そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
小説にも、カメラワークというものがあります。
何を描写するか、何を描写しないのか。どこからどういう順序で物事を書いていくか。
同じ状況を書こうとしていても、作家によってその描き方は異なり、読者が見る景色もまるで違うものになります。そして、写真やビデオと同様に、そこには巧拙の差がはっきりと表れるのです。
何を伝えたいのか、何が書かれているのか分からない、読み取れないのはやっぱり下手な書き手の文章ということになってしまうでしょう。ピントがズレていたり、画面がブレてしまっているのです。
逆に上手い人が書く文章は、作者が何を言いたいのか誰が読んでもはっきりと分かる。時によっては、書かれている以上のものを読者に読み取らせることさえできます。一人の男が煙草を吸っているところを淡々と描いているだけなのに、その人物が悲しんでいることが読者には分かる、といった具合に。
彼が泣いているとも落ち込んでいるとも書かれていないのに、どうしてそんなことが可能なのか。その秘密こそが、文章のカメラワークなのです。
男の背中、指、瞳、どこをどういう順番で、ズームアップするのか、しないのか、いつ背景へパンするのか……考えに考え抜かれたテクニックで、読者の心を的確に揺さぶる。伝えたいものに的確にピントを合わせてくる。時にはあえてぼかしてみたりもする。
一流の映画の画面には無駄なものが映っていないのと同様に、プロフェッショナルの文章には要らないものが何一つない。全てが、作者が伝えたいものを伝える為に構成されているのです。
ジョー・ゴアズの『マンハンター』(1974)の文章は勿論、プロフェッショナルが書いた方に属します。それも、プロの中のプロ、超一流。
読み始めてすぐ、プロローグにあたる部分の時点でノックアウトされてしまいました。ブロンドの男がメキシコ人を殺した、ということが書き連ねられるところです。
それこそ、映画を見ているように映像的なのです。
心理描写が一切なく、淡々と(けれど、ニヤリとできる洒落た表現を交えながら)状況が説明されていくだけなのに、何もかもが手に取るように読み取れる。男の行動がそのまま物語になっている。
所謂、ハードボイルド文体というやつです。
僕みたいな素養がない人間にも分かる「非情で硬質な文章」です。
この男は何者なのか、何を目的としているのか。……何が起ころうとしているのか。
興味が最高潮に高まったところで、章が終わり、ニール・ファーゴーという男の探偵事務所へと場面が切り替わり、そこで、この話の大枠が語られ、ストーリーが動き出す。
ここまでだけでも何度だって繰り返し読める、完璧な導入部です。
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ここで粗筋を簡単に説明します。
本作はタイトル通り、マンハントものです。
薬と金の運び屋ドッカーが、取引相手を殺し、逃げ去った。
ドッカーを運び屋として立てた張本人である私立探偵ニール・ファーゴ―は、当然、暗黒街の中心人物に責任を取れと脅される。ファーゴーは自らの身を守るため、ドッカーを探し始めた。
一方で、ファーゴ―とドッカーがグルなんじゃないかと疑っている暗黒街のギャング達も別途、調査を始めるが、というのがおおよそのストーリーで、つまりは、追う方も追われる方も、相当な悪党です。この時点で善玉と悪玉、味方と敵といった風な単純な分類には収まらない、複雑な構造をしていることがよく分かりますね。
当然、そこにはえげつない手や、裏の裏をかく策略がはりめぐらされていて、ゴアズは、その様子を例の抜群のカメラワークでスピーディーに、それからサスペンスフルに描いていきます。
で、それがもう、抜群に上手い。
視点人物となる複数の登場人物の書き分け、それぞれの関係性、思惑をテンポ良く説明する手つき、刻一刻と状況が変わっていくスリリングなストーリーテリング、甘ったれた感情や行動が一切ない乾いたハードな雰囲気、どこをとっても文句が出ない書きっぷりです。何より、あれこれこんがらがった筋に「追われる者ドッカーの行動の目的は?」という強烈な謎で一本芯を通しているのが良い。
この辺りが撮り方が上手い、と言わざるを得ないところでしょう。
登場人物の心理描写を行わない文章だからこそ、悪党同士の騙し合いや化かし合いの部分が読者にも登場人物にも予想がつかない。ピントの合わせ方がちゃんとしているからこそ、余計な筋に引っ張られない。そうした中に読者の視線や考えを誘導する文章が仕込んであって、読んでいて綺麗に引っ掛かってしまう。
この話はどこへ向かっているのか、どうなってしまうのか、強烈な興味に引っ張られ、気がつけばページをめくる手が止まらない、本を手から離せない、といったくらいになってしまいました。まさに作者に操られるがまま、です。
そして、最後に、そうした謎が、伏線が、これまでの悪党たちの行動がガツンという衝撃を読者に与えながら、まとまるのです。
僕はそれに、見事にぶっ飛ばされました。
ただ意外なだけではなく、あれやこれは全てそういうことだったのか、そのためにああいう描き方をしていたのかと膝を打つ収束のさせ方なんです。謎解きミステリ的な意味だけではなく、小説のテーマとしても、全てのものに意味があったことがここにきて、ようやく分かる、そういう構図なんです。
ジョー・ゴアズは、何一つ無駄なものを映していなかった!
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小説を読み終えて「これは凄いものを読んだ」という気持ちが真っ先にくる時って、ありますよね。その後になって、ようやく感情が追ってくる、っていうくらい衝撃を受けてしまうことが。
『マンハンター』は、まさにそれでした。
これは凄い。
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小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人二年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |