ジム・トンプスンは、本書について、「アメリカには四千万人のアルコール依存症患者がいるから、これは四千万部売れるはずだ」といっていたという(霜月蒼解説)。 四千万部はオーバーにしても、商業的成功をおさめ、自らの出世作になるのではと思っていたのは、ひょっとすると本当かもしれない。

■ジム・トンプスン『ドクター・マーフィー』(高山真由美訳)■


 文遊社から『天国の南』に続く第二弾『ドクター・マーフィー』(1953) が早くも出た。犯罪小説ではない。いってみれば、アルコール依存症専門療養所の一日を描いた群像劇、人間ドラマ。
 といっても、尋常なドラマではないことは、冒頭で、療養所の運営者で唯一の医者が入水自殺しようとして果たせないことからも明らかだ。
 
 舞台は、LA近郊のアルコール依存症専門療養所《エル・ヘルソ》。運営者は、マーフィー医師。看護婦のルクレチアら看護スタッフのほか、入院患者には、元軍人や女優、著名な記者、初期の映画界のリーダーだった双子といった面々。療養所は資金繰りに窮しており、最近入院した富裕な患者の家族から金を引き出すことができなければ、本日で閉院しなければならない事態に陥っている。冒頭の自殺未遂は、マーフィー医師の閉院への懊悩によるものだ。
 マーフィー医師は、トンプスン小説の主人公らしからぬ、いたって誠実な人物として描かれる。彼が医者になった動機は、父がアルコール中毒で死んだからであり、患者を更生させたいという使命感は強い。内省的な人物で、頭の中ではもう一人のマーフィー医師と倫理的なせめぎあいをしている。
 出自も性格も様々な患者たちは、医師の眼を盗み、アルコールを巡る小さな騒動を繰り返す。このエピソードの積み重ねによる医師と患者らの緊張関係が一つの読みどころだ。
 破滅に向かっている依存症の患者たちを相手に「聖戦」を行う医師の諦念は深い。

「奇妙なことだった。闘う必要も望みを持つ必要もないときほど、ますます懸命に闘い、望みをかけてしまうとは」

 といっても、治療側と治療される側、善と悪が明確に区別されるわけではない。
 艶めかしい看護婦のルクレチアは、少女期の忌まわしい記憶により、患者の虐待を繰り返している。
「聖戦」の側だったはずのマーフィー医師も、ある事件をきっかけに、禁忌を侵す。そこでは、水面下で否定され続けてきたマーフィーが顔を出す。一人の人格に宿る二重性は、前年に書かれた『おれの中の殺し屋』などの作品を思い起こさせる。善悪の分かちがたい混沌はトンプスン流だ。
 禁忌と侵犯といえば、本書は、アルコールというタブーに、ときに立ち向かい、ときに侵そうとする人々の物語といえなくもない。冒頭、本書は犯罪小説ではないといったが、本書を禁忌と侵犯の物語と捉えると、犯罪小説との類縁性もみえてくる。犯罪小説は、法というタブーを侵す人の物語といえるからだ。トンプスン自身もアル中であることを自認していた。自らの経験でもあろう、罪の意識を抱えながら何とかして酒を飲もうとする患者たちの姿はときに残酷に、ときにユーモラスなまでに活写されている。「私は完全無欠じゃない。医師であって、神ではない」。神なき地での禁忌をめぐる闘争の物語とみれば、本書はノワールの世界にさらに近づいていく。
 
 というように、本書は、従来から知られた作者のノワールの世界に近接していく要素をはらみ、エピソードの過激さにも目がいってしまうものの、全体としてみれば、時の単一、場の単一、筋の統一、演劇でいう三一致の法則に忠実な端正なドラマにみえる。登場人物たちが個々に抱える問題にも(薄ぼんやりとした灯りのようなものながらも)いちおうの決着がついていく。トンプスン流の破格の構成と饒舌、神経が痺れるようなアンモラルとは一線を画した作品といえよう。
 それは作者がいう商業的成功のためだったかもしれない。あるいは、『天国の南』と同様、瘴気漂う人間のごみ溜めの中でも一筋の希望や祈りを見出そうとする作家の一面を垣間見せたものかもしれない。語り手不在の物語の最後に作者自身を投げ入れるというブラックジョークは、案外、作者の照れ隠しではなかったかとも思えるのだ。

■マイルズ・バートン『素性を明かさぬ死』(圭初幸恵訳) ■


 先ごろ代表作ともいえる『代診医の死』が紹介されたジョン・ロードの別名義が、このマイルズ・バートン。ジョン・ロードで77冊、マイルズ・バートンで63冊の長編ミステリがあるというから大変な多作家だ。『素性を明かさぬ死』(1939) は21番目の作品だが、我が国でバートン名義の単行本としては、初刊行となる。
 会社経営者のメープルウッドが週末を過ごす別荘の浴室で、甥のバジルが死んだ。現場は、中から鍵がかけられた密室状態。検死の結果は、ショック死と推定される。健康な甥がショック死するはずなどなかったが……。
 ロード名義『見えない凶器』を思わせる筋立ては、潔いほどシンプル。犯人らしい人物はすぐさま目星がつけられる。結末を除いて冒頭の事件以外に事件らしいものも起きないが、スルスルと読ませてしまうのは、さすが手練れといえようか。
 浴室の殺人というと、アレが思い浮かんでしまうが、別荘には電気もひいておらず、電気を使用する器具もないという設定。
 捜査に当たるのは、スコットランドヤードから召喚されたアーノルド警部。普段は、デズモンド・メリオンという探偵と共同で捜査に当たるが、本編はインフルエンザで寝込んでおり、警部は単独で捜査せざるを得ない。 
 事件の不審な点は、死亡当時、別荘の近くにいた自動車の主の存在だが、杳として行方がしれない。警部は殺害方法に頭を悩ませるが、有力な推理もすぐに否定されてしまう。試行錯誤の果てに、丹念な現場捜査で警部は光明を見い出す。
 用いられた見えない凶器には、賛否が分かれるだろう(筆者はわりと好き) 。だが、作者の秘めたる狙いは、もう少し深いところにある。その狙いに向けた工夫を読み逃しなきよう。

■ファーガス・ヒューム/波多野健編・訳『ピカデリーパズル』■


 いくらクラシック・ミステリが好みでも食指が動かないということもあるわけで、「推理小説史に名を残す『二輪馬車の秘密』のファーガス・ヒュームの未訳作品を日本独自編纂!」と帯に謳われていても、さすがに古すぎない? というのが手に取るときの思い。
かのハワード・ヘイクラフト『娯楽としての殺人』では、

「彼は長い生涯に百三十以上の三文小説を書き、その半分以上はミステリー=探偵小説の部類にはいるが、その名声に役だつものはただひとつ、最初の『二輪馬車の秘密』である」

としつつ、その代表作にしても「劣悪な三文小説」「今日ではほとんど読むにたえず」と断じている。けれども、さきに紹介された『質屋探偵ヘイガー・スタンリーの事件簿』はなかなか楽しめたと思い起こして、読み始めると、本書の冒頭の短かめの長編『ピカデリーパズル』(1889)は、十分訳される値打ちのある作だった。
外国帰りの青年が舞踏会からの帰りの濃霧の中、女性の死体につまずく。女は非常な美人で、毒を塗った刃物によって切りつけられたものと推定された。新聞は、謎多いこの事件を「ピカデリーパズル」とはやしたて、「ロンドン一の名探偵」ダウカーが捜査に乗り出す。
 事件の背景には、貴族と人妻の駆け落ち事件が絡んでいることが次第に判明してくるが、決定的と思われる証拠によってある青年が逮捕されても、事件の構図はなかなか定まらない。
 本書の特徴の第一は、19世紀後半の長編ミステリに往々にしてみられるようなメロドラマや因縁話が極力排され、事件の謎と解決がストーリーの最大の眼目となっている点だろう。ホームズ物すら『緋色の研究』(1887) しか書かれていなかった時期である。その意味で、本書は、黄金期のミステリの先駆けにもなっている。その二は、いわゆる多重解決が試みられている点で、真犯人が現れたと思ったら、次なる真犯人が現れるという事態が続いていく。最後に現れるのは想定外の人物で、これを可能にするために叙述トリックめいたものまで使われている。
 もっともこれは、本書の先駆性を抽出すれば、の話であって、事件の構図が二転、三転するのも推理の積み重ねによるとは言いがたいし、今となっては古びたアイデアも用いられるなど発展途上期の要素も多分に残してはいるのはやむを得ない。
 本編は欧米で再評価されたというわけではないらしい。本国においても長い間、光の当たらなかったヒュームの先駆性を発見した編者の考察は、解説でたっぷり披露されているのでぜひ参考にしていただきたい。
「緑玉の神様と株式仲買人」は、20世紀末に刊行された英国ミステリ短編傑作12の一つとして収録されたという、これが本当のニュー・クラシック。強盗による主婦殺害とみえた犯行だったが、その背後に潜む悪意とは。探偵交代などひねった要素があるが、真犯人の無慈悲さに現代性を感じる。「幽霊の手触り」は、幽霊部屋として名高い部屋で起きたクリスマスの凶事を扱ったカーばりの設定の本格ミステリ。「紅蓮のダンサー」はジプシー女による強烈な復讐譚。「小人が棲む室」は、無一文の若者がある屋敷で過ごした風変りの数か月を描く中編。一家にまつわる謎が徐々に解かれていき早い段階で結末も推測がつくが、妖精たちと人間界のあわいにいるような小人の存在が異色で、ちょっと忘れがたい奇譚。
 

■山口雅也編著『奇想天外 21世紀版アンソロジー』■


 1970年代半ばに登場、SF、ミステリ、ホラー等の翻訳を中心にした伝説の雑誌「奇想天外」のオマージュである雑誌形式の単行本が二冊出た。『奇想天外 復刻版アンソロジー』『奇想天外 21世紀版アンソロジー』いずれも、山口雅也編著。前者はその名のとおり再録中心。後者は21世紀の今、『奇想天外』が発刊されるとしたら、こういう小説や企画記事が載っていただろうという想定の下に編まれたオリジナルで、アントニイ・バークリーらの本邦初訳作が収録されているから、クラシックファンにも見逃せない。
 バークリー「電話にて」(白須清美訳)は死者からの電話をテーマにした夫婦犯罪物、同「驚かない女」(同)はパンチ誌出身者らしい素っ頓狂なユーモア編。カミ「死んだボクサーの謎」は、訳者・高野優氏のダジャレも冴える、名探偵ルーフォック・オルメス譚。マーチン・ヒューイット探偵で知られるアーサー・モリスン「最上階に潜むもの」(宮脇孝雄訳)は、幽霊部屋テーマだが予期しない魔を描いて最後の一行で戦慄させるモダンホラー。ボブ・ショウ「侵入者」(尾之上浩司訳)は肉親の愛情を侵略テーマSFに絡めた佳作。
 他にも日本人作家のオリジナル短編や企画物が満載だ。編者の趣味が全開した、プロの同人誌の趣があって愉しめる。
 

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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