書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 あわわわわ。すみません。本日定期の通院日だったのでうっかり更新を忘れて外出しちゃってました。ちょっと遅い時間の更新です。そんな申し訳ない感じでなんなのですが、実は今回で書評七福神はめでたく100回を迎えました。8年超もお付き合いいただいたことを御礼申し上げます。これからもどうぞごひいきに。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

 

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

川出正樹

『贖い主 顔なき暗殺者』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳

集英社文庫

ジョー・ネスボの《刑事ハリー・ホーレ・シリーズ》が面白いのは、北欧ミステリの伝統に則ってノルウェーの社会問題を描きつつも、それらはあくまでも背景に留めて主人公ハリー・ホーレと犯罪者との対決に的を絞ったエンターテインメントを書いているからだ。彼は、高度に発達した福祉国家の内面を照らして社会や政治の欠陥を剔出し、批判的な検討を試みるという北欧犯罪小説のお家芸を会得した上で、アメリカン・ミステリの筆法を用いる。複雑精緻に組み上げられたプロットの上で、不可思議な謎に彩られた派手な事件にタフなヒーローが挑み、二転三転した末にあっと驚く意外な真相を解き明かすのでミステリ・ファンの心をこれでもかとばかりにくすぐってくれるのだ。

 六作目となる『贖い主 顔なき暗殺者』でハリーが対決するのは、クロアチア共和国からやってきた“顔なき殺し屋”だ。まるで映画のアバンタイトルを見るかのようにスムーズに場面を切り替える導入部で描かれるハリーと救世軍士官と殺し屋の三本のエピソードは、衆人環視の中での射殺事件を契機に収束し絡み合い一本の太い流れとなり勢いを増して突き進む。核となるアイディアのシンプルで隙のない美しさと用意周到な犯行計画は、騙しの天才ジェフリー・ディーヴァー作品に匹敵するといっても過言ではない。

 長らく入手困難だったシリーズ三作目の『コマドリの賭け』がめでたく今月集英社文庫から復刊し、『ネメシス 復讐の女神』『悪魔の星』と続くハリーと宿敵との対決を描いた三部作を始めから味わえるようになるので、シリーズ未読の方もこれを機に手に取って味わってみてはいかがでしょうか。

 今月はジェームズ・ロバートソン『ギデオン・マックの数奇な生涯』(田内志文訳/東京創元社)も大変面白かった。狭義のミステリではないけれども、神を信じない牧師が遺した悪魔との邂逅を核とする数奇な一生の記録は、猥雑で不可思議で独特のユーモアと風刺の効いた先の読めない豊かな物語です。

北上次郎

『オンブレ』エルモア・レナード/村上春樹訳

新潮文庫

 50年以上前の西部小説がいまごろ翻訳されるなんて訳者のおかげだろう。西部小説のファンとしては嬉しい。7人が乗った駅馬車を悪党たちが襲ってくる。これは、ただそれだけの話だ。にもかかわらず、いやあ、面白い。それはひとつひとつのシーンが屹立しているからだ。銃をかまえる男の印象深いシルエット、切れのあるアクション、激しい銃撃戦と静かな余韻の対比。すべてが素晴らしい。

千街晶之

『贖い主 顔なき暗殺者』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳

集英社文庫

 街頭コンサート中の救世軍メンバーが射殺された。衆人環視にもかかわらず犯人を特定する証言が得られないという奇妙極まりない状況に、ハリー・ホーレ警部は疑問を抱く……。巧妙な視点の切り替えによってテンポ良く進むストーリー、ハリーをはじめとする登場人物たちが背負う「贖い」のテーマの重厚さ、捜査の進展のサスペンスフルな描写、ハリーと対決する殺し屋視点の物語の予想を超える展開などもさることながら、読者をさんざん引っぱり廻した果てに姿を現す異形の真相にはとにかく驚いた。これまでに邦訳されたネスボの作品中でも最高傑作だと思う。

