前回の担当のとき、ご紹介した第二次世界大戦中の兵士にまつわる本にモデルがいるという話をちょろりとしたのですが、気になったので今回はそのモデルとなったダン・ビラニーのミステリ、“It Takes A Thief”(1940)をとりあげます。

 事件のはじまりはイングランドのノーフォーク州、広い庭や果樹園のある静かなグランビー・ハウス。ここで暮らすのは、オペラ歌手の母親、病みあがりで自宅療養中の男の子、オペラ歌手の弟夫婦、気ままに一年の半分は滞在しているやっかいな親戚、名探偵と賞賛されていたのに社会の不平等を正そうとして道を踏み外し服役して名声は地に落ちて幼なじみのオペラ歌手に助けられた家庭教師です。

 11歳のジャックが退屈し、2階の窓からこっそり抜けだしてマロニエの木から外をながめていると、めずらしく車が通りかかり、もっとめずらしいことに車がそこでとまります。家庭教師のすすめで暇つぶしとして車のナンバーをメモするのを趣味としているジャックが番号を書き留めていると、ラグに巻かれた男が複数の男たちによって車から降ろされ、ハンマーで殴られた上、事故を偽装して念入りに轢き殺されるのを目撃。車が走り去った後もしばらく呆然としていたジャックは気を失って木から落ちてしまいます。夜になり、大人たちがラジオのまわりに集まって、ジャックの母親がミラノの劇場で歌う声に耳を傾けようとしているときに、ジャックがいないとわかり、庭で泣いている彼と路上の遺体が発見されて大騒ぎに。

 元名探偵であるロビー・ダンカンは、遺体とタイヤ痕の状況から他殺であることを見抜き、この顔は新聞で見たことのある銀行強盗一味のひとりであると気づきます。庭に落ちていたジャックのノートに真新しいナンバープレートの番号が書きつけてあることから、彼が目撃者であることも推察。ただ、ジャックは木から転落しての怪我は手首だけですみましたが、ショックによって全身の状態が思わしくなく、満足に話せず、医師は当面、彼から事情を聞くことを警察に禁じます。ダンカンは管轄の警察やスコットランドヤードに協力し、ロンドンの昔の情報屋たちに話を聞きだし、銀行強盗が仲間割れしてどこかのパブに隠されたと噂される大金を躍起となって探しているらしいと知ります。

 銀行強盗一味は金の在処の手がかりの記された時計を事故偽装現場に落としたと気づいて引き返してきますが、現場を調査していたダンカンが一歩早く時計を手に入れます。新聞にジャックが目撃者だとすっぱ抜かれたこともあり、グランビー・ハウスは一味につけねらわれることに。ジャックの病状を心配した母親のメアリーが最新の医療器具を携えた医師やナースたち、彼女に仕事のオファーをしたがっているオペラハウスの者を引き連れてミラノから帰宅し、のどかな地方が騒がしくなって緊張が走る最中、第2、第3の殺人が発生。

 自由だなあ。グランビー・ハウスの顔ぶれをながめて、最初、これは母親が突っ走り女子系のコージーかジュブナイルなのかな、と予想しつつ読み進めたら、暴力の描写がジム・トンプスンばりにえぐい。アクション&暗号謎解き&ロマンス&ユーモア&オペラ蘊蓄&文学や詩の引用多数と、地上波で海外のミステリ、スパイ、冒険系ドラマがいくつも放映されていた頃のテレビドラマを連想させる、展開が早くていろんな要素が詰まっている本です。そうしたドラマ群のさらに前、1940年にこの作品は刊行されていたんですね。ちなみにタイトルの “It Takes A Thief” は60年代のテレビドラマ《スパイのライセンス》の原題と同じですが関連はなしです。《スパイのライセンス》がインスパイアされたというヒッチコックで映画化もされた《泥棒成金》(“To Catch a Thief”)なんかも、元ネタのフレーズは It takes a thief to catch a thief。
 今時のものはなんというか、きれいに整えてあるものが多い印象で、本作は全体として散らかっている感じはあるんですが、どんでん返しというのはまた違う、このシリアスな流れでこの要素をぶちこんでくる?! という、自由な発想がむしろ好印象でした。「こうすべき」という型の意識がなくて。こちらは著者のデビュー作でもあり、4つぐらいのサブジャンルの可能性をすごく感じます。著者がもっと長生きしていたらどんな作品を書いてくれたんだろう。

 著者ダン・ビラニーは1913年、ハル生まれ。貧しい家庭から苦労して大学に進み、作家になる夢を抱いて教師となりましたが、第二次世界大戦が勃発、中尉として戦争に従事。1942年に捕虜となり、1943年にイタリア内の捕虜収容所から仲間たちと脱走し、30歳で山中にて亡くなったと考えられています。本作は当時、フェイバー・アンド・フェイバー社の文芸アドバイザーだったT・S・エリオットの目に留まり、イギリスでは “The Opera House Murders” のタイトルで刊行されました。エリオットはロビー・ダンカンを主役としたシリーズ第2弾に着手するよう勧め、ビラニーが執筆に取りかかったことはわかっていましたが、戦争で原稿の行方は不明に。ビラニーは戦争中も創作を続けており、捕虜収容所から脱走後、イタリアの親切な家庭に創作ノートを預け、戦争が終わったらイギリスの家族の元に郵送してほしいと託していました。ノートは1946年に家族に届けられ、ここからノンシリーズの “The Cage”(1949、戦友デイヴィッド・ドウイーとの共作)、“The Trap”(1950)は刊行されていたのですが、長らく眠っていたロビー・ダンカン・シリーズ第2弾は2006年に彼のきょうだいが保管していたたくさんの作品のなかから発見され、ようやく2008年に “The Whispering” として刊行されています。
 で、ビラニーが一緒に収容所から脱走したドウイーと共同執筆となる “The Cage” ですが、本来、著者たちは “For You the War is Over” というタイトルでの刊行を考えていたという記事を見つけました。ドウイーへの愛に葛藤していたというビラニーにとってこのふたつのタイトルはだいぶ意味あいが異なりますね。ビラニーの伝記が2種類くらいあるようですので、そちらも読んでおこうと思います。

三角和代(みすみ かずよ)
訳書にカー『死者はよみがえる』、パウエル『ウォーシップ・ガール』、トルーヘン『七人の暗殺者』、リングランド『赤の大地と失われた花』、タートン『イヴリン嬢は七回殺される』他。ツイッター・アカウントは@kzyfizzy

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