全国の腐女子の皆様とそうでない皆様、こんにちは!
 たまたま乗り合わせた列車で無差別テロに直面したら……そんなことを考えて旅行に出る人はまずいないでしょうし、おまけにそれを止めるだなんてブルース・ウィリスじゃあるまいしと思いますよね。ところが今回ご紹介するのは、2015年8月21日にアムステルダムからパリに向けて走行中の高速列車内で起きたテロ未遂事件と、それを命がけで阻止した三人の若者の衝撃の体験を綴ったノンフィクション、『15時17分、パリ行き』(田口俊樹・不二淑子訳/ハヤカワ文庫NF)をご紹介します。


 ジャーナリストのジェフリー・E・スターンが事件の当事者となったアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンの3人を取材して書いた本書は、冒頭、アンソニーがSNSでアメリカにいる父に楽しげに旅の報告をするところから始まります。しかしその直後場面は一転し、スペンサーは血だらけの列車の通路に横たわる男性の傷口を押さえ、アンソニーは呆然とたたずんでおり、アレクは銃弾や武器をかき集めています。いったい何が起きたのでしょうか?

 3人の若者たちは幼なじみでした。幼い頃、母と兄と姉の4人で暮らしていたスペンサーの家の隣に、偶然にも同じくシングルマザーと3人の子供たちが越してきます。よく似た境遇の母親同士はすぐに打ち解け、スペンサーは同い年のアレクとあっというまに仲良くなりました。しかし二人が小学校でいじめを受けていることがわかり、理解のない学校側に業を煮やした母親たちは、理想的な転校先を見つけます。が、サバゲーに全力を傾け、迷彩服で通学していた二人はそのクリスチャン・スクールでは浮いた存在。教師たちは厳しく目を光らせ、反抗する二人を罰したことで、スペンサーとアレクの絆はより一層強くなったのです。そんな彼らの前に新しい仲間が現れました。弱小バスケ部のレベルを上げるために他の学校から引き抜かれた黒人の少年アンソニーです。

 またまた偶然ながら、サドラー、スカラトス、ストーンという苗字のおかげで3人は常に隣同士に。四文字言葉の連発で校長室への呼び出し常連となったアンソニーは2人の親友となりましたが、サバゲーと大戦の歴史にはまった楽しい学校生活は唐突に終わりを告げます。「この学校プロムがないじゃん!」という理由でアンソニーが転校し、アレクを問題児とする学校側が、離婚した父親の元に彼を送ってしまうのです。学校に愛想を尽かした母親たちはまた二人をそろって転校させますが、ここで少年たちは相変わらず仲が良かったものの、どちらからともなく別々の道を歩むことを決意します。そしてアレクは父親についてオレゴンへと行ってしまいます。

 高校を卒業したスペンサーのバイト先の真向かいに、募兵センターがありました。退屈な日常から抜け出し、家族が誇れるような兵士になりたい!と思った彼は、空軍のエリート部隊であるパラレスキュー隊に志願します。しかしある理由で不合格になったスペンサーは、仕方なく空軍の別の職につきます。厳しい訓練を終えポルトガルに赴任した頃には、アレクはオレゴン州の特技兵となっていて、アフガニスタンの任務が終了したら基地の知り合いとスペンサーの3人でヨーロッパ巡りをする計画でした。ところがその彼がドタキャンし、スペンサーは突然アンソニーを誘ってみます。大学生のアンソニーは二人と違いお金が無いので断ろうとしますが、意外な幸運が訪れて、久しぶりに3人揃って旅行に行くことになります。

 そこからはいかにも若者らしい旅エピソードが続きます。しかし立ち寄ったアムステルダムの思わぬ居心地の良さに翌日のパリ行きを延期しようと思ったところ、なぜか3人とも「絶対に行かなければならない」という心の声に導かれ、予定通りパリに向かう列車に乗り込んだのです。

 テロを阻止した若者たちのノンフィクションということで、緊迫した現場での手に汗握るスリルとアクションを期待して読むと拍子抜けするかもしれません。しかし本書の読みどころは実はそこではないのです。どこにでもいる普通のアメリカ人の若者が、どういう人生を送り異国で人を救うことになったのか。事件が起きた時、彼らは何を考えていたのか。事件の後、彼らにどういう変化があったのか。見えない大きな力が働いて、普通の人たちを突然英雄にしたかのような、驚くべき偶然の巡り合わせが描かれます。

 ではお待ちかねの腐要素はといいますと、やはり子供時代に着目していただきたい! スペンサーとアレクの、学校でのいじめにも負けない熱い友情、サバゲーを通して培った連帯感、そして二人のダサい服装に駄目出しするクールな転校生(でもやっぱりサバゲーにははまる)への憧れ。『スタンド・バイ・ミー』『IT』を思い出させるエピソードの数々に思わず頬が緩みますよ!

 ところで本書をサスペンスとして読んだ時、ひとつ思ったことが。襲撃事件はフラッシュバックで随所に挟みこまれるのですが――

”記憶はどのように形成されるのか?”
”アンソニーが経験したテロリスト襲撃事件はアレクと異なっている。アレクが経験した襲撃事件はスペンサーと異なっている。(中略)いずれにしろ、これだけは言える――三人の記憶はそれぞれ異なっていた。”

 ミステリでも目撃情報がことごとく違っていたりしますが、犯人が目撃者を装い事件を撹乱するというプロットも頻繁に見られます。しかし上記にあるように目撃者の記憶が様々なのは当然であるならば、「証言が一人だけ合わないからあいつが犯人だ」という、証言だけでの解決は成り立たなくなっちゃうので、難しいですねえ。<でもない?

 本書は同タイトルで映画化され、3月1日(木)から公開されます。監督は『アメリカン・スナイパー』(2014/米)、『ハドソン川の奇跡』(2016/米)と、実話のヒーロー譚を続けて作ったクリント・イーストウッド。ヨーロッパでロケをし、実際に事件が起きた列車の走行中に車内で撮影するというリアリズムに徹底したこだわりを見せたこの作品、何といっても一番驚きなのは、テロに立ち向かった若者たちを本物の3人が演じていることです!

 

 ドキュメンタリーではなく、ゲスト出演でもない劇映画では前代未聞のチャレンジと言えましょう。正直なところ鑑賞前は、演技は大丈夫なんだろうかとか、その時の恐怖を思い出さないのかなどと不安だったのですが、これが意外なことにほとんど違和感がありませんでした。映画は彼らの子供時代から忠実に再現し、スペンサーの軍隊での訓練や、事件前の旅行エピソードも明るいタッチで描いています。そしてクライマックスのテロリスト襲撃場面では、武装した敵が眼前に現れた時に丸腰の人間がどう立ち向かえるのかを、息がつまりそうなほどリアルに見せてくれます。

 

 原作と映画では大きく違う点が二つあります。まず原作では3人の後日譚が明かされます。当時大学生のアンソニーはもちろん、軍隊に所属していたスペンサーとアレクも実際の戦闘を体験したことはありません。そんな彼らにあの事件はどういう影響を及ぼしたのか、周りの人間の反応はどうだったかを追っています。二つめはテロリスト自身についての言及。どのような人物で、なぜそんな大事件を起こしたのかというヒントも見つかると思います。

 なお本作では実際のニュース映像も使用され、主要の3人以外にも同じ車両に乗り合わせて事件に遭遇した何人かが自身の役で出演しています。ここでひとつトリヴィアですが、このテラー・トレインには偶然にもフランス人俳優のジャン=ユーグ・アングラード(『ベティ・ブルー』)も乗車していて、警報装置を作動させようとガラスを叩き割り、軽傷を負ったそうです。本国ではフレッド・ヴァルガスのTVシリーズでアダムスベルグ警視を演じているアングラード。その彼が一緒に凶悪犯罪を阻止してたらなあ……なんてお気楽に思う場合じゃないんですけどね。

 87歳のイーストウッドが、現代アメリカに生きる普通の人々に捧げた物語です。原作を読んだ人は、彼らが実際どんな人なのかを見るために、映画を観た人は、事件後に彼らの人生がどう変わったのかを知るために、本と映画、ぜひ両方ともお楽しみください。

■映画『15時17分、パリ行き』本予告■

タイトル表記:『15時17分、パリ行き』
原題:“THE 15:17 TO PARIS
公開表記:3月1日(木)、丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー

コピーライト表記:© 2018 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited, RatPac-Dune Entertainment LLC
配給:ワーナー・ブラザース映画

公式サイト1517toparis.jp
上映時間:1時間34分
指定:G

キャスト:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン
※ヒーローの3人、アンソニー・サドラー、オレゴン州の州兵アレク・スカラトス、アメリカ空軍下士官スペンサー・ストーンは、本作で自分自身を演じる

スタッフ
監督:クリント・イーストウッド(『アメリカン・スナイパー』『硫黄島からの手紙』『ハドソン川の奇跡』)
脚本:ドロシー・ブリスカル
撮影:トム・スターン
衣装:デボラ・ホッパー
編集:ブルー・マーレイ
美術:ケビン・イシオカ
原作:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、そしてジェフリー・E・スターン著の「The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Heroes」に基づく。

フィルム情報
2018年 アメリカ映画/2018年 日本公開作品
原題:THE 15:17 TO PARIS
上映時間: 94分/スコープサイズ/5.1chリニアPCM+ドルビーサラウンド7.1(一部劇場にて)
字幕:松浦美奈/映倫区分:G/配給:ワーナー・ブラザース映画

♪akira
  一番好きなマーベルキャラクターはスタン・リーです。『柳下毅一郎の皆殺し映画通信』でスットコ映画レビューを書かせてもらったり、「本の雑誌」の新刊めったくたガイドで翻訳ミステリーを担当したりしています。
 Twitterアカウントは @suttokobucho










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