書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 一日家から出ずに過ごしたら、昨日は血のような赤い夕焼けだったのだとか。鮮血ほとばしる小説に読みふけっていて、見逃してしまいました。それもやむをえないほど話題作が目白押し。今月も書評七福神がやってきました。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

川出正樹

『湖畔荘』ケイト・モートン/青木純子訳

東京創元社


 ケイト・モートンの最新作『湖畔荘』に唯々圧倒された。これぞ読書の愉悦。〈物語〉としての面白さは今さら言うまでもないでしょうが、今回なんといっても特筆すべきは大変練度の高いミステリに仕上がっているという点です。作中である人物が「あまりに多すぎるパズルのピース、しかも各人がまちまちのピースを握りしめていた」と述懐するように、これまでに『忘れられた花園』と『秘密』で二度翻訳ミステリー大賞を受賞している彼女が、より複雑により緻密に織り上げた『湖畔荘』は、伏線の張り方とレッドヘリングの蒔き方が実に巧みな堂々たる謎解きミステリなのです。

 1933年のミッドサマー・パーティの夜に〈湖畔荘〉から忽然と姿を消した赤ん坊。70年前のあの日に一体何が起きたのか? 事実が明らかになるにつれより深く複雑になる謎が牽引力となり、登場人物の織りなす数奇な人生が推進力となり、上下巻600ページにわたるこれぞケイト・モートンの世界という厳しくも優しく、残酷だれどユーモアと明るさを失わない豊穣な物語を一気に読了。『秘密』から3年8ヶ月、待った甲斐がありました。今年一番の収穫です。

 今月は、ミネソタのの田舎町を舞台にした都会とは異なるアメリカの根っこを強烈に感じさせるミンディ・メヒア『ハティの最期の舞台』(ハヤカワ・ミステリ文庫)もお薦め。欲望と懊悩、喪失と悔恨とともに自立と再生を描いた本書は、〈自分の居場所はここではない〉と思っている人やかつてそういう思いを抱いたことがある人の心をざわめかせる良質なサスペンスです。

 

北上次郎

『暗殺者の飛躍』マーク・グリーニー/伏見威蕃訳

ハヤカワ文庫NV


 グレイマン・シリーズの第2期が開幕である。今回は中国サイバー戦部隊の天才ハッカーが逃亡し、その身柄確保に乗り出したCIAと、抹殺するために特殊部隊を派遣する中国の対立を軸に、そこにロシアが絡んできて、さらにはベトナムとタイの犯罪組織も金の匂いに近づいてくる。もうぐちゃぐちゃである。息詰まるようなアクションが、これでもかこれでもかと迫力満点に展開するからノックダウン。いやはや、すごい。天才グリーニー、いまだに健在である。

 

千街晶之

『ジャック・グラス伝 宇宙的殺人者』アダム・ロバーツ/内田昌之訳

新☆ハヤカワ・SF・シリーズ

 ジョン・スコルジー『ロックイン―統合捜査―』やジーン・ウルフ『書架の探偵』など、SFミステリもしばしば出している新☆ハヤカワ・SF・シリーズだが、ミステリ読者へのお薦め度の高さでは本作が今までで一番では。「さて読者のみなさん、これよりわたしがドクター・ワトスン役として語るのは、この時代における最大の謎にまつわる物語です」「わたしは読者のみなさんに対して、最初からフェアに勝負を仕掛けるつもりです。さもなければ真のワトスンとは言えません」という「読者への挑戦状」を突きつけてくる正体不明の語り手は、あろうことか本書で描かれる三つの事件の犯人はジャック・グラスという同一人物だといきなり明かすのだ。しかし、いざ読んでみると、彼と事件との関わりはなかなか見えてこない。脱獄、密室殺人、消えた弾丸……三つの不可能犯罪にジャック・グラスはどのように、そして何のために絡んでくるのか? SFとしての世界観がミステリとしてのひねくれた謎解きと強固に結びついた、遊び心満点の快作だ。

 

酒井貞道

『ハティの最期の舞台』ミンディ・メヒア/坂本あおい訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 田舎町で演技の上手い少女ハティが殺される。事件自体の経緯や真相には、あまり意外性がない。殺人ミステリを読みなれた我々には「ありふれた」ものですらあるだろう。しかし、作者は登場人物を、そのありようを、慈しむように、大切に書く。長所も短所も、包み隠さず、何も理想化せず、声高に強調せず、ありのまま、しっとりと描く。そこからは、紛れもなく、「もののあはれ」が薫る。

 いかなフィクションとはいえ、この物語では(少なくとも)一人の少女が命を散らし、輝きを永遠に失った。そして、そのような大罪を犯した人間が、(少なくとも)一人はいる。メヒアの筆致は、これらの事実の、本来あり得べき重さを取り戻している。主要登場人物の人生が、読者の胸に染み入る。「ありふれ」ていておかしくない要素全てが、真に迫った輝き、煌き、翳りをもって読者に迫る。いい小説だ。とてもいい小説だ。

 

霜月蒼

『ハティの最期の舞台』ミンディ・メヒア/坂本あおい訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 時間が停滞したような田舎町で殺された女子高生。その美貌と早熟さで知られたハティは、なぜ、誰に殺されたのか――杉江松恋氏が指摘したように、小さな町に淀む生ぐさい欲望の病理を解剖してゆく展開は、『事件当夜は雨』をはじめとするヒラリー・ウォーの傑作たちを思い出させる。だが、淡々とした捜査小説のあいまに、関係者の生々しい一人称パートがはさまれており、なかんずく被害者ハティの手記が、「ヒラリー・ウォー」の枠をはみだすインパクトを残す。

 つまり本書は、シルヴィア・プラスの『ベル・ジャー』であり、ローレン・ワイズバーガーの『プラダを着た悪魔』に連なる「ニューヨークに憧れる早熟な地方の文系女子の挫折」の物語でもあるのだ。知的で利発であるがゆえにハティが抱く鬱屈。それと共鳴して現実以上の輝きを帯びるニューヨーク。そして利発であっても所詮10代にすぎない彼女の現実把握の甘さと、それが私たち読者にもたらす痛み。ありがちな田舎ミステリにみえるが、ウォーの酷薄さと、『ベル・ジャー』の光と痛みをともにそなえた佳品です。

 活劇派には『暗殺者の飛躍』がイチオシですが、きっとみんな買ってますよね?

 

吉野仁

『アメリカン・ウォー』オマル・エル=アッカド/黒原敏行訳

新潮文庫


 分断した近未来アメリカで発生した内戦を背景とする本作は、南部の貧しい一家の娘の半生を追う大河ドラマであり、中東やテロの現実が重ねられたサスペンスでもある。近年、闘うヒロインを描く傑作は多いが、これもまたそのひとつとして本年必読の書だ。そのほか、ベトナム戦争終結直前のサイゴンを舞台にはじまり、秘密警察の長官「将軍」につかえる大尉がじつはスパイで、その男が語り手をつとめるヴィエト・タン・ウェン『シンパサイザー』は決して痛快で読みやすい娯楽小説ではないものの、その語りから浮かび上がる何層ものベトナム戦争の現実に圧倒された。もう一冊、ミンディ・メヒア『ハティの最期の舞台』は、いわば無自覚な〈ファム・ファタル〉ものの傑作だと思ったのは個人的な感想ながら、田舎町で起こった人間ドラマをじっくり読ませる点で多くの人に勧めたい。

 

杉江松恋

『ヤングスキンズ』コリン・バレット/田栗美奈子・下林悠治訳

作品社

 

 他のところで書評してしまったので詳細は省くが『湖畔荘』と『ハティの最期の舞台』が純度の高いミステリーとしては8月の双璧であった。ただ、この2冊については他に評される方もいらっしゃるだろう。両方とも必読、とだけ書いておく。

 狭義のミステリーではない長篇ではなんといってもジョン・アーヴィング『神秘大通り』がおもしろかった。メキシコ・オアハコのゴミ漁り(ダンプ・キッド)の出身で、世界的な成功を収めた作家フワン・ディエゴが主人公である。ダンプ・キッド時代、彼はアメリカの脱走兵と知り合い、彼の遺志を受け継いでフィリピンの戦没者記念墓地を訪ねる約束をしていた。すでに老境に達した彼がその約束を果たそうとしてかの地を訪れる。フワンの少年時代回想と旅行の顛末とが並行して語られていくという形式なのだが、薬の副作用から彼がしばしば夢想境へとさまよってしまうため、過去と現在との往来はとても激しい。不可避の結末があることが初めから暗示されており、そこへ向けて衝突すべく物語は突き進んでいくのだ。その書きぶりが素晴らしく、ミステリー読者なら絶対に楽しめる1冊である。作中要素を思いつくままに挙げると、バイアグラと犬と人の心が読める少女の話でもある。

 そして狭義のミステリーではない短篇集のベストがコリン・バレット『ヤングスキンズ』である。バレットはこれがデビュー作で、ガーディアン・ファーストブック賞、ルーニー賞、フランク・オコナー国際短編賞などを獲得して一気に注目された。アイルランドが経済破綻し、人心が荒廃した時代の若者群像を描いた短篇集であり、私はアラン・シリトーなどを思い浮かべながら読んだ。舞台となるのは架空の地方都市グランベイ、誰もが誰もを知っている、息の詰まるような小さい共同体である。全8篇が収録されており、特に中篇「安らかなれ、馬とともに」を強く、強くお薦めしたい。ボクサーとしても有望だったアームは、その道では行き詰まり、幼なじみで大麻売買の元締として羽振りのいいディンプナの用心棒をしている。アームには別れて暮らしている恋人と、二人の間に生まれた発達障害を持つ幼い子供がいる。犯罪に手を染めているとはいえ、彼らの前ではいい父親であろうと努力しているのだ。その均衡が、ある日つまらないことで破られる。ディンプナのためにある形で便宜を図ろうとするアームだったが、すべては悪い方向へと転がり始めた。

 その他の収録作も、あらゆることに失敗し、娼婦に聞かせる思い出話すら他人の借り物しか持ち合わせていない男の話「ダイヤモンド」、若くして絶望を知った男の日々を抑制の効いた文体で描いた「身の丈を知る」など、胸の内にある空洞を押し広げるような物語ばかりである。上にも書いたようにミステリーではないが、都会小説、犯罪小説のファンなら絶対に楽しめる。

 

 豊作の2017年を象徴するかのように、冒険小説からサスペンス、SF、犯罪小説短篇集とバラエティに富んだ8月でした。ランキング集計の行われる10月末に向けて、ここからさらに大作・秀作が刊行されることでしょう。楽しみで仕方ありません。ではまた、来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