……。とそのとき、実はもうひとりの若者がホテルに踏み込んでいたのである。ブロンド貴婦人の訴えを警察署長らと聞くモーリスの前に現れたのはベルナールだった。彼はある女性の名誉のためだと宣言して、弁護士モーリスに挑みかかる。自分と同年代のこんな男が、アネットのような純真な娘に手を出しておいて、そして冷酷にも見捨てて離婚女性のもとへ走るとは!
一触即発であったが、アネットもその場に現れたことで何とか最悪の事態は避けられた。しかしふたりの男たちの間には確執が残る。
アネットは「拘置所」と書かれている建物へと出向き、ホテル荒らしの犯人だといきなり自首して、友人や両親を驚かせた。地元の警察や検察は小娘の主張など真面目に聞こうともしない。だがアネットはひとつ決意していた。自分の弁護士としてモーリスをつけてくれと申し出たのである。裁判所の一室で、ようやくアネットは念願のモーリスとふたりきりになれた! ところが肝心のモーリスはアネットを子ども扱いし、それどころかアネットがベルナールに嘘を吹き込んで仕事の邪魔をさせたと怒っている! アネットは釈放されるものの、モーリスに暴言を吐き、自分の知っているモーリスの女癖をことさらに歪んだものであるかのように暴き立ててみせる。
その夜、アネットは両親から反省するよう申し渡され、部屋に鍵をかけられてしまった。しばらくこの土地を離れてベルナールやその家族とモンペリエで暮らせ、明朝出発しろという。だがアネットの腹の虫は収まらない。こっそり部屋を抜け出して彼女はモーリスの家へと向かった。そして彼と再び対面したのだが、彼の態度を見て、もはや恋は消えたと知る。なんてみんな自分勝手なの! モーリスはやっぱりあの金持ちのブロンド貴婦人の方に気があるんだわ! アネットは自暴自棄に駆け出した。
その瞬間まで彼女は港に身を投げて死ぬつもりだった。しかし……、彼女はモーリスが自分を追いかけてきていることに気づいたのである。彼女は最後の決意をして、そして次の瞬間、彼女は海へと落ちていたのだ……!
目の前にいきいきとしたモノクロ映画の映像が浮かんできそうな、とてもチャーミングなコメディ劇だ。実際、本作は戦時中にドイツ資本のコンチネンタル・フィルム社で映画化されている。たわいない話ではあるがすべてが愛らしい。全6回の連載作品なので中篇に相当し、やや中途半端な長さではあるのだが、このタイプのシムノン作品も一作くらいは雑誌等で邦訳紹介の機会があってよい。
物語が始まってすぐ、カフェで歓談中のアネットたちのひとり、友だちのジジがいきなり「あっ!」と叫んで皆の注意を他の客へと向け、その隙に目の前のケーキを頬張るくだりは、思わず「コメディかよ!」とツッコミを入れたくなるほどのステレオタイプぶりであるが(「この大食い! ……もう五個目よ……」)、この初手からもはや私たちはアネットやその仲間たちがどういうキャラクターであるのか、本作をどのような心構えで読めばよいのか、一瞬で了解できてしまうのだから作者の手腕を讃えるべきだ。
その通り、本作は若い女性向けのコメディである。中盤でアネットが自首しようと拘置所に赴くのだが、ドアを叩いてもなかなか返答がない。ようやく会えた看守に自首を告げると、予審判事のところへ行って収監状をもらってこいといわれる。それで裁判所に行くと警察署へとたらい回しにされ、ベンチで1時間も待たされたかと思うと、今度は受付の書記官が昼休みに入ってサンドイッチをつまみ始める始末。いつまで経っても地元の警察署長から書類がもらえないのだ。そんな様子をいちいち細かく描き出すコメディ作家シムノンの筆は冴えているし、最後に主人公アネットは悲嘆のあまり海に落ちるという体を張った大技まで披露してくれるので、対象読者層から外れた私のような者でも拍手喝采せずにはいられない。そして、もちろんここで助けに来てくれるのは王子さまと相場は決まっているものの、港町で生まれ育ったアネットに対してその王子さまは海で遊んだこともない! どっちがどっちを助けたことになるのやら。
