——ただし1ペニーも多くなく、1ペニーも少なくなく!
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
畠山:今年も翻訳ミステリー大賞候補作が出そろいましたね。私もまだ候補作すべてを読んではいないけれど、なんだか大混戦の予感がします。まずは4月の授賞式に向けて全作品制覇しなくっちゃ! でも、作者逝去のためこれで最後になるフロスト警部を読むのは辛いなぁ……。
さて、今年も杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」によろしくお付き合い下さいませ。
今月のお題は、ジェフリー・アーチャー『百万ドルをとり返せ!』。新年の幕開けにふさわしい、景気よく楽しめるお話です。1976年の作品。
ジェフリー・アーチャーは1940年生まれのイギリス人。オックスフォード大学を卒業し、20代で議員となります。ところが北海油田のダミー会社に投資して全財産ボッシュート。それを機に政界も引退。
しかしこの方、転んでもただでは起きないんですね。このときの経験を生かして書いた処女作『百万ドルをとり返せ!』が大ヒットして、借金を完済したんですって。ア〇〇ーレもビックリの解決法じゃありませんか。
その後に政界復帰するものの、スキャンダルでの裁判沙汰やら、偽証罪での服役やらとなかなか賑わしく。かと思えば、一代貴族に叙せられたりもして、実に波乱万丈な人生を送っています。
服役後にも『獄中記』や『プリズン・ストーリーズ』を書き上げていますので、ハートの強い方だなぁと、ウィキペディアを読みながら感心しきりでございました。
さっさとカミングアウトしますが、ジェフリー・アーチャーは未読でした。『ケインとアベル』とか『ロスノフスキ家の娘』とか、長年気になっているタイトルはたくさんあるのになぜサボり続けていたのか自分でもわかりません。それどころか、しょっちゅうジェフリー・ディーヴァーと混同しているんですけど、それって私だけ?(どうかそっとしておいてください)
そんなどーでもいいことはさておいて(なら言うな)、いや~~楽しくて気持ちのいい小説だったーー!! まず何といっても『百万ドルをとり返せ!』っていう邦題がいいですよね。わかりやすくて、タイトルだけでもドキドキワクワクするし、スカッとした気持ちのよさも感じます。シンプル・イズ・ベストの好例ではないでしょうか。
そして1ペニーたりとも過不足なく取り返そうという欲のなさ(?)が、彼らの性格のよさを感じさせて、これまた気持ちがいい。彼らは騙された自分を恥じてもいるので、計画遂行のために流す汗は勉強代とでも思ってもいるんでしょうね。いわば手数料ナシの実費精算。なんて良心的!
大晦日から風邪で寝込んでしまいテンションだだ下がりでしたので、この楽しいお話を読んでずいぶん元気がでました。おかげで幸先の良いスタートがきれそうです。
加藤:さてさて、2018年最初のミステリー塾。今年もよろしくお付き合いください。
今年はイヌ年。資本家のイヌ、会社の走狗、そう、僕と皆さんの年ですよ! 頑張って最後まで走り抜きましょうね!(やかましいわ)
そして、今回のお題は『百万ドルをとり返せ!』。うーん、今回もまた既読作です。なんか、ホントすんません。ミステリー弱者代表のはずが、ここんとこずっと既読ばかり。そろそろ謝らなきゃと思ってたんですよ。まあ、マストリードって言うくらいだから、綺羅星の如き名作揃いで、僕のような素人に耳毛が生えたような読者でもそれなりに読んでるってことはあるにしても、ちょっと続き過ぎって思うでしょ。でも、このあたりは僕にとって(おそらく畠山さんも)80年代に読んだ、スパイ小説、冒険小説、ハードボイルドなど非本格全盛時代のものなんですよね。
ところで、『百万ドルをとり返せ!』といえば、コン・ゲームものの代表的傑作。キツネとタヌキが騙し合うから「コン・ゲーム」と思っている人も多いかと思いますが(ホントにいたら驚くけど)、コン・ゲームは confidence game つまり信用詐欺の略なんですってね。ヒリヒリするような駆け引きと二転三転する騙し合いがその魅力。
このジャンルで特に有名なのは、映画『スティング』(1973年)ではないでしょうか。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが最高に格好良かったですね~。でも残念なことにこの傑作映画は、肝心の騙しの仕掛けが古すぎて、今の若い方にはきっと理解不能だと思うんです。
しかし! 驚くことに本作『百万ドルをとり返せ!』はまったく大丈夫! 今回、再読してみて何が驚いたって、ソコ。いつものように、内容自体はすっかり忘れていたし、古い新潮文庫を引っ張り出して読もうかと本を開いたら、目が死にそうになったけど(2ヶ月連続)、40年も前の話がこんなに新鮮に感じるなんて! 思わず快哉を叫んだよ。ニワトリ頭万歳! ああ面白かった。ある程度歳をとると、記憶力なんか人生をつまらなくするだけだとつくづく思うようになるよね。
畠山さんは再読して驚いた本って何かある?
畠山:最後の1行や1文で「この本前に読んだーっ!」って気づくときは、ひっくり返るほど驚くね。あれを超えるどんでん返しはないもの。この軽いアハ体験がボケ防止に……(以下略)
本作は4人の被害者が各自お金を取り戻す方法を考えて、それを順に実行していく形です。最初は少しよそよそしかった4人が、この大作戦を通じてかけがえのない友となっていく様子は、実に微笑ましい。私のお気に入り(?)は唯一パッとした計画を立てられない、貴族のぼんくら息子ジェームズ。お金を取り戻さないと父親に見離される(貴族にとっては死活問題!)という瀬戸際なのに、美貌の女性アンと出会ったら、奪還作戦のことはサクッと棚上げしちゃう。でもってナンパの手際は最高にいいときてるから、ゲンキンなものです。
しかしながら、ジェームズの人を見る目はなかなかだと言わざるをえません。初めて出会った列車の中で読書をしていた彼女。何を読んでいたと思います? 《ヴォーグ》でも《コスモポリタン》でもないし、はたまたディケンズでも『高慢と偏見』でもない。なにあろう……ドゥルルルル(太鼓の音)……『オデッサ・ファイル』! キターーーッ! この選書で、絶対この人は添え物キャラじゃないぞ、という確信が生まれたのです。
私も乗り物で本を読む習慣が長いのですが、まだ貴族にナンパされたことはないなぁ。チョイスはアンと変わらないはずなのに。まぁ実際には、『オデッサ・ファイル』を読んでる時に話しかけられるなんて、迷惑以外のなにものでもないのだけれど。
詐欺師のメトカーフも好きですね。最初はギラギラした金の亡者っぽいのですが、お話が進むにつれだんだんチャーミングになってくる。アスコットで持ち馬を応援する姿も、オックスフォード大学で舞い上がっちゃってる姿も、ほんと可愛いおぢさんで憎めない! いや、はっきり言って好きですよ、メトカーフ。
モンテ・カルロのカジノに、キング夫人(!)がプレイするウィンブルドン、王族ご臨席のアスコット競馬場、という超超華やかな舞台を背景に、ハラハラで、時々笑えて、オーシャンズ11ほどかっこよくない(ごめん、でもそこがいいの)素人犯罪の妙。堪能いたしました。
加藤:電車で人が読んでいる本のタイトルって確かに気になるよね。ポケミスだったりするとなおさら。
それはそれとして『百万ドルをとり返せ!』の気持ちいいところは、アメリカの大金持ちに破産させられた4人の男たちが団結し、一つの目的に向かって突き進んでゆくところ。とはいえ、憎い相手に天誅を加え破滅させたいというわけではないのです。スローガンは「1ペニーも多くなく、1ペニーも少なくなく(NOT A PENNY MORE, NOT A PENNY LESS)」。これが原題です。 それぞれの持てる知識を総動員して、相手に気付かれないようにキッチリ最後の1ペニーまで取り返す。そのためには、ほんの少しのミスも許されないし、そもそも幸運に恵まれてやっと成功する仕掛けも結構ある。
テレビのバラエティーで昔よくあったドミノ倒しの準備風景を見るようなドキドキ感。動き出したら動き出したで、どこかで停まってしまうんじゃないかとハラハラ見守るあの感じです。
しかし本作は、そんなドミノ倒し的爽快さとその仕掛けの奇抜さを愛でるだけの話でもなければ、ただの復讐譚でもありません。4人の男たちの美しくも涙ぐましいチームプレーを楽しむ話だと思うわけ。
