書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 またもや宣伝なのですが、翻訳ミステリーばっかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」、youtubeで毎月更新しております。よかったら試しに聴いてみてください。先月書いたとおり「書評七福神」は前回で100の大台を超えました。みなさまの熱い翻訳好き魂に応えるため、これからも頑張って参ります。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

 

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

 

 

北上次郎

『サイレント・スクリーム』アンジェラ・マーソンズ/高山真由美訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 訳者あとがきを先に読んだら、この著者のオールタイム・ベストに、カリン・スローターの「グラント郡」シリーズの第5作(未訳だ!)があがっていた。おお、素晴らしいじゃないか、と読み始めたら、中身も素晴らしい。
 なによりもヒロインの個性が圧巻なのだ。規律を乱し、乱暴で、無軌道に見えるヒロインの行動の裏に、熱い感情が眠っている。この熱さはただごとではない。そうか、だからこの著者はカリン・スローターに惹かれるのか。このヒロインを主人公にしたシリーズは第7作まで書かれているというので、ぜひとも続刊も翻訳してほしい。「グラント郡」シリーズは第1巻だけハヤカワ文庫で出たけれど、結局続刊は出なかった。その轍を踏まないでほしい。

吉野仁

『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

 今年最初の大収穫として挙げたい傑作。男が空港のバーで知り合った相手に殺人計画を語るという、冒頭こそハイスミスの名作のごとき交換殺人スリラーを匂わせているが、章が変わると、ある語り手の忌まわしい過去が明かされていくなど、一筋縄ではいかず、ぐいぐいと作中に引き込まれてしまう。それどころか……。いや、本作は情報をあまり入れずに無心で読みすすめたほうがより楽しめるに違いない。海外サスペンス好きなら文句なしにお勧め。同じ創元推理文庫の二月刊では、すでに時効が成立した二十五年前の未解決事件を元捜査官が調べ直す警察小説、レイフ・GW・ペーション『許されざる者』も読みごたえがあった。また、夫婦が体験した極地における壮絶なサバイバルとその顛末を綴ったベル・オティシエ『孤島の祈り』は、生々しい描写の数々に圧倒され、読み終えたあとも長く忘れられない一冊となった。

千街晶之

『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

 旅先でたまたま知り合った相手に、浮気をしている妻に対する殺意を打ち明けてしまう……という発端からスタートするミステリといえば、交換殺人ものの古典、パトリシア・ハイスミスの『見知らぬ乗客』を思い出す。そもそもの設定でハイスミスを想起させておきながら、開巻3ページ目で『殺意の迷宮』を「ハイスミスの最高傑作とは言えない」と評しているのだから、ピーター・スワンソン、大した度胸の持ち主である。しかしその後の展開は『見知らぬ乗客』とは全く別の方向へ疾走し、視点の切り替えによる怒濤のどんでん返しで読者を翻弄する。どうやって収拾をつけるのかと不安になった頃に、言われてみればそれしかないという結末を提示してみせる手さばきもお見事。

 

 

川出正樹

『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

「人は誰だって死ぬのよ。少数の腐った林檎を神の意志より少し早めに排除したところで、どうってことないでしょう? あなたの奥さんは、たとえばの話、殺されて当然の人間に思えるわ」。離陸直前の機内でリリーがテッドに向かってこう言い放つのを読んだとき、背筋がぞぞっとした。怖ろしくてじゃない、傑作の予感が確信に変わったからだ。空港で偶然出会った見知らぬ美女リリーに、浮気している妻ミランダを殺したいとこぼしたテッド。二人の殺人計画は順調に進むんでいく。だが、しかし、とんでもないことが起きるのだ。この想定外の展開に思わず本を落としそうになった。なんなんだ、この話は! しかも、それだけで終わらないのだよ。いやこれ以上は書けません。出来るだけ予備知識を入れずに読むことをお薦めします。

 一種吹っ切れた爽快感とともに読み終えた後、『007 ゴールドフィンガー』の有名なエピグラフ「最初は行きずり、二度目は偶然、三回目からは仇同士」を想起した、とぐらいは言ってもいいだろう。

 あと、先月の作品ですがアリ・ランド『善いミリー、悪いアニー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)もぜひ。連続殺人犯でありわが子をも虐待し続けた母親に対する相反する二つの感情――嫌悪・恐怖・憎悪と憧憬・敬意・愛情――が同居する十五歳の少女の、善と悪との間で揺れる心境を、淡々とした一人称で描ききった筆力に圧倒された。最後まで緊張感が持続し、一瞬たりとも気が抜けない。こういうサスペンスは大好物です。

