突然ですが、みなさんクランペットはもちろんご存知ですよね? トランペットじゃありませんよ、クランペット。イギリス式のアフタヌーンティーで、サンドイッチやスコーンといっしょに出てくるあれですね。えっ、ご存知ない? 知ってるけど見たことはない? 見たことはあるけど食べたことはない? 食べたことはあるけど作ったことはない? そんな方は迷わず11月25日(土)に都内で開催されるお料理の会の調理実習へGO! きっとクランペットのおいしさと、意外に簡単な作り方に驚かれるはずです。先日、世話人たちで試作会をしたのですが、素朴でシンプルなのにしっかりとおいしくて、なんとも優雅な気分になりました。ゲストの♪akiraさんも大のクランペット好きだとか。参考図書はデュ・モーリアの『レベッカ』ですが、調理と試食が目的なので、未読でもオーケーというコンセプトです。未読の方も安心してご参加ください。でも、『レベッカ』には何度もクランペットが出てくるので、読むと絶対食べたくなりますよ! 世話人一同、みなさまのお申し込みをお待ちしています。

 では、十月の読書日記です。

 

■10月×日

 アーナルデュル・インドリダソンのエーレンデュル・シリーズで、すっかりおなじみとなったアイスランド・ミステリ。『雪盲』はアイスランドの作家ラグナル・ヨナソンによる〈ダーク・アイスランド〉シリーズ一作目です。

 主人公はアリ=ソウル、二十四歳。十三歳で両親を失い、大学で哲学や神学を学ぶが、いずれも挫折して警官を目指していた彼は、北極圏に近い町シグルフィヨルズルの警察に採用される。いっしょに暮らしていた恋人のクリスティンとは遠距離恋愛ということになり、彼女との関係がギクシャクしたまま、雪深いド田舎の町に赴任したアリ=ソウルを待っていたのは、徹底した余所者扱いという洗礼だった。神学を学んだという異色の経歴から、着任早々「牧師」というあだ名を頂戴するのは、懐かしの「太陽にほえろ!」みたいでいいと思うけどね。町じゅうの人から呼ばれちゃうから、本人はいやがってるけど。

 やがて、町の有名人である老作家のフロルフルが劇場の階段から転落して死亡する。事故死かと思われたが、高慢なフロルフルには敵も多く、アリ=ソウルは殺人を疑う。さらに雪の中に半裸で倒れている瀕死の女性が発見され、住民たちの過去や人間関係を調べていくうちに、思いもよらない事実が……雪に閉ざされた町で、若き新人警官が奮闘する。

 ダーク・アイスランドと謳われているけど、思ったより暗くはない。〝アイスランドのアガサ・クリスティ〟と言われているだけあって、田舎町の住民たちひとりひとりの描写や、終盤での決め手となる情報を隠しながらの展開は、たしかにクリスティっぽい。アリ=ソウルが悪夢に悩まされたり苦悩するシーンも多いが、それほどドロドロしていなくて、ノワールというよりは〝青春〟という感じ。何より、新たな女性ウグラに惹かれながらも、恋人クリスティンに気兼ねして、必死で一線を超えまいとする姿はあまりにも誠実すぎて、ほんとにこんな人いるのかしら、とにわかには信じがたいほどの清純さ。ノワールどころかミステリ全般でもこんな男性見たことないわ(個人の印象です)。犯罪心理捜査官のセバスチャン・ベリマンとは真逆ね。アリ=ソウル以外の人々もみんな問題を抱えていて、二作目でそれがどう変化していくのかも気になるところだ。

 ちなみにアイスランドには、クリスマスイヴからクリスマスの早朝にかけて、新しい本を読むというすてきな伝統があるらしい。アリ=ソウルが読書家というのも高ポイント。また楽しみなシリーズが増えた。

 

■10月×日

 ミンディ・メヒアの『ハティの最期の舞台』は、地味ながら力のある作品だ。いろいろなことを考えさせられて、思った以上に心が揺さぶられた。

 ミネソタの田舎町に住む女子高生ハティ・ホフマンは、ニューヨークに出て女優になることを夢見ていた。だが、高校の演劇でマクベス夫人を演じた夜、彼女は湖畔の廃屋で無残な姿で発見される。美人で性格もよくて、みんなに好かれていたハティがなぜ? 高校生たちが恐れているように、彼女の「最期の舞台」となった『マクベス』にかけられた呪いなのか?
 ハティを子供のころから知る保安官は、捜査を進めるうちに十八歳の彼女の意外な一面を知ることになる。
 ハティが「女優」だったこと。それが彼女の悲劇だったのだ。

 自分は大人だと思いこんでいる女子高生。エッチしか頭にない男子高校生。妻との関係がぎくしゃくしている高校教師。老いた母の介護をするその妻。つらい過去を背負った保安官。読み終えたあと思い返すと、どの登場人物の気持ちもわかって、すべてが腑に落ちる。ああ、この年ごろならこんなふうになってもしかたないな、こういう事情ならこうなるのも無理はないな、と。だからこそのやるせなさ。そして無力感。はぁぁ……と深く嘆息。でも人生はつづいていく。残された人たちは生きていかなければならない。そのための余力をちょっぴり残してくれるラストがまたせつない。

 悪く言えばステレオタイプということになるんだろうけど、読んでいるあいだはそれがまったく気にならない。むしろ、その癖のなさが読みやすさにつながっている。そして、読み終えたあとは不思議な満足感が残る。ありがちなキャラ、ありがちな設定、ありがちな化学反応でも、予測のつかない物語を作り上げてしまう技量はすごいと思う。

 高校時代はイケてると思っていたことが、今思い返すとかなりイタい、という経験はだれにもあるだろう。子供だったんだな〜としみじみ思えるのは、大人になったからこそ。ハティもおばさんになるまで生きられたら、そんなふうにイタい自分を恥ずかしくも愛しいと思っただろうな。

 

■10月×日

『天国の南』は、油田で働いていたという自身の経験をもとに書かれた、ジム・トンプスン後期の作品。舞台は一九二〇年代後半の石油パイプライン建設現場です。

 二十一歳のトマス・バーウェル(トミー)は、マブダチ(死語)のフォア・トレイ・ホワイティに誘われて、石油パイプライン敷設現場で働くことになる。やる仕事はダイナマイト爆破。祖父母がダイナマイトで爆死したため、トミーはダイナマイトを使う作業が実は苦手だ。それでもフォア・トレイのためならやっちゃうんだから、どんだけフォア・トレイのことが好きなんだよ〜。しかもトミー、学があって学校の成績もよかったのに、流れ者になってしまったという変わり種。おまけに子供のころから詩をつくっているという詩人なのだ。

 このトミーがね、とにかく危なっかしくて、読んでいてハラハラしちゃうんですよ。若いせいもあるけど、読者も含めてみんなが「おまえはこんなところにいちゃだめだ、もっとまともな生き方をしろ」と諭したくなるキャラクター。ノワールの主人公が堕ちていくのって、どこか自業自得に思えて、まあしょうがないよね、という諦観がつきまといますよね。結局、行くとこまで行っちゃうんだろうな、と思って、あんまりハラハラはしないもの(個人の感想です)。でもね、トミーはなんかちがうのよ。まわりの心配をよそに、ヤバい方にヤバい方に行っちゃうのは同じなんだけど、それがなんだか愛おしくて……愛されキャラだよね。放っておけないという意味で、いじられキャラでもあるけど。

 そう、お気づきのようにこの作品、ジム・トンプスンなのに、ノワールというわけじゃないのです。後味だって、そんなに悪くないどころか、明るくさわやか。ファム・ファタルかと思われたキャロルも、なんだか健気でかわいい。主人公のトミーにしても、壊れた感じがあまりしなくて、かなりまとも。なんかすごく新鮮でした。トンプスン、こういう作品も書いてたのね。
 ♪akiraさんが指摘しておられるように、腐案件としても楽しめます!

