ベイジル・ウィリング博士物の最後の一ピースである『悪意の夜』が出た。『逃げる幻』の好評を受けてか、その後も続々と翻訳が続いたことはご承知のとおり。こうなるとは夢にも思わなかった。ウィリング博士シリーズ13編の長編がすべて翻訳されたことに、感慨ひとしおである。
 

■ヘレン・マクロイ『悪意の夜』


 ひとくちにヘレン・マクロイの長編といってもそのありようは多彩だが、幾つものアイデアを詰め込み、登場人物も賑やかだった初期の本格ミステリのフォームから、特定の登場人物に寄り添って話を進め、卓抜な心理的洞察をもとにサスペンスの要素を濃くした作品へという大まかな変化がみられる。
 本書は、中期(1955)の作で、ウィリング博士物としては『二人のウィリング』(1951)と『幽霊の2/3』(1956) の間に位置する円熟期の作といっていい。「直接法現在」「仮定法未来」「未完了過去」と題された三部で構成されるのもスタイリッシュ。
 主人公アリスは、最近崖から転落死した彼女の夫ジョンの遺品の中に「ミス・ラッシュ関連文書」と書かれた封筒を発見する。封筒の中身は空だ。政府要人だった夫の仕事に関する機密なのか、それとも本人の隠された秘密なのか。そこへ息子マルコムは性的魅力を発散する美しい女性を伴い帰宅する。彼女の名は、クリスティーナ・ラッシュといった。
 ラッシュという女は一体何者なのか。アリスはラッシュに対する疑惑の念を高め、心理的ショックにより子どもの頃の夢中歩行の症状が再発する。
 ここで本格ミステリ作家マクロイの面目躍如のところは、アリスは名探偵さながらたった二つの事項を基に周囲から妄想ともいわれる推理を組み立て、それがアリスの懊悩の元になるところだ。本書のベースになっているのは論理から生まれるサスペンスなのだ。語り手アリスに著者自身がかなりの程度投影されていると感じさせるのは、特に19歳の息子に対する過保護とも思える態度に生身の女性を感じさせるからだろうか。
 第二部では、自らと息子の危険を予期し、アリスはある予想外の行動に出る。ここでのアリスの必死の鬼子母神さながらの苦闘は手に汗を握らせる。「悪意の夜」に一体何が起きたのか。自らの意識の空白を抱えるアリスは、文字どおり信頼できない語り手となる。
 ゴシック体を交えた心理描写は、後の『殺す者と殺される者』(1957) を想起させる迫力だ。
 物語半ば、意外な形でウィリング博士が登場し、独自の捜査を開始する。
 ここまでは、出色の面白さなのだが、翻訳が最後になってしまったのは、第三部が微妙だからだろう。かなり分量のある手記の形式(ある時代を切り取った短編小説さながら)で登場人物の過去の秘密が明らかにされ、現在の事件に直結していることが判明する。ホームズ物の長編への先祖返りのような形式なので、謎解きのカタルシスは減じてしまう。ウィリング博士は、手記を読む前にほぼ真相にたどり着いているのだが、推理の決め手に欠ける印象は拭えない。
 本書の原題は、The Long Body。ヒンズー教から借りてきた概念で、人間は幼年期・中年期・老年期に及ぶ真の姿である「長い身体」をもっており、肉親や親友であってもその断面を見ているにすぎない……というようなウィリング博士の講釈がある。
 『逃げる幻』が「取り替え子」の、『暗い鏡の中に』が「ドッペルゲンガー」のモチーフで貫かれていたように、本書は、「長い身体」をモチーフにタイトルや構成まで含めて一貫性のあるプロットが組み立てられていることは十分評価に値しよう。
 マクロイが示したかったのは、アリス自身が物語半ばで感じる、肉親や親友であっても突然見知らぬ人のように感じることの恐怖だったかもしれない。見慣れたものが見知らぬものになるというのは本格ミステリの構造そのものでもあるのだが、この小説では、主人公アリスの尋常ならざる体験がこの構造のうちに二重化されているわけだ。
 ともあれ、最後のワンピースが訳出された今、この米国ミステリ界の屈指のグランドマスターの作風の変遷を追いつつ、改めてシリーズを紐解く楽しみが読者には待っている。

■ヴァレンタイン・ウィリアムズ『月光殺人事件』

 
 ヴァレンタイン・ウィリアムズ。著者の名に聞き覚えがある人は少ないだろう。本国では20冊を超える長編ミステリの著作があるが、我が国では戦前に本書『月光殺人事件』の抄訳ほか数冊、戦後はリレー小説『ホワイトストーンズ荘の怪事件』があるのみ。著者の作品として有名なのは、ドイツのスパイ、グラント博士(通称・蟹足男)。
 アガサ・クリスティー『おしどり探偵』(『二人で探偵を』)は、トミーとタペンスが有名な探偵キャラクターになりきって事件を解決していくという楽しい趣向の短編集だが、ウィリアムズのグラント博士(翻訳では「ワニ足」となっているが)とその好敵手オークウッド兄弟をフィーチャーした短編があることからも、当時かなり知られたキャラクターであったことがうかがえる。
 本書は、スリラー系の作品が多かったウィリアムズが遺した本格ミステリ。
 舞台は、米国ニューヨーク州北部の山間にある湖畔。語り手は、ピーター・ブレイクニー。45歳の売れない劇作家で、一次大戦の激戦地で毒ガスにやられ肺を患っている。彼が小屋を借りて執筆にいそしんでいる湖畔では、キャンプ場のオーナー夫婦を中心に総勢15名が集っている。このかりそめの共同体の中で殺人事件が発生する。
 事件を特徴づけているのは、資産家夫婦を核にした恋愛模様である。資産家ヴィクターと年若い妻グラジエラ。若妻の心は横暴でアルコール依存症の夫から離れており、ニューヨークの紳士と相愛の仲にある。一方、富豪は、婚約者がいる美貌の女を追いかけまわしている。語り手ピーターは、気品漂うグラジエラに夢中であり、富豪の女秘書は彼に思いを寄せているようだ。そんな複雑な人間関係の中、ピーターの脚本で余興の素人芝居が演じられたことが引き金に殺人事件が発生する。
 探偵役は、スコットランドヤードの部長刑事トレヴァー・ディーン。ヤードの彼が米国の湖畔にいるのは、休暇中という設定。一見無気力そうだが、初対面でピーターの経歴を言い当てる観察力と推理に長けたケンブリッジ大卒出のインテリだ。
 冒頭で殺人が発生する以外は、大きな事件は起こらない。関係者のそれぞれの思惑と行動で事態の混迷は深まり、容疑濃厚な人物は次々と変転していくが、犯人を特定するには至らない。ディーン刑事は、犯人をあぶり出すための勝負に出る。
 やや登場人物が多すぎるし、余計と思われる脇筋で劇的緊張に欠ける感もあるが、作者は着実に意外な真相のための地慣らしをしている。結末まで読めば、複雑な人間関係が犯人像を隠すための迷彩になっていることを了解されるだろう。ただ、犯人特定のための手がかりは物足りない。
 月光浴に興じる若者たちがいる中で、月に煌々と照らされた現場で起きる冒頭の事件が印象的だ。添え物ではない恋愛要素が盛り込まれ、事件の推移が傷心の劇作家の一人称による「輝くような夏の思い出」として物語られているところが本書の美点といえようか。作者は、そんなロマンティックなミステリにふさわしい幕切れを用意している。

ストラングル・成田(すとらんぐる・なりた)
 ミステリ読者。北海道在住。
 ツイッターアカウントは @stranglenarita


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