書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
暑さもさることながら、湿気がたまりませんね。今年は空梅雨だったのに、八月に入ってから雨続きで、お出かけプランが狂ってしまった方も多いのではないかと思います。そういうときは室内で読書がお薦め。今月も書評七福神がやってまいりましたよ。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
川出正樹
『怒り』ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳
小学館文庫
2016年11月の〈書評七福神〉で、ピエール・ルメートルの《ヴェルーヴェン警部シリーズ》完結ロスにショックを受けている方に対して、ぜひベルナール・ミニエ『氷結』(ハーパーBOOKS)を試してみて下さい、とお薦めしましたが、ジグムント・ミウォシェフスキ『怒り』(小学館文庫)もまた有効じゃないかと思います。プロットの組み立て方から、筋運び、謎を提示するカードの切り方、そしてキャラクター造詣など、随所にルメートルを彷彿させるところがある上に、主人公のテオドル・シャツキ検察官が、普段ミステリを避けているにもかかわらずルメートルだけは認めていて、『死のドレスを花婿に』を愉しく読んでいるシーンがあるくらいですから。
マスコミからスーツを着た保安官と呼ばれ女性誌のベストドレッサーに選ばれたこともあるジャーナリズム嫌いの中年検察官シャツキ。常に正義の側に身を置ける仕事に誇りを持つ彼は、世の中のほぼすべての事象に対して“怒り”を覚えつつ、命のはかなさに対する“悲哀”を胸に、難事件に挑むことに生き甲斐を覚えています。そんな彼が命じられたのは、工事現場から発見された完全に白骨化した死体の調査。どうせ大戦中のドイツ人の遺体だろうとやる気の出ないシャツキですが、死後10日も経っていないことが判明し、俄然意欲をかき立てられます。一体、なにがあったのか? なぜこんな殺され方をしたのか? 重く解決の難しいテーマを中心に据えつつも、スピーディーな展開と二転三転するプロットに一気に読み通してしまうこと必至のエンターテインメントです。
一点だけ注意事項を。上巻裏表紙の内容紹介で、全体の半分近くで明かされる意外な事実があっけらかんと書かれているので、絶対に読まないように!
今月はノア・ホーリー『晩夏の墜落』(ハヤカワ・ミステリ)もお薦め。墜落したプライヴェート・ジェットに同乗した人々の人生をじっくりと描き、事件の真相を探りつつ、現代アメリカ社会の抱える深刻な問題を浮き彫りにしたサスペンスです。堪能しました。
北上次郎
『
ハヤカワ・ミステリ文庫
先月の当コーナーで、サンドローネ・ダツィエーリ『
い読者にはおすすめしないが、「乱暴でヘンな小説」
霜月蒼
『フロスト始末』R・D・ウィングフィールド/芹澤恵訳
創元推理文庫
すでに先月あげている方もいるが、6月末日刊行ということでもあり寛恕を願いたい。本作は名シリーズの最終作だが、これほど質の一定したシリーズは実は稀なのではないか。異色作もなければ失敗作もない、しかも決してルーティンワークに安住せず、最高の品質の作品ばかりをウィングフィールドは送り出し通した。いくつもの謎解きミステリをばらして、手がかりや伏線によるリンクがきっちりつながった状態で組み直したようなウィングフィールド一流のミステリ構築術は見事の一語である。これはいわゆる警察小説の「モジュラー型」とは一線を画すものであり、いわばモジュラー型という形式を利用した巧緻な本格ミステリというべきだろう。
ほかに文芸寄りの群像劇『晩夏の墜落』も満足度が高く、また北上次郎氏の絶賛をキッカケに周囲のミステリ者が急に読みはじめたカリン・スローターの諸作が印象に残った。とくに北上氏がともに月間ベストにあげたスローターの『砕かれた少女』と『ハンティング』が傑作。
千街晶之
『怒り』ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳
小学館文庫
十日前まで生きていた人間が完全な白骨死体で発見された……という冒頭の奇怪な謎からしてミステリファンを引きつけるには充分だが、そこが最大の読みどころというわけではない(ミステリ史に残るおぞましいハウダニットの謎解きが用意されているので、少なくとも読みどころのひとつであるとは言えるけれども)。見るからにマッド・サイエンティスト然とした医者の名前がフランケンシュタイン博士だったりするギャグに笑っているうちに、いつの間にか物語は途轍もなくダークな領域に踏み込んでおり、もはや読者は引き返せない。ひねくれた方向に個性的な主人公のキャラクター造型、その主人公を思わぬかたちで巻き込みながら暴走するストーリー、正義と悪の苛烈にして目まぐるしい反転……これ一作だけで判断するのは危険かも知れないけれども、印象として最も近い作風のミステリ作家はピエール・ルメートルだ。「ポーランドのルメートル」という惹句は意外と正鵠を射ている。
吉野仁
『怒り』ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳
小学館文庫
やられてしまった。読み終えて振り返ると、かなり粗っぽく大胆な構成や話運びによる仕掛けかもしれないが、読んでいる間はそんなことは分からないため、結果、まんまと作者の企みに驚愕させられたのだ。いろんな意味で今年を代表する一作かもしれず、日本語が読める全海外ミステリ読者は必読。ノア・ホーリー『晩夏の墜落』も薦めたいが、こちらを選ばなかったのは、熱量の差にすぎない。墜落の真相より、作中に展開されるさまざまなエピソードがとにかく面白かった。この作者が脚本を書いたドラマ「ファーゴ」(とくにシーズン1)が久々にノワールの飢えを満たしてくれたことにも深く感謝したい。21世紀におけるジム・トンプスンの世界を感じたのだ。そのトンプスン久々の新刊邦訳『天国の南』も心からうれしい一冊で、お願いだから、残り全作+ポリート評伝を日本語で読ませてくれぇ。
酒井貞道
『蘭の館』ルシンダ・ライリー/高橋恭美子訳
創元推理文庫
今月(8月)には真打ケイト・モートンが控えているとはいえ、7月新刊ではそのモートンを思わせる《セブン・シスターズ》第一作を選ばざるを得ない。スイスの謎の富豪が亡くなり、彼の養子に迎えられた七人(?)の女性たちの物語が始まる。第一巻となる本作では、長女マイアが自らのルーツを探り、地球の裏側リオデジャネイロまで赴く。貴種流離譚の体裁を採り、二十一世紀に生きる三十代のマイアと、一九二〇年代の彼女の祖父母世代の若き日々が、鮮やかに描き出される。作者の筆は主要登場人物、特に各時代のヒロインにぴたりと寄り添っており、彼らの心理の綾を細大漏らさず掬い取る。こういう小説は大好物なんです。他には、ポーランドの検察小説『怒り』も、特異な事件をじっくり腰を据えて描き、印象的だった。
杉江松恋
『怒り』ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳
小学館文庫
「ポがつくとこ? ポ、ポーランド!?」(太宰久雄の声で)
ポーランド・ミステリーの邦訳というと記憶が曖昧なのだが、スタニスワフ・レムの著作を別格とすれば、プロパー作家の翻訳はほとんど無いはずである。1977、8年にお目見えしたイェジイ・エディゲイまで溯るのではないだろうか。『顔に傷のある男』と『ペンション殺人事件』の2長篇が翻訳された。このうち後者では、有名な古典作品と同趣向のトリックが用いられており、高校生のときに読んで「エディゲイ、すげー」とたまげたのであった。それに続くミステリーがもしジグムント・ミウォシェフスキ『怒り』なのだとすれば、ポーランド恐るべしと言うしかない。レムの『枯草熱』もすごい作品だったしね。
『怒り』は内容を知らずに読めば読むほど興趣が増す作品なので、あまり詳らかにしないほうがいいように思う。表紙裏のあらすじや帯の惹句など、情報を遮断した上でページを開き、荒々しいプロローグにまず目を通してみていただきたい。そこで心を掴まれたら、あなたは『怒り』に見込まれた読者である。もし心を掴まれなかったら? そうですね、日を改めてまたもう一度読んでみてはいかがだろうか。体調のいいときに、一気に読むのに向いている作品だと思うのである。
他の評者がお書きになられていることに付け加えられることはあまりない。細部が楽しい小説でもあり、主人公が「なーにか、ぼくの才能にふさわしい、へーんな事件はないかなー(大意)」と考えながら車を走らせている冒頭場面など、情景描写にも見知らぬ異国の地方都市を彷彿とさせるだけの冴えがあるとだけ書いておこう。これが初のポーランドミステリー読書になる方も多いと思うのだが、もし余力があれば「ポーランドのポー」もしくは「ポーランドのラヴクラフト」と呼ばれるステファン・グラビンスキ作品にも手を出してみていただきたい。『動きの悪魔』『狂気の巡礼』の二短篇集が邦訳されている。
前月がバラバラ回だったのに対して、今月はポーランド作品に人気が集中しましたね。秋のベストテンシーズンに向けてますます加熱していきそうな気配もあり、次回も楽しみです。また来月、お会いしましょう。(杉)
●書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧●