みなさま、こんにちは。
 ようやく涼しくなってきましたね。
「暑いですね」
「暑すぎます」
 ラオスが舞台のコリン・コッタリル『渚の忘れ物』(集英社文庫)で、老検死官シリ先生をはじめとする登場人物たちが会うたびに交わしていたこの会話を、今年の夏は何度思い出したことでしょう。ラオスなみに暑かったということですよね。こんな季節に東京でオリンピックを開催して、ほんとうに大丈夫なんでしょうか。今から心配です。
 ちなみに『渚の忘れ物』は〈犯罪報道記者ジムの事件簿〉シリーズですが、〈シリ・パーブーン先生〉シリーズでもこの挨拶はデフォなのでしょうか。未読なのでわからないのですが、ご存じの方、よろしければ教えてください。
 そんなラオスよりも暑い日本から一歩も出なかった執筆者が送る、八月の読書日記です。

 

■8月×日
 前月の公約どおり、夏の豪華客船フェアということで、キャサリン・ライアン・ハワードの『遭難信号』読みましたよ! 『乗客ナンバー23の消失』とはまったくちがうタイプの豪華客船ものだけど、乗客が姿を消すのは同じ。アイルランド人作家によるデビュー作です。

 アイルランドのコークに住む脚本家志望のアダム・ダンは、ハリウッドの映画会社に脚本が売れ、現在エージェントの指示でリライト中。苦労をかけた同棲中の恋人サラにようやく楽をさせてやれると思った矢先、出張でバルセロナに行ったサラが消息を断つ。勤務先に問い合わせると、サラは病欠になっており、彼女の友人によると新しい恋人とバルセロナに行ったのではないかという。自分たちはラブラブだと信じていたアダムにとって、まさに寝耳に水だった。
 やがて、サラの字で「ごめんなさい——S」と書かれたメモとともにサラのパスポートが送られてくる。いてもたってもいられず独自に調査をはじめるアダム。サラが地中海クルーズの豪華客船セレブレイト号に乗船したあとニースで消息を絶ったことをつきとめると、自分もセレブレイト号に乗りこんだアダムは、似たような状況で妻が行方不明になった男性ピーター・ブレイザーと知り合う。

 プロットの入り組み具合が絶妙で、ほんとうに先が読めなかった。あんたは捨てられたんだよと言われても、いや、ぼくのサラはそんなことはしない、と信じようとしないアダムのおめでたさ、他人のことを考えずに突っ走る幼さ、ダメ男ぶりはそうとうなもの。とくに前半はサラサラサラサラひじょうにうるさい。サラが失踪せずにちゃんと説明してたとしても、ストーカーになるタイプかもなぁ……当然ながら仕事は全く手につかず、脚本のリライトができない理由をエージェントに説明したら、〝船上を舞台にした《96時間》プラス《ゴーン・ガール》〟だと興奮されたのが笑った。でも、言われてみればたしかにそのとおりだなぁと思ったわ。

 ロマンという名のフランスの少年とセレブレイト号の客室係コリーンのパートも謎めいていて味わい深く、複雑な構成とリーダビリティで、いつまでも読んでいたいおもしろさ。もちろん結末にも驚かされた。いやあ、こうくるとはね。

 それにしても、クルーズ船から跡形もなく消えてしまった人間が二十年で二百人もいるって、多すぎない? 『乗客ナンバー23の消失』の十年間で百七十七人よりは少ないけど。クルーズ船って、実はすごく危険なのかしら。いろんな事情で犯罪捜査ができないということなら、お医者さんみたいに探偵を船に常駐させるというのはどうでしょう。それとも「お客さまのなかに探偵の方はいらっしゃいませんか?」ときいてまわる?