最近はラグビーのテレビ中継では、画面に「フェーズ数」が表示されるようになりましたよね。接戦の終盤、負けているチームが敵陣でフェーズを重ねて攻撃しているときの緊張感。ここ詳しく書いていいですかダメですかどうしてもダメですか(チッ)。
話は変わりますが、「百万ドル」といえば、まず思い浮かぶのは「百万ドルの夜景」じゃありません? 「百万ドル」は現実味のないとんでもない大金の比喩だと思っていたのですが、今回は4人が失った金額の合計が実際に約百万ドル。今のお金にしても大金だけど、当時はもっと凄かったはずですよね。そんな大金を失ったら、もう立ち直れなくなりそうですが、彼らはとにかく前へ進むのですね。もうそこからして無条件で応援したくなる。
しかし、大金持ちってのは財布の紐が固いと昔から決まっています。しかも相手は一代でその財を築いた大立者。そんな相手から彼らは百万ドルと必要経費を取り戻すことができるか!
さあ、未読の貴方は超ラッキー。今すぐ本屋さんへ走るしかないのです。必ず新品を買うのです。ブックオフや図書館はダメなのです。何度も書くけど、ひと昔前の新潮文庫の字の小ささをナメんなよ!
ところで、「百万ドルの夜景」って表現は海外では使わないんですってね。そもそもプライスレスな美しさを称賛する言葉ですらなく、神戸の街の一ヶ月の電気代(当時)がちょうどそれくらいって、関西電力のお偉いさんが言った言葉だったのだとか。ああ、知らなきゃよかったよ。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
本文中にもありましたが「コン・ゲーム」のおもしろさを日本に伝えた作品は、映画「スティング」と本書であろうと思います。犯罪小説でも特に知的好奇心をそそるサブジャンルであるコン・ゲーム小説の代表格として本書を収録しました。私が読んだのは1976年に発表された元版なのですが、実はこの作品、後年になって作者自身が改稿しており、現行の新潮文庫はそちらの新版が流通しています。アーチャーは若書きだったと感じたのか物語の細部に手を加えており、全体の筋は変わらないものの、小さな展開が異なる箇所がいくつかあります。気になる方は読み比べてみてください。
コン・ゲーム小説の諸作については『マストリード』でもタイトルを挙げて紹介しました。基本的には「暴力を用いず知力で敵の裏をかいて勝つ」がこのジャンルの基本だと思っています。敵を欺すための語りは騙りにつながります。つまり、事態の推移を見守る読者にも詐欺の相手と同じように偽りの展開に引っかかってもらわなければならず、そこで叙述に裏と表の二重性が生まれるのです。騙りの技術に定評のあるジェフリー・ディーヴァーのような作家を産んだ源泉の一つは、コン・ゲーム小説だったのではないでしょうか。ディーヴァーの短篇集中には、これぞコン・ゲーム小説、と言いたくなるような作品が多数ありますので、よかったらそちらもご確認ください。
さて、次回はトレヴェニアン『夢果つる街』ですね。こちらも楽しみにしております。
加藤 篁(かとう たかむら) |
愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato |
畠山志津佳(はたけやま しづか) |
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N |