4月14日の第九回翻訳ミステリー大賞授賞式&コンベンションにて、第6回翻訳ミステリー読者賞の結果を発表させていただいてから、すでに3週間が経過しました。あらためて、投票していただいたみなさまに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。また、毎年発表の場を提供していただいている、翻訳ミステリー大賞事務局のみなさまには、大変お世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。

 今回は投票総数が197票と、これまでで最高の数字になったことは本当にありがたいと思っています。来年も今回以上に盛り上げていきたいと考えていますので、引き続きみなさまのご協力をお願いいたします。

 今回から、シンジケートのご厚意により月1回、読者賞で1票のみ獲得した本や、七福神をはじめとするシンジケートの新刊書評で取りあげられなかった本にスポットを当てて、紹介をしていきたいと思っています。拙いながらも精一杯紹介させていただきますので、お付き合いくだされば幸いです。

 第1回は、投票いただいた全62作品のなかから、得票数「1」の作品を紹介したいと思います。順位がつくと、どうしても上位作品に目が行きがちになりますが、票がそれほど集まらなかった作品にもおもしろい作品がたくさんあります。そんな作品を紹介することで、みなさんの読書欲を刺激できたらと思っています。

 ということで、今回紹介するのは、L・S・ヒルトン『真紅のマエストラ』(奥村章子訳 ハヤカワ文庫NV)。これはとても官能的な小説です。

 家庭環境に恵まれないなか苦労して大学を卒業した主人公ジュディスは、もともと絵画好きだったということもあって、大手オークションハウスに入社できて喜んだのもつかの間、社員たちの絵画に対する愛のない仕事ぶりにがっかりし、また自分をなかなか一人前に扱ってくれない上司への不満を募らせています。薄給なうえに、雑用係同然の扱いを受けながらも、なんとか上司に認められようと努力を続ける日々を送っているある日、ジュディスは街で高校時代からの友人リアンと偶然出会います。「お金がないのなら、アルバイトをすればいいじゃない」と、シャンパンバーで働いているリアンに誘われたことから、ジュディスははからずも、オークションハウスの絵画部員とシャンパンバーのホステスという二足のわらじを履くことになります。こうして、お金には困ることのなくなったジュディスでしたが、生来の上昇志向と絵画への情熱が失われることはありませんでした。セクハラやパワハラを受けながらも、我慢に我慢を重ねて仕事を続けているある日、自分が以前贋作だと鑑定した絵画がオークションに出品されることを知ります。なぜ贋作が出品されることになったのか、彼女はその経緯を知ろうと秘密裏に調査を進めますが、上司にバレてしまい職を失ってしまいます。失意の底にあったジュディスが、そのことをシャンパンバーの常連客にぶちまけると、南フランスへの週末旅行に誘われ、ここから彼女の運命は大きく動いていきます。

 ジュディスが犯罪に手を染めながらも成り上がっていく、その要所要所で濃密なセックスのシーンが描かれているため、「若い女性が男性を翻弄しつつ成り上がっていくストーリー」だと思われがちですが、ジュディスが若い頃からセックスが好きで、しかも奔放なセックスを好むのだということは序盤で語られており、彼女の行為は、“女スパイが自分の身体を武器に相手に言い寄って情報を得る”というような策略ありきのセックスとは一線を画しているとは言えるでしょう。とはいえ、その描写の濃さはちょっとびっくりするほどで、325~326ページなどは、サスペンス小説のワンシーンとは思えないほどの濃厚さです。

 しかし、この作品がいわゆる官能小説と異なるのは、ジュディスがただ快楽に身を任せているだけではなく、そのような自らの欲求を満たしながらもなお、目標を見失うことなくすべての行動を自身でコントロールしている点と、作品全体を支えるサスペンスとしての骨格がしっかりしている点です。きっかけは、南フランスで起こった、予想もしない出来事だったにもかかわらず、その状況を冷静に見定め、自身の立場を悪くすることなく、更に上のポジションに引き上げるためにはどう行動すればいいかを考える。その過程で、ジュディスはさまざまな罪を犯していくことになるのですが、そういう自分をも受け入れ、時には貪欲に、時には狡猾に、なりたい自分を追い求めていくという姿勢は、確かにトム・リプリーを彷彿とさせるものがあります。実に「悪い女」なのですが、一方ではピュアというか一途な面も持ち合わせていて、そこがとても魅力的です。向こうではすでに続編も出ているようですが(『Domina』というタイトルのようです)、邦訳はどうなのかなあ……。

 読者賞では1票だった本作ですが、正直もっと読まれてもいいのでは? と思います。表紙が真っ赤で手に取りにくい? ならカバーをかければいいじゃないですか。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。