書評七福神とは翻訳ミステリが好きでたまらない書評家七人のことなんである。

 書評七福神の二人、翻訳ミステリーばかり読んでいる翻訳マン1号こと川出正樹と翻訳マン2号・杉江松恋がトークでその月のお薦め作品を3つ紹介する「翻訳メ~ン」をyoutubeで毎月更新しております。十月分も更新いたしました。よかったらお聴きくださいませ。

 というわけで今月も書評七福神始まります。

(ルール)

  1. この一ヶ月で読んだ中でいちばんおもしろかった/胸に迫った/爆笑した/虚をつかれた/この作者の作品をもっと読みたいと思った作品を事前相談なしに各自が挙げる。
  2. 挙げた作品の重複は気にしない。
  3. 挙げる作品は必ずしもその月のものとは限らず、同年度の刊行であれば、何月に出た作品を挙げても構わない。
  4. 要するに、本の選択に関しては各人のプライドだけで決定すること。
  5. 掲載は原稿の到着順。

 

千街晶之

『六つの航跡』ムア・ラファティ/茂木健訳

創元SF文庫

 所謂「ミステリ年度」の最後の月に、創元推理文庫ではなく創元SF文庫から伏兵的な傑作が登場した。宇宙船内で目覚めた六人のクローンが発見したのは自分たちの死体。彼らは二十数年間の記憶を消され、船を制御するAIも停止した状態。果たして船内で何が起きたのか? 増殖する謎、深まる疑心暗鬼、クローンたちそれぞれが抱えた過去の秘密。クローンが普及して人間の倫理や価値観に激越な変化が生じた未来だからこそ成立する事件を軸とした物語は緻密に練られており、『そして誰もいなくなった』とSFが合体するとこういうことが可能になるのか、と感心した。

 

川出正樹

『誰かが嘘をついている』カレン・M・マクマナス/服部 京子訳

創元推理文庫

 誰もが顔見知りのスモールタウンでの幼児失踪事件を核とする『消えた子供 トールオークスの秘密』か、典型的なハイスクールを内での容疑者が限定された状況下で起きた死を巡る『誰かが嘘をついている』か。どちらも事件をきっかけに小さな共同体で日々を送る人々の秘密や溜め込んできたものが明るみに出て、ある者は積極的に、ある者はいやいやながらこれまで歩んできた人生と向き合い変容していく。

 悩んだ末に後者を選んだのは、容疑をかけられた四人の高校生を初めとする登場人物が皆、生き生きと存在感を持っている上に、WhodunitとしてもWhydunitとしても良く練られていたためだ。SNS社会を生きる若者が抱える蹉跌や屈託、プレッシャーといった深刻なテーマを扱いながら、苦さと爽やかさが一体となったリアルで瑞々しい青春小説に仕上がっていて読後感もGOOD!  2018年度は現代を舞台にした謎解きミステリに秀作が多かったが、本書は『カササギ殺人事件』に次ぐ逸品です。

 謎解きと言えば、今月待望の翻訳が刊行されたマーティン・エドワーズ『探偵小説の黄金時代』は、このジャンルを好きな方は必携の一冊です。

 

吉野仁

『用心棒』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳

ハヤカワ・ミステリ

『用心棒』、じつは読むまえの期待値をいえば、さほど高くなかった。「ハーバード大学中退、元陸軍特殊部隊、ドストエフスキーを愛読する用心棒ジョー・ブロディー登場」という帯の文句から、インテリくずれで軍隊あがりの男が暴れる活劇小説か、と予想したのだ。しかし、この小説、個性的なキャラクターを前面に押し出したヒーローものというより犯罪小説としてかなり意表をつく展開が幾重もあるなど、さすが『二流小説家』の書き手だけあってどこまでも油断ならない作品。堪能した。そのほか、クリスティン・マンガン『タンジェリン』は、モロッコのタンジールを舞台としたサスペンス。オーツさんのおっしゃるとおり、タートにフリン、ハイスミスやヒッチコックのセンスやムードにあふれており、じわじわ不確かな状況へ向かうストーリーと異郷における不安な心理がますます緊迫感を高め、読ませます。リサ・ガードナー『無痛の子』は『羊たちの沈黙』の強い影響のもとに生まれたサイコものながら、模倣に終わらない凄みをそなえていて、こちらも読みごたえあり。

 

北上次郎

『帰郷戦線 爆走』ニコラス・ペトリ/田村義進訳

ハヤカワ文庫NV

 戦場から戻った男が戦友の妻の苦境を助けたら陰謀に巻き込まれるという話は特に目新しいものではない。にもかかわらず、この小説が素晴らしいのは、ここに出てくる犬がそれはもう可愛いからだ。

 大きくて汚れていて、平気で屁をするのだ。

 近づくと吠えて噛むのだ。噛まれるのが主人公との出会い。それでどうなるのかは、読んでのお楽しみ。

 これまで犬が登場する翻訳小説は数限りなくあったけれど、その可愛いさで、ベスト3にランクされるだろう。全国の犬好き読者におすすめ!

 

酒井貞道

『探偵小説の黄金時代』マーティン・エドワーズ/森英俊・白須清美訳

国書刊行会

 大戦間の英国探偵作家クラブには、クリスティー、セイヤーズ、バークリーなど綺羅星のごとき作家が所属していた。本書は、その内幕、各作家、そして黄金期ミステリの真実/本質に迫る、評伝兼評論である。
 セイヤーズの秘密出産をはじめ、紛れもなく醜聞に属する内容が目白押しである。そしてそれらの一々が、非常に面白い。月並みだが、事実は小説よりも奇なり、と言いたくなる。だが、それらを下世話に楽しもうとする浮かれた雰囲気はない。代わりに、著者は絶えず、作品や作風の多面的な理解を促している。当時起きていたことと、世間やクラブ、作家自身の反応を詳らかにする――それこそが作品/作家を理解する道のひとつだというゆるぎなき信念が、そこに見える。大量の資料に基づく真摯な状況読解は、学術的な価値と読み応えとを両立させている。アメリカ探偵作家クラブ賞を受賞するのも納得の出来栄えである。

 

霜月蒼

『これほど昏い場所に』ディーン・クーンツ/松本剛史訳

ハーパーBOOKS

 鉄板のディーヴァー『ブラック・スクリーム』かクリス・ウィタカーの『消えた子供』と思いつつ、「こういうのこそエンタメだよね!」という歓びに満ちた本書を推しておきたい。

 アメリカで奇妙な自殺が頻発していた。主人公のFBI捜査官ジェーンも、夫を自殺で失った。休職して個人的に調査を開始したジェーンは少しずつ謎の核心に迫ってゆくが……。80年代後半から『戦慄のシャドウファイア』『ライトニング』などで日本の読書界を揺るがせたクーンツ印の疾走エンタメが、円熟の筆でよみがえっている。往年の傑作で近いものを探すなら『邪教集団トワイライトの追撃』あたりか。

 復讐者としての容赦のなさを発散する女性主人公もいいが、イーサン・ハントという名のトラック運転手やローラースケートを駆るタフな女性はじめ、脇役の造型もいちいち「そうそう、こうでなくちゃ!」と思わせる匠の技。クーンツはとても倫理的な人なので、残虐描写には踏み込まない安心設計です。『ベストセラー小説の書き方』を書いた作家らしい正統ド真ん中エンタメ。3時間のハラハラドキドキが欲しければ迷わず買い。ていうか早く続編を読ませてください。

 

杉江松恋

『消えた子供 トールオークスの秘密』クリス・ウィタカー/峯村俊哉訳

集英社文庫

 10月は予想通り大量豊作だったわけで、読んでいるときは「あ、これに決まり」と思う作品ばかりで、終わってみればこの一月だけで年間ベストが組めちゃうじゃんという贅沢な結果になった。予想外の一作だったのはムア・ラファティ『六つの航跡』で、閉鎖空間での謎解きを宇宙船内でやるという趣向自体はそんなに珍しいものではないが、クローン技術に法整備がされていて厳格なルールがある、という縛りを加えたことで着想の幅が逆に広がっていて、そこが実におもしろい。個人的なヒットはアウシュヴィッツで人体実験を繰り返したことで知られる殺人医師ヨーゼフ・メンゲレを扱った二冊の小説が出たことで、オリヴィエ・ゲーズ『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』は、「あなたは吉村昭か」と言いたくなるような贅沢な資料の使い方で、歴史小説ファンにもお薦め。そういえば題名も『長英逃亡』みたい。もう一冊のアフニティ・コナー『パールとスターシャ』のほうは、そのメンゲレの〈動物園〉に収容されたふたごの姉妹の視点からアウシュヴィッツの日々を描く内容で、今年翻訳された『ローズ・アンダーファイア』や『死の泉』をはじめとする皆川博子作品、近くは深緑野分の諸作がお好きな方は必読だと申し上げておきたい。ああ、前置きがまた長くなったけどついでに言っておくと、デイヴィッド・ゴードン『用心棒』はジョー・イデ『IQ』と双璧の、今年のヒーロー小説の傑作です。解説は私。

 というわけでもう一冊解説を担当したクリス・ウィタカー『消えた子供 トールオークスの秘密』をお薦めにしたい。話の構造は単純なようで込み入っている。冒頭で幼児が自宅から消えたという事件が紹介される。その事件の爪痕が消え切らない町で、しかし住民たちは普段通りの生活を送っている。小説の主部では彼らの生活が並行して描かれていくのだが、カメラが端から端に移動して元の場所に戻ると少しずつ登場人物たちの見え方が変わっている。はじめは単なるお気楽バカと見えていた少年も心中の不安を吐露するようになるし、その少年から母親に手を出す嫌なやつ、と忌み嫌われる自動車販売員はなんだかわからない過去の傷口をチラ見せしてくる。そんなことが相次ぐために、ページを繰る手は停まらず、どんどん読まされてしまうのである。そして終盤にやってくる衝撃の展開。読み心地はたぶん、ロールプレイングゲームで街を訪ねたときの感じに似ていると思う。住民たちに何度も話しかけていると言うことが変わってくるというあれね。しかもモブキャラに見えたほとんどの登場人物に語るべき過去が準備されているのである。ユーモアとサスペンスが絶妙な均衡をとっている書きぶりもいいし、これは読むべき一冊です。

 豊作に次ぐ豊作で毎月みなさんたいへんだと思いますが、七福神だってたいへんなんです。特に今月みたいな事態になると、どれだけ一冊を選ぶのに苦労することか。年末に向けてますます盛り上がってまいります。では、また来月お会いしましょう。(杉)

書評七福神の今月の一冊・バックナンバー一覧