書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 またまた宣伝ですみません。川出正樹こと翻訳マン1号と杉江松恋こと翻訳マン2号がその月に読んだ(今回は5~9月に読んだ)翻訳小説・ミステリーの中からお気に入り3冊を薦める「翻訳メ~ン」が再開しました。こちらのyoutubeチャンネルからお試しください。二人合わせて翻訳メン!

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

千街晶之

『13・67』陳浩基/天野健太郎訳

文藝春秋

 今月は久しぶりに一瞬たりとも迷わずに選べた。二○一三年から一九六七年へと遡行しながら、六つのエピソードによって描き出されるひとりの警察官――「天眼」の名探偵と呼ばれた男の生涯。末期癌で昏睡状態にありながら、脳波でYESとNOを意思表示することで安楽椅子探偵ならぬ寝台探偵を繰り広げる第一話からスタートし、脱獄、立てこもり、誘拐などさまざまな事件の表と裏が、アクロバティックなロジックとトリックから浮かび上がる。香港という舞台の歴史的変遷を描きつつ、警察官にとって不変であるべき正義とは何か――その理想と現実を問いかける苦い味わい。一篇一篇の完成度の高さと、通して読了した時に明らかになる全体の緊密な構想。既に古典の風格さえ感じさせる今年度最高のミステリだ。

 

北上次郎

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 そうか、やっと気がついた。この長編を読みながらずっと何かこう違和感のようなものを感じていたのだが、それを最初は、旅の目的が好きではないからだ、と考えていた。違うのである。ギャング小説を私は好きではないのだ。ジョゼ・ジョバンニをこよなく愛した私がこんなことをいまさら言うと奇異に思われるかもしれないが、ジョバンニが書いたのはたしかにギャング小説だが、そこに描かれていたのは個のギャングだ。組織としてのギャングではない。『ゴッドファーザー』を始めとする「ギャング組織小説」(こんなふうに言っちゃっていいのかね)は、実は好きではない。『東の果て、夜へ』にもその組織の匂いがある。それがおそらくは違和感の正体だ。世評高い小説なので、あえて書いてみた。いや、それを除けば、余韻あるラストまで素晴らしい傑作である。

 

川出正樹

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 いい小説を読んだ。LAの箱庭(ザ・ボクシズ)と呼ばれる一角で麻薬ビジネスの末端要員として限られた世界しか知らなかった十五歳の少年が、大人の都合により望まざる同行者とともに人を殺すために北米大陸を横断する旅の過程で世界を知り、人生を選択する。

 ロード・ノヴェルと犯罪小説と教養小説の要素を併せ持ちながら、各々の常道を外して語られる物語のなんと瑞々しく滋味深いことか。全編に漂う静寂さは、読了後長く心に留まる。抑制の利いた文章の美しさとキャラクター造型の巧さを兼ね備えた期待の新星のデビュー作であり今年度の大いなる収穫です。

 今月は、ダニエル・コール『人形は指をさす』(集英社文庫/田口俊樹訳)とアーナルデュル・インドリダソン『湖の男』(東京創元社/柳沢由実子訳)もお薦め。前者は、シリアルキラーVSはみ出し有能刑事という定番設定にもかかわらずギミック満載でミッシングリンクにも新規性があり一気に読ませる。後者は、2004年に書かれた冷戦時代に根ざす遠い異国の過去の悲劇の物語だけど、今の日本の状況を鑑みるに決して〈対岸の火事〉ではない不朽の逸品。どちらも他の月ならばベストに推した作品です。

 

吉野仁

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 今月の、というよりも今年のベスト、いや、もしかするとこの数年でいちばん気になる作品および作家かもしれない。LAの黒人少年たちが殺人を命じられて東への旅を続けるロード・ノヴェルにして主人公の成長物語。設定にせよ展開にせよ、これまでにない感触をあちこちに味わい、強く印象に残った。間違いなく新時代のクライム・ノヴェル。そのほか、ケイト・モートン『湖畔荘』、スティーヴン・キング『ファインダーズ・キーパーズ』など大御所の新作は期待どおりのうまさ巧みさ面白さで大満足。若手では、急死が残念なロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 消滅遊戯』、今回も外連味たっぷりのベルナール・ミニエ『死者の雨』、大胆な本格趣向もさることながらノスタルジックな香港を味わった陳浩基『13・67』をはじめ、実りの9月でした。

 

