まだ心の準備ができていなかったのに、一気に夏になってしまいました。心だけでなく体もまだ暑さに慣れなくて、暑い日に外に出るのもおっかなびっくりです。本来夏は大好きだったはずなのに、なんというこの体たらく……でも大丈夫、慣れればこの暑さが快感になってくるはず……と思うことにします。
 ワールドカップで寝不足のみなさまも、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。
 では、六月の読書日記です。

■6月×日
 第十回翻訳ミステリー大賞の私的候補作候補は、今のところぶっちぎりで『ワニの町へ来たスパイ』ですが、出てきましたよ、たいへんな強敵が。それは『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』。ミステリ作家が仕事の合間にさまざまな事件の謎を解く連作短編集で、どことなくコージーの香りがするゆるふわなタイトルとカバー絵からしてそそります。

 ベテランミステリ作家のレオポルド・ロングシャンクス(通称シャンクス)が、「事件を解決するのは警察だ。ぼくは話を作るだけ」と言いながら、謎や事件に遭遇するとつい推理をしてしまい、結果事件は見事解決をみる、という愉快なお仕事ミステリ。ミステリマインドはスイッチひとつでオフにできるものでもないですからね。つい推理をしてしまうのは一種の職業病と言えなくもないけど、警察に協力できて作品のネタにも使えるんだからシャンクスとしてはおいしいのでは?

 収録されている十四編はそれぞれ微妙にテイストがちがっていて芸が細かく、どれもおもしろい。わたしのお気に入りは、復讐のしかたがユニークすぎてシャンクスらしい「シャンクス、強盗にあう」かな。〈ミステリ・ウィークエンド〉が舞台の「シャンクス、殺される」も好き。ベテラン作家なのにどこか小物感漂うシャンクスのキャラがいい味を出してます。一編ごとに作者のコメントがついているのも親切で、その内容がまた遊び心たっぷりで楽しませてくれるのですよ。

 執筆が遅々として進まなくて焦ったり、売り上げが伸びずに悶々としたり、たまたま出くわした事件にヒントを得て「これを最新作に使えないだろうか?」と考えたり、警官のことば使いのまちがいがやけに気になったり、などの作家の日常あるあるも楽しい。結婚して二十余年になる妻のコーラはロマンス作家なので、作家夫婦あるあるもね。この夫婦、五十代ということだけど、もっと上かと思ったわ。

 コージーというよりユーモアミステリ。寝るまえやちょっと時間があいたときに一編ずつ読むのにちょうどいいし、タイトルどおり、日曜の午後にお茶を飲みながら優雅に読むのもいいですね。翻訳ミステリーをあまり読まないという人向けの入門編としても最適です。こういう短編、もっと読みたい! ロプレスティは「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」や「アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリ・マガジン」に多くの短編が掲載されてきた短編の名手ということなので、期待できそう。

 

■6月×日
 チリの女性作家イサベル・アジェンデ。初めて読む作家だ。彼女が七十二歳のときに書いたという『日本人の恋びと』は、静かで情熱的な愛の物語。驚きと感動に満ちた、すばらしい読書体験ができた。
 現在と過去の出来事が交互に語られ、隠されていた秘密が徐々に明らかになる、ミステリの定番とも言えるスタイルは、ケイト・モートンを思わせる。

 カリフォルニア州バークリー郊外にある高齢者用レジデンス、ラークハウスに勤めるイリーナは、同施設の入居者であるアルマ・ベラスコに個人的に雇われ、秘書(付き人?)のような仕事をすることになる。アルマは資産家の未亡人で、慈善事業に熱心なベラスコ財団の代表であり、立派な屋敷も家族もあるのに、ラークハウスでの質素な暮らしを楽しんでいるようだった。しかも彼女には秘密の恋人がいるらしい。ときどきお忍びで小旅行に出かけるし、クチナシの花や二重の封筒にはいった手紙が送られてくるのだ。その恋人、イチメイ・フクダという日本人に興味を持ったイリーナと、イリーナにぞっこんで、一族の歴史を編纂しようとしているアルマの孫のセツは、アルマの謎を探ろうとする。