 共感など出来なくても読書は十二分に愉しい、ということを再認識した2月でした。

酒井貞道

『そしてミランダを殺す』ピーター・スワンソン/務台夏子訳

創元推理文庫

 妻(ミランダ)の浮気に気付いた夫が、殺人を計画する。これだけなら、よくある話でしかない。一応本作には、夫を焚きつける女性リリーが最初からいるので、彼女が《意外性》をもたらすカギになることは容易に予想がつく。というわけで、割と冷めた目で読み進めたのだが、どうもこのリリーが予想以上におかしい。ミランダ殺害計画そっちのけで、自分の少女時代の話を一人称で述懐し始め、徐々に、彼女がサイコパスめいた人格を有していることが判明する。人を殺した実績もあるよ。そしてそれに驚くいとまもあらばこそ、今度はミランダ殺害計画の方で、リリーが与り知らないうちに、とんでもない事態が生じるのだ。これに、特異なキャラクターのリリーがどう対処するかが、作品後半の焦点となる。リリーだけではない、丁寧な登場人物の描写をベースに、ひねりの効いたストーリーが緊迫感に満ちて展開する。緩急も自在であり、いつの間にか夢中にさせられるはずだ。筆致は落ち着いているのに熱中できる。そんなタイプの作品です。

霜月蒼

『許されざる者』レイフ・GW・ペーション/久山葉子訳

創元推理文庫

 脳梗塞でリハビリ中の元敏腕老刑事がすでに時効を迎えた未解決少女殺しの個人的捜査に乗り出す――というスウェーデン産警察小説。多数の賞を受賞した作品であり、また同地の警察小説作家として高名な著者によるとの惹句はあれど、正直この種の欧州型警察小説にはやや食傷気味なので平らかな気持ちで読みはじめたら、心地よいリズム感とエンタメ感がスウィングする快作であった。

 何よりユーモアとキャラがいい。すでに主人公が警察を引退しているのでダニエル・フリードマンやL・A・モース『オールド・ディック』を思わせる老人ハードボイルドの気配も漂っているし、老練の人脈を駆使して動員する多彩なキャラたちの活躍の楽しさは探偵チームもののようでもある(お気に入りは屈強なロシア人のマックスくん)。近頃の欧州系警察小説に自分が感じてきた不満の核心はユーモアの欠如だったのだと本書を読んで気づいた。『特捜部Q』並みの注目を受けていいシリーズだと思います。ぜひこの作家のさらなる紹介を。

杉江松恋

『サイレント・スクリーム』アンジェラ・マーソンズ/高山真由美訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 自分が解説を書いた『許されざる者』を外すと、今月は『そしてミランダを殺す』と『サイレント・スクリーム』の一騎打ちとなった。どちらも、読み出したら止まらなくなったという共通点があって大いに弱る。結局は、先に読んだほう、ということで『サイレント・スクリーム』に決めた。いや、もう一つある。この本、上のほうに書いた「翻訳メ~ン」の収録前夜にふと手に取ったら止められなくなって読み切り、そのとき取り上げるつもりだった本と差し替えたという経緯があるのだ。つまり、夢中にさせられた。

 一口で言えば刑事が難事件に取り組む話である。このキム・ストーンという主人公の造形が素晴らしく、キャロル・オコンネルのキャシー・マロリーや、スティーグ・ラーソンのリスベット・サランデルを思わせる、周りと協調するのは大の苦手だけど、信念のままに突き進んで誰にも負けない、というキャラクターなのだ。もう、それだけでご飯一杯いける。

 もちろん内容も素晴らしく、現在進行形で起きている事件の謎を解くためには十年前に何が起きたかという過去の闇を晴らさなければならないという構造になっており、二つの推理が楽しめる。きちんとした犯人当てになっている点には感心したし、読者を驚かせようという意欲を感じるのもいい。アクションだけでなんとなく解決してしまうような展開ではなく、主人公が推理をしているというのが読者に伝わってくるのである。私が徹夜で読み切ったのはその点に魅了されたのだと思う。キム・ストーン、すてき。女性版のダルジール警視みたいに部下をこき使うところも好き。

 

 三つ巴の闘いとなった月でした。二月からもう年間ベスト級の作品という声が上がるなど、昨年にも増して豊作の予感がします。ますます目が離せませんよ。来月もどうぞお楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