ときは1908年、社交界や貴族としての暮らしに少々お疲れのレディ・エミリー・ハードキャッスルは、メイドのフローレンスを伴って英国エドワード朝末期のロンドンから静かな田園地帯に引っ越してきた。齢を重ね、未亡人となったいま、のんびりと穏やかに暮らすのも悪くはない。そこで、田舎に住み心地のよさそうな屋敷を手に入れたのだ。必要なものをとりそろえ、田舎暮らしの用意は万端だ。しかし、気ぜわしいロンドンを離れてのんびり暮らそうと思っていたのに、ことはそう簡単ではなかった。

 都会のような大勢の住人がいるわけではない。だが、引っ越してきたばかりのエミリーの屋敷に、毎日のように誰かが訪ねてくる。新参者がどんな人間なのか村人みんなが興味津々なのだ。教区の教会の司祭夫妻、医師、地主……と次々に、そして同じ人間が再訪したりするものだから、エミリーは来客対応に追われた。もちろんフローレンスもフル稼働で、屋敷のパントリーいっぱいに貯めこんだ食料を駆使して客をもてなす忙しい日々。引っ越しでふたりは誰もが知りあいの小さな村の濃い人間関係のなかに放りこまれ、エミリーが思い描いていたような優雅な隠退生活とはほど遠い毎日を送ることになった。

 そんなある日、事件らしい事件が起こらない平和な村の森のなかで死体が見つかる。静かだった村は、途端に蜂の巣をつついたかのように騒々しくなる。村の警察が捜査を始めるものの、村人たちの濃い人間関係が邪魔となり、なかなか進まない。誰もが犯人に見えるなか、エミリーは警察がどうも見当違いの方向を捜査しているように思われて、フローレンスの手を借りながら、とうとう自ら殺人事件の捜査にのりだすのだった――

 この作品は20世紀初めのイギリスの田園地帯を舞台にしたシリーズの一作目である。静かに暮らしたいといいつつ、ついあちこちに首をつっこんでしまうエミリーと、メイドとしての仕事をこなす能力はピカイチで、エミリーのよき相談相手でもあるフローレンス。このちょっぴりコミカルな素人探偵が、田舎の警察ののんびりとした捜査を尻目にしっかり事件を解決していく。フローレンスはマーシャル・アーツの達人でもあり、その特技もこれからますますエミリーの助けになりそうだ。

 作者のT・E・キンジーはブリストル大学で歴史を学んだあと、長年雑誌の特集記事のライターとして活躍し、エンターテイメント系ウェブサイトでの執筆・編集などに携わった。三人の子どもの子育ての傍らスキューバダイビング、ドラムやマンドリンの演奏といった趣味に没頭し、満を持して(!)小説執筆に取り組むことにしたとか。

 そして仕上げた処女作レディ・ハードキャッスル・シリーズ第一作のこの作品は、2018年5月17日現在、Amazon.comで2,200を超える読者評がついており、平均すると星4.5個の高評価になっている。
 シリーズは1909年春にパブで起こった農夫殺人事件を解く第二作 “In the Market for Murder”、1909年秋に起こった自動車レースでの事故を追う第三作 “Death Around the Bend” までが刊行済みで、2018年秋に第四作 “A Picture of Murder” が出る予定。そのほか1909年クリスマスの事件を描いた短篇 “Christmas at The Grange” が発表されている。どうやら作者は1908年の第一作をスタートに時系列でシリーズを書き進めるつもりらしい。これから注目したいシリーズだ。

片山奈緒美(かたやま なおみ)

翻訳者。北海道旭川市出身。最新訳書は『ノルウェー出身のスーパーエリートが世界で学んで選び抜いた王道の勉強法』(TAC出版)。ノルウェーの平凡な中学生だった著者が、あることをきっかけに勉強に目覚め、アメリカやイギリスの有名大学に留学して学位を取得するまでになった勉強法を紹介する。
365日、12歳の甲斐犬と朝夕の散歩をする日々。現在は書籍翻訳をしながら、大学などでスピーチ・コミュニケーションや日本語科目の非常勤講師を務め、大学院で日本語教育の研究もしている。

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