書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」をyoutubeで毎月更新しておりますが、6月末に特別版として文藝春秋翻訳出版部の永嶋俊一郎氏をお招きし2018年度上半期の総括トークをお送りしました。よかったらそちらも聴いてみてください。通常版の6月号も間もなく更新日されます。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

北上次郎

『接触』クレア・ノース/雨海弘美訳

角川文庫

 相手のからだに触れるだけでその肉体を乗っ取ることができる男が主人公の物語だ。別の人間に触れた途端、するりと抜け出て乗り移るのである。その連鎖をアクションの只中に持ってくるから素晴らしい。なぜアクションが始まるのかというと、追ってくる者がいるからだ。彼は必死に逃げながら、なぜ自分が追われているかの謎を解かなければならない。そのサスペンスの持続がキモ。イメージの喚起力がなによりも鮮やかだ。

霜月蒼

『罪人のカルマ』カリン・スローター/田辺千幸訳

ハーパーBOOKS

 北上次郎氏が先月スローターの新作をフライングで紹介してしまったので、頭脳明晰なアフリカ系青年が無免許探偵としてラッパー襲撃(凶器は猛犬)を阻止しようとするドープな快作『IQ』を推そうかと思っていた。舞台はLAのサウスサイド、BGMにラップが鳴り響く私立探偵小説というのは、ありそうでなかったし、書かれるべきなのに書かれていなかったので。これがお好きなひとはチェスター・ハイムズの『リアルでクールな殺し屋』を是非どうぞ。

 だけどやっぱりスローターを推すべきだろう。少なからぬミステリ・ファンがそうであるように、昨年からのハーパーBOOKSとマグノリアブックスと北上次郎氏の熱いプッシュをきっかけに私はスローターを読みはじめたが、本作は『三連の殺意』以来のシリーズの総決算にあたる傑作である。「被害者の地位を強いられる女性たち」の痛みと恐怖と、その克服を痛快なスリラーとして描きつづけてきたスローターの総決算と言ってもいい。

 物語の半分以上が70年代に起きた連続殺人に割かれ、いま以上に苦闘を強いられた女性警官(女性はクレジットカードすら作れない!)の血みどろの捜査が描かれてゆく。その末に訪れる栄光の瞬間は素晴らしく、私はジェイムズ・エルロイの『LAコンフィデンシャル』を思い出した。ノンシリーズの警察ノワールの傑作『警官の街』の変奏曲のようでもあり、真価を味わうために、できればシリーズを何作か(『砕かれた少女』『ハンティング』あたりかな)読んでから、本書にかかることをおすすめします。

 

川出正樹

『ブルックリンの少女』ギヨーム・ミュッソ/吉田恒雄訳

集英社文庫

 凄い、凄いなギヨーム・ミュッソ。複雑巧遅なプロットと一寸先も予測出来ないストーリー展開、鮮やかな人物造型と深刻かつ現代的なテーマ。ページを繰る手が止まらず一気呵成に読み通した果てに、予想外の真相と得も言われぬ余韻が訪れる。これは傑作だ。

 結婚を間近に控えた流行作家ラファエルは、過去をはぐらかしてきた婚約者アンナに秘密を明らかにするよう執拗に迫る。だが覚悟を決めた彼女が「これがわたしのやったこと……」と言って見せた写真に打ちのめされた彼は、あまりの衝撃にアンナを置いて飛びだしてしまう。やがて冷静さを取り戻した彼は貸別荘に戻るが、アンナは姿を消していた。元刑事の友人とともにラファエルは、失踪した婚約者の行方を追って奔走する。それは同時に秘められたアンナの波瀾万丈の半生を遡航する旅でもあった。一体彼女は何物なのか?

 終盤、『ブルックリンの少女』La fille de Brooklynという一見何の変哲もないタイトルに込められた想いが明らかになるシーンでは、しばし感慨にふけってしまった。各章の冒頭には、バルザックやフローベールからスティーグ・ラーソンや村上春樹まで多様なエピグラムが置かれているが、中でも「人が真実と呼ぶものは、いつでもその人の真実であり、すなわち、当人にそう見える真実のことである」というプロタゴラスの警句がまさにピッタリとくる入念に作り込まれた謎迷宮のごときサスペンスだ。

 同じく、失踪した恋人の行方を追うキャサリン・ライアン・ハワードの、ツイストの利いた恐怖の船旅サスペンスの逸品『遭難信号』と読み比べてみることをお薦めします。

千街晶之

『落ちた花嫁』ニナ・サドウスキー/池田真紀子訳

小学館文庫

 カリブの小国で次々に起きる殺人事件。花婿と花嫁、それぞれが抱えた秘密とは何なのか……。先月の書評七福神で推したチューダー『白墨人形』に続き、本書も過去と現在のカットバックで構成されたタイプのミステリ。「またか」と言われそうだが、本書の場合、過去パートは時系列通りには進まない。前に進むかと思えばいきなり戻るタイムシャッフルによって、ピエール・ルメートル『その女アレックス』ばりに全く先が読めないジェットコースター・サスペンスとなっているのだ。待ち構えているのがハッピーエンドかバッドエンドかは、ラスト数ページまで予測できない。