霜月蒼

『アメリカン・ウォー』オマル・エル=アッカド/黒原敏行訳

新潮文庫

 ヘイトで南北に分断されたアメリカ。そこでテロリズムに走るほかなかった女性の半生をヴィヴィッドに描き切った本作を推す。ひとびとを巻き込む大きな観念の闘争を、地べたの人間の視点で切り取って、どこかロマンティックな冒険小説に仕立てる手つき、そして敗れた理想が救いのない暴力に逢着するさまを酷薄に描くあたりに、船戸与一を思い出しもした。大きなスケールに足をとられずに、泥水の匂いのする繊細な書き込みを忘れていないのも手柄。筆致勇壮な前半もいいが、夢の破れたあとを切実に描く後半がすばらしい。近年の活劇小説で最重要のテーマである「戦う女性」に関心のある読者にはマストだ。

 犯罪小説と青春小説の理想的な融合として切なさ抜群のビル・ビバリー『東の果て、夜へ』もとっても好みな小説だったが、いまは大きな柄の小説を評価したい気分なので、あちらをベストとした。ビバリーも同等の傑作として、ぜひお読みいただきたい。

 

酒井貞道

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ロード・ノベルと少年の成長譚はただでさえ相性が良いところに、作者は酷薄で切れ味鋭いクライム・ノベルという側面を付加し、ヴィヴィッドで痛切な小説に仕上げてみせた。しかも、ストーリー展開や語り口に趣向が凝らされており、読みやすくはあるのだが、だからと言って一筋縄ではいかない展開や表現が随所で待ち受けている。ロード・ノベルとしての主人公と他人の交流には、重層的で多彩な味わいがあるし、主人公が進むべき道をこれ見よがしに提示する愚(少年が主人公の「いい話」にはそういうの多いのだ)も犯さず、全てが相対化されていく。物語は胸を踊らせ、同時に胸に染み入る、優れた小説だと思う。

 

杉江松恋

『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 ぎりぎりまで迷ったのだが、『東の果て、夜へ』を推すしかない。私にとっては夢の小説というべき作品だからだ。教養小説であり犯罪小説でありロード・ノヴェルであるという複層的な構造がまず好みだ。主人公が15歳の少年というのもいい。彼が組織を裏切った男を殺すために仲間と2000マイルもの距離を旅していくという内容なのだが、殺人という〈悪魔との契約〉を取り交わしてしまった主人公ということは、当たり前に考えれば悲劇的な結末が予想される。4人の少年たちを載せたワゴン車は不可避の未来に向けて進んでいくのである。その展開からどのように作者は裏切ってくるのか、期待しながら読んだが、まったくもって意表を突かれた。定型を提示しておいて裏をかく、という技巧を好む作者であるらしく、その点にも好意を抱いた。誰もやってないことを試してやろうという稚気と、それを滑らかに、作業の手が込んでいることを読者に悟らせないようにやってのけようという職人気質とが一作に同居しており、これがデビュー作だというのが信じられないほど豊かな小説なのである。そうだ、デビュー作なのだ。驚きだ。素晴らしい。細かく見れば瑕はあるかもしれない。これはいちゃもんと思っていただいて結構だが、邦題は覚えにくい。仲間内で話をするときはいつも全部が思い出せなくて『東』と呼んでいるくらいである。でも、主人公の名前がイーストなのだから、この邦題でいいのだ。ちなみに原題はDodgersである。野球チームだ。え、なんで野球チーム、と思うかもしれないが、ちゃんと意味があるのである。そういうところも好きだ。

 本作とどちらにするか最後まで迷ったのがアーナルデュル・インドリダソン『湖の男』だ。こちらは幹の太いプロットを用いた警察小説で、冷戦時代から現代に続く因縁話としてたまらなくおもしろい。一つのことをこつこつ突き詰めていくこういう小説も私は本当に好きだ。インドリダソンの邦訳はこれで4冊目になるが、どんどんよくなっているのが頼もしい。『東』がなかったら、これを間違いなく推していた。あ、また『東』って言っている。覚えられていない。もう1冊挙げるとすれば『ゴーストマン 消滅遊戯』で、これも他の月だったら一推し間違いなしだった。リチャード・スターク・ファンは必読である。動きの激しい『死者の遺産』みたいな話だ。派手な『殺人遊園地』と言ってもいい。いや、それはちょっと違うか。

 

 驚異の新人に圧倒されましたが、各人の年間ベスト級の作品が出てきた9月でした。このまま行くと10月も大漁間違いなしでしょう。次回もお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