 

■8月×日
 何系の作品かさとられずに、読んだときの衝撃を伝えるのはほんとうにむずかしい。
 C・J・チューダーの『白墨人形』も、そんなタイプの作品だ。訳者あとがきに「ラストにたどりついたとき、思わず変なうめき声が漏れた」とあるが、うまい表現だと思う。そのうちパクらせてもらおうかな。「変な声が出る」というのは、予想外の驚きを表す新しい表現だと思うが、なるほどこういうときに使えばいいのね、と勉強になった。

 一九八六年夏、イギリス南部の田舎町アンダーベリー。十二歳のエディは、友だちのファット・ギャヴ、メタル・ミッキー、ホッポ、ニッキーらとともに、自転車で野山を駆け回って、日々楽しくすごしていた。ある日彼らは森で死体を発見する。それは頭部のない少女のバラバラ死体だった。
 それから三十年。エディのもとに一通の手紙が届く。なかには首吊りになった棒人形の絵と、白いチョークが一本はいっていた。三十年まえ、エディたちはチョークで棒人間を描いて連絡をとりあっていたのだ。ずっと封じ込めていた記憶がよみがえり、エディはいやおうなしに昔に引き戻されていく。あのときほんとうは何があったのか、そして今何が起ころうとしているのか。

 移動遊園地。初恋。あの夏ぼくらが見つけた死体。イメージはまんま「スタンド・バイ・ミー」の世界で、とくに前半はキングキングしいノスタルジックさ。キング先生強力推薦案件なのもうなずけます。でも全体としてはすごく新鮮さが感じられ、読みはじめたらやめられない止まらない徹夜本です。

 軽い気持ちでやったことや、思い込みがとんでもない悲劇を生むという恐ろしさ。ささいなことが運命を大きく動かし、さまざまな人の人生が変わってしまうのだと思うと、なんだかぞっとする。最後までぬかりなく怖いので、用心は怠りなく。タイトルは白墨人形にして正解だと思う。チョークマンよりだんぜん怖い。でも、ホラーよりはミステリ色のほうが強いので、過去と現在を行ったり来たりしながら少しずつ明かされていく真実に、じわりじわりと壁際に追い詰められていってください。

 

■8月×日
 夏休みといえば家族旅行。海に山にテーマパークにと、みなさまお楽しみだったのでしょうね……え? 涼しい部屋で読書が何よりの贅沢? それより夏休みって何? だれか教えて!
 おっと、気を取り直して、ロビン・スティーヴンス『オリエント急行はお嬢さまの出番』のデイジーとヘイゼルの夏休みは、優雅にオリエント急行でトルコへの旅! なんたってお嬢さまですから。〈ウェルズ&ウォン探偵倶楽部〉が活躍する〈英国少女探偵の事件簿〉シリーズは、本書で早くも三作目。巻を追うごとにどんどんおもしろくなっていく、楽しみなシリーズだ。

 一九三五年七月。春にデイジーの家で殺人事件に巻き込まれた娘の身を心配して、ヘイゼルのパパが香港からイギリスにやってくる。ヘイゼルとデイジーをオリエント急行での旅に連れ出すためだ。ふたりはクリスティが描いた世界を体験することになってわくわく。ところが、一等客車で殺人事件が起こり、デイジーパパの目を盗んで事件の捜査を開始する。

 さらに腕を上げたなあ……お嬢さまズ。
 オリエント急行での旅、一等客室のあやしい乗客たち、乗り合わせた名探偵(?)。まさにアガサ・クリスティの世界だけど、もちろん事件の内容やトリックは全然ちがって、ホームズ役のデイジーとワトソン役のヘイゼルの、少女ならではの奮闘ぶりが楽しい作品になっています。大胆なデイジーより、繊細なヘイゼルのほうが意外とミステリ脳は発達してるみたいだけどね。でも、デイジーたちがリアルタイムでクリスティの『オリエント急行の殺人』を読んでいるのはたしかにうらやましい。その話題のオリエント急行の一等客室の切符を、娘のお友だちのぶんまで買えちゃうヘイゼルパパってすごいお金持ち!

