そういう方向けの連載が今回から月イチで始まります。犯罪小説が大好きでしかたがないという小野家由佳氏が、偏愛する作家・作品について思いの丈をぶつけるコラムです。どうぞご期待ください。(事務局・杉江)
中学生の頃、毎日、深夜の散歩をしていた時期があります。
福永武彦の随筆のように読書をしていたのではなく、文字通り夜中に外をぶらついていた、という意味です。
何か特別なことをするために外に出ていたわけではありませんでした。
ただ、家族が寝静まった頃にベッドを抜け出して、音をたてないようにドアを開閉して、三十分くらい町内を目的もなく歩いていただけです。お小遣いに余裕があった時は、コンビニでジュースかアイスを買って、公園のベンチに座って飲み食いをしていました。
思い返してみると他愛もないことこの上ない遊びですが、当時の僕は大きなスリルを感じていたように思います。
家を出る時、あるいは帰ってくる時、親に気づかれたらどうしよう。パトロール中の警官に見つかったら補導とかされちゃうかもしれないぞ……そんなことを考えてドキドキしながら、この小さな非行を繰り返していました。
今と違って生真面目だった中学生の僕にとって、これはゾクゾクするような大冒険だったのです。
ジャック・フィニイの『夜の冒険者たち』(1977)を読んだ時は勿論、真っ先にこの思い出が蘇りました。
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『夜の冒険者たち』は、タイトルの通り、真夜中の街へ冒険に出かける物語です。
主人公であるリュウは新人弁護士です。しっかりとした職を持ち、恋人もいる生活は安定しているのですが、彼はどこか物足りないような気持ちを抱えながら日々を過ごしています。
そんなある日、どうしても寝つけなかった彼は、ふと思い立ってベッドを抜け出し、夜に誘われるように外へ出ます。そこにあるのは勿論、いつもと変わらない街の風景な筈なのですが……昼間と打って変わって静まり返った街は、まるで別物で、不思議な魅力に満ちていました。
普段はビュンビュン車が走っている通りなのに、今は一台の影もない。明かりはポツリポツリとある街灯だけで、それがどこまでも続いている。いつもとちょっと違う風景の中を、いつもとちょっと違う自分が歩いている!
リュウはあっという間に、この冒険の魅力にとりつかれ、恋人と親友も誘って、毎夜出かけるようになる、というのが粗筋となります。
読み始めてすぐに「まるで僕の話だ」と思いました。
といっても、夜中に外をうろついているから、というだけでそう思ったわけではありません。
どちらかというと行動は重要ではないのです。僕みたい、と感じたのはリュウ達の心理描写の方でした。
あの頃の僕が求めていたスリルを、僕が感じていた感動を、普段の生活から抜け出したことをしているんだというあの気持ちを、彼らも持っている。だからこそ、冒険に成り得ている。そこにたまらなく、心を打たれたのです。
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そう、リュウ達がしているのはただの深夜徘徊ではなく、冒険なのです。
だから、彼らはちょっと危険なことに挑みます。
たとえば、車の通りがない高速道路に寝転がる。
たとえば、誰かの家の庭にあるブランコで遊ぶ。
たとえば、図書館に忍び込む。
これらは勿論、昼間じゃやれないようなことで、かつ、本当は夜でもやってはいけないことです。ですが、だからこそ、リュウ達はやってしまうのです。もう、それは、楽しそうに。大の大人だっていうのに!
読みながらこちらまでやりたくなってしまう。読んでいる間、妙に興奮してしまう。
そうなったらもう、読者の心は完全にフィニイの術中にあります。
物語のスピードは、ページをめくればめくる程上がっていきます。リュウ達の冒険のタガもどんどん外れていって、一歩だけ日常からはみ出たところにある話の筈が、いつの間にやら、とんでもないところにまで連れていかれてしまいます。悪戯のラインを超えて、犯罪に至っちゃうのはご愛嬌。
それでいて、同時に、地に足をつき続けている部分がある、というのが作家としての腕が見える部分です。
フィニイは、日常があってこその冒険である、ということを常にわきまえています。モヤモヤを抱えていた〈つまらない日々〉がなければ生きていくことはできないんだぞ、というリアリズムも、この物語にはしっかりと描きこまれているのです。
そして「だけど……」というところで葛藤が生まれ、物語は盛り上がっていきます。
リュウ達はこのまま日常から外れていってしまうのか? それとも、日常へ回帰するのか? ともかく、ずっと過ごしていた退屈な日々とこの冒険に、どうけじめをつけるのか? ……これらの興味は、膨らみに膨らんだ末、最後にパン! と弾けてしまいます。
僕はそこまで読んで、つい、笑ってしまいました。
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ジャック・フィニイという作家は、読者の冒険心をくすぐるのがとても上手い作家です。
大好きな台詞があります。『クイーン・メリー号襲撃』(1959)で、軍隊時代の仲間が豪華客船の襲撃作戦に主人公を誘うという場面で言ったものです。
少し長いのですが、引用させてください。
『最近はあまりきかれなくなった言葉が一つあるんだ、ヒュー。使ったとしてもあまり真面目な口調でじゃない。今では流行遅れで、その言葉を使うときには、ちょっと嘲笑でも浮べなくちゃかっこうがつかない。何という言葉かわかるかい?(中略)それはね、冒険という言葉だ。いまじゃそんなものはきくこともないし、子供向きのお話の題名ぐらいでなきゃ、めったにお目にかかれない。しかし、僕としてはまだその言葉は好きなんだ。そして、その意味することも未だに好きだ。まったくいやになっちゃう』
どうです? 素敵じゃありませんか? 僕はこうして引用している時でさえ、この言葉に「うんうん」と頷いてしまいます。
ジャック・フィニイの犯罪小説の登場人物はみんな、こうした「冒険をしたい」という気持ちを持っているのです。
大人になっている、もしくはなりかけているのに、この思いを捨てきれていなくて、モヤモヤしたものを抱え続けている。
これはきっと、僕らも同じで、だから、小説の中の登場人物がとうとう切っ掛けを掴んで日常を抜け出した瞬間、どうしようもなく胸がときめいてしまうのです。その冒険というのが『クイーン・メリー号襲撃』のように豪華客船への襲撃でも、『五人対賭博場』(1954)のようにカジノからの強奪でも、構わない。素直にワクワクしてしまい「さあ、やるぞ!」という気分にさせられるのです。
そして、『夜の冒険者たち』は、そんな日常からとうとう抜け出す冒険を「僕ら読者もやろうと思えばやれるかも」という地点からスタートさせる話なのです。実際に、僕は似たようなことまでやっている。
読みながら、否応がなしに、のめりこんでしまいました。
多分、深夜の散歩をしたことがない人でも、同様に感情移入させられてしまうに違いない、と思います。
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小野家由佳(おのいえ ゆか) |
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ミステリーを読む社会人二年生。本格ミステリとハードボイルドとクライムコメディが特に好きです。Twitterアカウントは@timebombbaby。 |