 アルマの、イリーナの、アルマの夫ナタニエルの、そしてイチメイの秘密が明らかになるたびにぐっとこみあげるものがあり、もうたいへんでした。ホロコーストから逃れるために八歳でポーランドからアメリカにわたったアルマ。アメリカの市民権を持ちながら家族で強制収容された日系二世のイチメイ。モルドバからアメリカに住む母のもとにやってきて、辛酸をなめたイリーナ。アルマを深く理解するナタニエル。運命に翻弄され、出会っては引き離される恋人たちの、一生をつらぬく愛。たしかにアルマは身勝手かもしれない。でも、ああ、この人ならありかなぁと思えてしまう説得力がある。かっこ悪くても、なりふりかまわず、思うがままに生きるアルマは、悔しいけど魅力的だ。あんなふうに生きたら普通は敵がたくさんできそうなのに、たくさんの人に愛されているところもすごい。だからこそイリーナもリスペクトというより友情を感じているのだと思う。

「みんな悲しいことや体の不具合ばかり口にして、なぜもっと幸せなことを話さないのだろう」と思うアルマは、年をとったと感じても、「この幸せをどうしましょう?」というほど心が満ち足りている。思うとおりに生き、情熱を燃やしつくした人間の穏やかな満足感だろうか。アルマの生き方は絶対に真似できないけどものすごく憧れる。老いることを恐れなくていいのだ、という気持ちにさせてくれた。

 ストレートなことばで綴られたイチメイの手紙もたまらなくキュートですてき。なかでも「愛と友情は老いることがない」は名言。もうこのひとことに尽きるでしょう。

 

■6月×日
 パク・ミンギュを知ったのは、短編集『カステラ』が第一回翻訳大賞を受賞したときのこと。『カステラ』の不思議な世界観に魅せられ、手にした長編『ピンポン』は、超弩級のスーパーぶっとびシリアス娯楽超大作だった。かなりエッジーだがYA作品としてもイケるのでは。

 不良のチスにセットでいじめられている中学生の釘とモアイ。ある日、いじめを受けていた原っぱに突如卓球台が出現し、ふたりはラケットを持ったこともないのに卓球をはじめ、無心にピンポン玉を打っているうちに心が軽くなっていく。やがて、ハレー彗星の代わりに巨大なピンポン玉が降ってきて、人類の未来をかけて戦うことを余儀なくされる釘とモアイ。世界に「あちゃー」された彼らが挑むのは、人類代表の「ネズミ」と「鳥」。果たして彼らは勝てるのか。

 インパクトがあって、奥行きがあって、とてつもなくスケールが大きいのに繊細。絶望的な内容を語りながら不思議な軽さがある。いじめの内容がひどすぎて、殴られてる様子が釘を打っているみたいだから釘と呼ばれてるとか、正直引きそうになるけど、あっけらかんとした口語文体に救われる。突然出現する卓球台や、いじめに「人類」や「世界」がからんでくることや、巨大ピンポン玉による「卓球界」の出現あたりからはとくにぶっとんだ内容だが、「考えるな! 感じろ!」を念頭に置いて読むと不思議な心地よさ。ときおりこぼれおちる魂の叫び(見えない存在なのに、何で努力とかしなくちゃいけないわけ?)や哲学的フレーズ(世界はいつもジュースポイントなんだ。(中略)だけどまだ勝負はついていないんだ、この世界は。)もすんなり頭にしみこむ。そして、悲愴的なのにじわじわと前向きな釘やモアイやセクラテンに「同志よ!」と言いたくなる。

 世界とは、多数決だ——「いじめる」という意見が多数だったから自分たちはいじめられているのだ、という単純明快な釘の理論や、「君たちは何者なのだ?」とマルコムXに問われた釘が(この状況もすごいけど)、僕らはですね、世界に「あちゃー」された人間なんです、と言うのもうまいなあと思った。原文はわからないけど「あちゃー」という訳語がものすごくしっくりくる。

 しかし、なんといってもわたしの心をつかんではなさないのは、アメリカで死んだモアイの従兄が研究していたという作家、ジョン・メーソンの存在だ。その作品『放射能タコ』や『ピンポンマン』や『ここ、あそこ、そしてそこ』は、一度読んだら絶対に忘れられないインパクトと不気味なおもしろさに満ちていて、モアイが内容をざっと説明するだけなのに、全文が読みたくてたまらなくなる。ピンポン玉を打つ音がひっきりなしにつづいているなかで読んだら格別だろうな。
 あと、卓球用品店主でフランス人のセクラテンが実在の卓球選手だったのには驚いた。卓球界って奥が深いわ。