 本書ではヘイゼルの中国名〝ウォン・ファン・イン〟が初めて登場。漢字で書くと〝皇鳳英〟だそうです。香港の富豪だというヘイゼルのパパは、実際に登場するのは今回が初めてだけど、すごく魅力的な人物だ。過保護なのに娘を英国の学校に入れるなんて、娘のことをほんとうに考えているんだなあと思う。だから「英」の字がはいってるのね。ヘイゼルがお金持ちのお嬢さまっぽくないのもいいなあ。でも、香港にあるウェディング・ケーキみたいなヘイゼルの自宅には、ヘイゼルママもいるのに、パパの二号さんとその子供たちもいっしょに住んでるんだって。ちょっと意外。

 

■8月×日
 読みはじめるまで知らなかったけど、『償いは、今』の著者のアラフェア・バークは、〈デイヴ・ロビショー〉シリーズなどで知られるジェイムズ・リー・バークの娘さんなんですね。法律家と作家を兼業しているようで、〈女検事補サム・キンケイド〉シリーズは二作が翻訳されています(『女検事補サム・キンケイド』『消えた境界線』)。ノンシリーズ作品の本書は二〇一七年のMWA賞最優秀長編賞の候補作です。

 ニューヨークのウォーターフロントで三人が射殺され、被害者のひとりと浅からぬ因縁があった作家のジャック・ハリスが逮捕される。小さな弁護士事務所のパートナー弁護士オリヴィア・ランドールが、圧倒的に不利な立場の彼の弁護を引き受けたのは、ジャックが二十年ほどまえにひどいしうちをして別れた元婚約者だったからだった。

 人気ブロガーやコンピューターおたくなど、個性的な仲間たちによるチームプレーが楽しい法廷もの。主人公のオリヴィアは、仕事はできるけど、あまり人当たりがいいとは言えない四十三歳独身女性。相手がだれであろうと「きみ」と呼ぶので、最初ちょっと違和感があったけど、男ことばでしゃべるさばさばした女性なのね、と理解してからは慣れた。かつて深いつきあいをしていたジャックのことは知り尽くしているはずと思っていたオリヴィアだったが、ちょっとした引っかかりから彼の意外な一面を知り、それを境に物語はがらりと印象を変える。正直前半はあまり引き込まれなかったが、後半はがぜんおもしろくなって、一気に読んでしまった。

 オリヴィアとジャックのあいだに昔何があったのかがなかなか明かされなくて、明かされるにしても小出しなので、読んでいてひじょうにじれったかった。でも、じらされるのもまた楽し。内容的にはこのほうが読者も心の準備ができていいのかも。元彼の弁護をしなきゃならない時点で充分ヘビーだけど、償いたいというオリヴィアの気持ちはわかる。それにしても、まさかこんな結末が待っていようとは。

 オリヴィアの友人のメリッサが「四十三歳なのに、右耳の隣でマティーニをシェイクしても、なぜか上腕三頭筋でたるみが揺れる気配がまったくない」なんて、すてき。

 

■上記以外では……

 今ごろ何言ってんのと言われそうだけど、イアン・マキューアンの『贖罪』はすごいです。何が〝そこ〟なのかわからないままに、すべてが〝そこ〟に向かっていくしかないという前半の説得力と宿命感! 物語のやさしさと非情さが同時に胸に迫る結末は圧巻。なんでこれだけブッカー賞とってないの?

 

 ヘレン・マクロイの『牧神の影』は、読んでいるあいだすごく怖かった。夜中に家の外にいる半身半獣の牧神の姿をリアルに想像するとね……謎が解けたあともある意味怖いけど。その牧神(パン)とそれが語源だというパニックをこういうふうにからませてくるとは! 登場人物がすごく少ないのにこれだけ謎解きを楽しめるのもすごい。

 

 マージェリー・アリンガムの初長編ミステリ『ホワイトコテージの殺人』は、古きよき時代のミステリ。恋する男女のバカップルぶりなどほほえましい要素も多いが、それを逆手に取ったような結末に、変な声が出るとまではいかないまでも「おおっ」となった。イギリスの小さな村からパリ、南仏と舞台が変わるのも、なんだかちょっと得した気分。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はカレン・マキナニーの《ママ探偵の事件簿》シリーズ第一弾『ママ、探偵はじめます』。

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