それでもずぶ濡れの恋人たちは互いを取り戻し、ラストにアネットが気の利いた台詞をひと言いって物語は終わる。映画なら丸い枠が見つめ合うふたりにズームして、「Fin」と華麗な文字が浮かぶのだろう。このように徹頭徹尾お約束通りに物語は進むのだが、そうであるからこそシンプルに楽しい。私はこういうシムノン作品は大好きだ。
映画も観てみたが、舞台はラ・ロシェルではなくカンヌに移動しているらしいものの、脚本はシムノンの原作をほぼ忠実に辿り、アネットが自首する際のばかばかしいやり取りもすべて再現されている。ただし映画版では弁護士モーリスが40歳の中年男で、17歳という設定のアネットとあまりに釣り合わない。
アネット役を演じたのはルイーズ・カルレッティという女優で、経歴を見ると映画公開当時20歳だったようだが、こちらも本来の無邪気なアネットにはやや似つかわしくない美人なので、キャスティングにはもうひと工夫があってよかったかもしれない。あの名作映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』も最初は別の若手俳優で撮影が進行していたものの、あるときロバート・ゼメキス監督が意を決して主役の若者に「すまないがきみでは笑えないんだ」と引導を渡して、それでマイケル・J・フォックスですべて撮り直されたと聞いているが、この映画もいまいち配役がしっくりこなくて笑えないのだ。
ただしモーリスが中年男性だという設定は映画の最後に効いてくる。ラスト近くになって映画はシムノンの原作を離れて独自の展開を見せる。アネットの両親は自宅で音楽教室を開いていると先に記したが、娘が警察に捕まったと知るや子どもを預けている近隣の親たちは音楽教室を見限って、たちまちバルナヴォン一家は地元の信用を失ってしまうのである。一方、ブロンド貴婦人はといえばホテルの隣室に部屋を取っているベルナールのことが気になり始め、彼を酒に酔わせたあげく、自分といっしょに旅行に出ようと誘いをかける。さてこの二組のカップル、最終的にはどこへどのように収まるのか?
原作でアネットが囁く最後の言葉が過ぎてからも映画は続く。そしてずぶ濡れのふたりは生徒を失ったバルナヴォン夫妻に厳しく咎められ、男の方は責任を取ってアネットと結婚しろと迫られる。飛んで次のシーンは花嫁衣装につけて教会の祭壇の前に立つアネットとその新郎だ。ふたりは神前で愛の誓いを交わさなくてはならない。ウィかノンか? 新郎はようやくウィと応え、次は新婦アネットの番だ。しかしそこで彼女が口にした応えは……。
後の映画『卒業』のようなシーンとなって、そして教会の外で待っていたのは……という結末で映画は終わる。なるほど、だからモーリスは中年男性だったのか。まあシムノンの原作に手を入れるとしたらこの方策しかないだろう。
ということで映画もやはり新郎新婦が記念撮影のカメラの前で口づけを交わし、原作通りにたわいもなく、とりわけ映画史に残るわけでもない一作として、めでたく「Fin」の文字を迎えるのであった。
だがこんな映画はあってよい。たとえドイツ資本であろうと何であろうと、存在自体は憎めない。アネットとベルナールがいっしょに映画館に行くところで、当時の地方映画館にもカップル席があったのだとちょっと驚き、そこで私はつい微笑んだのである。それだけで観た甲斐があったというものだ。
瀬名 秀明(せな ひであき) |
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1968年静岡県生まれ。1995年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞受賞。著書に『魔法を召し上がれ』『ポロック生命体』等多数。 ■最新刊!■ |
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