「今の翻訳ミステリー大賞シンジケートは、過去の名作についての言及が少ない!」ーーそんなことをお思いの方はいらっしゃいませんか?

そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江) 

 

 W・P・マッギヴァーンの作品が好きです。優しいから。
 ……なんて書くと「悪徳警官ノワールの先駆け、マッギヴァーン様に対してなんてことを」と怒られてしまうかもしれません。でも、読めば読むほど、そういう気持ちが強くなってしまうのです。
 勿論、マッギヴァーン作品は生ぬるくはありません。当時のアメリカの腐ったもの、汚いものをそのままに、ほとんどの作品で女や金への欲望と、暴力が語られます。
 けれど、マッギヴァーンは、そうした腐ったもの、汚いものを愛のある筆で描いているように思うのです。犯罪者や過ちを犯した人をはっきりと批判しつつも、一方的に糾弾するわけでは決してない。聖人君子であることが一番良いし、そうあるべきだと説きつつも、中々そうはなれない人の気持ちもちゃんと汲む。
 それは「あんたは間違ってるけど、その気持ちは分からなくもないよ」と肩を叩いてくれているようで、ボンクラの僕は思わず、心を震わせてしまうのです。中編「高速道路の殺人者」(1961)の犯人みたいな、小説を読む読者的にも作中人物の視点的にも許せない悪党に対してさえ、読んでいてちょびっと感情移入してしまったくらいです。
 心が強い善人だけではなく、心が弱い悪人をも包み込んでくれる。
 だから、マッギヴァーン作品は優しい。まるでパンク・ロックみたいに。
 つい先ほど読み終えた『緊急深夜版』(1957)もやはり、そんなマッギヴァーンらしい作品でした。
 
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 市長選挙を間近に控えたその街で、ある夜、事件が起こる。
 市政改革派として着実に支持を伸ばし続けていた候補者コードウェルが、エデンという娼婦を殺したとして逮捕されたのだ。
 街の若き新聞記者ターレルは不審に思い、この事件にはコードウェルのことを好ましく思っていなかった現市長と、彼と結託しているギャングが関わっているのではと調査を始める。しかし、彼の聞き込みは思うようにいかない。それは裏表問わず、現市長側から様々な妨害が為されているからで、というのが粗筋。
 本作の主人公は悪事を暴く新聞記者で、悪党の視点から物語を紡ぐことの多いマッギヴァーン作品の中では少し異色な雰囲気です。
 ターレル記者は悪を憎むストレートな正義漢、ブレることのない芯が一本通っている男です。つまりは『殺人のためのバッジ』(1951)のノランや『明日に賭ける』(1957)のスレイターとは真逆の強い人間です。といってもいけすかない奴ではなく、むしろユーモアを解する好青年。
 本書はそんな彼を通して、腐敗した市が引き起こした事件とそれに関わった人々を描いていく話となっています。で、その彼を通して見た事件の関係者の描写。その部分で、やはり、マッギヴァーン一流の弱者への視線というものが発揮されるのです。
 腐敗した市政、というとなんだか巨悪のようで、実際にそうではあるのですが、その関係者ひとりひとりは、ちっぽけな弱弱しい人間です。彼らは言います。……「間違っているとは分かっている。分かっているけど、どうしようもないんだ」
 ターレルはそんな彼らに「どうしようもないことはないだろう」と言います。「大丈夫、まだ、やり直せる。正しい道を選ぶことができる」と。
 その言葉にある者は勇気づけられ、ある者はそれでも怯え、その結果如何を問わずターレルはひたすらに悪を追い続けるのです。そして、読者の心にはターレルの強さと、対照的な弱者たちの葛藤が残る。ターレルという光を配置することにより、くっきりと闇の部分を浮かび上がらせる、という構図になっているわけです。
 そうした人間描写をテンポの良いストーリー展開で繋いでいく話はそれだけで調査小説としてこちらを惹きつける面白さで、じわじわと事件の裏側が見えてくるところまで一気に読ませてくれます。
 が、実は本書の最大のポイントはそこから先、終盤以降。
 この部分でマッギヴァーンはこの物語のテーマを深化させます。
 こんなに弱い人ばかりなのに、どうしてターレルはこんなに強いのか? ……そう問いかけて、更に、その強さの理由にまで、メスを入れるのです。
 
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 それは、ある衝撃的な事実の開陳から始まります。
 と、言いましても、どんでん返しという類ではなく、意外性という意味で読者に大きな驚きを与えるものではありません(ただし伏線の張り方や扱い方、整合性の部分がしっかりしており、パズラーとしても強度はあります)。衝撃的なのはその事実が、ターレルに与える意味、の部分です。
 そこまでに提示されていた情報から、ターレルはずっと前からその事実のことを知り得た。というよりも、本当は恐らく分かっていた。けれどそれを認めたくなかった……これはそんな事実で、確定された瞬間に、ターレルの中で何かが壊れるのです。
 それまでブレることのなかったターレルの中で葛藤が生れ、それでも、と彼は芯を貫き通し、事件を終わらせようとする。
 これだけでもこの物語の結末として申し分ない、というほどキマった流れなのですが、そこからこの小説は更にもう一歩、テーマへ踏み込みます。マッギヴァーンが書きたかったのはこの感情だったのか、と唸ってしまう、そんな展開がその先に待っているのです。
 その部分で、僕はすっかり打ちのめされてしまいました。
 ラストシーンで語られるターレルの気持ちは、そのまま読み終えた僕のものとイコールで、わけのわからない涙がこぼれてしまったくらいです。
 
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 そうしたわけで、やはり今回も「マッギヴァーンって、良いなあ」と思いながら読み終えることができました。
 腐った街でただ一人奮闘する事件記者なんて、今となってはありふれた(というより最早古びてしまったといった方が正しいか)ベタすぎる筋だと思いますが、それでも、ぐんぐん読まされてしまう。最後の最後には感動までさせられてしまう。
 それはきっと、マッギヴァーンが普遍的な優しさと愛を持っているから……と、勝手に思っています。

小野家由佳(おのいえ ゆか)
ミステリーを読む社会人一年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby