書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。
もうすでにご存じでしょうか。翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」、youtubeで毎月更新しております。よかったら試しに聴いてみてください。毎月末がだいたいの更新日ですので、こちらと同様ご愛顧くださいませ。
というわけで今月も書評七福神始まります。
(ルール)
- この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
- 挙げた作品の重複は気にしない。
- 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
- 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
- 掲載は原稿の到着順。
北上次郎
『弁護士アイゼンベルク』アンドレアス・フェーア/酒寄進一訳
創元推理文庫
北欧ミステリーは次々に新たな作家がわが国に紹介され、
川出正樹
『弁護士アイゼンベルク』アンドレアス・フェーア/酒寄進一訳
創元推理文庫
いや、驚いた。ドイツ人作家が書いた弁護士を主人公にしたミステリというので、てっきりフェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』みたいな作品かと思って読み始めたらまるで違っていた。手足を縛られ監禁されている主人公アイゼンベルク。その三カ月前、惨殺された女性の司法解剖に立ち会いシュールかつグロテスクに損壊された死体に言葉を失う上級検事。そして更に三カ月前、一五〇〇キロ彼方の故郷を後に、車を駆り、娘とともに南ドイツの山中をひた走る女性。三つの刺激的なシーンで幕を開けた後、物語はカットバック形式で過去と現在を往還してスピーディーに展開していく。
殺人事件の被疑者となったかつての恋人を救うべく、洞察力と行動力を武器に奮戦するアイゼンベルク。白熱の逆転裁判劇を繰りひろげた果てに立ち上がってくる、あまりに意外な真相とは。これまで紹介されてきたドイツ産ミステリとは明らかに異なる、まるでアメリカのミステリ・ドラマを観ているような読み心地のエンターテインメントだ。しいて似た作品を挙げるとアンドレアス・グルーバーの『夏を殺す少女』でしょうか。
今月は、同じく女性弁護士が、絶体絶命の窮地に陥ったかつての恋人を無罪にすべく法廷で闘うアラフェア・バーク『償いは、今』(ハヤカワ・ミステリ文庫)もお勧め。《幻の女》探しものでもあり、主人公が過去と対峙し、けじめをつける贖罪の物語でもある逸品です。
千街晶之
『償いは、今』アラフェア・バーク/三角和代訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
三人の男女を射殺した容疑で逮捕された元婚約者ジャックを弁護することになった敏腕弁護士オリヴィア。ジャックの主張によれば、一目惚れした女性とのデートのため事件の現場を訪れたというのだが……。ジャックにとってあまりに不利な状況が揃う中、オリヴィアはある理由で彼に負い目があるため、その無実を証明しようと奔走する。物語が進行し、新たな事実が明らかになるにつれて、ジャックに不利な状況が一気に有利に反転したかと思えばまたしても不利に……というシーソーゲーム状態が繰り返され、オリヴィアのみならず読者の心証もジャックへの猜疑と同情の両極端を往還することになる。オリヴィアの生彩あるキャラクター造型、弁護士が主人公なのに法廷シーンが意外と少ないという異色ぶり等々、さまざまな読みどころを具えた作品だ。
霜月蒼
『殺意』ジム・トンプスン/田村義進訳
文遊社
いい意味でドイツ・ミステリとは思えない速度感とドンデン返しの『弁護士アイゼンベルク』もよかったが、一ヵ月遅れのこちらをどうしても推しておきたい。ジム・トンプスンの「異色作」として、ファンのあいだで知られていた長編の邦訳である。なぜ異色かといえば、人口1280人(POPulation 1280!)の小さな町で起きる殺人事件をめぐって、いつものトンプスンなら視点人物をひとりに絞って彼の脳内の歪みを綴ってゆくだろうところを、女性をふくむ12人の関係者たちが1章ごとに語り手を務める12章構成になっているからだ。トンプスン版『五匹の子豚』とも言えるか。
ところが読み心地はトンプスン流のノワール以外の何ものでもない。みなトンプスン的に歪みつつ、歪みの角度を違えた12の語りが、歪んだ世界を構築してゆく。なかには犯人も被害者もいて、それこそクリスティー的なフーダニットめいているともいえるけれども、語られていることが真実なのかどうか確証はない。だから犯人探しのゲームには決してならず、「12人の信頼できない語り手」「12人の内なる殺人者」というべき奇怪な犯罪小説なのである。田村義進による弾力に富む訳文が12の語り口をきれいに反映してもいて、やや高価な値段に見合う読書体験が得られます。
吉野仁
『弁護士アイゼンベルク』アンドレアス・フェーア/酒寄進一訳
創元推理文庫
女性弁護士が、かつての恋人でいまはホームレスである男の事件を依頼された。いったい彼になにがあったのか、女性殺害事件の真犯人はだれか。題名から正統派リーガルものかと思って読み始めたところ、その見込みは大間違い。次々にひねりのある展開と逆転が待ち受けている娯楽サスペンスなのだ。並行して語られるのは、「コソボからドイツに来た女性」の視点による犯罪劇であり、さらにヒロインの周辺に迫る危機の数々という、まことに外連味たっぷりな犯罪ドラマを一気読みした。もう一作、読み逃してはならないのはエイドリアン・マッキンティ『コールド・コールド・グラウンド』だ。北アイルランドが舞台の警察小説で、この時代と土地、そしてヒーロー像だけでぐいぐいと読ませる。ただ、本作はいささか拍子抜けする部分があって残念に感じた。シリーズの今後を愉しみにしたい。
酒井貞道
『コールド・コールド・グラウンド』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
別の人生を体験するのが小説の醍醐味だとすれば、『コールド・コールド・グラウンド』は、良き例ということになろう。宗教対立で騒乱が日常化した80年代の北アイルランドが、まざまざと描き出されているからだ。主人公の設定も絶妙だ。ショーン・ダフィ刑事は、被支配者のカソリックであり、支配者プロテスタントが多い警察の中では爪弾きにされがちだ。一方で、捜査対象のベルファスト市民(カソリックが多い)からは、裏切り者扱いされる。主人公は、支配/被支配いずれの理不尽も自ら体現できるわけで、本書の舞台を余すことなく活用するには、とてもいいキャラクターだ。
オペラの楽譜が現場に残される殺人事件も、内容がとても濃厚で楽しめる。個人的にとても「違う時代」っぽくて感心したのは、オペラのレコード(全曲
盤)を、登場人物たちがとても大事に扱っていることだ。当時、レコードは高く、複数枚を要するオペラの全曲盤は、更に値が張った。格安音源に慣れきった現代のオペラ・ファン――私だ――は、貴重だなどとは微塵も思わぬまま、本書に登場する録音のソフトを二束三文で買い叩き、通勤電車の中で気軽に聴いている。だが録音市場で価格崩壊が起きる以前、オペラの全曲録音とは、確かにこういうものであり、音楽は自宅に帰って神妙に再生するものだった。マッキンティは、こういう小道具でも、時代の感覚を巧みに醸す。つまりは上手い小説家なのである。
杉江松恋
『コールド・コールド・グラウンド』エイドリアン・マッキンティ/武藤陽生訳
ハヤカワ・ミステリ文庫
1981年、北アイルランドの英国からの独立を巡る内戦が激化していたころのベルファストが舞台となる警察小説だ。主人公のショーン・ダフィ部長刑事はカソリックである。これは何を意味するかというと、同じカソリックのテロリスト集団、IRAからすると裏切者と見なされるということだ。いつ殺されてもおかしくない状況、しかも周囲の隣人はプロテスタントばかりという環境でダフィは暮らしている。警察官の中では珍しい大卒というおまけつき。つまりは存在自体が異分子なのである。その彼が、連続殺人事件の捜査を担当する。ただし警察署における優先順位は最低レベル。それはそうだろう。爆弾テロでどんどん無辜の市民が死んでいる状況なのだ。殺しをやりたければどこかの組織に行けばいい、いくらでも殺させてくれる、と警官が自ら言うような状況下でダフィは望まれない捜査に取り組み、意外な真相を掘り当ててしまう。その一途さ(空気読めなさ、とも言う)がなんとも楽しい。
同じ警察小説ではヘニング・マンケル『ピラミッド』もお薦めである。初の短篇集であり、クルト・ヴァランダーもの五篇が収められている。シリーズ第一作『殺人者の顔』以前のヴァランダーの活躍が描かれた内容であり、前日譚として、また連作の入門書として、どちらの読み方もできる。表題作は300ページ近い分量があり、捜査小説としても圧巻だ。
意外なことにリーガル・スリラー人気の高い月でした。前月の傾向からはまったく予想できませんでしたね。これだからおもしろい。来月もどうぞお楽しみに。(杉)
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