 

吉野仁

『IQ』ジョー・イデ/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 新人賞三冠受賞という話題作だが、その評判に違わぬどころか期待の斜め上をいく痛快さで、興奮しつつ一気読みした。独特の語りによる珍妙なエピソードが盛り込まれている一方、ドラマの活劇場面を再現したかのような映像的迫力をはじめ、読みどころが満載。まぁ、多くを語ると野暮になるか。今すぐ読むべし。そのほか、失踪した恋人を追うキャサリン・ライアン・ハワード『遭難信号』は某作との類似点をはじめ、いろいろと驚かされた。さらにはギヨーム・ミュッソ『ブルックリンの少女』もまた、失踪した恋人を追う話で、意外な過去が明らかになり驚かされるという似たような骨格をもったミステリゆえ、併せて読むことを薦めたい。

酒井貞道

『遭難信号』キャサリン・ライアン・ハワード/法村理絵訳
創元推理文庫

 これは年度ベストを狙える作品だろう。失踪した恋人サラの行方を追う主人公アダムが、物語の主軸を織りなす。随所で読者を驚かせてくるタイプの作品なので、事前情報はあまり仕入れずに読んでほしい。とはいえ、プロローグの内容――主人公アダムは、豪華客船から海に落ち、救出されるも、同時(?)に海に落ちた人間が他にもいるにもかかわらず、そのことを救助隊員に伝えない――が、エピローグを除くと物語の最終局面そのものであることは言っておいてもいいだろう。ここまで先出しされても、読中、先の展開や真相がまるで読めない。物語の組み立てがそれほど上手いのである。この確かな構成力をベースに、作者は、サラに対するアダムの切ない想いを作品の通奏低音に採用する。緊迫感とサプライズを具備して一気に読ませる一方で、全体はしっとりしみじみとした雰囲気に包まれており、読者の心情への訴求力も強い。讃嘆措く能わざる作品である。

杉江松恋

『IQ』ジョー・イデ/熊谷千寿訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 読み始めて数ページで「え、これって生理的にまったく合わないか、むちゃくちゃ好きでたまらないか、どっちかになる」と直感したが、小児性愛の変態を主人公が追跡する序盤の展開に入った時点で後者と確信した。動きが完璧に大塚康生作監の宮崎駿作品なので翻訳ミステリーにあまり関心ない方もここだけはまず黙って読むよろし。また、主人公が「時にはサツマイモのパイだとか新品のラジアルタイヤとか」といった物納でも近所の人からの依頼ならば引き受ける街の何でも屋的存在である、と冒頭で書かれているため、工藤俊作かよ、ナンシーとかほりが事務所でごろごろしてるのかよ、と思うオールドファンも多いはずだが、その設定にはちゃんと意味があり、なおかつ現在と主人公がハイスクールの生徒だった過去がカットバックで語られる構成にも関わっていることが小説のどこかでは判明するので、思わず画面に向かって「ハードボイルドの夜明けは近いですなあ」とコタカノブミツさんに語り掛けたくなるはずである(ちなみに事務所に押しかけてくるデロンダは、元祖『桃尻娘』として出世を目論んでいる)。いや、これこそ長年求めていた私立探偵小説ではないのか、諸君。

 優れた犯罪小説であることの成立条件には突飛なキャラクターは含まれないが、〈エルモア・レナードの衣鉢を継ぐ〉とか〈カール・ハイアセンもびっくりな〉とかの先人を引き合いに出して評価するのであれば絶対必要である。この小説には出てくる。品種改良して作り出された巨大な魔犬を使って人を殺そうとするイカれたガンマニア、が主人公の敵役だ。レナード及びハイアセンの名前を出したので書いておくとオフビートな展開が待っている。今のところ2018年のベスト・オブ・オフビート犯罪小説はトマス・ペリー『アベルVSホイト』で、あの出鱈目な展開にはさすがに及ばないのだが本書もいい線行っている。『マイアミ欲望海岸』とかあのへんの西部劇的レナード作品を思い出していただきたい。そもそものストーリーが途中でどうでもよくなってとにかく対決場面を作者が書きたくてうずうずしているのが手に取るようにわかる犯罪小説。その要素がある。犬使いとどうやって闘うんだ、動物虐待は駄目だぞ。いやご心配なく。愛犬家をがっかりさせることはない完璧な展開だ。

 まあ、別のところでさんざん書いたので、ストーリーとかはこのくらいにしておく。他の七福神も挙げるだろうし。もしかすると全員『IQ』かも。『IQ』7倍! チブル星人並! 今月はとにかくこれを読まないと駄目だ。2018年も終わらない。いつまで経っても世の中は平成30年のままだ。今月は先に読んだ『遭難信号』も推したかったのだが仕方ない。さよなら平成。まだ早いけど。

 またもや豪華客船ミステリーに私立探偵小説、どんでん返しに驚嘆するサスペンスと、今月も充実しておりました。来月はどうなりますことやら。お楽しみに。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