書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 またも宣伝で申し訳ないのですが、川出正樹こと翻訳マン1号と杉江松恋こと翻訳マン2号が2017年に刊行された翻訳ミステリーのベストテンを議論で決める「bookaholic認定翻訳ミステリーベスト10選定会議」、今年も12月17日(日)に開催します(千街晶之氏・若林踏氏との国内版は20日)。こちらのページに詳細がありますので、ぜひご覧いただき、日曜日ですのでよかったら足を運んでみてください。二人合わせて翻訳メン!

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 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

酒井貞道

『雪の夜は小さなホテルで謎解きを』ケイト・ミルフォード/山田久美子訳

創元推理文庫

「くっそ油断した!」と叫んでしまいました。言葉が汚くてすいません。家族経営のホテルで、十二歳の少年が、手伝いに来た少女と共に、突然現れた五人の宿泊客とホテルの謎に挑む――というストーリーが、予想通りのゆるふわ系で進むので、心理的にはすっかり武装解除して読んでいたんです。まあ確かに最初に書かれていた通りのことがわかったときにもちょっと驚いたけどさ。この手の話でこう来るとは思っていなかったんですよねえ……。そして《アレ》があってもなお、少年少女視点の優しいクリスマス・ストーリーとして、本作品は首尾一貫してくれるのです。それがとてもありがたい。主人公の出自や性格に関する屈託を、柔らかくもリアルに描いているのも、とてもいい。やむを得ないこととはいえ、私はこの作品を十一月に読んだわけですが、本当は十二月(クリスマスか年末)に読んで、優しい気持ちで一年を締めくくりたかったところです。未読の方はぜひ、今月中に。

 

川出正樹

『嘘の木』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

 久々に終生忘れられない小説に出会えた。フランシス・ハーディング『嘘の木』だ。今年は、『コードネーム・ヴェリティ』の輝きに、年明け早々早くもベスト1が出たかと驚き、真夏に読んだ『湖畔荘』の堂々たるたたずまいに2017年度はこれで決まりだと思っていたら、最後にとんでもない物語が待ち受けていた。

 時代は十九世紀半ば、ダーウィンの『進化論』によってそれまで盤石だと思っていた世界のすべてが変わり世間が震撼する中、旧約聖書に出てきた翼ある民の化石が発見される。だがそれは牧師で高名な博物学者のエラスムス師が捏造したものだった。スキャンダルから逃げるようにドーバー海峡の孤島に移住してきた牧師一家。けれども噂はたちまち島内に広まり、やがて師は不自然な死を遂げる。尊敬する父が詐欺師と罵られ、自殺というキリスト教徒にとって最大の罪を犯したと決めつけられたことに納得できないフェイスは、父の汚名を返上すべく、家族すら理解してくれないという四面楚歌の状況下、真相究明に孤軍奮闘する。観察力と論理的思考、そして父が残した禁断の植物――嘘を養分に育ち、食べた者に真実を魅せる実のなる〈嘘の木〉の不思議な力を駆使して。

 博物学者になりたいと夢見る十四歳の少女が、女性に対する偏見や差別、因習に雁字搦めにされ追いつめられた末に、迷いを吹っ切り決意し反撃へと転じるシーンが震えが来るほどかっこいい。しかも、ここが肝心なのだけれど、正当派の謎解きミステリとして、おそろしく精緻でシャープに仕上がっているのだ。謎と陰謀を推理して真相を解明する論理展開の隙のなさ、真犯人を指摘する手際の鮮やかさ。いずれも一級品だ。

 帯にファンタジーと謳っているけれども〈嘘の木〉の設定以外に超自然的要素は一切なし。これは、知性と魂を押し込められた若者が世界に抗う成長小説であり、端正な謎解きミステリであり、不穏な空気が全編を覆うサスペンス溢れる冒険小説でもある間然するところのない傑作なのだ。

 刊行されたのは2017年10月20日。こんな傑作を読み逃して各種ミステリ・ベスト企画に投票した不明を恥じつつ、今からでも遅くないと熱烈に推す次第です。

 

 

