そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
初めて読んだフレドリック・ブラウン作品は『まっ白な嘘』(1953)でした。
ミステリファンなら必読、と何かの本で薦められたのです。
読んでみれば成る程、煌めくような名短編がそろった一冊で「なんて怖い話なんだ」とか「あの有名なトリックの元ネタはこれだったのか!」とか、発見ばかりの読書でした。
それからしばらくして、『火星人ゴー・ホーム』(1955)を読みました。
これまた意地悪なユーモアの漂う名長編なのですが、読み終わってしばらく、『まっ白な嘘』と、『火星人ゴー・ホーム』の作者が同一人物だとは気づいていなかった記憶があります。
なにせ、ミステリとSFです。
SF仕立てのミステリ、もしくはミステリ仕立てのSFならともかく、まったくもって別々のジャンルの名作を一人の作家が書き分けたのだとは結び付かない。
この作家はそういうことができる人なのだ、と分かったのはそれから少し経って、古本屋に通うようになってからでした。創元推理文庫と創元SF文庫、両方に同じ名前が並んでいるのを見て、ようやく、ミステリもSFも書ける凄い人なのだと知ったのです。
ミステリの中でも、古本屋さんの棚に並べられているのは主にサスペンスを示す猫マーク(古い創元推理文庫は背表紙にジャンルごとにマークがついていたのです)が中心で、「成る程、ミステリだったらサスペンスを書く人なんだ」とそれで思ったのですが、しかし、実はそれもちょっと違いました。猫マークに分類されていても、読んでみたらサスペンスには収まりきらない、というより他のサブジャンルであることが多々あるのです。
たとえば、『シカゴ・ブルース』(1947)は、ハードボイルドでした。一人の少年が大人に、それから探偵に育っていく姿に読みながら心が震える、そんな作品です。
フレドリック・ブラウンの作風は本当に多彩で、読めば読むほど、新しい顔が見つかりました。奇妙な味、SF、サスペンス、本格、ハードボイルド……
そして、本日。
ラインナップにクライム・ノヴェルが加わりました。『現金を捜せ!』(1953)を読んだのです。
*
マック・アービーは、退院してすぐ、元の職場であるカーニバルへ戻ってきた。
かつて自分がやっていた呼び込みの仕事は他の男にとられてしまっていたが、彼はご機嫌だった。何故なら、四万二千ドルというとんでもない大金を手に入れたも同然だから。銀行から奪いとったその金を、カーニバルの構内に隠してあるのだ。逃走の最中に遭った交通事故のせいでそれを取り出すのが随分と遅れてしまったが、この先は薔薇色の生活が待っている。
しかし、マック・アービーにはそんな未来はやってこなかった。カーニバルに戻ってきた当日、金のことを知っていたある男に殺されてしまったのだ……
と、ここまでの粗筋だけを聞くと「成る程、そのマック・アービーを殺した男は誰かという犯人捜しの話だな」と思ってしまうのですが、この小説はそういう話ではありません。誰が殺人犯なのか、というのは早々に明かされます。かといって、倒叙ミステリというわけでもない。そこがミソなんです。
物語は、主に四つの視点で語られます。
一つ目はマック・アービーを殺した殺人者の視点、二つ目はその殺人者が現場から去っていくところを目撃した芸人の妻の視点、三つ目は、犯人以外でただ一人、四万二千ドルのことに感づいてそれがどこにあるのかを探す医者の視点、最後の一つはカーニバルの中で暮らす少し知恵の遅れた少年の視点。
この四人の物語が交わったり、交わらなかったり、それぞれの方向へ向かって進んでいく。四万二千ドルの現金と、それに伴って発生した事件が四つのストーリーの中心にあって、そこだけはズレない。ここに、この小説の面白さがあります。現金とそれにまつわる犯罪を巡った悲喜劇の話なのです。
これがぐんぐん読ませる。
視点人物一人一人に用意された一筋縄ではいかない葛藤、悩み、謎が物語として魅力的なのですね。
芸人の妻の視点の物語を例にあげます。彼女は目撃した殺人者から、口止め料としてお金をもらうのですが、「人が殺されているのにお金をもらって殺人者のことを黙ってしまって良いのか」といったような、社会的な善悪のことについては悩みません。その代わりに悩むのは、殺人者から渡されたお金のことを、嫉妬深い夫が知ったら、誰かに体を売って手に入れたんだろうと思われ殴られて、もしかしたら殺されてしまうかもしれないということ。このお金があればカーニバルから逃げ出すこともできるだろうが、その勇気はない……これが彼女の悩みです。
つまり、個人的な悩みが社会的な善悪よりも彼女にとっては優先されているわけです。
これは他の視点人物の場合もそうで、彼らにとって大切なのは、自分の事情、自分の世界であって、社会的なものではない。そんなことには構っていられない。それよりも、自分の罪がバレないか、自分がお金を手に入れられるか、自分のささやかな欲望がかなえられるかの方が重要なのです(少年の視点では、最大の問題となるのはなんと知ったばかりの性の悩み!)。
そして、読者だけが全員の考えていること、やっていることを知っている。
といっても、この話を神の視点で登場人物が困惑しているさまを意地悪く楽しむ、という風に読む人は少数派でしょう。勿論、そういう楽しみはありますが、それよりも一つ一つの視点に別々の感情移入をしてのめりこむ、それから、それぞれの話が重なって皮肉っぽい構図にまとまっていく悲哀に苦笑する、という人の方が多い筈です。
各視点での物語の共通項は、現金が中心にあるという点です。彼らは、お金か、それにまつわる何かを求めていて、言い換えればみんな持たざる者なわけです。
持たざる者のあがき、というのはそりゃあ、滑稽です。それ故に身につまされるのです。何故なら、僕らだって同じく持たざる者だから。
そう、『現金を捜せ!』は〈おれたちみんな〉のストーリーなのです。
*
冒頭でフレドリック・ブラウンは本格、SF、サスペンス、ハードボイルド、クライム・ノヴェル、なんでも書ける人であると述べましたが、それだけだと、なんだか軽薄な印象を受けるかもしれません。
しかし、読んでみれば(軽やかではありますが)まったくもってそんなことはない。
それは『現金を捜せ!』を読めば分かる通り、フレドリック・ブラウンがしっかりと人間を書くことができる人だからでしょう。その上で、奇想だったりユーモアだったり感傷だったり、お好みのものを振りかけることができる、そういう作家なんです。
つまりは、面白く芯のある物語を書ける人、なのです。
◆乱読クライム・ノヴェル バックナンバー◆
小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人二年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |