4月14日の翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションにおいて、今年9月に日本在住の中国ミステリ小説家・陸秋槎氏のデビュー作『元年春之祭-巫女主義殺人事件』の日本語訳がハヤカワ・ポケット・ミステリから刊行すると発表されました。翻訳者は、これまで『ぼくは漫画大王』『現代華文推理系列』など数々の中国ミステリを翻訳した実績を持つ稲村文吾氏。

『元年春之祭』は古代中国の漢代を舞台にした本格ミステリ。もとは楚国の祭祀を司っていた観一族の少女観露申は、長安からやって来た豪族の娘であり「巫女」の於陵葵と知り合う。露申は博学な葵に、4年前に観一族で起きた一家惨殺事件の犯人を聞くと、到底受け入れられない人物の名前が返ってきた。そして、葵が家にやって来た翌日に観一族で新たな殺人事件が起きる。犯人の正体も動機も分からないまま、露申と葵の仲が徐々に悪化していき、露申は葵に疑いの目を向ける。

 デビュー作が和訳されるということは、当然次回作もあると期待していいでしょう。現代中国の高校を舞台にした『当且僅当雪是白的(雪が白いときに限って)』。日本人イラストレーターの中村至宏氏に、作者陸秋槎が直接表紙のデザインを頼んだという本書の日本語版が出たら、表紙はこのままで行ってほしいですね。

 中国ミステリの和訳が決定して日本で話題になる一方、中国では最近、有名な中国ミステリ小説家の代表作が英語に翻訳されて欧米で出版されるというニュースが飛び込んできました。

 頭脳派小説『暗黒者』が英米へ 『三体』に続いて世界的な話題となる
 周浩暉:中国の東野圭吾
 http://gzdaily.dayoo.com/pc/html/2018-04/13/content_26_8.htm?v=FF
 出典:広州日報(中国語のみ)
 
 その小説家の名前は周浩暉。本コラムでもちょくちょく名前を挙げている、中国ではもうベテランのミステリ小説家で、「中国の東野圭吾」という異名で知られています。
 今回英語訳される彼の代表作『暗黒者』『死亡通知単』シリーズの1作目に当たる長編小説で、2008年に上梓されました。

 2002年の上海。ベテラン刑事の鄭は、18年前に起こった公安副長及び警察学校生徒爆殺事件の真相を未だに探していたが、ある日自宅で何者かに殺されてしまう。事件の通報者は別の管轄を担当する公安刑事の羅飛だった。実は羅飛は18年前の事件の関係者で、爆死した生徒2人は彼の親友と恋人だった。彼もまた事件の謎を追い、単独で当時の犯行現場などを調べていたのだ。18年前の事件と今回の鄭刑事殺害が、「EUMENIDES(エウメニデス)」を名乗る同一犯によるものとされ、公安では張飛を含む捜査チームが新たに設けられる。しかし、EUMENIDESの大胆な犯行は彼が出す「死亡通知単(殺人予告状)」通りに実行され、張飛たちはことごとく裏をかかれるのだった。

『暗黒者』は2014年に中国でネットドラマが放送され、今年は映画が上映されると言われています。申し分のない知名度を持つ本作が海外に輸出されるのは自明かもしれず、上述の記事では超有名中国SF小説『三体』に続いて世界的な話題となる、と書かれています。
 
 周浩暉は、東野圭吾とどこが似ていますかという記者の質問に次のように答えています。

「我々はどちらも理工学部の緻密な思考を持っていて、心理描写を書く上ではどちらも冷静で、完全なる第三者の視点から物語をつむぎます。また、物語性と社会や現実との融合という面でも我々はある程度似通った部分を持っています」

 周浩暉は中国の名門理系大学・清華大学の出身者で、大学院を卒業してから高給取りの職を辞めて小説家になった変わり者。警察小説に錯綜した人間関係や等身大の警察官像を組み込み、知能犯が起こす複雑な犯罪を非常に丁寧かつ分かりやすく描写する内容が人気の理由の一つでしょう。
 
 記事にも、劉慈欣のSF小説『三体』に続いて世界的に注目される中国の小説になったと言われている通り、本書が英訳されれば日本を含めた世界中で読まれる中国ミステリとなるでしょう。
 
『三体』は2008年に中国で刊行された全3部作のスペースオペラで、劉宇昆(ケン・リュウ)というアメリカの小説家が英語に翻訳したことで世界的に有名になり、ヒューゴー賞まで獲得した名作です。現在、中国では映画の製作が進んでおり(2016年に完成しているようだが、2018年現在まだ公開の情報はない)、またアマゾンがドラマ製作に出資したというニュースも出ました。
 
 日本の外国語学習者の割合を考えると、この『三体』も中国語原文で読んだという人より、英語訳で読んだという人の方が多いんじゃないでしょうか。中国SFの日本への入り方は中国語→日本語という順序ではなく、中国語→英語→日本語という過程を経るパターンが多く、現代中国SFアンソロジー『折りたたみ北京』などはケン・リュウの英訳を和訳したものです。
 一方、中国ミステリは今の所、ほとんどが中国語から直接日本語に翻訳されています。その理由は、そもそも英訳された作品が少なかったり(ほぼない?)、島田荘司が総責任者を務める島田荘司推理小説賞の受賞作など日本で受けそうな作品が多かったり、中国ミステリの作家・読者・出版社が日本ミステリに詳しく作品内容に日本と相似性があったり、などが挙げられると思います。
 
 しかし中国ミステリも最近は、売れるためにはアメリカのサスペンスミステリドラマのような作品を作れという風潮が出てきているので、今回の『暗黒者』英訳の件で英語圏市場を対象にした作品がますます増えるのではないでしょうか。
それ自体は歓迎すべきものなのでしょうが、今後は日本でも中国ミステリを英語で読む機会が増え、中国SFと同様に中→英→日の方向で翻訳される作品が増えそうですね。
 だからと言って、中国語から日本語に翻訳するケースがなくなることはないでしょうが、例えば『三体』の場合は、作品の内容に加えてケン・リュウの英訳が素晴らしいから海外で評価されたんだという話も聞くので、敢えて英訳から和訳するってパターンはありそうです。それに日本の出版社には中国語より英語を理解できる編集者が多いでしょうから、英語からの翻訳の方が品質をコントロールできると考える可能性はあります。
 
 中国ミステリの英訳化がブームになった場合、日本が中国ミステリを受容する形態に一体どんな変化が生じるのか、注目する必要があるかもしれません。
 
 ところで、周浩暉を欧米で宣伝する場合は中国での評価同様に「チャイニーズ・ケイゴ・ヒガシノ」みたいな売り出し方になるんでしょうかね。それとも欧米圏で有名な作家の名前に置き換えられるんでしょうか。 

【追記 2018-04-19 23:30】
 短篇集『紙の動物園』はケン・リュウ自身が英語で書いた作品の和訳です。お詫びして修正します。申しわけございませんでした。(筆者)

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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