 

■10月×日

 安定のケイト・モートン。第五長編(邦訳は四作目)の『湖畔荘』も期待を裏切らないどころか、読んでいてワクワクが止まらなかった。小説のおもしろさをしみじみと感じさせてくれる傑作だ。

 一九三三年六月二十三日、ミッドサマー・パーティがおこなわれていたコーンウォールのエダヴェイン家の屋敷〈湖畔荘〉で、もうすぐ一歳になる幼子が忽然と姿を消した。

 七十年後の二〇〇三年、廃屋となった〈湖畔荘〉を偶然見つけたロンドンの女刑事セイディは、消えた幼子の姉で、今は有名な推理小説作家であるアリスの許可を得て、幼子消失の謎を解明しようとする。それは、セイディ自身もつらい過去を背負っているからにほかならなかった。

 セイディとアリスの視点で、二〇〇三年の現在と、七十年まえの事件の日にいたるまでのいきさつが交互に語られ、事件の日にいったい何があったのかを明らかにしていくという、いつもの編み込み構造。これが、心地よいサスペンスを生み出し、ラストでノーマークだった事実を突きつけられ、参りました、という感じ。しかもこれって、おとぎ話じゃないですか! 思わずにっこりしてしまうラストは、してやったりというモートンさんの顔が見えるよう。

 アリスが推理小説作家というのもたまらんですね。彼女が創造した私立探偵の趣味がパッチワークだなんて、もうすてきすぎます。「薬物や酒の力を借りれば快感を得るのは簡単だが、謎解きがもたらすぞくぞく感には到底かなわない」という繊細で豪快なアリス、好きだなあ。

 上巻の帯に「21世紀のデュ・モーリア」とあるけど、たしかにそうだわ。冒頭でも書いたとおり、お料理の会の調理実習があるので、クランペットが出てくるデュ・モーリアの『レベッカ』を新訳で再読したんですけど、あまりにもおもしろくてびっくりしたもの。ゴシック・ミステリの金字塔にも劣らないおもしろさと品格が、ケイト・モートン作品にはあると思う。

 

■10月×日

 良質なエンタメ作品を読んだ! それがノア・ホーリーの『晩夏の墜落』を読んでの感想だ。パニックものか、陰謀ものか、成長物語か、ヒューマンドラマか、スリラーか。いずれの要素も含みながらそのどれでもないような、不思議な印象。でも、とにかく理屈抜きにおもしろい。映像畑にいる人の作品だけあって、場面が映像になって目に浮かぶのだ。

 八月末、マーサズ・ヴィンヤード島で夏休みをすごした家族とその知人らを乗せたプライベートジェット機が、離陸後わずか十六分後に墜落した。乗員三名乗客八人合わせて十一人のうち、助かったのは四十七歳の画家スコットと四歳の子供JJのふたりだけ。暗い海を泳いでの奇跡の生還だった。

 しかし、プライベートジェットはアメリカ有数のメディア王ベイトマンがチャーターしたもので、訴追直前の銀行家キプリングも乗っていたことから、事故は何かの陰謀によるものなのではないかとの憶測が流れる。マスコミは、家族でもないスコットがなぜ乗っていたのか、なぜベイトマンの幼い息子とともに彼だけが助かったのかを追求しようとする。

 マスコミから身を隠し、両親を亡くしたJJを気づかいながら、身の振り方を模索するスコット。事故の真相を求めて調査を進める国家運輸安全委員会調査官、FBI捜査官、財務省調査官たち。そして、英雄スコットの弱みをさぐって食いつこうとするハゲタカのようなマスコミ。果たして真相は? スコット対マスコミの勝負の行方は?

 乗員乗客をひとりずつ、生まれや育ちから紹介し、それぞれどんなふうに生きてきたか、どんな人なのかがわかるにつれ、飛行機事故の真相に近づいていくという構造がうまい。あたりまえのことだけど、飛行機のなかで、こんなにさまざまな人生が交錯していたのかと思うと、なんだかしみじみと恐ろしい。

 泳ぐのはあんまり得意じゃないから、たとえ誘われても、あんまり知らない人のプライベートジェットには乗らないようにしなければ。まあ、一生誘われないだろうけど。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。ハンナシリーズ十八巻『ダブルファッジ・ブラウニーが震えている』が十一月三十日に出ます。意外な展開に驚いてください! ちなみに、クランペット(という語)も一度だけ登場します。

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