みなさま、こんにちは。
 いよいよミステリ年度末となり、秀作揃いの翻訳ミステリから推し本を選ばなければならない悩ましい時期になりました。いや、押し本は山ほどあるんですよ。基本的に楽しい作業ではあるんですが、順位をつけるのはなかなかむずかしい。この期に及んで未読の本も多いし、いつも焦ってしまいます。でも、おもしろかった本の数々がよみがえって、満ち足りた気分になるのもたしか。今年もありがとう、翻訳ミステリー!
 というわけで、第10回翻訳ミステリー大賞の予備投票は11月30日が締め切りです。翻訳者のみなさま、投票よろしくお願いいたします。
 十月の読書日記は怒涛の推し本ラッシュ! 力はいってます!

 

■10月×日
 読み終わった瞬間、ガッツポーズをしてしまう本はなかなかない。アンソニー・ホロヴィッツの『カササギ殺人事件』を読み終えたわたしは、いいものを読んだという満足感と、多くの人に絶賛されるだろうという確信、読み終わったあとの程よい疲れと一抹の寂しさがないまぜになって、思わず本の神様にこぶしを振り上げていた。ホロヴィッツといえばシャーロック・ホームズや007の続編の作家という認識だったが、満を持して書かれた初のオリジナル・ミステリである本書は、ミステリ愛が炸裂した傑作だ。

 上巻はほぼ作中小説『カササギ殺人事件』からなる。これはアラン・コンウェイなる作家による《アティカス・ピュント》シリーズ最新刊で、名探偵アティカス・ピュントが、一九五五年のサマセット州の小さな村サクスビー・オン・エイヴォンで起きた殺人事件を解明すべく奔走する物語だ。アガサ・クリスティへのひそかなオマージュが散りばめられた上巻は、クリスティファンが泣いてよろこぶ仕掛けに満ちている。
 そして下巻はその『カササギ殺人事件』をめぐる殺人事件。《アティカス・ピュント》シリーズ担当編集者であるわたしことスーザン・ライランドが、失われていた原稿の結末部分を求めて奔走するうちに、作家アラン・コンウェイをめぐる謎に直面する。

 これはヤバい! 至れり尽くせりで隙がない。こんなにおもしろくていいの?と、不安になるほどおもしろい。下巻はとくに「ええええーっ!!」「そう来るー!?」の連続で、もつれにもつれた謎をさらにかき回し、どうするんだこれー!としばし放置したのち、ふとしたことをきっかけにすべてが腑に落ち、するするともつれがほどけていく快感といったら! 出版業界の話というのがまたたまらんですね。

「わたしたちはなぜ、こんなにも人が殺される謎を求め、そういった物語に惹かれるのか」。ほんとそれ! その謎を追求したホロヴィッツの、究極の回答がこの作品なのかもしれない。未読の方は黙って読まれたし。絶対損はしません。

 

■10月×日
 ハヤカワ・ミステリ創刊六十五周年(おめでとうございます!)記念作品である陸秋槎の『元年春之祭』は、ポケミス初の華文ミステリ。学生時代、中国史と漢文が大の苦手だったわたしにはかなり敷居が高い気がしたが、古くは酒見賢一の『後宮小説』や浅田次郎の『蒼穹の昴』をのめりこむように読んだし、最近でも華文SF短編集『折りたたみ北京』がおもしろかったし、『13・67』も楽しんだ口なので、大丈夫かなあと恐る恐る読んでみた。一段組みで分量もほどほどだったし。

 そしたらもうね、がっつり中国史と漢文の世界でした(汗)。うわーこれは苦労しそう……と思ったけど、意外と読めるのよ、これが。読後感は日本の新本格が古代中国にタイムスリップした感じ。作者は石川県金沢市在住で、麻耶雄高や三津田信三の影響を受けているそうです。

 なんと舞台は紀元前百年、前漢時代の中国。長安の豪族の娘である於陵葵(おりょうき)は、楚の観家を訪れた際、同い年の観家当主の娘観露申(かんろしん)と親しくなる。頭脳明晰な葵は、四年まえに露申のいとこ一家が殺害された事件の謎を解き明かし、露申をあっと言わせるが、あらたな殺人事件が起きて、葵は自身も巻き込まれながら推理を重ねることに。二度にわたる「読者への挑戦」つき。しばし唖然の真相でした。

 少女ということで、スティーヴンスの英国少女探偵デイジーとヘイゼルを思い出した。やっぱり才気煥発で剃刀のような切れ味の於陵葵がホームズ、普通の女の子の感覚を持ち合わせた観露申がワトソンだよね。会話を読んでいくうちに難解な理論が理解できるようになるという構成は秀逸。でも、葵と侍女の小休の関係はすごく痛々しくて、読んでいてつらかった。この時代だからこその設定が効いていると思う。

 注は思ったより少なめで、この程度の理解で大丈夫なのね、とわかって逆にほっとした。びっしり書かれた注だと、注を読むだけでエネルギー使うし。

 

■10月×日
『ワニの町に来たスパイ』につづくシリーズ二作目、ジャナ・デリオンの『ミスコン女王が殺された』が早くも登場。会いたかったよ〜フォーチュン! アイダ・ベル! ガーティ! ワニ(は出てこないけど)! 早くも安定のおもしろさで、女スパイと老婦人たちのハチャメチャな活躍ぶりにまたもやノックアウトされました。

 潜入捜査で暴れすぎたため、バイユーの流れる町シンフルに隠れ住むことになったCIA秘密工作員のフォーチュンは、またもや窮地に立たされる。ハリウッドに行っていた元ミスコン女王のパンジーが故郷シンフルに帰ってきたのだ。なぜ窮地かというと、フォーチュンも元ミスコン女王ということになっているから。町のイベントで顔を合わせることになったふたりのあいだに火花が散った翌日、パンジーが殺される。よそ者ということで殺人の容疑をかけられたフォーチュンは、地元婦人会〈シンフル・レディース・ソサエティ〉のリーダー、アイダ・ベルとその相棒ガーティとともに真犯人さがしに乗り出す。

 びっくりしたのは本書が一作目のラストの翌日からはじまっていること。だからフォーチュンはシンフルに来てまだ一週間にもならず、二作目なのに相変わらずよそ者なのだ。でも、アイダ・ベルとガーディはもちろん、マリーや雑貨屋のウォルター、カフェの店員アリーという友だちができて、ハチャメチャな作戦を実行するにもみんな楽しそうでよかった。

「目の覚めるようなハンサム男」で「非の打ちどころがない均整の取れた」体つきのカーター・ルブランク保安官助手(元海兵隊員)と、一度も恋愛をしたことがなくて実は孤独なフォーチュンの、遅々として進まない、容疑者と捜査官以上恋人未満の関係のもどかしさもたまりません。友だちや気になる人ができたフォーチュン、このままではますますシンフルでの生活が気に入って、スパイに復帰できなくなるかも。

 つぎの巻では町長選を巡って事件が起きるらしい。この調子でどんどん紹介してもらいたいわ。あ、まだの方はかならず一作目の『ワニ町』から読んでね。大丈夫、あっという間に読めちゃいますから。唯一の問題は、一作目二作目ともに同じミステリ年度内の作品なので、投票の際に悩ましいことかな。

 

■10月×日
 S・J・モンローの『わたしを探して』は、盛りだくさんな内容で読者を翻弄するお得な作品だ。

 主人公のジャーは、若くして作家デビューを果たすも、今はロンドンのアート系ポータルサイトで記事を書いている、アイルランド出身の二十六歳。ある日彼は地下鉄の駅で、五年まえに自殺した恋人ローザを見かける。発作的に嵐の海に身を投げ、遺体も見つかっていないため、彼女の死を受け入れられずにいるジャーが幻覚を見たのか? やがてローザが残したという日記が見つかり、ジャーの周囲で奇妙なことが起こりはじめる。たびたび見かけるローザの姿に混乱し、自分を信じられない気持ちとまわりを信じられない気持ちに引き裂かれながら、ジャーはローザの身に何が起こったのか解き明かそうとする。

 読み応えのある巻き込まれ型スリラー。意外性があってすごくおもしろかった。
 外務省に勤めていたローザの父が謎の死を遂げていることにはじまり、日記に記されたローザの情緒不安定ぶり、薬づけのローザの叔母エイミー、会社の友人や心理療法士、まつわりついてくる刑事や役人、そしてローザの死から一歩もまえに進めないジャー本人。信用できない登場人物ばかりなうえ、すべてが伏線のような気がして一文字も読みとばせない。そんなわけで前半はちょっと辛抱が必要だが、丁寧に読んでいくと「おおっ」という展開になって一気にスピードアップ。ラストはかなり力技という感じもするが、青春小説と思いきや、サイコスリラーにスパイものの風味も加わった複雑な味わいで、得した気分になれます。いらないという人もいるかもしれないけど、恋愛部分にある程度ページ数が割かれているのがいい。繊細で一途なジャーのキャラがあとあと効いてくるので。でも全体としてはやっぱり怖い話だわ〜。

 帯に「あなたは何ページで騙されるか?」とあるけど、当然ながらいつのまにか騙されてました。

 

■10月×日
 ルヘインの新境地という情報だけで読みはじめた『あなたを愛してから』には、いろんな意味で度肝を抜かれた。

 まず冒頭でいきなりヒロインのレイチェルが夫を銃殺してびっくり。ということは女性視点のハードボイルド?と思いきや、前半パートでは、父親がだれなのか娘に教えてくれない毒母との確執や、大人になってからの父親さがしの苦労、パニック障害の苦しみや仕事での失敗など、もがき苦しむレイチェルの人生が描かれる。重めの中間小説の味わいだ。

 やがて、ボロボロになったレイチェルのまえに、王子さま登場。ブライアンは父親さがしを依頼した私立探偵で、再会ではあったけど、登場の仕方はまさに王子さまだ。そしてふたりは結婚。このあたりは都会的なラブストーリーという感じ。

 ところが、とある出来事から物語は一変する。いやもうあまりの変調ぶりに、脳がついていけずに「あ〜れ〜」という感じ。レイチェルとブライアンが結婚記念日のたびに踊るスタンダード・ナンバーでタイトルにもなっている ”Since I Fell for You” にスポットが当てられてから、それを転機として物語ががらりと様相変えるのは見事としか言いようがない。このわくわくする流れがすごく好き。後半は展開がスピーディなこともあって、どんどん作品の印象が変わっていき、驚きっぱなしだった。

 読んでいて強く思ったのは「人間、死ぬ気になればなんでもできるんだ」ということ。
 そして「愛ってやつはなんてやっかいなんだ」ということ。愛しているから許せない。愛しているからこそ苦しむ。でも、愛しているからこそ強くなれる。精神的な弱さを自分でも意識していたレイチェルが、読者をハラハラさせながらも別人のように強くなっていく様子は胸熱。果たしてこの愛を信じていいのか……と迷う、アンビバレントなレイチェルの心情がすごくよくわかって切なかった。エモーショナルなルヘインは健在だ。

 ブライアンの「ぼくがきみに恋したのは、死ぬときに見ていたい顔を持つ女性に出会ったときには、恋に落ちるものだからだ」にもしびれた。言われてすぐは複雑だけど、あとからじわじわきいてくるセリフだ。ブライアンの複雑なキャラが物語に深みと意外性を与えていると思う。

 明るい余韻が残るラストもいい。戻ってプロローグを読むとまたさらに味わい深いです。全体としてはロマンティックサスペンスという感じで、個人的には好きなジャンルなので大満足。

 

■上記以外では……
 ミック・ジャクソンの『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』は、ユーモラスで皮肉が効いていて、やがて悲しき短編集。イギリスで絶滅してしまった熊に捧げる、大人のための童話。イギリスでは現在ほんとうに野生の熊は存在していないそうだ。びっくり。だから「くまのプーさん」や「パディントン」はぬいぐるみで本物の熊じゃないのか。

 

 俳優のトム・ハンクスの小説家デビュー作『変わったタイプ』は、タイプライターのレトロな存在感がアクセントの味わい深い短編集。さすが映画人だけあって、物語や情景が映像となって目に浮かぶ作品ばかりで、なかでも裕福な男が一九三九年の万博会場へのタイムトラベルを繰り返す「過去は大事なもの」はぜひ映画で見たいと思った。脚本スタイルの「どうぞお泊まりを」は、億万長者の秘書ミズ・マーキュリーのセリフ「へそが茶を沸かして、尻でトースト」がツボ。原文を知りたい。

 

上條ひろみ(かみじょう ひろみ)
英米文学翻訳者。おもな訳書にフルーク〈お菓子探偵ハンナ〉シリーズ、サンズ〈新ハイランド〉シリーズ、バックレイ〈秘密のお料理代行〉シリーズなど。趣味は読書と宝塚観劇。最新訳書はカレン・マキナニーの〈ママ探偵の事件簿〉シリーズ第一弾『ママ、探偵はじめます』。〈ママ探偵〉2巻『秘密だらけの小学校』は11月8日、〈お菓子探偵〉19巻『ウェディングケーキは待っている』は11月30日発売です。

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