先日、ベテランの中国人日本語通訳の仕事を見る機会がありました。日本語を中国語に、中国語を日本語にスラスラと翻訳する姿に感心していたのですが、やはり専門的な固有名詞は分からない、というか今まで見たことも聞いたこともない名前は中国語と言えども対処不可能なようで、話者の口から「Jingji xiayan」や「Xinbenge」といった言葉(「京極夏彦」と「新本格」の中国語の発音)が出ると私に向かって「?」といった顔を見せるのが面白かったです。
 確かに日本語の固有名詞は中国語になると発音からは全く想像つかず、事前の勉強が必須になります。こっちの中国人ミステリ読者と話すとき、一番困るのが日本ミステリの話題だったりします。話していると、口を動かしながら頭の中で「Yiyiって誰だ? Lingshi Xingren って有名な作家か? Dongye Guiwu は分かるけど Panghuangzhirenって 作品名が全然ピンと来ないー」ってパニクっています(最初から、乙一、綾辻行人、東野圭吾、さまよう刃)。
 
 私は中国現地で中国ミステリを買う際は主に仲間内の口コミ(作者本人からの宣伝含む)を信頼して購入するのですが、やはりそれだけ傾向が偏るので2カ月に1回ほどは中国アマゾンで「推理小説」や「偵探小説(探偵小説)」「懸疑小説(サスペンス小説)」などで検索してまとめて買うことにしています。
 そこで掘り出し物というか、周囲の中国ミステリ読者が知らないような作品を発見できたときの喜びは格別なのですが、最近は特に上記の検索ワードでヒットする小説が多くなったような気がします。
 これを中国ミステリの興隆の結果だと喜ぶべきなのでしょうが、しかし全部が好みの作品ということもあるわけなく、手当たり次第に買えば買うほど自分から見たら「ハズレ」のような作品を入手してしまう結果になります。

 例えば最近買ったこの本。『你的超凶男友已上線(ヤバすぎる彼氏がログイン中)』。

 漫画家の姜咪は尊敬する先輩漫画家から遺作の漫画を譲り受けたところ、その漫画の男主人公である明亦陽が現実世界に抜け出てきた。漫画の世界がコントロール不能になり、その影響が現実世界まで波及したのだ。姜咪は世界のバランスを守るために、明亦陽と協力して殺人事件を捜査する。

 あらすじを読むとなかなか突飛な設定で、一体どういう展開で明亦陽が現実世界に出てくるんだろうと気になって読んでみると本編2ページ目であらすじとほぼ同じ内容の文章が書いてあって、いきなりそういう設定の世界観であることが語られます。そのあまりの簡易な説明にてっきりこの本はシリーズ2作目じゃないかと思いましたが、どうやら違うようです。
 しかも魔界とかも出てきます。作品は全体的にミステリなのですが、次々に起こる殺人事件を追って2人が国外にまで捜査しに行き、しかも事件を担当する警察官が姜咪の元カレという設定で、3分の1まで読んだ段階でこの作品はミステリ小説というジャンルではなくラブストーリーなのでは? ということに気付き、読むのを断念しました。
 
 もう1作品は『紅粧神捕』という架空の中国古代王朝を舞台にした歴史ミステリです。

古代宦官の家に生まれた許言は若い女性の身でありながら数々の事件の謎を解明するのが大好きという奇癖を持っていた。女性ばかりを狙った連続殺人事件、猛獣を使った殺人事件、毎週起こる行方不明事件などを科学的かつ論理的に解き明かす許言は、事件に首を突っ込むうちに犯罪者から狙われ、政権内部の闘争に巻き込まれる羽目になる。

 架空の王朝を舞台にした小説というのは現代中国の小説、特にインターネット小説ではよくある設定ですがミステリ小説では珍しいように感じます。許言の推理は現代的でもあり、ネットのレビューを読むと彼女はどうやら記憶喪失であり、体の中には未来からタイムワープしてきた人物の意識が入っているとかで、その「転生」設定もまたインターネット小説の王道です。
 
你的超凶男友已上線』は途中で投げて、『紅粧神捕』はまだ全然読んでいないのですが、両者には共通する懸念があって、それは既存の中国ミステリ読者の目に触れられないのでは?というものです。
 
 私自身、前者は恋愛小説というジャンルに、後者は架空歴史ファンタジー小説というジャンルに入るのではと思っていますが、「推理小説」という検索ワードで引っかかる以上はやはり押さえなければいけないと考えています。
 しかし、欧米や日本などの海外ミステリを専門に読む中国人読者がこれらを手に取る可能性は非常に少ないでしょうし、中国ミステリを支持している人々であってもミステリを専門に出していない作家や出版社が出した作品を果たして読むかどうか疑問です。
 
 先日、ある中国ミステリ小説家が「今年の中国ミステリの数は去年より不作になりそう」と言っていたのですが、私の肌感覚だと年々出版数が増えていたので、この人の言う「中国ミステリ」が一体どんな小説を指しているのか疑問に思いました。その小説の何をもってどのジャンルに組み入れるのかの基準を決めるのは大切かもしれませんが、「推理小説」のジャンルに入る小説がどんどん中国で出版される今後、取りこぼしもまた多くなりそうです。
 
 今後、ますます他ジャンルと融合した作品が増えるだろう中国ミステリにとって、今求められているのはその作品一つ一つを評価し、参考となる指標をつくる書評家の存在かもしれません。現在いるミステリ関係の書評家で私が思い当たるのは華斯比天蠍小猪など少数で、しかもカバー範囲が若干かぶっているので彼らだけでカバーすることはできないです。
 中国には「豆瓣」というSNSサイトがあり、そこでは小説や映画などのレビューが投稿できるようになっているのですが、今後は知識があってある程度の権威もある書評家が必要とされる時代になると思います。
 
 人から聞いた話ですが、中国にはミステリを題材にしたボーイズラブ(BL)小説もあるそうです。しかし現在の中国ミステリ読者でそれを読み、ミステリ小説の基準でレビューできる人間がいるとは思えないので、そういう王道から外れた作品もカバーする書評家の登場が待たれます。

阿井幸作(あい こうさく)
 中国ミステリ愛好家。北京在住。現地のミステリーを購読・研究し、日本へ紹介していく。

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現代華文推理系列 第三集●
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現代華文推理系列 第二集●
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