吉野仁

『オンブレ』エルモア・レナード/村上春樹訳

新潮文庫

まさかエルモア・レナードのウェスタンが日本語で読めるようになるとは思わなかった。西部劇の典型と言える要素と話運びで成り立ってはいるものの、一読しただけではつかみきれない「何か」がどこまでも残っている傑作だ。訳者が指摘しているとおり、まさに神話である。一月はインド映画「バーフバリ」とともに神話の世界をとことん堪能した月だったのかもしれない。そのほかモンス・カッレントフト&マルクス・ルッテマン『刑事ザック 夜の顎』は、新たなスウェーデンの警察小説シリーズ第一弾。異色な刑事が活躍する派手な展開だっただけに、今後も愉しみだ。

霜月蒼

『アルテミス』アンディ・ウィアー/小野田和子訳

ハヤカワ文庫SF

 最高にゴキゲンな冒険スリラーの登場だ。富裕層のリゾート地でインフラの下支えとして裏町に住む女性が、大金で破壊工作の実行を依頼される序盤から、あとは一気にアクションと策謀と反撃の怒涛が! というとよくある話に聞こえるかもしれないが、舞台は月面なのである。都市の外はもちろん真空で、破壊工作もそこで行なわれるし、肉弾戦も月面の低重力下で展開するのだ。月面都市の設定も(その社会システムこみで)物語と不可分になって活かされているし、下巻3分の2以降の危機また危機また危機の連続は圧巻で、危機のアイデアと克服のアイデアがみっしり詰まっている。

 主人公がありがちなマッチョではなく、近頃のスリラーのトレンドである「ワルい(badass)な女子」なのも痛快で、彼女に加えて年齢も立ち位置も身体的な強さもさまざまな「girl」たちが物語の要所要所で根性を据えてカギを握るのがまた良い。前作『火星の人』で、火星を舞台にすることで「敵としての自然」を取り戻したスリラー作家・ウィアーの姿勢は本書でも揺らいでいない。威勢のいい女子一人称が物語の楽しさを増幅していると思うし、それは伸縮自在の見事な訳文の手柄でもあると思います。ぜひともワルい感じのガールズ・ロックをラウドに鳴らしながらお楽しみください。あ、そうそう、気のいい非モテ系ギーク男子も大活躍するよ!

 

酒井貞道

『アルテミス』アンディ・ウィアー/小野田和子訳

ハヤカワ文庫SF

 重力が地球の6分の1の月面にある、直径500メートルの都市を舞台にした、クライム・サスペンス&アクションである。筋立ては王道、キャラクター造形も魅力的ではあるが類型的な面があるのは否めない。しかしながらそれらが徹頭徹尾、活き活きとしているの偉とすべきだ(これには主人公の闊達な語り口も貢献度大だ)。加えて、月を舞台にしているという設定を、科学的にも社会学的にも本当にうまく扱っている。月ならではの突拍子のない事態が折に触れて起きるので、興味が惹きつけられてしまう。犯罪小説としては常套的な部分なしとはしないのだが、道具の使い方が秀逸で、飽きる暇がない。『火星の人』で、一人の男がサバイバルするだけの話を面白く読ませた作家だけのことはある。SFファンにもミステリ・ファンにも強く薦めたい作品だ。

 

杉江松恋

『アイリーンはもういない』オテッサ・モシュフェグ/岩瀬徳子訳

早川書房

 先月川出さんが1位に推した『偽りのレベッカ』といい、評判のいい『蝶のいた庭』といい、このところ少女が行方不明になる小説ばかり読んでいる気がする。題名からこれも同種の小説かと思って手に取ったのだが、そうではなく、一人の女性の生涯を描き出して強烈な印象が残る肖像小説だった。

「わたしはバスでよく見かけるような娘だった」という述懐から始まる。主人公のアイリーンは地味な外見からは想像できないほどの激烈な感情を内に宿した女性だった。彼女は酒浸りの父親と荒廃した部屋で暮らしていたが、ある日突然家を出る。「これはわたしがどうやって姿を消したかについての物語だ」と一章の終わりで宣言されているように、語り出しから出奔までの一週間と、その後老境に入って過去を回想している現在までの空白とが巧みな語りによって埋められていく。読むほどにアイリーンという主人公像に魅入られ、あっという間に読了してしまった。普通小説だが、謎の牽引力で読者を惹き付ける、ミステリーの要素が強い作品である。

 訳者と作者の組み合わせが意外な一冊や、話題SF作家の邦訳第二作、ノルウェーのミステリー・マスターと、今月もバラエティに富んでいました。来月もまた、この欄でお会いしましょう。(杉)

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