吉野仁

『雪の夜は小さなホテルで謎解きを』ケイト・ミルフォード/山田久美子訳

創元推理文庫

『雪の夜は小さなホテルで』は、港の上にある丘に建つホテルへ次々に訪れる怪しい客と奇妙な謎をめぐり、主人公の少年が相棒の女の子とともに探偵行を繰りひろげるという物語。ジュヴナイル向けながら「贅の尽くした数々のアトラクションが評判の小さな遊園地」といったミステリであるとともに、冬の贈り物(クリスマス)ストーリーでもあり、おおいに愉しんだ。そのほか、『寒い国から帰ってきたスパイ』の続編にして、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』などスマイリーものの最新作でもある『スパイたちの遺産』(早川書房)は、これまでのどのジョン・ル・カレ作品より読みやすいと感じた。現在と過去を行き来する構成や公式文書をおりまぜる趣向など全編凝っていながらも、本筋はこれまでのル・カレ作品となんら変わらってない。作品をなんども読み直かえしている上、近年映像化が続いており、理解が深まっていることも関係しているのだろうか。

 

北上次郎

『血のペナルティ』カリン・スローター/鈴木美朋訳

ハーパーBOOKS

 発売前の本をここで取り上げるのは厳禁なのだが、今月ばかりはフライングを許していただきたい――という書き出しを考えていたのだが、先月もフライングだったんだって。ホントかよ。
 それはすまない。というわけで、カリン・スローターである。
 1月の『ハンティング』、5月の『砕かれた少女』、6月の『サイレント』に続いて、12月に『血のペナルティ』が出たのだ。1年間に同じ作家の小説が4冊も出たことを記録に残しておきたいので、フライングする。
 今月は確信犯だ。もうすぐ出てくる本書を読んで気がついたことを書いておく。カリン・スローターが書き続けているのは、ヒロイン小説だ。物語の真ん中に「ウィル」という男性刑事がいるので、気がつくまで時間がかかってしまった。ウィルはヒロインたちを映す鏡である。同僚フェイス、女医サラ、ウィルの妻アンジー、上司アマンダ、『開かれた瞳孔』のリナと、ヒロインたちの熱い感情がいつも沸騰している。彼女たちの、この感情こそがカリン・スローターの物語のすべてだ。「カリン・スローターはアメリカの遠田潤子だ」と書いたのも、その道筋を示している。
 その文脈で考えれば、本書『血のペナルティ』は、いかにもカリン・スローターらしい作品といっていい。今回大活躍するのは60代の女性3人である。これがすごい。
 拷問されても音を上げず、拳銃をぶっ放ち、悪態をつくんだから、元気なアラカン女性たちだ。どこまで行くんだカリン。
 もっと多くの読者がこのシリーズを読んでくれれば、弟1作『開かれた瞳孔』が翻訳されただけで、弟2~弟6作が未訳のままのサラ・シリーズが翻訳される日も来るに違いない。読みたいなあこっちも。

千街晶之

『嘘の木』フランシス・ハーディング/児玉敦子訳

東京創元社

 十一月の新刊から一冊選ぶなら、ジョン・ル・カレの『スパイたちの遺産』ということになるだろうが、実は前回の更新までに読み逃していた十月刊の傑作があったのでそちらを紹介したい。キリスト教の伝統とダーウィンの進化論のはざまで揺れる十九世紀イギリスで、ひとりの博物学者が謎の死を遂げる。その十四歳の娘フェイスは、人間の嘘を養分として真実を見せる実をつける木の力を借り、真相究明のため立ち上がった……。ファンタジー的設定を取り入れつつ、女性が社会的にも学問的にも差別されていたヴィクトリア朝の時代相はリアルに綴られており、父を死に追いやった犯人のみならず理不尽な世界そのものと闘うフェイスの姿が印象的に描かれている。また、ミステリなので最後に短く語られるだけとはいえ、結末で明らかになるもうひとりの人物の歩んできた人生も想像すると無性に哀しい気分になる。

 

霜月蒼

『スパイたちの遺産』ジョン・ル・カレ/加賀山卓朗訳

早川書房

 まさか『寒い国から帰ってきたスパイ』の続編が登場しようとは! ル・カレは冷戦終結後もさまざまなアプローチで諜報スリラーを精力的に書いてきたが、『ロシア・ハウス』や『ナイト・マネジャー』あたりを最後にル・カレ作品から遠ざかってしまったファンも少なくないように思う。まずもって、そうしたファンは本書を手にとるべきである。何せ主役はピーター・ギラム、アレック・リーマスとジョージ・スマイリーも大活躍。ヘイドンやエスタヘイスやプリドーも顔を出すのだ。また映画『裏切りのサーカス』でル・カレに触れた、という読者も、本書はル・カレ作品中で屈指の読みやすさなので、ゲイリー・オールドマンやコリン・ファースやマーク・ストロングを思い浮かべながらお読みいただきたい。なお『寒い国から帰ってきたスパイ』を事前に読んでおいたほうが盛り上がります。

 物語の底に熱く烈しい脈動を宿した『寒い国』に比べてしまうと強さの点で一歩ゆずる本書だが、静かな悲劇のロマンティシズムがたゆたう本書での情報戦も滋味に富む。『寒い国から帰ってきたスパイ』『スクールボーイ閣下』などと同じく、この『スパイたちの遺産』も、おそろしくピュアなラブストーリーであるところが、ル・カレらしいなあと思うのである。

 

 

杉江松恋

『狩人の手』グザヴィエ=マリ・ボノ/平岡敦訳

創元推理文庫

 みなさんが月遅れとかフライングの作品に走るので、私新刊を独占させていただきます(ジャイアント馬場)。あ、『スパイたちの遺産』があったか。

 猟奇連続殺人を題材にしたこちらの作品、フランス・ミステリーだからまたおかしな仕掛けをしてくるんでしょ? ルメートルみたいに陰惨な殺人現場とか出てくるんでしょ? などと先入観をお持ちになる方も少なくないと思うが、いやいや、いたって正攻法の警察小説である。ただ、舞台になるのがフランス・マルセイユであるという点に新味がある。冒頭でいきなり主人公の刑事が、少年を監禁殺害した殺人犯を逮捕に向かう場面が描かれる。そうした犯罪が頻発する、荒っぽい町なのだ。主人公のミシェル・ド・パルマ警部はオペラ・マニアで(そしてときどき自分でもアリアを朗々と歌う)貴族的な人物と説明されるのだが、殺人犯の心理を理解することにとりつかれている。事件に秘められたシナリオを想像し、脳裏に再現できるのが彼の強みなのである。しかしのめりすぎており、そのために妻は家を出てしまった。
 この人物が、連続女性殺人事件に取り組む。作品の味付けになっているのは先史文明の洞窟遺跡である。ラスコーのような壁画のある遺跡が、この近くで発見されたのだ。事件の犠牲者は、そうした研究を進めていた学者だった。遺体の一部は乱暴に引きちぎられており、まるで獲物を仕留めた狩人が食らいついたかのようだったのである。さらに現場には手形を記した紙が遺されていた。
 基本に忠実に書かれた捜査小説であり、フランスらしい変化球を期待しすぎると肩すかしを食らうと思う。しかしその真っ当さが楽しく、ド・パルマという人物にも愛着を覚える。犯罪都市として描かれるマルセイユも魅力的で、新鮮な印象を受けた。もっと南フランスを舞台にしたミステリーを訳してもらいたいものである。「おフランスなんでしょ」などと敬遠せずに、ぜひ。

 月遅れの作品ではもちろん『嘘の木』が素晴らしかったのだが、もう一冊白水社エクス・リブリスから出た『死体展覧会』に注意を喚起しておきたい。作者のハサン・ブラーシムは亡命イラク人作家だ。彼が見聞した故国の事情を、暗いカリカチュアとして綴った短篇集である。暴力と死の支配する世界が非現実感を覚える筆致で描かれており、犯罪小説ファンならばきっとお気に召すに違いない。

 

 いかがでしたでしょうか。今年も翻訳ミステリーは豊作で、ベストテンを選ぶのにも困ってしまったという人が多いのではないかと思います。七福神は来年でなんと連載100回を迎えます。それに向けて全力で頑張っていきます、といっても本を読みふけるだけなんですが、とにかく応援くださいませ。では来月、新年にお会いしましょう。どうぞよいお年を。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