 

■6月×日
 こう見えて(どう見えてるかわからないけど)ジム・トンプスンのファンで、邦訳が出ているものはほぼ読んでいると思う。『天国の南』につづいて『殺意』(『ドクター・マーフィー』は未読でこれから読む予定)。本邦初訳を読めてうれしいかぎり。『殺意』は『アフター・ダーク』と『荒涼の町』のあいだに書かれた長編だ。

 舞台は海辺の田舎町マンドゥウォク。時代はおそらく一九五〇年代半ばくらいか。ゴシップが生きがいで、あることないこと電話で話しては暇をつぶしている高齢の女(といっても六十二歳)ルアン。彼女さえ死んでくれればと思っている人物が何人もいて、きな臭い状態のまま物語は進む。やがて事件が起きるが、犯人がだれなのかはいぜんとしてわからない。ある人物の独白を読むまでは。

 十二の章は十二人の別々の登場人物によって語られ、それぞれの言い分から全体を把握することができるようになっているのだが、そう簡単にはいかない。おなじみの「信用できない語り手」たちばかりだからだ。それでも、それぞれが語る実情や吐露する思いからその人なりの真実をくみとって、マンドゥウォクに巣食う秘密を、暴き出すというより透かし見るような感じ。奥行きと意外性のあるこの構成がすごくいいと思う。たとえば、妻や娘から見ればピート・パヴロフの接し方はどう見てもDVやパワハラだが、ピートにしてみれば愛情表現が下手なだけだったり。ヤク中の娘が、実はきちんとものを考えられる頭を持っていたり。男は何もしていないと言ってるのに、女は妊娠していたり(かどうかはわからない)。万事そんな調子で、何が本当かわからない、そして本当は何があったのかわからない、神の声不在のめくるめく「藪の中」状態を楽しめる。

 そしてもちろん、予想外の展開も。後半はとくに「まさかの〜」が多すぎて、「えっ!」と二度読み三度読みしてしまうこともしばしば。少ない人数ながらそれぞれの関係性が見事に入り組んでいて、あまりにも不穏なのにだれも何もしない。がんじがらめの関係性が、町の閉塞感とあいまって、けだるさややるせなさを生んでいる。みんなが心に殺意を隠し持っている状態で暮らしている町の不気味さよ。

 

■上記以外では

 エルモア・レナードの『ラブラバ』は、つかみどころのないラブラバのキャラが魅力的。写真家で元シークレットサーヴィスで、国税局徴収課にもいたなんて(トッカン?)……経歴が異色すぎてウケる。十二歳で生まれて初めて恋をした相手である年上の映画女優を守ろうとするのは胸キュンだけど、決して一途ではなくて、読者に肩透かしを食らわすのがまたいい。巧みな文体のおかげで、読者はすんなり物語にはいりこみ、意外な展開にも「ま、いいか」という気分になる。レナード・タッチ半端ない。

 

 修道士カドフェル・シリーズで有名なエリス・ピーターズによるノン・シリーズの傑作本格『雪と毒杯』は、さすがのおもしろさ。一九六〇年の作品だけど、まったく古さを感じさせないオールタイム感です。遺産を巡るドロドロ、雪山に不時着した飛行機、雪に閉ざされた村、愛と欲望が錯綜するクローズドサークルと、お約束感満載なのに、まったく飽きさせない展開で、思う存分本格推理が楽しめます。

 

 リース・ボウエンの〈英国王妃の事件ファイル〉シリーズ第八弾『貧乏お嬢さま、ハリウッドへ』は安定のおもしろさ。このシリーズはどんどんおもしろくなっていくみたい。母とともに豪華客船でアメリカに向かったジョージーは、ハリウッドの映画監督宅に滞在することに。いちおう王族なので、ハリウッドの映画関係者の自由奔放ぶりにあぜんとするジョージーだったが、メイドのクイーニーや親友ベリンダの自由人ぶりも負けてはいない。ダージーとのロマンスの行方からも目が離せません。

 

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はカレン・マキナニーの《ママ探偵の事件簿》シリーズ第一弾『ママ、探偵はじめます』

お気楽読書日記・バックナンバーはこちら